2017/04/25

ホンジュラス料理


フェデラルウェイという町(シアトルの南、クルマで30分ほど)のホンジュラス料理やさん、Mi Bella に行ってきました。

そもそもホンジュラスってどこ?


ここでした。中米のこのへんの地理、ぜんっぜん頭にはいってなかった…。

エルサルバドルってちっちゃいのね。ニカラグアとグアテマラが隣り、そしてコスタリカがその下ね。ふむふむ。

別にホンジュラス料理を食べにわざわざフェデラルウェイに行ったわけではないのだけど、このへんのエスニック料理店はシアトルのオシャ料理店とはまったく違い、ディープで面白いっす。

お店はとってもカジュアルで、男の人がほとんどサッカーのジャージを着てるのが、なるほど!って感じw テレビはもちろんサッカー番組。

Chuleta en salsa catracha というポークチョップにしました。ポークチョップはケチャップ的な味。キャベツのサラダ、ライス&ビーンズ、バナナの兄弟プランテンのフライがついてきます。
左上のポテチのようなのがプランテンフライ。

プランテンのフライは、かすかにバナナっぽい風味だけど甘みはなくて、ほくっとした食感があっておいしかった。

あと、 Baleadaというホンジュラス版トルティーヤが、もちもちでうまかったです。

これでホンジュラスの場所をしっかり覚えたよ!もう大丈夫!(本当か?)


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2017/04/23

緊張の対決


先日、近所をさんぽしていて出会った、緊張の一場面。


 ……!!!


………。

あたたかくなってきて、リスたちはまた大忙しです。
秋口には、あちこちにドングリを埋めているリスを見かけます。

しかしリスたちはあまり記憶力がよくないため、ほとんどの隠し財産はそのまま春になるまで土のなかにいて、芽を出すのだそうです。

リスの食欲が、植物たちになにげに利用されてるんですね。


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2017/04/22

今年のさくら第2ラウンド バラードのロココ並木


ソメイヨシノは散ってしまいましたが、シアトルでは八重桜が満開です。

うちのすぐ近くの通り(14th Ave NW)は、どういうわけか八重桜並木になっている。

樹齢何年くらいなのかなー。


これまで毎年4月末には家にいないことが多かったので、満開の時期を毎日目撃するのは、実は今年が初めて。

きょうから雨になるというので、散ってしまう前に!と、きのうの夕方あわてて写真とりにいったら、


…今日も午後からよく晴れた。


ボケモードで!うーんいまいち。


これはHDRで撮っていたらしい。 Googleの人工知能の描く画みたいですこし怖い。


八重桜って、とにかく過剰。ちょっと田舎の商店街の飾り付けみたいな。

この並木の八重桜は特に色がとても濃いピンクだし、もうこってり濃厚です。

「ロココ」っぽいなあとも思う。マリー・アントワネットが八重桜を見たらきっとトリアノン離宮に植えたにちがいないって気がする。


ピンクの洪水のなか、新しく植えられた若い木は白い八重桜。



それでも充分ロココ。


明日も雨の予報。もうしばらく見られるかな。

広い道の真ん中に公園になる予定だけどいつまでたっても工事が始まらないでクルマの駐車場になっている砂利地があるので、あまり絵にならない並木道ではあります。


あー、このボケはちょっと気持ちが悪いかも…。じっとみてると酔いそうだ。


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2017/04/21

iPhone7 Plusのボケ具合



あたらしいデンワ(iPhone7 Plus)がやっととどいた! 

カメラの「ポートレート」モードの「被写界深度エフェクト」をさっそくためしてみました。
このデンワはレンズが2個並んでいて、 一眼レフカメラで絞りを開放にしたときのような「ボケ効果」が作れる機能がついてます。

近所で満開のりんごの花。
上の写真を、同じ位置で「ポートレート」モードで撮ってみます。

被写体が近いと「離れてください」と命令されます。


おぅ! ちょっとわざとらしいけど、なかなかそれっぽいボケになってます。


こちらが標準モード(2倍ズーム)。


ポートレートモード(被写界深度エフェクトつき)。以下「ボケモード」とします。
ちょっとトリミングしたほかはほとんど撮ったまま。

デンワのカメラの直径5ミリくらいのレンズで、ここまで撮れてしまうのか…。 


標準モード。


ボケモード。

F値を選べるわけではなく、デンワの中にはいってるなにかが(← きっと小さいおじさんみたいなもの、という理解)勝手に「はい、ここから先はボケ領域にしますよ」と計算して後付けでボケをつくってるので、よくよく見ると特に中間域が不自然だし、もちろん良いレンズで撮るきれいな光学ボケには全く及ばない、…ものの、ポケットから出してひょいっと撮れる薄さ7ミリのケイタイカメラにこんなこしゃくなマネができるようになっちゃったんですね。

わたしの持ってるデジタル一眼レフはニコンのD90で、もうかれこれ8年前くらいに買ったもの。レンズはともかく、画素数はたぶん同じ。

一眼レフにはレンズを付け替えて撮る楽しみがあり、カメラを操作する手応えがあるけど、身軽さではぜんぜんかなわない。

ケイタイのカメラにここまでの再現力と描写力がついたら、写真を撮るという目的じたいが変わってしまった。

旅先に重いカメラを持ち歩くことはもうないかなー。


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2017/04/19

赤かぶとシトラスのサラダ


シカゴのフォトグラファー、マミさんのブログでみたオレンジとラディッシュのサラダがあまりに綺麗でうまそうだったので、つくってみました。

マミさんの写真にくらべると芸術性はかなり落ちますねえ。
マミさんはセンスも素晴らしいけど、ほんとにマメなお料理家で感心する。

料理したり食べることにテンションが落ちてきたときにインスピレーションをもらえるブログのひとつです。

マイレシピ(ありあわせ)はオレンジに、冷蔵庫にあったかぼちゃのローストとルッコラをプラス。
ドレッシングは、ホワイトバルサミコ、オリーブオイル、ハワイアンソルトとはちみつ。

ラディッシュの辛味とオレンジのとりあわせがさっぱりして新鮮で、このところマイブームになっている。




これは先日スーパーでみたEdible Seattleだったかなにかの雑誌の表紙にあったのをマネしてみたかった、アボカドと卵とラディッシュのトーストのせ。

ラディッシュのスライスをのせると、とりあえず華やかになる。

ラディッシュって実はいままで興味がなくて買ったことなかったけど、 スライスするとほんとにキレイだし、なんでもない料理がシャキッと春らしくなるですね。


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2017/04/18

すごい身体のモノローグ


一日に何度も晴れたり雨降ったり時には雹も降ったりと忙しい、シアトルの春です。

先週の晴れた日曜日(4/9)、シアトル舞踏フェスティバルをのぞいてきました。

場所はShoreline Community College。いつも通っている通りから少し入ったところに、こんなコミュニティーカレッジがあったのをすっかり忘れていた。初めて行ったけど、こぢんまりした中にも緑が多くて落ち着いた綺麗なキャンパスでした。通ったことのあるNorth SeattleCCよりも、ずっとのどかで端正な感じ。

シアターのほうに歩いていくと、 中庭の芝生に水のない河原のようなところがあり、そこでパフォーマンスが始まっていた。
サンフランシスコから来たという舞踏家のお二人。

音楽はどこから聴こえるのかと思ったら、まるいスピーカーを胸のところにつけてらした。「ちょっとしたサイボーグ」とご本人。なるほど。取り外し可能だけどね。

背景には桃色の花。賽の河原のような石の上の道行き。
ほんとうに色も形も時も、パーフェクトな舞台だった。



シアターでの演目一つ目は、シアトルの舞踏家、薫さんの、長崎をテーマにした「ORASHO」。

長崎という土地は、ひどい暴力にみまわれてきたところ。しかも何度も。

全然知らなかったのだけど、幕末の開国後、フランス人たちのために大浦天主堂が作られた後で、200年もの間隠れていたキリシタンたちが天主堂にやってきて、このフランス人神父に「発見」されたという事件があったのだそうです。

でも開国したとはいえ、徳川幕府は臣民に対してキリスト教を禁教としていた方針は変わっていなかったため、200年の時をへてカミングアウトしてきたキリシタンたちは次々に逮捕されて流刑にされてしまったのだと。

なんと弾圧は明治維新後も続き、キリスト教国の列強が、クリスチャンを迫害する国など文明国の仲間に入れてやらん!と圧力をかけたこともありようやく明治6年に禁教が解け、信徒が釈放されたときには、流刑先のひどい拷問や私刑で600人ほどが亡くなっていたのだそうです。

そのキリシタンたちが代々ひっそりと伝えたのが「オラショ」。ポルトガルの宣教師たちが教えたオラシオ(祈祷)が、お経のようなうねり感のある日本語の祈りになって200年伝わった。

薫さんの舞踏は、その「オラショ」をアレンジしたオリジナル楽曲を使い、背景にはYukiyo Kawanoさんの、原子爆弾をかたどったオブジェを配した、ナガサキの土地へのレクイエムのような物語。

舞台がすすむにつれて、最初は折りたたまれていた爆弾のオブジェが上から吊るされ、完全な形に広がる。照明の効果で、まるで中から発光しているように爆弾のオブジェが神々しいような美しさに輝く。

禁教が解け、迫害を逃れた隠れキリシタンたちがようやく持てた自らの教会、浦上天主堂は、長崎の原爆で破壊されてしまった。

という、歴史への思いのこもる作品でした。




次の「花の鎮魂歌」は、フィンランドを拠点とする日本人男性舞踏家、ケン・マイさんの舞台。

ファッションモデルなみに細く、しかし不思議な筋肉がついている舞踏家は、1ミリも贅肉のない胸をはだけた黒い妖艶なドレスで、カゴから白い羽根を撒きながら登場。舞台全体をあっという間に自分一人のものにするエネルギー。すごい。

短い生命の花が咲ききる永遠のような一瞬を、全身で表現する舞台でした。


こちらのビデオはケン・マイさんのメキシコでのワークショップのプロモ。シアトルのあとは米国数カ所を回ってヨーロッパに帰るそうです。

舞踏家はそこにいるだけで、オブジェ。

ケン・マイさんのこの日のプログラムでも、舞台の上に自由落下して飛び起きるという、どうしてそんなことができるのか謎な動きが続発してました。すげぇ。

でも一番感動したのは、パフォーマンスが終わり、静かに舞台を下りてきたケン・マイさんが、観客とコンタクトしはじめたとき。

目の前にやってきたケンさんを両手をひろげて受け入れて、いっしょに舞いはじめる人。
閉じたままで、かたまって見るだけの人。
どちらが正しいとかではなく。
そして、開いた人にはまっすぐにはいっていくケンさん。となりのご夫婦は2人まとめてケンさんにハグされてた。

ことばのない抽象的な表現方法は、ごく個人的な体験をダイレクトに伝える。
抽象的になればなるほど、受け取るものは直接的になる。

このあいだシアトル美術館で観た常設展示のマーク・ロスコの作品に、 私にとってこの絵画はスピリチュアルな体験なのだというような画家本人の言葉が添えてあった。正確な言葉は覚えてないけど。
ただ四角く色がぬってあるだけじゃん馬鹿らしいと思って観る人もいれば、ロスコの感動を共有できたと思って観る人もいれば、よくわかんないけどキレイだな癒されると思って観る人もいる。

視覚の芸術や音楽は本当に恐ろしく情報量が多いので、言語で説明しようとした瞬間にとてもやせ細り、ことばの持つ膿のなかにからめとられてしまう。
ピシリと居合抜きのような鋭さで一寸の狂いもなくことばにできる人は、受け取る鋭さだけでなく、途方もないボキャブラリーと整理された情報を自分の懐に持っているのでしょうね。

そんなことはどだい私には無理だけど、説明されないものをいっさいのナラティブなしにただ受け取る、ということの楽しさと困難さを、ケンさんの舞台をみながらちょっと思ったりした。

目にうつるものをいかに私たちはすぐに説明したがることか。
というか説明しないと毎日の生活にすぐ支障をきたすけど。
わたしたちは「いま」「ここ」「わたし」からはじまって物語なしには生活できないのではあるけれど、そこからちょっとだけ外れて、ただそのものを観る、ということが、どれだけ可能なのだろうか、など。

ケンさんの舞台は、とてもラブリーでせつない、そしてほわっと優しい舞台でもありました。


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2017/04/11

今年の木蓮


桜が満開になったと思ったら、すぐに雨と大風がきて、今年の桜はあっという間に終わってしまいました。

シアトルは朝晩気温が低いので、雨と風さえ来なければ桜もほかの花も長持ちするのだけど。

木蓮(マグノリア)も、今年は桜よりも少し遅めに咲き始め、そしてやっぱりあっという間に終わり。


近所のおうちの、みごとな木蓮。
この大きな花がこんなにみっしりついているので、大変な迫力。
日本の木蓮は、もっと、ぱら、ぱら、という感じで咲いていた気が。

これも、満開になった次の日の雨でもう茶色くなってしまってました。
花弁が大きくて痛みやすいので、桜よりも見頃の期間は短いのかも。


こちらは今日のワシントン大学構内。
桜が満開だった先週、この木蓮の木の前にインド人の初老のご夫婦が2人でニコニコと立っているのを、大勢の子どもや孫たちがそれぞれのケイタイやカメラで写真を撮ってて、コダックモーメントのコマーシャルみたいでほのぼのでした。

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