まだまだ続くヴェネツィア日記。
Kちゃんがヴェネツィアで一番行きたかったというのは、旧ユダヤ人居住区とユダヤ博物館。なぜか去年、大学でヘブライ語を2学期続けて取ったというKちゃん。
小学校から高校の途中までカトリックスクールで育って、ご両親の出自は英国、スリランカ、アイリッシュアメリカン。ぜんぜんユダヤ人と関係ないんですけど、前世でユダヤ人だったのかもしれません。
サン・マルコ広場の喧騒(まじで喧騒)から小路をくねくね歩き、いくつも橋をわたって20分ほど行くと、いつの間にかしーんとした地区に入っています。
観光客の姿がすっかり消えて、ていうか人っ子一人いない。
なんだかジョルジュ・デ・キリコの絵みたいで、ちょっと怖いくらい静か。
でもここまで来ると洗濯ものが干してある!やっと生活感のある街区に出たってかんじ。
ひと気はないが。
運河の上の洗濯ものに萌える。
洗濯ものって干すときに、見栄えを考えますよね?
これは大変優秀な、絵になる洗濯ものです。
でもどうやって干したり取り込んだりするんだろう。
ヴェネツィアのユダヤ人居住区というのは16世紀はじめに設置されて、ユダヤ人はここに住むことを強制されたそうです。
鋳造所の跡に居住区がつくられたため「鋳造所はヴェネツィア語で「Getto」といい、これがユダヤ人居住区を意味する「ゲットー(Ghetto)」の単語の語源になったといわれている」(by ウィキペディア)そうです。
ゲットーってヴェネツィア語が語源だったんですね!
博物館ではツアーがあって、16世紀のものだという大きなシナゴーグに案内してくれる。
おっちゃんの英語がとても聞き取りにくくて、半分以上ぼーっと聞き流してました。
居住区に押し込められていても、ユダヤ人は貿易で大活躍していたそうです。
家々のドアの前にあるプレート。これは第二次大戦中にナチスに連れされ、ホロコーストの被害者となった人たちのメモリアルだそうです。
Stolperstein(シュトーパーシュタイン)という名のメモリアル。
「つまずく石」という意味だそうで、故人の名前、生まれた年、連行された日、アウシュビッツ収容所に送られたこと、そして殺害された日が記されていました。
こういう街路の扉の前に、そっと設置されています。
この「つまずく石」は1992年にドイツ人のアーティストがドイツ国内で始めたプロジェクトで、ヴェネツィアにはわりと最近、2010年代になってから設置されたようです。
検索していたら、この地区を尋ねたとっても詳しいブログ記事がありました。
このゲットーは16世紀以降どんどん人口が増え、手狭になって3回拡大したそうです。
…ていう話もツアーで聞いたはずなのだが頭の上を通りすぎていった。
たまたまとなりのテーブルに日本の青年が男子ばかり6人くらいで来てて、メニューにないイカスミスパゲティを注文していたのでそれに乗じて注文。日本のガイドブックに載っているお店みたいでした。
大学の卒業旅行だそうです。いいねえ。