中尊寺の後は同じ「資産」として、中尊寺その他とセットで世界遺産登録された毛越寺へ。
毛越寺は「もうえつじ」だと思ったら「もうつうじ」と読むそうです。
中尊寺があまりにも人が多く、開運グッズのお土産屋さんでいっぱいで、ギラギラな欲望が渦巻く感にあふれていたので、ここの人の少なさ、広々した静かさに心底ほっとしました。
なんだか神社のような佇まいのお寺です。
この本堂は、平成になってから平安時代の様式で建てられた新しいものなんだそうです。お寺っぽさを感じないのは平安様式だからなのか。
広い境内にかつては中尊寺をしのぐほどのたくさんのお堂があったのがすべて焼失してしまい、長いこと野っ原になっていたようです。堂や塔が、盛時は40もあったとか。
芭蕉先生たちが来た17世紀頃には空き地だったのですね。『奥の細道』にも記述はなし。
この近くの高館という、義経が自害した場所といわれているとこであの有名な
夏草や 兵どもが夢のあと
という句を詠んだということになっているので、 その句碑がこの毛越寺にあります。
松の巨木がすばらしい。時代劇みたいー、というのはあまりにも脳たりんなたとえですが、暴れん坊将軍が出てきそう〜。
昔はこんな松が江戸のあちこちにも普通にあったのでしょうね。
吹き流し。ちょっと広重ふうに撮ってみた。うふ。
ほんとに神社みたいな本堂ですが、本尊は薬師如来。新緑と赤が映える。
端正で清潔な社。ひろびろしていて風が心地良い。
まるで気づかなかったんだけど、このお寺と中尊寺も、さきに行った立石寺と同じく慈覚大師円仁が開山したところなのでした。円仁さんは最澄さんのお弟子さん。
なんだか今回、縁がある。
奥には花菖蒲が植えられていて、ちょうど咲き始めていました。
花菖蒲とあやめの区別は何度聞いても忘れてしまう。
「花弁のねもとに黄色のもようがある」のが花菖蒲なのだと。ほー。
時間が遅かったからか、中尊寺を見に行く観光バスはここを完全スルー。
あの中尊寺に群がっていたおばちゃんたち、この花菖蒲を見たら喜ぶでしょうに。
焼け跡になってしまってほって置かれたのが幸いしたとみえて、平安時代の遺構がほとんど手付かずで残っているのが貴重なんだそうだ。
敷地のまんなかに広い池。かつては橋もかかっていたそうです。
海を表現した池で、砂浜や荒磯などの見立てが配されてます。
「浄土」を表す「浄土庭園」なんだそうだ。パラダイスガーデンですね。
「遣水」は、「山水を池に取り込むための水路」。
この遣水に盃を浮かべて、流れてくる間に和歌を詠むという平安貴族の遊び「曲水の宴」が、ここで5月末に再現されるそうです。
この「常行堂」は江戸時代、18世紀に再建された建物。
古いものではないと思うけれど、いい感じに似合う像が置かれてます。
人影は少ないものの、とても手入れが行き届いていて、大切にされているお寺という感じでした。
帰りは一ノ関の駅から夜行バスで東京へ。
レンタカー屋さんが離れた場所にあったので駅まで送ってもらった。
「世界遺産になってお客さんが増えましたか」と聞いたら、今年はかえって減っているのだそうだ。北海道と北陸に新幹線が開通したのでそちらにお客が取られたのだと。
一ノ関の駅周辺にはスタバはもちろん、ドトールもなにもありませんでした。新幹線が止まる駅なのに!
北口と南口の連絡がなくて入場券買わないと入れないし、超不便。そんな人はたぶんあまりいないと思いますが、一ノ関から高速バスに乗る時には要注意ですよ。バスのりばは北口。8時に閉まるカフェのほかなにもない北口です。
バスのりばの待合室が「交流センター」という名で午後9時まで開いていて、ここのテーブルで地元の高校生が何組か勉強していた。
カフェの代わりなのらしい。