2015/11/08
表記ゆれ
夏目漱石先生の『満韓ところどころ』という旅行記を読んでいたら、こんなくだりがあった。
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一時間の後佐治さんがやって来て、夏目さん身をかわすのかわすと云う字はどう書いたら好いでしょうと聞くから、そうですねと云ってみたが、実は余も知らなかった。
為替の替せると云う字じゃいけませんかとはなはだ文学者らしからぬ事を答えると、佐治さんは承知できない顔をして、だってあれは物を取り替える時に使うんでしょうとやり込めるから、やむをえず、じゃ仮名が好いでしょうと忠告した。
佐治さんは呆れて出て行った。後で聞くと、衝突の始末を書くので、その中に、本船は身をかわしと云う文句をいれたかったのだそうである。
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漱石先生の小説を読んでいると、けっこうな数の「表記ゆれ」があります。
このくだりでも、満州に向かう船の上で、ニアミスの事故の報告を書こうとした船会社の偉い人が、高名な作家が乗り合わせているからといってわざわざ漢字を聞きにくるのに、この答え。
完全に当て字と思われる独創的な漢字の使い方もあるし、なんだかずいぶん自由だなという印象です。
たとえば「成功」が「成効」、「練習」が「練修」、「簡単」が「単簡」、「悲惨」が「悲酸」になっていたり。
世間一般に流通している表記とはちょっと違うかもしれないが、字面で意味が取れれば別にいいじゃないか、という鷹揚さを感じます。
「言文一致体」の開発が途上だった明治の文人たちは、文章を書くたびにかなり自由に表記を自分で考案していたみたいです。
もっとさかのぼって江戸の木版画とか見ると、もうどれが当て字でどれが当て字でないのかすら不明みたいな、やたらにクリエイティブな漢字の使い方オンパレード。
この漢字はこう、送り仮名はこれ、と、きっちり決められるようになって四角四面な傾向が強くなってきたのは常用漢字表ができた大正以降なんでしょう。
文部省の「臨時国語調査会」が漢字表を作ったのが大正12年だそうです。
常用漢字表を作ろうという動きがあったという事自体、それまでの表記がてんでんばらばらだったという証拠ではないか。
あまりにも当て字が多くて、お役所その他で混乱を避けるためというのが目的だったのでしょうが、戦後は新聞はじめ、一般的な出版物でも、さらには広告や文芸の世界も、漢字や送り仮名や表記には「正解」があるという態度がだんだん徹底してきたのだと思う。
東京で小さな広告の会社につとめていた20代のころ、コラムでもコピーでも、出版物に載せるものは共同通信社の『記者ハンドブック』にしたがって書けと厳しく指導されました。新聞や雑誌ではほとんどの熟語や送り仮名に「正解」がありますね。
でも日本語はもとより表記ゆれを内包している言葉。
日本では外来語を取り入れるときに漢字とカタカナという便利なものを活用してきたがゆえに、外来語が入ってくるたびに必然的に訳語と表記のゆれが起こります。
computer は「電算機」なのかコンピューターなのか。だけではなくて、「コンピュータ」なのか「コンピューター」なのか。
customer は「顧客」なのか「お客様」なのか「客」なのか、または「カスタマー」なのか「カストマー」なのか。
翻訳の作業は時に、半分以上がこの表記ゆれの解消と訳語統一ではないかと感じることさえあります。
クライアントさんによって、User が「ユーザー」だったり「ユーザ」だったり、diamond が「ダイヤモンド」だったり「ダイアモンド」だったり、violin が「ヴァイオリン」だったり「バイオリン」だったり、好みが違います。
日本語の表記に関しても、「出来る」なのか「できる」なのか、「わかる」なのか「分かる」なのか、「時」なのか「とき」なのかなどなどなどなど。
もーどっちでもいいじゃん!と内心ちゃぶ台をひっくり返したくなることもあるけれど、確かにすべて統一されているところに1つだけ(もしくは、「ひとつだけ」または「一つだけ」)違う表記があるのは見苦しい。いつもはうっかり見のがしてしまっているくせに、ユーザーとして(もしくは、「ユーザとして」)企業のサイトなどで目立った表記ゆれに気づくと、おやおや?と思ってしまいます。
クライアントさんの指示がはっきりしていれば良いのですが、既存の訳がなくてこちらからサジェスションを出さなければならない時は少々緊張します。あとから「やっぱりこっちの方がよかった!」と思うこともしばしばで、あの時はこっちが良いと思ったけどこの場面ではこちらの方に心惹かれる…と、ふらふらと優柔不断な自分が嫌になる。
一番困るのは、エンドクライアントさんからの明確な指示がなく、途中までいろんな翻訳者さんが訳してきた訳語の表記がバラバラのものが壮大に入り混じっている案件。
実際に、大きなファイルでちぐはぐな訳語が混在しているのは何度かありました。翻訳メモリを使っていても、なかなかすべて統一するのは難しい。
逆に統一してしまうと変な文章になってしまう場合もあるし。
そして間に入っているエージェントのコーディネーターさんが日本語を読めない人の場合は、説明しても100%伝わらないのがもどかしい。
英語にも米語とイギリス英語でスペルが若干違うとかはあるけれど、これほどたくさんの微細な表記ゆれには悩まされないはず。もちろん訳語自体のゆれは別の話ですが、それでも全体に選択肢は少ない。
こうしてみると、日本語という言葉は懐が深くてなんでも吸収する柔らかさがある一方で、出来上がりの作物にはすべてにおいてミリ単位の完璧さを期待する文化があるのが面白いですね。
クライアントさんからお預かりしている文章で明治の文豪のマネをするわけにはいかないので、最善と思われるスタイルを統一させていくのが、いち翻訳者の仕事でございます。
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2015/11/05
背徳の拷問ドラマ
先日、Netflixで『Tudors』最終シーズン(放映は2010年)をやっと見終わりました。
アン・ブーリンの処刑くらいまで見て、あまりに人が次々に拷問にかけられ死んでいくのに辟易して見るのをやめ。
でもまた最後まで見届けたくなり。
「最後まで見届けたくなる」
…これって人がテレビドラマを見る理由の65%くらいを占めているのではないだろうか。
どうでもいいけど、邦題、『背徳の王冠』っていうんだ……。
前半は超イケメン俳優2名、ジョナサン・リース=マイヤーズ&「スーパーマン」ヘンリー・カヴィルから、もう後光がさしてる感じでした。
後半のだんだん老いてますます気難しくなり暴走し続けるヘンリー王をジョナサンは好演していたものの、このイケメン2人によぼよぼ老人を演じさせるのは、しょせん無理。
ということでクロムウェルが処刑台で惨殺されてから以降は、加速して終わってしまったみたいな気がします。
ケヴィン・スペイシーあたりが後半のヘンリー王をやったら、またそれはそれで全然違う密度のねっとりしたドラマになったことでしょう…。
史実に忠実ではもちろんないドラマですけど、衣装や宝石や調度はほんの一瞬しか登場しないものも含め見応えありました。ディテールまできっちりしてる感あり。
そして拷問用品や処刑用品も同様。
このドラマの拷問部屋はかなりトラウマになってます。
去年サンディエゴに行ったときに、バルボア公園の博物館でやっていた「拷問展」を見に行きました。
中世に使われていたありとあらゆる拷問器具の、ホンモノや忠実なレプリカを展示する展覧会。
これも生涯忘れられないトラウマに。
放っておけば人間は人間に対してどんなことでもする、しかも喜んでする。ということを嫌というほど見せつけてくれる展覧会でした。
少なくとも拷問が合法な時代でなくなって、本当に良かったです。
あれっ、非合法なんだよね?この国では?
2015/11/01
フリーモントのAgrodolce チキン&ワッフル
フリーモントにあるレストランAgrodolce。
ウォーリングフォードにあるサステナブル自然派レストランの有名店「Tilth」のMaria Hines さんのお店です。ブランチメニューがおすすめだと聞いたので行ってみました。
地元の食材を使ったカジュアルな南イタリア風料理。
店の中にあるのはオリーブの木かな?天窓があってとても明るく、大勢でわいわい行くのに良いレストランです。
同行の友人がアレルギーがたくさんある人で、いろいろと注文たいへんだったんだけど、スタッフは超親切でとても感じが良かった。
ここのブランチの名物は「ボトムレスミモザ」。シャンパン&オレンジジュースの「ミモザ」が15ドルでお代わりし放題というメニュー。デカダンなブランチを楽しみたい方はどうぞー。
うちの息子が食べたのは「チキン&ワッフル」。
フライドチキンとワッフルという組み合わせはアメリカ南部風、なのだと思ってたんだけど
ディープサウスの人にいわせるとそんなのウチの近所でみたことないという人も多く、どちらかというと「西海岸など都会の南部料理レストランで人気のメニュー」なんだそうです。
それはアメリカのそこら中に日本にはない「テリヤキ」レストランがあるようなものかもしれませんね。または、日本の洋食メニューのいろいろとか。
他の場所の想像力をろ過したご当地料理。
私はエッグ・ベネディクトを注文しました。オシャレでサステナブルなんだけどとってもボリューミー。
オランデーズソースはルッコラが入っていて、きれいな緑色でした。
2015/10/30
道ばたの本の家
うちの近所を散歩していると、こんなちっちゃい本箱が道端に設置されてました。
ここに置いてある本は誰でも自由に持って帰ってよく、いらない本があったら誰か他の人のためにここに置いていっても良いというシステム。
コーヒーショップやバックパッカー向けホテルなんかによくそういう本棚がありますが、近所の道ばたに突然立っているのは新鮮でした。
この小さな家の形の本箱設置は、ウィスコンシン州のハドソンさんという人が始めたものだそうで、Little Free Library というNPOになっています。この団体では本箱の販売もしてる。作って設置した本箱を「チャーター」として登録するとマップに載るそうです。
自分ちの前にコミュニティ用の「マイクロ図書館」設置なんて、いかにもシアトルの人が好きそうなアイデア。
あちこちのネイバーフッドにたくさんあって、うちの近隣だけでも4つはあります。
近所にはこの「リトル・フリー・ライブラリー」というサインがついてる本棚も、そうでないのもありますが、いずれも手入れが行き届いてる。
こちらは「Little Free Library」のチャーターである看板を誇らしげにつけた本棚。
この間はナショナル・ジオグラフィックの古い号をここからもらってきました。
カフェの2階からぶら下がっているもの
2015/10/28
スチームパンクの夕べ
先週、友人Mの出演するバンドをみに、Hale's Palladium というホールに行ってきました。フリーモントとバラードの真ん中あたりにあるブリュワリーHale's Breweryの裏手に、ひっそりと怪しげな入り口がある。倉庫か広いガレージを改装した感じの、天井が高くてサーカスのテントのような雰囲気の建物。
この日は、「スチームパンク」の人々が集まるライブ大会でした。
いろいろ変なアクセサリーを売っているブースが出ていて(カラスの頭蓋骨の形のブローチや指輪とか触手の部屋飾りとか、歯車やガラスが何枚もついている役に立たないメガネとか) ベリーダンサーの人々もいた。
この日のメインフィーチャーは スチームパンクバンド、Nathaniel Johnstone Band。
主宰のナタニエル・ジョンストン氏は、作詞作曲、ギターとバンジョーと歌を担当の才人。中央はナタニエル氏の奥様でベリーダンサーのマダム「テンペスト」。
女性ボーカルはケイトAKA「ダグウッド」ちゃん。彼女の声は本当にパワフルで凄いです。
ギリシャ神話とか民話とかを題材にしたナタニエル氏の曲も面白いのだけど、アイルランド民謡などをアカペラで歌ってみてほしいと思った。
スチームパンクというのがどういう分野なのか、いまいちよくわからない。これは本当に分野なのだろうか。パンクといいつつ音楽はまったくパンクじゃなくて、エスニックなカラーやジャズやポップの要素が強いバンドも多いみたいだし、この夜集っていた人々も、たとえば、1)ヴィクトリア朝風のドレスにカラスの羽根やなにかをつけたコスチュームの、たぶん40代〜60代の淑女の一群。2)それよりもう少し肌の露出が多く、パンク的要素の強いコスチュームの20代くらいの淑女の一群。3)素肌に毛皮をまとい、顔や腕にペインティングをほどこしたどこかの部族風の男女4名。4)ガイコツの描かれた黒いスーツに身を包み、楽しそうにダンスフロアで踊っていた初老のカップル。……など、年齢層も服装傾向もてんでんばらばらでした。
唯一共通しているのは、オリジナルなフィクションとしてコスプレを楽しんでいるということ。アニメの人たちのコスプレは誰かの作った作品世界のキャラを演じるけど、スチームパンクな人たちはスチームパンク的な世界に、それぞれの見解に基づいて、自作のコスチュームで参加しているようです。この「なんでもあり」な感じは大変面白い。
そしてこのバンドに合わせて時々舞台にも登場するベリーダンサーの方々も凄い迫力でした。なにがって、ベリーダンサーって妖艶なおねえさんばかりなのかと思ったら、たっぷりしたベリーの方のほうが多かった。自分が楽しいことが第一で人がどう思おうが構ったこっちゃないという姿勢を、皆さん清々しいまでに貫かれているのです。
この夜の観客もパフォーマーもみんな。
最後の曲は「Frog and Toad」。アーノルド・ローべルの「がまくんとかえるくん」シリーズをモチーフにしたロックンロールな歌で、ケイトちゃんの絶唱がナマハゲ級に恐ろしい迫力の曲。小さな子が聞いたら泣くかもしれない。それとも一緒に踊り出すかもしれない。バナナガールも登場して観客にダイブしてました。
2015/10/23
MIRO TEAの魔女の鍋
バラードのダウンタウンの真ん中にあるお茶の店、Miro Tea。
先日シネラマの売店でここのお茶があったのに、ちょっとびっくりした。
量り売りで紅茶、ウーロン茶、緑茶までいろいろ売ってる本格的な専門店です。
これはかなり前に撮ったものですが、季節はめぐり、また秋がきた。
秋は紅茶の季節。
むかし、吉祥寺にTea Clipperという紅茶専門店があって、10代のとき、よく通った。
たしか最初は中学を受験した帰りに、母に連れていってもらったような。
喫茶店ばかり並んだ小道の奥の地下にあって、むき出しの煉瓦の壁に、大きな木のテーブルが3つとカウンター席だけのこぢんまりした店。
テーブルの上にはホーローの傘のペンダントランプが低く吊られていて、奥のテーブルには、いつもホーローの水差しいっぱいに、変わった花が活けてあった。ねこやなぎとか、マンサクとか、大きな枝ぶりのものばかり。たいていは名前も知らない、ワイルドな感じの植物だった。
白い長いエプロンをつけた男性の店員さんがテキパキと運んできてくれる紅茶は背の高いポットに入っていた。大倉陶園のマグカップで出してくれるシナモンティーも絶妙においしかった。
大人になったら絶対このカップを買おうと思っていたのだけど、まだ買ってません。
きりりとした美意識のある空間で呼吸したくて、こどもの癖に背伸びをして。何度も何度も階段を降りて行ったものでした。この店にいるだけで何か自分の理解できない能力が身につくような気がして(もちろんそんなことはありませんでしたがw)。
ホーローのペンダントの下で、小難しい顔をして、何か一生懸命に悩んでいるつもりだった小娘を、お店の人は暖かく無関心に見守ってくれたものだと思う。
だいぶ前に残念ながら閉店してしまったと聞きました。
Miro Teaにはいつも5種類くらいのお茶が試飲用に置かれてます。
クレープのメニューもあるので、いつも店の中にはバターの香りが漂ってます。
お客さんは、コーヒーの店よりも女子率が高い。
季節メニューらしい「パンプキン・チャイ」というのがレジの前に書いてあったので頼んだら、こんな魔女の鍋みたいなカップに入って出て来ました。
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