(執着中) |
「あなたは、あなたの考えに執着しているか、そうでなければその考えを「検証」しているか、のどちらかです。
そのほかの状態というのは、ないのです」
「考えというものは、私たちがそれを真実だと信じ込まない限りは、無害なものです。考えそのものではなく、私たちの自分の考えへの「執着」が、私たちを苦しめるのです」
Byron Katie(バイロン・ケイティ)という人の著書『Loving What Is』を知ったのは、ハワイにいた頃、2004年くらいだったか。
当時、鬱の治療のために通ってた精神科医がすすめてくれた本です。
離婚して子どもを抱えて、身軽になってはみたものの、一人で生きていけるだけの技量が自分には欠けていると思い、自分がいかに頭の悪い何も出来ない女であるかにつくづく嫌気がさしていた頃でした。
この本は本当に目から何枚もうろこを落としてくれました。
アメリカの書店にはセルフヘルプの本が何千冊も並んでいるけれど、このケイティさんの本は、今すぐ、どんな状況でも、どんな人にも使える、不幸であることをすぐにやめるための確実な方法として、真剣に誰にでもおすすめできます。
どんな年齢でも、どんな宗教の信仰を持っていても、どれほど根が深く深刻な問題にでも、きっとよく効く方法。
なんていうとややうさんくさいニオイがするけど、このメソッドは、この本を紹介してくれた精神科医によると、ごくシンプルな「認知行動療法」の一種なのだそうです。
自分がとらわれている「考え」を、何歩か下がって「点検・検証」してみる。
そしてその考えがなければ自分はどんな生活が送れるだろうか、と想像してみる。
たったそれだけです。
無理矢理に自分を「コントロール」したり、「とらわれないようにする」ことは人間には不可能、とケイティさんは言ってます。確かに、自制しようとする努力は無理が空回りしてしまうことの方が、多いようです。
(以下、『Loving What Is』より拙訳)
<自分の思考をコントロール出来た人は一人もいません。
自分はこうしてコントロールした、と話す人はいるかもしれませんが。
私が思考を捨てることはありません。理解をもって向き合うのです。そうすると、考えの方で、私を離れていくのです。
思考とは、そよ風や、木々の葉、天から落ちる雨粒のようなものです。ただそのように現われる考えを精査することによって、私たちは思考と仲良くなることが出来るのです。
あなたは雨粒と口論するでしょうか? 雨粒は誰かに属するものではありません。考えも同じです。私たちを苦しめる考え方をひとたび理解することが出来れば、次にその考えが現れた時には、興味をもって眺めることが出来るかもしれません。
かつて悪夢だったものが、次には興味深く、その次には面白いものとして見え、またその次には、その考えに気づくことさえないかもしれません。それが、あるがままを愛することの力です。 >
ケイティさんが薦めているこのメソッド、「WORK」は、ごくごくシンプル。
まずは、「Judge Your Neighbor Worksheet (他人を批判するワークシート)」。
自分が今、イライラしていたり、怒りを感じていたり、モヤモヤしている事柄について、その怒りのほこ先が向かっている相手のことを書き綴ります。
あの人のここが悪い、あの人はこうするべきだ、こうしなくてはいけない。
夫はもっと家事を手伝うべきだ、上司は仕事の仕方を変えるべきだ、あの人は人に責任をなすりつけるべきじゃない、などなど…
言いたいことを全部書いたら、今度は自分に対して、4つの簡単な質問をしてみる。
「Is it TRUE? (それは、本当のことですか?)」(これにはイエスかノーのどちらかで答える)
「Can you absolutely know that it is true?
(それが絶対に真実だと、確実に言い切れますか?)」
「How do you react, what happens, when you believe that thought?
(その考えを信じこんでいるとき、あなたはどう反応しますか?何が起こりますか?)」
「Who would you be without the thought?
(その考えがなかったら、あなたはどんな人になりますか?)」
質問に答え終わったら、今度はその答えを「ひっくり返して」みる。
たとえば、「上司は仕事の仕方を変えるべきだ」だったら、「わたしは仕事の仕方を変えるべき」「上司は仕事の仕方を変えている」など。主語を自分と入れ替えたり、「べき」を「べきではない」や「(すでに)している」に変えてみたりする。
これは、自分がどうしても離れることのできないでいる考えの習慣から自分を引き剥がして、ちょっと違った観点から眺めてみるための、とても強力なツールです。
「自分の考えが現実と衝突していることに気づく」ことが肝心、とケイティさんは言います。
(以下、『Loving What Is』から拙訳)
<私たちが苦しむのは、ありのままの現実と食い違うことを信じている時だけです。心に一切の曇りがない時には、ありのままの現実と、私たちが求めるものは同じです。
現実と違うことを求めるのは、猫にワンワン吠えるように教え込もうとするようなものです。何度やったところで、おしまいに猫はあなたを見上げて「ニャア」と啼くでしょう。
今ここにあるのと違う現実を求めても、望みはありません。一生を費やしても、猫に吠え方を教えることは出来ません。
でも、注意深く観察してみれば、自分がそれと同じような考えを毎日何十回も抱いていることがわかるでしょう。「皆もっと親切にするべきだ」「子どもは行儀よくすべき」「お隣はもっと芝生の手入れをこまめにするべきだ」「スーパーのレジの列はもっと速く動くべき」「夫は(妻は) 私に同意すべき」「私はもっと痩せている(綺麗である、成功している) べきだ」。こうした考えは、ありのままと違う現実を求めるものです。
気が滅入る考えだと思いますか? その通り。私たちがこうむるすべてのストレスは、現実(リアリティ)との衝突が引き起こすのです。>
以前、わたしはかなりの時間をくよくよと悩んだり腹を立てたりすることに費やしていました。
マイナスの感情に引きずられている時間というのは不毛で消耗するだけ。
何も生産しません。
本当に無駄で何の足しにもならないことに延々と時間を費やしていることにあるときはっと気づいて、だんだんとそういう無駄な習慣を遠ざけ、考え方を切り替える新しい習慣を徐々に身につけられたのは、この「WORK」のおかげでした。
長くなったので続く。