2014/04/24

悪の法則とBIUTIFUL



Netflixで『Breaking Bad』の最後の8エピソードが公開されたのでさっそくプチビンジ上映会をひらき、見終えて軽い虚脱感におそわれた心の傷が癒えないうちに、とんでもない映画を見てしまった。『The Counselor』(邦題『悪の法則』)。




『悪の法則』という邦題は、観る前に心構えができるという点では「カウンセラー」よりずっと良心的かもしれません。「カウンセラー」は「顧問弁護士」という意味で、主人公の職業です。

監督はリドリー・スコット。

キャストはブラッド・ピット、ハビエル・バルデム、キャメロン・ディアス、ペネロペ・クルーズという超豪華陣。主演の弁護士役のマイケル・ファスベンダーはこの映画を見るまで知らなかったけれど、このあとに見た『12 Year a Slave(それでも夜は明ける)』ではサディスティックな農場主を熱演してました。

うっかり、メキシコの麻薬カルテルがらみのもうけ話にのってしまった弁護士の運命は…。というお話。

『ブレイキング・バッド』に出てくるメキシコの麻薬カルテル関係者も怖い人たちでしたが、この映画を見てから思い返せば、ぜんぜんマイルドな描写でした。

『ブレイキング・バッド』で、運び屋の首をカメの甲羅にくくりつけてハンクおじさんにトラウマを与えたメキシコ国境の麻薬マフィアも、まだまだ、可愛いものとすら思える。

顔色ひとつ変えずに部下の頸動脈を段ボール用カッターナイフで切る「チキンマン」ガスですら、この映画を見た後ではまるで懐かしい友人のように感じられる。

あらすじは詳しく述べませんが、ほんとうーに後味の悪い映画でした。

いや、良い映画です。嫌いじゃないです。むしろ好きです。
でも、ちょっと2時間現実を離れてすかっとしたいというふやけた期待を持って見ると、とんでもない目に遭わされる。

監督のやり口が汚い。

希望をもたせておいて、徹底的に叩き潰す。テレビや映画のまっとうなお約束のフラグをあてにしていると、まんまとしてやられます。でもチェーホフのいう「銃」(お話に銃が出てきたなら、それは使われなくてはならない、というキマリ)はちゃんと約束どおり使われる。最後の最後まで、ああ出てきてほしくなかったのにやっぱりここで出てくるのねー、という形で。

救いのなさは、個人的に今まで観たうちでの「救いのない映画ナンバー1」だった『モンスター』(日本映画のじゃなくて、シャーリーズ・セロンが娼婦の連続殺人犯を演じたやつ)と良い勝負でした。

暴力の描写がたっぷりな分、『悪の法則』のほうがトラウマ度は高いかも。

この映画で描かれる暴力には、血みどろな描写は少ない。淡々と粛々と、業務として行われる殺しや暴力が物語全体を通して同時進行にあらわれて、血がドバドバ出るような派手な描写でない分、逆に背筋がじわりと冷たくなるような気味の悪さ。

この映画に描かれる最初のひどい暴力は、主人公とクライアントの間で交わされるいくつかの会話に出てくる。メキシコのカルテルがいかに容赦ない人びとかという話の中で、見せしめに使われる非人間的な暴力の方法が語られる。

麻薬とお金を動かすために、人の生命や、ささやかながらも幸せな生活が、ごく簡単に抹消されていく。

観ている側も、蜘蛛の糸にじわじわと周りをからめとられるような、気づいたら出口がない洞穴に置き去りにされていたような、暗澹とした気分にされてしまう。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心なのです」というマザー・テレサの名言があるけれど、まさに、「悪」というのは、他人への無関心に根を張っているのだ、としみじみ思わせる。

悪というのは、悪役プロレスラーみたいなわかりやすい顔はしていない。実は無表情なのだ。
悪が行えるというのは、共感を拒否するということ。
他者と自分をなぞらえるのを拒絶すること。

それは実は、とても簡単に、システム化することができる。

どんな人でも、わりに簡単に、その一部になれる。

そして実際、これとほとんど同じことが今も現実に起きているのだということを、この映画は淡々と思い出させてくれるのです。



でもハビエルのこの格好を見られたのは収穫でした。面白すぎる。

ハビエル・ バルデムは大好きな俳優さんの一人です。出演作ごとにすさまじいほど全然違う人になってる。

今回は国境で派手にもうけてるハイパーに陽気なおっちゃん。

この人の出演作で一番好きなのは、バルセロナを舞台にした『BIUTIFUL ビューティフル』です。

これも、暗い暗い映画でした。

でも『BIUTIFUL』には、最後に薄ら寒い冬の雲の間からさしてくる頼りない日ざしのような救いがあった。

不景気なバルセロナは、とても醜く描かれてました。

ガウディの教会でさえ、物陰にしまい込まれて忘れたふりをされている、不幸な作りかけの工作みたいに見える。

主人公は違法滞在の中国人移民をつかってビジネスをしていて、小さな子どもを抱え、貧乏で、治療することのできない病をわずらっている。中国人たちに少しでもマシな環境を提供しようと試みて、逆に大惨事を引き起こす。なにもかもが、裏目にでてしまう。

今のヨーロッパ諸国のリベラルな良心と葛藤をそのまま、人格化したような人物。

移民で溢れる街で、取ってつけたような正義を提供しようとしても、あまりにも無力。

なにより自分はもう死にかかっている。どんどん貧乏になり、どんどん病みつつ、子どもに少しでも貯金を残してやろうというだけのために生きている。子どもがこの先暮らしていくのには、そんなものは全く充分ではないことを知りながら。

明るい理想なんかもうどこにもない。無い袖は振れない。移民に正義を提供するどころか、自分の子どもにちゃんとした生活に必要な資金を残してやれる財力すらない。

この主人公の状況とジレンマは、いまのEU諸国そのままではありませんか。

とにかく暗い。八方ふさがり。
でも『BIUTIFUL』には、それでもヨーロッパの理想と希望とヒューマニズムがシニカルではなくて、絶望のなかながら肯定的に描かれてて、一種スピリチュアルな救いになってる。

最後の、森の中での、父との出会いの場面は思い出しただけで今でも号泣してしまいます。泣。








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2014/04/23

Kingfish Cafe


ニューオーリンズにいきたしと思えど、ルイジアナはあまりに遠し。

というわけで、Capitol Hill のはずれの住宅街にあるわりと有名な「クレオール風」ビストロ、The Kingfish Cafe にいってみました。

古い建物を改造した感じのいいレストランで、いかにもニューオーリンズっぽい優雅なロートアイアンのゲートがあり、店内はむき出しの煉瓦壁。期待できそうな外見。

サイトによると、シアトル生まれ(ガーフィールド高校卒業生)の二人姉妹(ラングストン・ヒューズと、縁続きだとか!)の経営。壁には家族の歴史を語る南部の写真が飾られている。

雰囲気はいい感じなんでつが…予約をとらないので5時の開店前に行ったらもう並んでて、開店と同時にほぼ満席。それはいいんだけど、やっと注文とりに来たのが25分後! 隣の席のマダムは怒って帰っちゃってた。




当然ガンボを注文。でもでてきたのは、これー。こ、これは何?

ガンボの定義は料理人の数だけありますが、うーんこれはどちらかというと、パシフィックノースウェスト風エビとカニの煮込み? オクラなんかはいってないし、ルウのどろどろ感はなし。

友人Tが食べてたフライドチキンも、うーん、南部食堂にははるかに及ばず。

なんか全体にあっさりと、ノースウェスト風に翻案した感じです。

雰囲気は良良いし、「好きになりたい」お店なんですが。

経営者の女性はとっても感じよかったのだけど、ウェイターはまったく愛想なし。この愛想のなさはニューオーリンズ風ともいえる。

週末のブランチが良いと友人は言ってたので、機会があったら今度は午前中に行ってみたいです。


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2014/04/21

Woodinvilleの天然塩ショウルーム


Woodinville のSalt Worksというお塩屋さんに行ってまいりました。

のどかな風景の中にある、倉庫のような四角い巨大な建物の一角がショウルームになっていて、小売りもしてくれます。

ヒマラヤンソルトはじめ、世界各地から仕入れたいろいろな天然塩と、ここで作ってる塩が並んでます。味見もできる。


受付のおねえさんはとても親切でいろいろ教えてくれました。

太平洋の水をここまでタンクで運んできて、海水から塩をつくっているのだそうだ。

太平洋北西岸の海水にリンゴの木やアルダーウッド材でいぶして燻製風味をつけたスモークソルトもここの特製。
パスタや鮭の料理なんかに良さそうです。



そしてなんと「ハワイアンソルト」もここで作っているそうです。ハワイから材料になる火山の赤土を仕入れて、天日乾燥製法はそのまま、工場で作られてるとのこと。

うちでいつも使ってる「Alaea Red Hawaiian Sea Salt」も、PACKED BY Hawaiian Pa'akai Inc. Honolulu, Hawaii と印刷されてるけど実は塩そのものはカリフォルニアで作っているらしい。

いまどき昔ながらの製法では許可もなかなかおりないようです。



1こ1ドルのお試しサイズソルトもいろいろあります!
これはオミヤゲにぴったりー!正真正銘パシフィックノースウェスト産の天然塩。

フランス、地中海、南米、ヒマラヤ、と各地の塩があるのに、日本のは見当たらないので聞いてみると、仕入れていた生産元が津波で全壊してしまい、再開のめどがたっていないのだそうでした。



このソルトワークスはじめ、Woodinvilleの名所をKaoruさんにいろいろと案内していただきました。

Woodinville、町の中は一見ふつうの郊外住宅地なのですが、住宅街のすぐ外側に、田園風景の中にいろんなものが点在していて面白い。アメリカ名物クッキーカッターサバーブとはだいぶ違います。
葡萄は作ってないのにワイナリーが200軒もあったり、サステナブルなコミュニティを目指す農場ネットワークがあったり。馬ややぎがいる農場もあるし。



こちらは町の中にある巨大園芸店Molbak's
シアトルのスワンソンズよりも、広々してました。カフェはやっぱり、イーストサイドのマダム御用達のようです。

ここのモンステラの巨大さにはびっくり!ここまで育ってるのは初めて見ました。


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2014/04/14

ハーバード出口と粒子加速器

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花盛りのシアトルです。シアトルは本当に桜の種類が多い。桜だけではなくてスモモやりんごも花盛り。春になると住宅街はどこもピンクや白の花でいっぱいです。

3月の話ですが、キャピトル・ヒルのHarvard Exitという、魅力的な名前の小さな映画館に行ってきました。

 なんか一見普通の民家のような入口で、扉をあけると暇そうなお兄ちゃんが1人で座っていて、切符を売ってくれる。これでも2つスクリーンがあって、中はけっこう広いのです。

階段がまた普通の民家のようで、お婆ちゃんの家のようなにおいがする。

そして、上映10分前に行ったら、他にカップルが1組いるだけで、その男の人のほうが舞台の袖のほうを覗きこんでいた。「いま、ネズミがいたんだけど…」
 


カーペットの模様がまたすごい。そのまま、デビッド・リンチの映画に使えそう。
1920年代の建物で、幽霊が出るという話もあったそうです。


それはさておき、見に行った映画は『Particle Fever』という、この映画館とはまったくミスマッチな、スケールの大きなサイエンス事業の話でした。

スイスとフランスにまたがって設置されている、欧州原子核研究機構(CERN)の「大型ハドロン衝突型加速器」(Large Hadron Collider/LHC)についてのドキュメンタリー。

「ヒッグス粒子」を発見するための超大掛かりな 国際プロジェクト。

「ヒッグス粒子」についてウィキペディアで読んでみようとしましたが、1行どころか1語も理解できませんでした。


ヒッグス粒子はスピン 0 のボース粒子である。 素粒子が質量を持つ仕組みを説明する機構のひとつであるヒッグス機構においては、ヒッグス場と呼ばれるスカラー場が導入され、自発的対称性の破れにともなって特徴的なスカラー粒子が出現するとされている。このスカラー粒子が、ヒッグス粒子である

はぃ? (o´・ω・`)

ちなみにこのキッズ向け記事はもうちょっとわかりやすかったです(ヒッグス君がやる気なさそう)。

そんなんだから、映画も始まって3分で眠くなってしまうのでは、と不安だったのですが、物理といえば中学校の理科で習った慣性の法則くらいまでがせいぜい理解の限界な私でも楽しめる、エンターテイメントなドキュメンタリーでした。

地下100メートルに設置されている、山手線と同じくらいの規模のトンネルだという加速器/LHCの映像が見てみたかったのでした。
検出器だけで5階建てのビルの大きさだというこの装置の映像も迫力ではあるんだけど、ドラマとしてもおもしろかったです。



各国から何千人もの物理学者が集合しているプロジェクトを描くのに、数名の物理学者を中心にストーリーが構成されてます。

アメリカ映画なので中心人物はアメリカ人。

すごく良く喋る、プリンストン大学の若手理論物理学者(両親がイランから亡命して来たという、長髪のイラン系アメリカ人)。

訛りの強い英語で素朴に喋る、スタンフォード大学の60代の素粒子物理学教授。トルコ生まれのギリシャ系で、13歳のときに政情不安な母国からアメリカに移住したという話も語られる。

そして語り手として一番活躍するのは、現場のLHCで実際の作業に当たっている、若い研究者の女の子。
この子は、アメリカのどこの高校や大学にも一定の割合でいそうな、健康的で頭が良くて人懐こくて可愛らしい、そしてこれまたキャピキャピと良く喋る、アメリカ教育のよく出来た標本みたいな幸せそうな子。自転車で職場に通い、休日にはボート競技で過ごしたりする。

それから、プロジェクトの広報担当をつとめる、イタリア人女性素粒子物理学者。

この人選が、うまいなあ、と思う。国際プロジェクトの多彩さとバイタリティを網羅してて、特にこのモニカっていう若い女の子の視点で語られる部分が、観客にとって、敷居をとっても低くしてくれる。

ストーリーの中心は、プロジェクトの立ち上げから事故と1年間の中断を経て再開し、ヒッグス粒子にほぼ間違いない、と広報官が述べて、やんやの拍手を浴びるデータの発表がクライマックス。

NHKの『プロフェッショナル』みたいな結果を追う人間模様中心かというとそうでもなくて、各研究者の背景はさらりと背景に触れられるくらいで、映画の中心テーマとして描かれているのは、出てくる研究者全員が代弁する、「真理の追求」に対するひたむきな好奇心と情熱。

物質はどのように存在しているのか? 宇宙はどんなふうに出来てどうなっていくのか?という理論の鍵になるというその粒子を見つけるための、予算90億ドルに1万人近い物理学者を動員したプロジェクトの中核である、とくにすぐ目的があるわけではない純粋な真理の探求。

いまどき、純粋な真理の探求には予算90億ドルに1万人がかかるんですね。ニュートンの時代はリンゴ1個で済んだものを。

もはや宇宙の謎はあまりにも細かくなりすぎて、素粒子物理学者でなければ手に負えなくなってしまっているけれど、宇宙のほとんどが実は、謎のままなんですよねぇ。


世界の存在に関わる理論が目の前でひとつ証明されるというのは、それはもう興奮せずにいられない ことに違いない。この映画を見ているとだんだんその興奮が伝染してきます。


実際には国際プロジェクトの内部には政治的なこととか野心とかいろいろドロドロな部分もあるんだろうけど、研究者たちが目を輝かせて、この粒子の発見(の可能性)に立ち会える幸運を語っている姿は、とにかくうらやましくも感動的です。







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2014/04/12

コロンビアシティの小さなシアター


Columbia City に行ってきました。



ここです。

シアトルのダウンタウンから、Rainer Avenue Sをまっすぐ南へ、10分くらい下ったところ。

(このレーニア・アベニューって、晴れていると本当に行く手の南、真正面にレーニア山がどどーん!と見えて感動です。めったにそんな日はないけど)

ダウンタウンの南側というのは家賃も家の値段も安く、公立校の学力も低く、土地が安いから公共住宅も多く、しぜんエスニックな傾向が強い町並みになってます。(どういうわけか、他の都市でも南側の地価が安いという傾向があるみたい。偶然でしょうけど。)

ダウンタウンからほんの10分かそこらの距離なのに、北側の住宅街とはかなり雰囲気が違う。

まず、街角カフェがない!そしてゴールデンリトリーバーを散歩させている人も見ない。そして、そもそも歩いてる人の色が違う。

アジア系、中南米系と、あとはソマリアの人が多くて、ベールを被ったムスリムの女の子が目立つ。

そんな中に、キャピトル・ヒルの出張所みたいな一角がぽつんとあるのが、コロンビア・シティ。

「シティ」といってもほんとに一角ですが。
道の両側、全部で3ブロックくらい。

レーニア・アベニューの中でなんだかここだけ、煉瓦づくりの昔の建物がかたまっていて、ブティック、寿司バー、シアター、映画館、ビストロ、ウィスキーバー、ヨガ教室、そしてもちろんスターバックス、などが並んでいる、ヨーロピアンテイストな一角です。



ここにある「コロンビアシティ・シアター」に、知人のライブを見に行きました。

ここ、間口は狭くて見過ごしそうなほどちっちゃいですが、1917年に建った由緒あるシアター。
ワシントン州でもっとも古いヴォードヴィル・シアターだったそうです。

ジャズの時代のちょっと前はヴォードヴィル・ショウが盛んで、ユーコンのゴールドラッシュで景気のよかったシアトルにもひっきりなしにヴォードヴィル一座が来てたそうです。そのうちの1つにジミヘンのおじいちゃんとおばあちゃんがいて、劇団が急に分解してしまったのでやむなくシアトルに留まることになったなんてお話も、前回ご紹介した『Jackson Street After Hours』に出てきました。

前回の話の続きのようですが、禁酒法時代にはダウンタウンからちょうど良い距離を保つ「スピークイージー」の1つだったのは間違いありません。

1940年代のジャズ全盛期には、デューク・エリントンやエラ・フィッツジェラルドもツアーで訪れて演奏したんだとか~~! 
そして1960年代には、ジミ・ヘンドリックスお気に入りの舞台だったそうです!  



時間があったので隣の Tutta Bella でピザ。ダウンタウンのウェストレイクやフリーモントにもお店がある気軽なイタリアン屋さんで、石窯焼きピザがうまいです。



シアターはバーの奥にあって、表のちっちゃい入口からは想像できないほど広い。

収容人数303人と壁に書いてあった。
舞台のレイアウトは建設当時のままなのか、煉瓦むき出しの壁、「ツイン・ピークス」風の重厚な赤いカーテン、高い天井にとってつけたようなクラシックな照明器具、という、無骨なのかエレガントなのかどちらともつかない内装がいかにもちょっと町外れのシアターって感じで良い雰囲気。
天井が高くて音響も悪くない。

この舞台、デューク・エリントンの楽団にはちょっと狭い気がするけど、入りきったんでしょうか。
このホールでエラ・フィッツジェラルドとかジミヘンを聴いたらすごいでしょうねええ。
なんと贅沢な。

今日のバンドは、ギター、ドラム、キーボード、ボーカル、ベース、バイオリン、バンジョー、ウクレレにベリーダンサーが絡むという、ユニークな編成でした。

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2014/04/10

ジャクソン通り アフターアワーズ


ここのとこ数週間の仕事が一段落してほっとしてます。スケジュールはちょいきつかったけど、すごく楽しいお仕事でした。またご縁があると良いなー。


さて、先月で、1年半ほど続けさせて頂いたSoy Source の連載を、しばらくお休みさせて頂くことにしました。
ちょっと立て続けにきついスケジュールの仕事が来ていたのと、色々ほかに片付けたいことが山積みになっているので、先にその長いリストに取り組まないことには。

もともと学校で歴史を専攻したわけでもなく、何のクレデンシャルもない者がぽっと思いつきで始めたものですから、始めてみて大汗。
毎回毎回、試験前夜の付け焼き刃の詰め込み勉強のようでした。資料を読み込んだりあっちこっち行ってみたり、しかしそんな機会でもなかったら手に取らなかった本にも出会えたし、考えてもみなかったことを深く調べてみるきっかけになって、自分的にはとても面白かったです。

間違っていたら後からこっそり修正できるブログ記事と違って、刷っちゃったらそれっきりの印刷物の緊張感も、文字数制限があるのも久々で、なかなか良かったです。

最後の回は、『Hotel on the Corner of Bitter and Sweet』(邦題『あの日、パナマホテルで』)を読んで以来ずっと気になっていた、ジャクソンストリートのジャズシーンについて。

この本をとっても参考にさせて頂きました。

 
 

Jackson Street After Hours (Paul De Barros著)。
1993年出版の本ですが、ペーパーバックも出てます。
(アマゾンのこの本のページには、やっぱり、「この本を見た人はこの本も見ています」に 『Hotel on the Corner of Bitter and Sweet』が。あの小説を読んだら、ジャズ最盛期のジャクソンストリートについてもっと知りたくなるはずです!)

というか、『Hotel on the Corner of…』の作者、ジェイミー・フォードさんも、小説世界を描くにあたって、きっとこの本を参考にしたのは間違いないと思う。
この表紙のピアニストが、シアトルジャズ界の超大物、オスカー・ホールデン。

ナッシュビルで生まれ、ミシシッピ河のリバーボートでルイ・アームストロングと共演していたこともあったという人で、シアトルを訪れるミュージシャンや後進の若者たちにもとても慕われていた、「長老」といった立場の人格者だったようです。

『Hotel on the Corner of…』では、主人公のヘンリーとケイコが路地裏からジャクソンストリートのクラブ「Elks Club」のライブを見ようと忍び込み、オスカー・ホールデンに出会って、特別に店内に入れてもらい、生きた音楽に圧倒されます。
ケイコの家族が収容所に送られ、それぞれ別々の人生を送って年老いたヘンリーとケイコを半世紀の後に結びつけるのも、そのオスカー・ホールデンの幻のレコード、という設定。

この小説の魅力の1つは、チャイナタウンと日本町、そしてジャズ・クラブの並ぶジャクソンストリートという、同じ町内に共存していながら決して交じることのなかった、でも微妙に反応しあっていたに違いないコミュニティが、ケイコの家族、ヘンリーの家族、ヘンリーの友人の黒人ミュージシャン、という3つの視点から描かれているところ。(そしてシアトル住人にとっては、舞台となる実在の通りや建物を立体的に感じられること)。

『Jackson Street After Hours』は、シアトル創設期から「スピークイージー」全盛の禁酒法時代を経て戦中戦後のジャズ黄金期、そしてその後現在に至るまで、シアトルのジャズ史に足あとを残したミュージシャンやクラブを丹念に追ってます。

禁酒法の時代には、ジャクソン通り近辺だけではなく、街の中心を外れた街道沿いにかなりおおっぴらな「スピークイージー」と呼ばれる隠れ酒場があって、もちろんジャズのバンドが夜中過ぎまで演奏していたとか(レイクフォレストパークのあたりに、繁盛店があったそうです)。

禁酒法時代の酒場、スピークイージーはたびたび警察の手入れを受けたものの、ほとんどお目こぼし状態だったのに、まるでニューヨークの「コットンクラブ」のような人気店だった店の黒人オーナーのみが実刑を受けて刑務所に送られたとか。本人も歴史家も、そのオーナーが当時白人しか住んでいなかった住宅街(マウントベイカー)に家を買ったために、白人エスタブリッシュメントの怒りを買ったのだと信じていたとか。

黒人ミュージシャンが演奏できる店と白人の店は暗黙の了解ながらはっきりと分かれていて、ダウンタウンにあった大きなクラブの舞台は白人ミュージシャンのみだったとか。
白人ミュージシャンと黒人ミュージシャンの組合が統合されたのはやっと1958年になってからだったとか。

サードストリートの、今のベルタウンのあたりには、5000人を収容できる大きなジャズホールがあって盛況だったのだ、とか。

そんな話が満載の労作です。




(これは現在のベルタウンの唯一のジャズクラブ、Jazz Alley前)。

今ではもう、ジャクソン通りにはジャズの店はかげも形もなく、あるのはベトナム料理店や中国マーケットばかり。

でもシアトルのジャズの伝統は、音楽そのものがロックンロールやポップスに追われて隅っこのほうに場を占めるようになってからも脈々と続いてます。

シアトルに来て1年め、息子の進学関連でルーズベルト高校に用事があって行ったとき、たまたま、学生のジャズアンサンブルが音楽室(とても立派)でプチ演奏会をしているのに行き当たって、本当にぶったまげた。これ高校生? なにこの学校??? 普通の公立だよね? と頭がクエッションマークでいっぱいになった。しばらく後で、このルーズベルトとガーフィールド(クインシー・ジョーンズとジミヘンの出身校でもある。ジミヘンは卒業しなかったけど)高校というのは長年、全米の大会で毎年優勝争いをしているほどジャズに力を入れてることを知ったのでした。 
 
今でもこの2校は、才能ある音楽家を送り出してます。

シアトルは、こんな国の端っこにあるにも関わらず、何か図抜けた人が出てくる確率が高いようです。 「水に何か入っているに違いない」って話も(笑)。私は、きっと火山のせいだと密かに思ってます。
 


これは去年、ジャズ・アレイに見に行った、パット・マルティーノのバンド。

サックスはジェームズ・カーター。シアトルの人たちじゃありませんけど。

まるで銀行家のように冷静で正確でストイックなギターと、飛んだり跳ねたり踊ったりのサキソフォンの会話が、かっちりいきいきしたリズムに乗ってて、めちゃめちゃカッコよかったです。
パット・マルティーノさんはCDで聴いた分にはあまりぴんと来なかったんだけど、ライブで聴いたらとんでもなくすごかった。

来週はバラードで小さなジャズ祭りがあるもよう。行けたらちょっと覗いてみたいです。




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2014/04/04

fegato grasso



知らない間に4月になっていたのでもう先月のことになってしまいましたが、誕生日ディナーということでベルタウンのBarolo Ristorante というイタリア料理やさんにいってきました。
ごっつめのシャンデリアとクラシックな燭台などがあるモダンなお店。

早めのディナーで、平日だったけど混んでました。お客さんはなんだかとってもコーポレートアメリカな感じ。隣のテーブルの男4名は明らかにビジネスディナー。首からIDタグを下げてるエンジニア風の人と、ベゾズ似の役員風がアジア人ビジネスマンをもてなすのディナー。全員ネクタイなし。エンジニア風は上着もなし。

近くにアマゾン本社があるので、みんなベゾズ風に見えてしまう。ていうか客層、髪型がベゾスの人が多かった。

しばらく家から半径100メートル外に出ていなかったので、なんだかとっても都会に来たようでドキドキワクワクしてしまいました。

それはさておき、ちょうど Dine Around Seattle というお得なコースディナー週間が開催中だったのでその中から選んだ3コース。



Faggiano con polenta 、「オレゴン州産の雉子肉蒸し煮、ポレンタ添え」。

ポレンタはとってもふんわりでおいしかった。雉子肉は、硬い。「ゲーミー」というのはこのことか、と納得の独特のケモノくささが。ソースはこってり。




友人は、カルボナーラ。これも、こってり。味が濃い。


メインはリゾットにしました。
Risotto fungi e fegato grasso 「地元産ワイルドマッシュルームのリゾット、フォアグラ添え」。

野生きのこっていうわりに、椎茸が…しかも石付きごと、まるっと入っていて、ちょっと驚く。
まあきのこの季節じゃないしね…。でもフォアグラっていうのをメニューで見落としていて、きのこのリゾット、とインプットされていたため、てっぺんに載ってきたぺろんとした塊を

「…いったいこれは、何のきのこだろう ?」

と怪訝にフォークで突ついたあげく、もう少しで女優のように美しいウェイトレスのお姉さんに
「これは、何のきのこ?」と聞きそうになった。

おいしゅうございましたが、やっぱり味が濃くてこってり。半分で挫折してお持ち帰りに。


それに、1皿目のポレンタとほとんど似たベースのソースだったのでちょっとがっくり。
美しいお姉さんも、味が似てるよって教えてくれたら良いのにな。しかし、フォアグラを見落としていた時点で、私はやや負けていたのだった。

フォアグラとか載ってなくてもいいです。もっとシンプルなキノコ味のリゾットが食べたい。

ふだんシンプルな食事ばかりしているせいか、 あんまりこってり濃い系についていけなくなっているのかも。胃が年寄りになりつつあるのかしら。



 デザートはホワイトチョコレートムース。

これもこってりー。で、半分で挫折。この量はアメリカンすぐる。

全体にこのお店はこってり系イタリアンなんでしょうか。

食事のあと、少し血が濃くなった気がするディナーでした。

最初に出てきたタプナードが一番おいしく感じた。パンもおいしかった。

やっぱり素朴な食事が一番なお年ごろなんでしょう。




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