Netflixで『Breaking Bad』の最後の8エピソードが公開されたのでさっそくプチビンジ上映会をひらき、見終えて軽い虚脱感におそわれた心の傷が癒えないうちに、とんでもない映画を見てしまった。『The Counselor』(邦題『悪の法則』)。
『悪の法則』という邦題は、観る前に心構えができるという点では「カウンセラー」よりずっと良心的かもしれません。「カウンセラー」は「顧問弁護士」という意味で、主人公の職業です。
監督はリドリー・スコット。
キャストはブラッド・ピット、ハビエル・バルデム、キャメロン・ディアス、ペネロペ・クルーズという超豪華陣。主演の弁護士役のマイケル・ファスベンダーはこの映画を見るまで知らなかったけれど、このあとに見た『12 Year a Slave(それでも夜は明ける)』ではサディスティックな農場主を熱演してました。
うっかり、メキシコの麻薬カルテルがらみのもうけ話にのってしまった弁護士の運命は…。というお話。
『ブレイキング・バッド』に出てくるメキシコの麻薬カルテル関係者も怖い人たちでしたが、この映画を見てから思い返せば、ぜんぜんマイルドな描写でした。
『ブレイキング・バッド』で、運び屋の首をカメの甲羅にくくりつけてハンクおじさんにトラウマを与えたメキシコ国境の麻薬マフィアも、まだまだ、可愛いものとすら思える。
顔色ひとつ変えずに部下の頸動脈を段ボール用カッターナイフで切る「チキンマン」ガスですら、この映画を見た後ではまるで懐かしい友人のように感じられる。
あらすじは詳しく述べませんが、ほんとうーに後味の悪い映画でした。
いや、良い映画です。嫌いじゃないです。むしろ好きです。
でも、ちょっと2時間現実を離れてすかっとしたいというふやけた期待を持って見ると、とんでもない目に遭わされる。
監督のやり口が汚い。
希望をもたせておいて、徹底的に叩き潰す。テレビや映画のまっとうなお約束のフラグをあてにしていると、まんまとしてやられます。でもチェーホフのいう「銃」(お話に銃が出てきたなら、それは使われなくてはならない、というキマリ)はちゃんと約束どおり使われる。最後の最後まで、ああ出てきてほしくなかったのにやっぱりここで出てくるのねー、という形で。
救いのなさは、個人的に今まで観たうちでの「救いのない映画ナンバー1」だった『モンスター』(日本映画のじゃなくて、シャーリーズ・セロンが娼婦の連続殺人犯を演じたやつ)と良い勝負でした。
暴力の描写がたっぷりな分、『悪の法則』のほうがトラウマ度は高いかも。
この映画で描かれる暴力には、血みどろな描写は少ない。淡々と粛々と、業務として行われる殺しや暴力が物語全体を通して同時進行にあらわれて、血がドバドバ出るような派手な描写でない分、逆に背筋がじわりと冷たくなるような気味の悪さ。
この映画に描かれる最初のひどい暴力は、主人公とクライアントの間で交わされるいくつかの会話に出てくる。メキシコのカルテルがいかに容赦ない人びとかという話の中で、見せしめに使われる非人間的な暴力の方法が語られる。
麻薬とお金を動かすために、人の生命や、ささやかながらも幸せな生活が、ごく簡単に抹消されていく。
観ている側も、蜘蛛の糸にじわじわと周りをからめとられるような、気づいたら出口がない洞穴に置き去りにされていたような、暗澹とした気分にされてしまう。
「愛の反対は憎しみではなく、無関心なのです」というマザー・テレサの名言があるけれど、まさに、「悪」というのは、他人への無関心に根を張っているのだ、としみじみ思わせる。
悪というのは、悪役プロレスラーみたいなわかりやすい顔はしていない。実は無表情なのだ。
悪が行えるというのは、共感を拒否するということ。
他者と自分をなぞらえるのを拒絶すること。
それは実は、とても簡単に、システム化することができる。
どんな人でも、わりに簡単に、その一部になれる。
そして実際、これとほとんど同じことが今も現実に起きているのだということを、この映画は淡々と思い出させてくれるのです。
でもハビエルのこの格好を見られたのは収穫でした。面白すぎる。
ハビエル・ バルデムは大好きな俳優さんの一人です。出演作ごとにすさまじいほど全然違う人になってる。
今回は国境で派手にもうけてるハイパーに陽気なおっちゃん。
この人の出演作で一番好きなのは、バルセロナを舞台にした『BIUTIFUL ビューティフル』です。
これも、暗い暗い映画でした。
でも『BIUTIFUL』には、最後に薄ら寒い冬の雲の間からさしてくる頼りない日ざしのような救いがあった。
不景気なバルセロナは、とても醜く描かれてました。
ガウディの教会でさえ、物陰にしまい込まれて忘れたふりをされている、不幸な作りかけの工作みたいに見える。
主人公は違法滞在の中国人移民をつかってビジネスをしていて、小さな子どもを抱え、貧乏で、治療することのできない病をわずらっている。中国人たちに少しでもマシな環境を提供しようと試みて、逆に大惨事を引き起こす。なにもかもが、裏目にでてしまう。
今のヨーロッパ諸国のリベラルな良心と葛藤をそのまま、人格化したような人物。
移民で溢れる街で、取ってつけたような正義を提供しようとしても、あまりにも無力。
なにより自分はもう死にかかっている。どんどん貧乏になり、どんどん病みつつ、子どもに少しでも貯金を残してやろうというだけのために生きている。子どもがこの先暮らしていくのには、そんなものは全く充分ではないことを知りながら。
明るい理想なんかもうどこにもない。無い袖は振れない。移民に正義を提供するどころか、自分の子どもにちゃんとした生活に必要な資金を残してやれる財力すらない。
この主人公の状況とジレンマは、いまのEU諸国そのままではありませんか。
とにかく暗い。八方ふさがり。
でも『BIUTIFUL』には、それでもヨーロッパの理想と希望とヒューマニズムがシニカルではなくて、絶望のなかながら肯定的に描かれてて、一種スピリチュアルな救いになってる。
最後の、森の中での、父との出会いの場面は思い出しただけで今でも号泣してしまいます。泣。
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