2012/04/07

スミスタワー その2 チャイニーズルームとペントハウス

スミスタワーの35階は展望室、「チャイニーズルーム」。

11月〜3月は土日のみ、4月〜10月は毎日あいてます。

なぜChinese Roomかというと、このビルを建てたスミスさんは崩壊前の清国に貿易でよく出入りしていて(拳銃屋さんだったから武器商人だったんじゃないかという話もあるけど、ウラはなし)、西太后がこのお部屋の装飾一式をぽーんと贈呈したのだそうです。

 天井には一枚ずつ違う模様の手描きの陶器の皿が埋め込まれていて、梁は黒檀?の総透かし彫りです。


調度品は、今はぽつぽつと置かれているだけですが、20世紀初頭のビルの完成当初は、部屋中がこんなゴージャスな彫り物だらけの家具でいっぱいだったそうです。



これは有名な、西太后の Wishing Chair。 

独身の女性が真摯な願いをこめて座ると1年以内に結婚できるという伝説の椅子です。

Tさん(独身)談:2年前にも来たけど、効き目なかったのよねー。

心がけにもよるようです。

周りを一周できるようになっていて、ダウンタウン方面の眺めはこんな感じ。
この道(2nd Ave)の奥にスペースニードルが小さく見えるのがわかるでしょうか。

スペースニードルの展望台は19ドルだけど、こちらは7ドル50セントで、眺めはどっちかっていうとこちらのほうが海にも近いし、ダウンタウンの中なのでダイナミックで面白いです。

シアトルを高いところから見たい方には、

コロンビアセンター40階のスタバ(無料、ただし北面のみ、月〜金)
>コロンビアセンター73階の展望台(9ドル)
>スミスタワー
>スペースニードル 

 の順でお得です。


裁判所ビルと市役所方面。


このビル、実は3月に競売にかけられて3700万ドルで落札されたばかり。 
シカゴの不動産会社が何年か前に買って、高級コンドミニアムと貸オフィスとして貸し出すはずだったのだけど、運営もマーケティングも全然上手くいかなくて、7割か8割がいまだ空き家という惨状。

テナントは10社そこそこくらいしか入ってないようで、以前に来たときは1階に入ってたスターバックスも撤退してしまって、空き家になってました。
このへん、人通りないしねえ…。

ダウンタウン中心からは少し遠いけど、高速インターネットも完備、耐震補強もしてあるし、エレベーターもカッコ良いですよ、とこれから売り出すと思われます。

どんな会社が入ってるのかな?と案内板を見てみたら、PIXAR のオフィスが入ってた!
いかにもって感じで良いですね。


 これはYesler の坂の上からみたスミスタワー。ちなみにこの三角屋根の部分は吹き抜けのペントハウスになっていて、今現在、このタワーにたった1家族だけの住人が住んでます。

シアトルで一番眺めの良い部屋に住むのは、40 代女性と小さな娘さん2人の3人家族。
 素敵すぎるおうちはこちらで見られます。うらやましいー。


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2012/04/05

スミスタワー その1


アンダーグラウンド・ツアーに行った土曜日、すぐ近くにあるもうひとつのランドマークにも行ってきました。    ↑↑↑ Smith Tower (スミス・タワー)です。

1914年(大正3年)落成。

当時は世界で4番目に高いビルだった、42階建て。

今ではダウンタウンのはずれにちょこんと立ってますが、当時はラグジュアリーな最先端高層ビルで、町の中心になるはずでした。


白い外壁は、2階までがワシントン州産の花崗岩、3階以上は白いテラコッタ。
内装にはアラスカ産の大理石も。


建てたのは、拳銃とタイプライター製造で財をなしたスミスさん。(スミス&ウェッソンのスミスさんとは別人)

ぴかぴかのゴージャスな郵便ばこ。



インディアンの首がならぶ天井。植民地的なテイストだこと…。

中華料理店みたいなオリエンタル風な模様も、西部の新興都市に建つビルらしい個性です。

当時のままの美しいエレベーターが現役で、35階の展望室まで、制服を着たおじさんが運転して連れて行ってくれます。

展望室のなかは次回!


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2012/04/02

ワシントン大学のお花見


きょうは、気温が15度を超えたぽかぽか日和でした。
やっと春らしい一日。



日曜の午後、ワシントン大学の桜を観に行ってきました。
あんまり時間がなくて、ささっと一周しただけの駆け足お花見でしたが、今年も満開の桜が見られて幸せです。

雨の予報が外れて午後からお天気になったので、やっぱり大賑わいでした。
ウェディング撮影をしているカップルも。


日曜はまだ少し肌寒かったからか、芝生に座っている人はあまりいませんでした。
わんことお散歩の人が多数。この↑右のおじさんと一緒に来てたチャウ君がかわいかった。

よく見ると、若木も何本か植えられていました。
世代交代要員ですね。

ZIZIさんがブログでご紹介されていたUW会報の記事によると、このQuadの桜はハイウェイの工事用地に植わっていて、根こぎにされる運命だったのを、60年代にここに移植したのだそうです。
最初に植えられたのは第二次大戦の直前で、推定樹齢73歳~だとか。

戦後すぐに植樹された多くの東京の桜の名所とおなじく、寿命が心配されています。

桜博士のprunusさんに教えていただいたところでは、次世代の桜は現在Mt. Vernonのあたりで育成されて、待機中だそうです!


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2012/04/01

重箱ビル


パイオニア・スクエアの、ゴールドラッシュ国立公園の向かいあたりに素敵なビル発見。


1階はテラコッタ、2階〜3階はオレンジ煉瓦、4階はもう少し濃い色の煉瓦、5階と6階は暗いえび茶色の煉瓦。Wiki によると19世紀末の建築で、最上階2階はあとから積みたしたそうです。

昔の持ち主かテナントだった企業の名前がぼんやりと残っているのもチャームポイント。
Washinton Shoe Mfc. てどうやら靴製造工場だったのでしょう。

 最近、FarmVille を開発したソーシャルゲームの開発会社が入居したそうです。

この辺は空きスペースが多くて寂しいゾーンなので、活気のある企業がどんどん入ってくれると良いですね。

2階〜3階の窓の間の釦みたいな模様も、4階のテクスチャーも可愛いお重ビルです。

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8ビットシアトル


今朝、ダウンタウンの某所をグーグルマップで検索しようとしてたら、右上に見慣れないアイコンが。

Quest」って何よ? とクリックしてみると、うわーなんだこれ!

シアトルがドラゴンクエストの世界になっているーーー。

なぜかスペースニードルとボランティアパークのイサム・ノグチの彫刻だけが、野原の真ん中にwww  なぜこの彫刻? 

ストリートビューのアイコンも勇者になってますw 

世界全国くまなく8bitのドラクエ地図に変換した上、あっちこっちにモンスターもいるそうで、いったいこの開発に何時間かけたんですかーw!

もうすぐ、ファミコン用のグーグルマップソフトが発売になるよって告知つきの、1日早いエープリルフールでした。

日本発っていうところがうれしいですねー。

ちなみに、うちにこのカセット式のファミコン、まだあります。当時すでにもう骨董品だったけど、子どもが小さい時、このカクカクな画像のマリオで遊んでました。で、やっぱりカセットがバグった時は「ふっ」て息吹きかけて戻してた! 

今日は懐かしくって8ビットワールドに旅に出ちゃう人がたくさんいるんでしょうね。


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2012/03/30

パイオニア・スクエア界隈


パイオニア・スクエア(なぜかいつも、ユニオン・スクエアと言ってしまう)界隈は、今でこそ観光名所になっているけれど、70年代までは忘れられた地区だったそうです。


 町が手狭になったり古くなると、さっさと別の場所に新しい町を作ってしまう国アメリカ。

アラスカのゴールドラッシュが終わると、ビジネスの中心街は今のダウンタウンがある北の方に徐々に移って行き、 風紀のよろしくない商売がはびこっていたこのエリアはだんだんさびれてしまったようです。


ランドマークになってる、「ROOMS 75セント」の看板。

1泊75セントだったのは20世紀初頭のことのようですが、本当に物持ちが良いというか、建物に関しては古いものをとっておくのが好きなシアトルの人。


煉瓦のビルたちを解体してさら地にしてパーキング用地にしようという動きに反発して、70年代に保存運動が起こり、めでたく地域ごとまるまるNational Register of Historic Places(歴史登録財)に指定されました。 


 初めて来たとき、うちのCTちゃんがなぜかイタリアンレストランと間違えた、教会経営のホームレスシェルターです。


道ばたにトーテムもあるし。

 いろいろ見飽きない界隈です。

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2012/03/29

地下探検 アンダーグラウンド・ツアー


というわけで、シアトル名物アンダーグラウンド・ツアーに行ってきました。
パイオニア・スクウェアの、このオレンジと青の建物が出発地点です。

まず、19世紀の酒場を再現した重厚なカウンターのある部屋で20分ほど、シアトルの町の出来た当時の人びとのことや、どうして予定外の地下街ができたのかの説明をききます。

それから20人くらいのグループに分かれて、アンダーグラウンドへ。
土曜日で春休み期間だからか、ツアーは結構な盛況でした。



19世紀なかば、一山当てようと今のシアトルにやってきた「町の父」たちは、みんな中西部の出身だったので、海には潮汐があるというのを知らなかった(というのがツアーのお兄さんの説明ですw)。のでみんなして、ピュージェット湾に向かって海岸線ぎりぎりに町を作ってしまった。

だから満潮の時間になると、あらびっくり、トイレが(当時、水洗トイレが爆発的に普及しはじめていた)逆流して「まるで間欠泉」のように下水を噴き出し、おがくずを敷いた道路にドロドロと流れ出してもうそれはそれは大変な光景だったとか。


そこへ、1889年、大火事が起こって、当時のシアトル中心街だったこの地域25ブロックをすっかり焼き払ってしまいました。(奇跡的に死人はなかったそうです)

復興に取りかかる際に、もうトイレが逆流する事のないよう、町を上げ底にすることが決定されたのでした。このあたり30ブロック近くをそっくり持ち上げるという大工事、ずい分思い切った都市再開発です。よほど「間欠泉」に懲りていたのでしょうね。

海岸近くで8フィート(約2メートル半)、建物の1階分、地面を持ちあげるという計画でしたが、いかんせん19世紀のこと、工事には時間がかかる。

道の両側にまず煉瓦壁を作り、その中を埋めていくという気の長~い工事で、商店主たちは何年もかかって道が出来るのをのんびり待っているわけにいきません。で、もとあった場所に(今度は焼けないように煉瓦で)ビルを建てて、営業を始めます。



そのうち数年かかって道が出来てくると、いままで1階だった各ビルの1階正面入口は地下に埋もれてしまいました。
道路とビルの間にあった歩道の上をふさぐ橋のような形で新しい歩道ができ、下に取り残された旧歩道は何の役にもたたない地下迷宮になったのだそうです。


こんな階段を下りていくと、昔の歩道とビルの正面入口だった1階が、


こんな感じで現れます。道ができて歩道にフタがされた後は、長年ほったらかしにされてネズミの王国になっていたようです。


ツアーは、あちらこちらのビルや道の入口から地下道に入って、


ひょっこり煉瓦の路地裏に出て来ます。

ガイドのお兄さんはとってもエンターテイナーで、火事の始まったわけとか、上げ底道の建設途中の町の様子を面白おかしく話してくれたので、歴史には毛ほどの興味もないうちの17歳男子も興味をもって聞いてました。


頭上は現在の歩道。ところどころにこんな明かり取りのガラスもはめ込まれているから、地下は全く廃墟にしてしまうつもりでもなかったのでしょうね。足の下にこんなアンダーグラウンドワールドがあるとは、この上を歩いていても全然気づきません。

地下にいる間に気になって仕方なかったのは、今地震が来たら超無理…ということでした。どうみても耐震構造にはなってない、煉瓦壁に支えられた歩道。
2001年のM6.8地震ではいくつかのビルの壁などが崩れた程度でしたが、それより大きな地震がきたら、この地下道はかなりまずい場所のはず…。


この地域は労働者のための安宿、娼館、飲み屋が集合していたので、それこそアンダーグラウンドなエピソードが豊富なようです。

そういう逸話を聞かせてくれる、21歳以上限定・大人のための『アンダーワールド』ツアー(カクテル付)もあり。これも面白そう…。  


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