今ごろになって人気ドラマ『Grey's Anatomy』をNetflix のストリーミングで見始めた。そういえばこれ、シアトルが舞台だったのか、と最初のエピソードを見て思い出した(遅。
スペースニードルやフランク・ゲーリー作のうねくったEMPが毎回ちらっと出てくると、お、と思うようになったな、と思う。(ワイキキビーチやダイヤモンドヘッドにも、今でも、お、と思うけど)だいぶシアトルが目に慣れて来た。メレディス達が住む古い一軒家も、いかにもシアトルらしい。あれはどのへんなんだろう。高速の近くのショットがあった気がするけど。
字幕なしではとてもじゃないけど医学用語が飛び交う「OR」(operation room、手術室)の中の医者同士の会話は拾えないのだけど、このドラマはあまり医術自体が中心ではないのでストーリーを追うにはぜんぜん困らない。
でもその中で、衝撃的だったのが harvest という言葉。
はずかしながら全然知らなかったのだけど、harvest には穀物や野菜の収穫という意味のほかに、医療の現場で「臓器の摘出、採取」という意味があるのですね。
ほかに使うことを前提にした場合の摘出。
ドラマでは、脳死と判定された患者の前に臓器を取りに来た医師がずらりと並び、それぞれ患者から取り出された目的の臓器を受け取ると、ピクニック用に使うのと同じ形の小型のクーラーボックスに納めて、臓器を待つ自分の患者のところへ急ぎ去る。
まるでハゲタカのよう」という主人公の心の声のナレーションと重なって、一番印象的なシーンだった。
日本で初めて、15歳以下の患者の脳死が判定されたというニュースを見て、この言葉を思い出した。
子どもの脳死判定について慎重になるのは当然だとおもう。今回の記事でも、わざわざ、「虐待などの事実がなかったことを確認した」とあった。
臓器を唯一の希望として待っている人がいる一方で、まだ血を送りだしている健康な心臓を自分の息子の体から取り出すことを承諾するというのは、どれほど辛いことだろうか、想像するだけで血の気が引きそう。
ニュースによると親御さんは「彼の身体を役立てることが、彼の願いに沿うことだと考えた。身体の一部だけでもどこかで生き続けていると考えると、彼を失ったつらさや悲しみから少し救われるような気がしている」とコメントを出している。
その気持ちは想像してみることしかできない。
harvest というのはあまりに重い言葉だ。
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