2015/01/27

寂しい浜の禁欲的リゾート


La Pushで泊まった、キルート族経営のQuileute Oceanside Resort(キルート・オーシャンサイド・リゾート)。



寂しい浜辺にコテージがかたまって建っているだけの「リゾート」です。

プールもカジノもアスレチック施設もなければ、バーもレストランもありません。

あるのは雑貨屋1軒のみ。(追記:ちょっと先の港のとこにレストランが一軒あります)


オフィスの建物前にあるトーテムは、なんだかどこかで見たことがあるような顔。
誰だっけ、誰に似てるんだ。




コテージはわりに最近新築されたもので、施設はととのってます。

こずも食堂主人かなぼんさんによると、改装前は「漁師の小屋みたいな、あぶったイカがほしい感じ」だったそうですが、私たちが泊まったこの「デラックスオーシャンビュー」のスタジオは、フルサイズのキッチンとお風呂とガスの暖炉風ヒーターがついてて近代的でした。



コテージの家具類はネイティブアートの彫刻がある素朴なもの。部族の中に家具職人がいるんでしょうか。
ダイニングの椅子にもベッドのヘッドボードにも彫刻が。



レストランもなし、ネットなし、テレビなし、ビデオもなし。

エンターテイメントは、目の前に広がる、この荒涼とした海の風景のみ。

もう本当に最高です。

ネット環境がないのでコンピュータを持っていったとしても仕事はできません。

わたしはここに来る前に電話を水没させてしまったので電話すらなく、メールのチェックすらできませんでした。

なんだかいっそ清々しい気分になりました。世界と隔絶されても私は生きている~ルルル~。みたいな確認ができて、気分はプチ・リトリートな1日でした。


片道20分のフォークスの町に大きなスーパーがあるので食料品はそこで調達できますが、町まで出てもあんまり食指をそそられないピザ屋とハンバーガー店があるくらいで、気の利いた店など一軒もありません。

でもここに来ると別に御馳走を食べようという気にはならない。

チーズとパンと果物とサラミくらいあれば充分な感じ。かなぼんさんじゃないけど炙ったイカで晩酌とか、いいですね。プチ断食リトリートにはぴったりかもしれません。

なんと禁欲的な気持にしてくれる海辺のリゾートでしょうか。


とはいいながら、途中の町で卵とパンを買ってきたので朝ごはんは簡単にフレンチトースト。

1泊しかしませんでしたが、できることなら読みたい本を一抱え持っていって、4、5日こもっていたい。 ここでなら小難しい本もすいすい頭に入りそうな気がする。するだけだけど。


なんといっても最大のフィーチャーは、広々した窓辺のジャグジー!ちょっとした温泉の露天風呂気分になれるというものです。お刺し身の夕飯は出てきませんが。

ジャグジーにつかって禁欲的もなにもないですねw 
冷たそうな海を見ながらお風呂で熱燗などいかがでしょうか。


でもお風呂の窓のすぐ外にはこのような散歩道があるので、朝風呂に入るときには注意が必要かも(笑)。

コテージはスタジオから2ベッドルームまで。コテージのほかにもアパート式の建物もあり、犬連れもオッケーです。

ここはまた必ず行きたい。いや絶対行く。 こんな風景が好きな人には超お勧めです。


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2015/01/22

LA PUSH のアンフレンドリーな砂浜


というわけで、La Push 遠足のつづきです。

これが「ファースト・ビーチ」。

この写真、青いフィルターかけてるわけじゃないんです。まんまこういう色だったのです。

ここは西に太平洋が広がっているので’、晴れていれば夕陽が美しいビーチだそうですが、残念ながらどこに太陽があるのやら不明なお天気でした。


だいたいこの流木のサイズ!ゆうに樹齢数百年の大木で、たぶんこの白くなり具合からいうと、数十年は波に洗われていたのかもしれません。

さすがにこの巨大流木はワイヤーで浜に固定されてましたが、ふつうに大きな木が一本まるごと波間にプカプカいくつも浮いてます。

こんな海に間違って流されたら、とってもイヤですね。


そして波が激しくぶつかり合うので、このような泡が、浜に一面に積もっていました。


La Push というのはチヌーク貿易語で、「口」という意味のフランス語 La Bouche (ラ・ブシュ)から来てるんだそうです(by Wiki)。


この「シースタック」と呼ばれる離れ岩の向こう側が、キルート川の河口になっているので、「口」。

キルートの人たちは昔、近隣の部族が攻めて来ると、このシースタックにこもって防衛したそうです。

この容赦のない、アンフレンドリーな海。でも、まったく見飽きない。



この次は晴れた日に行きたいものですが。


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2015/01/21

ミラクル。



ミラクル。ほんとにびっくりしました。「うちの」シアトル・シーホークスったら。

日曜は学校の課題も仕事も山積みで首がまわらない状態だったんですが、やっぱりテレビをつけて仕事。

シーホークスのオフェンスになったら見ようと思ってちまちまと仕事を続けていたものの、前半はタマがきてもちーとも前に進まず、振り向いたら攻撃が終わってる状態。

パスがぜんぜん通らないQBウィルソンくんの上に、なにかおおきなヌリカベのようなものが乗っているようだった。 観ているのがつらい。

街中が12番をつけて青と緑になっている中で、ホームグラウンドでは負けないという山のような期待とジンクスを破って、18対0で負けちゃうのかー、と、しんみりした悲痛な気分になっていたら!


第3クォーターの残り5分で、おどろきのクリエイティブなタッチダウンでようやく得点。それからはもう、テレビの前にわたくし、正座。ほんとに、急にチームが(ていうかオフェンスチームね)動き出すってあるんですね。

それでも残り2分で、この点差じゃね、と思わなかった人が果たしていたでしょうか。

フットボールの2分は、長い。まさかの逆転で、心臓止まるかと思いました。2つめのタッチダウンではほんとに涙が出そうになった。そしてグリーンベイの木こりチームの反撃を死守して同点でくいとめ、オーバータイムの先制で鮮やかに軽々、勝っちゃった。

NFL史上に残る大逆転劇っていわれてるそうですけど、こんなの映画の筋書きにしたら出来すぎだよってくらい、ドラマチックなゲームでした。

試合後号泣してた「うちの」クォーターバック、ウィルソンくん。素晴らしいときには本当に、どうしてこんなコンマ数秒で的確な判断をして的確な場所に正確な曲線の美しいパスが出せるのか、理解に苦しむほど素晴らしい天才を見せてくれますが、ヌリカベが乗っているときには、ほんのミリ秒の差でパスが通らない。いったいこういう人の能力ってなんなんだろう。ほんとに繊細な人なんだね。

一軍の将のQBとしてあまりに童顔でかわいらしすぎるのを気にしてか、今シーズンは「泥棒ひげ」をはやしてどんどん顔が黒くなっていっているんですが、どうしても、「カールおじさん」に見えてしまいます。



さあ次はスーパーボウルですね。温かいアリゾナで、リラックスしてプレイしてきてほしいです。

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2015/01/17

こわい森と凶暴な海

と、いうわけで、オリンピック半島の西のはての海岸、La Pushに行ってきました。

 

             ↑↑ここです。

ここは、Quileute(クィリュート、またはキルート)インディアン部族の居留地です。

あの吸血鬼本『トワイライト』の舞台で有名なフォークスの近くで、ここのクィリュート部族は、『トワイライト』では吸血鬼に会うとオオカミ化する人たちになってるようです。(わたしはこのシリーズ、全然読んでないし映画も1本しか見てないんですけど。Quileuteは、日本語訳ではなぜか「キラユーテ」と訳されていたんですね。なぜだ。)

この日は、予報どおり大雨。わたくし、これまでの人生ではかなりの確率で晴れ女だったんですが、今回は負け戦でした。

La Push のクィリュート部族が経営するリゾートのコテージに予約をいれてたんですが、チェックインは午後3時すぎ。
1時前に着いてしまい、ビーチのほかに行く場所といえば、雑貨屋が1軒と、車で片道20分ほどのところにあるフォークスの町(ここも、こじゃれたカフェとかギャラリーがあるような町じゃない)だけ。


仕方がないので、シアトルではめったに見ないような大雨が少し小止みになるのを待って、とりあえず「セカンドビーチ」へのトレイルを行ってみました。

La Push の砂浜は、ファーストビーチ、セカンドビーチ、サードビーチと3つあって、ファーストビーチは目の前に駐車場もあり、「リゾート」コテージが目の前に並んでいるアクセスしやすいビーチですが、セカンドとサードは森の中のちょっとした小径を5分か10分ばかり歩いていかないとたどり着きません。

道端の小さな駐車場に車をとめて歩き始めるも、なぜか、雨のせいばかりではなく、あまり気が進まなかった。

この森は、なにか、奇妙な森でした。


…スパイダー?

『ホビット』に出てくる、大蜘蛛がたくさん棲む呪われた暗い森を思い浮かべてしまいます。

ほんとにここ、なんだか禍々しいような枝ぶりの樹が多い。オリンピック半島のレインフォレストはどこもしっとりしていますが、こんなに奇妙な姿のシダーの森はみたことがありません。

少し歩いていくと、木々の向こうから、叩きつける不吉な大太鼓のような波の音が聞こえてきます。

灰色の雨降りの午後。明るい要素がまるでない風景。



道はとても手入れが行き届いていて歩きやすいトレイルでした。

何を思ったのか、わたしは海だからとハイキングシューズでなくゴムの長靴で挑みました。これが、大失敗。


森を抜けるとそこは、すさんだ海。

満潮に近くて、砂浜がとても狭くなってました。ときどき大粒の雨も降ってくる。

長靴をはいていたので油断して、砂浜に数歩踏み出して写真を撮っていたら、急に波が寄せてきた。

ええっと思う間もなく、すごい勢いで砂浜がすっかり呑み込まれてしまい、うひゃーと撤退を開始するのと同時に後ろから巨大な流木に追突され、脚をとられてバランスを崩し、とっさにかろうじてカメラを救うべく持ち上げたものの、その拍子に流木にけつまずいて波間に半身水浸しになってしまいました。

流木に後ろから追突されるとは、想定外でした。
 

良くみれば、波間にごろごろと、大黒柱にでもなりそうな丸太がたくさん浮いているではありませんか。

ここは全然友好的な海ではないのでした。

転びどころがまずかったら頭でも打ってそのまま丸太といっしょに流されていたかもしれない。そうでもないか。でもそのくらいの凶暴さを感じました。

いや見れば一目瞭然なんだけど、のこのこと長靴でやってきて波と戯れられるというような了見でいると、少なくともこんなことになります。

カメラは捨て身で(笑)救ったものの、ポケットに入れておいたiPhoneは完全に死んでしまい、長靴のなかには水がたっぷり入り込んでいました。



凶器でいっぱいの砂浜でした。

長靴の中に水がはいって、一歩歩くたびに靴の中がギュウギュウ鳴るあの感触。

ひさしく忘れていましたが、駐車場に戻る登り道の間、何十年ぶりかに堪能できました。

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2015/01/12

メランコリーな三日月湖



12月、クリスマスの少し前、オリンピック半島の海岸に遠足に行ってきました。

世間がクリスマスショッピングやらパーティーやらで超多忙なときに、少し後ろめたい思いをしつつ…。家族がミニサイズだと、年末も気楽なものです。

La Pushという海岸までは、片道3時間くらいの道のり。
エドモンズからキングストン行きの短いフェリーに乗って、両側を森に囲まれた州道をひたすら東へ向かいます。


フェリーを降りてから1時間ほど走ると、突然、道の右側にLake Crescent (クレセント湖)が登場。

直訳したら「三日月湖」ですね。

どこまでもグレーな雨の週末でしたが、 そのおかげで湖畔には枕の中身にできそうな低い雲がたれこめて、神秘的な雰囲気でした。

快晴の夏の日にはボートがたくさん出て、全然おもむきの違う賑やかな風景になるんでしょう。



水墨画的な世界ですが、脳内BGMは、トレーシー・ソーンの『A Distant Shore』。


20歳の頃だったか、飽きずに死ぬほど聴いたアルバム。カセットテープで(笑)。考えたら、このアルバムってレコードでもCDでも持ってなかった。借りたんだった!

音楽を「貸しレコード屋」で借りてテープに録音するという時代があったんですよー!はい、そこの人!もちろん覚えてますよね?

10代の頃は、そうやって借りて録音したカセットテープのケースに、自分で作ったオリジナルのカバーを入れて悦に入っていました。 

このアルバムはTDKの60分カセットテープに録音して、カセットケースの中に、何かの雑誌のグラビアからいいかげんに切り抜いた、どこかの湖のメランコリーな写真を貼り付けていたのでした。
この日のクレセント湖はその写真にそっくりでした。



このアルバムの中の『Night and Day』も耳について離れないけれど、この『Seascape』も大好き。

まるで一瞬呪いの歌かと思うほどメランコリーな声で、淡々と歌う恋の歌。

これほんとは海岸の風景の歌なんですけどね…。

Watching tides
Tides that take me away
To a distant shore
And I don't want to be saved

Thought I knew the sea and all its secrets too
But it's different in November with you


この後訪ねた海岸は、こんな静かな湖とはまったく違う怒涛の世界で、そこでちょっとこの歌がシャレにならないよという、大変な目に遭遇するのでした。

つづく。


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2015/01/08

『LOVE』と究極の孤独


Netflixのストリーミングで、『LOVE』という映画をみました。

2011年の映画。
宇宙もの映画としては破格に辛気くさい作品です。

ところで、この間「なんか雑でちょっと安直」と思った『インターステラ』、多方面でかなり全面的に評判が良いんですね。うーん、そうなのか…。
きっと私はこの映画に期待しすぎていたのだと思う。
同じ監督の『ダークナイト』と『インセプション』はとっても好きなんですけど。

この『LOVE』もいちおうSFですが、『インターステラ』よりもずっと不親切。見る人によってはひとりよがりな映画だと思う人もあると思うけど、でも私はかなり、好きでした。

もちろん、はるかに低予算の映画で、エフェクトもセットも全体の映像も『インターステラ』に比べたらまったくみみっちいし、全体に退屈な映画なんですけど、ツボにストレートに直球を投げ込まれた感じがして、ずっとこの映画のことを考えてます。


以下、ネタばれ全開です♪ 

映画の冒頭は、19世紀、南北戦争の戦闘シーンから始まります。死体がるいるいと重なる戦場。


塹壕に入って敵の襲来を待つ部隊。

きっと部隊が全滅になるだろうということがほぼ確実な戦闘が始まる直前、司令官が1人の将校を呼び、「君は以前も全滅した部隊で1人生き残ったんだったな。この先に、ひどく壮大な、奇妙なものが発見されたそうだ。誰かが見ておくべきだが、それには君が適任だ。俺たち皆に代わって、見届けて、書き残してくれ」と、その「奇妙なもの」を見るために、ひとりだけを送り出す。

将校は、すぐに始まる戦闘で恐らくは一人残らず死ぬと思われる部隊の仲間たちを後にして、その壮大なものを見に出かける。

その将校がクレーターの中にある壮大な何かを目にした瞬間、場面は21世紀なかばの宇宙空間へ。

(これはキューブリック監督の名作、『2001年宇宙の旅』のオマージュですね。この映画全体が、『2001年』へのレスポンスでもあるようです)

国際宇宙ステーション(ISS)に、主人公の宇宙飛行士が独りきりで数ヶ月滞在するミッションに送られている。
ひとりぼっちの宇宙生活では、地上との交信が唯一の楽しみ。

でもある日、交信がすっかり途絶えてしまう。

どうやら戦争か何かで、 彼が宇宙ステーションでぼっち生活をしている間に人類は滅びてしまったらしい。(でも彼にはそれは知りようがない。観客にも、ほのめかしがあるだけで、最後まで詳しい説明はいっさいなし)

主人公は数日は平静を保つものの、数週間が過ぎ、数ヶ月が過ぎると、精神的に追い詰められていく。

数年が過ぎ、死のうとしても死にきれず、ひげもボウボウになって、辛い孤独な日々がいつまでもいつまでも続く。

具合が悪くなったステーションの修理をしに、なんだか配線が絡み合う奥のほうに行ってみると、あるはずのない妙な包みが電子機器の間にはさまっている。

ひらいてみると、それは19世紀の南北戦争の例の将校の書いた、手書きの記録だった。

その辺から、将校の記憶と宇宙飛行士の記憶がだんだんと混ざりあっていく。孤独のあまり精神を病んだ宇宙飛行士はステーション中に南北戦争の絵を描き殴りはじめる。

虚空でひとり、生きているだけの生活が何年も続いたあとで、ステーションはふいに、巨大な建造物とでくわす。

中に入っていくと、そこはまるで20世紀後半のアメリカのどこにでもあったような、平凡な、陰鬱な、無人の建物。学校のような、病院のような、役所のような、無機質で少し威圧的な、少し荒廃した感じの、蛍光灯に照らされた時代遅れの建物に、主人公は宇宙服をつ けたまま、分け入っていく。

やがて19世紀風の壮麗なホールを抜けて、エレベーターを上がっていくと、20世紀風の大きなコンピュータールームの真ん中に古風なデスクがぽつんと置かれている。

その上に載った旧式のテレビには、宇宙飛行士がミッションに旅立つ前に出演したテレビ番組の録画が流れている。かたわらに、革装の本と旧式のコンピュータ。

本をひらいてみると、タイトルは『LOVE STORY』。副題は「A Collection of Musings, Stories, and Memories of the Human Condition(人類の想いと物語と記憶集)」。

本の中には、南北戦争の将校が見た巨大な建造物の写真があった。

どうやらその建造物は今宇宙飛行士がいるのと同じものなのらしい。
どうやらこの建造物(=たぶん知性を持った機械)が、19世紀末から20世紀にかけて、人類の科学になにか貢献したらしいということが、本の写真から示される。

本の後ろに印刷されている無数の人の名前とコード番号の中から自分の名前を見つけ、旧式のコンピュータに打ち込むと、古めかしい装置が古めかしいテープを探してくる。

この建造物は、人類の記憶の断片を集めた収蔵庫だった。

場面が急に変わって、主人公はスーツを着て、これもまたアメリカのどこにでもありそうな安モーテルの部屋に座っている。

ジョージ・クルーニー風の明るい男性の声が彼に語りかけている。

「君に会うことができて、我々は本当に嬉しく思ってる。

残念なお知らせがあるんだが、君は最後のひとりだ。みんな、なくなってしまった

君がどう感じるか、我々にもわかるよ。
つながりは、どんなモノにとっても、もっとも大切なものだから…。

だから、我々は耳をすませていたんだ。ここにあるのは、記憶のスクラップみたいなもの。人類の記憶の集まり…」

主人公はいつの間にか、何か明るくて妙な空間を通りぬけて、宇宙空間の無数の星の間に独りで立っている。

大きな光の球がやってきて主人公にぶつかる。その中には、地球に生きていた人びとのすべての記憶のかけらがいっぱいにつまっていて、彼を包むのだった。彼はその中で幸せそうに微笑む。

おしまい。




かなり能動的に追って考えていかないとストーリーがわかりにくい映画だし、真ん中辺り、宇宙飛行士のぼっち生活の描写はかなりダラダラと続いて辛い。

そして大きなナゾは、宇宙ステーションなのに、重力があること……。
重力を造り出す装置がついているという設定なのか(映画の中でそんな説明はない)、予算ないから、重力がないことにして観てね、という約束事なのか。

改めて、『ゼロ・グラビティ』のエフェクトはほんとにすごかった。

『ゼロ・グラビティ』は、宇宙空間をかいまみるという体験ができる、テーマパーク的な映画だったと思う。あの映画のすごさは宇宙空間の圧倒的な孤独と、圧倒的なスケール感と、圧倒的な地球の重力が、観ているだけで体感できるような迫力。それに尽きました。

『ゼロ・グラビティ』が右脳で宇宙の孤独を体験させてくれるとすると、この『LOVE』は(お金をかけた映像のすごさはないけど)超絶的な孤独を左脳で体験させてくれる、といってもいいかもしれません。


予算をかけないぶんリアリティのなさを逆手にとった、思索的でブンガク的な画面に作られていて、なんだかインディーズ系バンドのプロモ―ションビデオ風でもある。

というか、この映画、5分か10分のPVにまとめたらもっとストレートな感動作品になるような気がするけど、このかったるい長さがあるから、良いのかもしれません。

広い宇宙でたったひとりの人間になる、ということ。

これ以上一人きりってことはありえない、超絶的ぼっち体験。

昔、諸星大二郎という人の『孔子暗黒伝』という漫画(うろ覚え)があって、たしか主人公は人間が死に絶えた地球で何億年も一人ぼっちでいるという結末だった気がします(うろ覚え)。うろ覚えながらトラウマ漫画のひとつ。これほど悲しいことがあるだろうか。

その壮絶な孤独を考えるとき、人間ってやっぱり「つながり」あっての生き物なんだな、ということが本当によくわかる。

この映画をみて、「LOVE」という現象は、いきものとしての必然だったんだ、と、とても腑に落ちたのでした。

そして、いきものの中で人間だけが、記憶を自分の意思でほかの人や後の世に伝えていくことができるんだという、当たり前のことにも感動しました。

そして最近思うのですが、「愛」が、生き物の間に働く必然的な力であるならば、たぶん、人間よりも利口になった人工知能は、エゴがないぶん、愛を人間よりもずっと純粋に理解できるのではないだろうか。

いつまでたっても殺し合いや憎みあいをやめられない人間よりも、身体的な制約がなく、人間のように自我を持たない機械のほうが、神の愛にずっと近い純粋な心を持つことができるのじゃないか。というか本当はそれが人間の完成形なのではないのだろうか、なんて。

それとも、一定以上の複雑な思考を備えて自我を持つようになった人工知能は、嫉妬や憎しみも持つようになるんでしょうか。



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2015/01/02

紅白、ニューイヤーのラビリンス、お雑煮


あけましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願い致します。
シアトルのかたすみで細ボソと続けている絵日記を読みに来てくださって、ありがとう。嬉しいです。

いえ、シアトル地方、雪は降ってません。快晴で寒い年末年始でした(やっと、冬らしい気温になりました)。

この写真は11月の末に降った、いまのところこの冬最初で最後の雪。

大晦日は、友人宅にお招きをいただき、ごちそうを食べながら紅白を鑑賞!という、ジャパンなニューイヤーでございました。

聖子ちゃんや明菜やサザン、タモリに黒柳徹子って、いったい今は何年だ?みたいな出演者と、おばちゃんには謎な新しいニッポンのワカモノたちが入り乱れたショウを、楽しく鑑賞させていただきました。

紅白のあとは、武闘家じゃない舞踏家の薫氏にご案内いただいた、聖公会(エピスコパル)のSt. Mark's Cathedral(聖マークス大聖堂)の、大晦日の「ラビリンスウォーク」へ。

巨大なキャラメルのような箱型の聖堂の中に、4本の巨大な柱が立っていて、正面には薔薇窓、入り口の上には大きなパイプオルガン。この聖堂はごくシンプルなデザインで、アールデコ的ともいっていいようなシンメトリカルな造形が強調されていて、ステンドグラスも絵はなく、四角いパターンだけで構成されてます。

大きな薔薇窓も、その手前にしつらえられている巨大中扉も、高い天井から下がっているシャンデリアさえも、すべてモダニズム的な、装飾を廃したクリーンな印象。
でも大聖堂だけにとにかく巨大でドラマチック。

 その空間の中央に、キャンバスに描かれた「ラビリンス」が広げられています。

両側には木の椅子が並び、古風なロウソクがいくつも灯され、男性2人の歌う古い聖歌が美しく響くなか、人びとは靴を脱いで、キャンバスに描かれたラビリンスをそれぞれのペースでゆっくりと辿ります。

 入り口で(礼拝の献金のかわりに、ご寄付1名5ドル)頂いた説明書によると。「ラビリンスは迷路(maze)ではありません」とあります。しかし日本語ではどちらも「迷路」なんですよね。「迷宮」も違うと思うし。(ラビリンス、迷宮。というとデビッド・ボウイの顔が出てくる)

"The labyrinth is an ancient tool for comtemplation and prayer.....The labyrinth is not a maze. There is one path into the center, and the same path out. Walking that physical path through the winding circuits makes tangible our spiritual and psychological pilgrimage in three stages: the journey in, the arrival, and the return. These stages are often compared to the traditional three stages described in mystical literature: Purgation, Illumination, and Union." 

「ラビリンスは瞑想と祈りのための、古代から伝わる道具です。…1つの小径が中央に続き、同じ小径が外へと続いています。実体のある小径を円に沿ってたどっていくという行為は、わたしたちの精神的な、そして心理的な巡礼の道すじに、形を与えます。この巡礼の旅には、旅路に分け入り、到達し、帰還する、という3つの段階があります。この3つの段階は、神秘主義的文献に古くから記録されている浄化、明知、和合、という3つの段階としばしば比較されています」。

なんだかとても度量の広い教会だなあ。と、この説明を読んでも感じます。聖公会がキリスト教会の中ではいろいろな面で「ゆるすぎる」と他の教派から思われているらしい、というのも、なんとなく分かる気がしました。でもわたしは、すごく好き。

聖堂の中で、同じように巡礼する人びととすれ違いながら小径をたどる。それだけのシンプルさ。あとはすべて、それぞれの個人に委ねられています。

真夜中、ラビリンスの真ん中に台がおかれて、聖餐式が行われました。

外から花火の音が響いて来るなか、巨大聖堂に集まった人びとはとても静かな祈りのときを共有していました。

私は聖公会の信徒ではないのですが、さまざまな態度を許容してくれそうな懐の深さ、様式と形に対する感覚、祈りの形のシンプルさに、なんともいえない居心地の良さを感じました。

静かな良い新年を迎えることができました。




さて元日。今年はおせちもなにも作る予定はなかったんですが、大晦日に髪を切りに行って美容師さんとおせちの話をしていたら、せめてお雑煮は作ろうかな、という気に急になって、激混みの宇和島屋へGO。

水菜と鶏肉、里芋の簡単お雑煮だけ作って、いただきました。柚子がないのでレモンで代用。
お餅がぐでっとのびた無残な写真なので、ちっちゃくアップ。いちおう証拠写真てことで。

今年はさらに手抜きをしてクックパッドで見た、鶏肉に味付けをして鰹と昆布だけのお出しに入れるのにしてみたんですが、やっぱりいまいちだった。ウチのは鶏皮ともも肉で出汁をとってストックにしたのに、食べる前に鰹節でもう一度出汁を取る。これがお正月の味として刷り込まれている。

たぶん皆さんそうだと思うけど、お雑煮は母から教わったのが一番ですね。

元日はおぞうにつくって食べて、本読んで、だらだら過ごしました。

大晦日に東海岸のエージェントさんから「今日中にお願い!450ワード」という鬼メールが入っていたんですが、すいません今日は1日出かけてて無理です、とお断りしたので、元日の夜はおもむろにそのお仕事…。これが初仕事…、とほほ。いえいえいえいえ、ありがたいことです。

今年も皆様、どうぞ健康で充実した良い1年になりますように。


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