先日、開催中のSIFF(シアトル国際映画祭)で『海街diary』を観てきました。英語タイトルは『Our Little Sister』。この英語タイトルは、なんとなく「Little Women (若草物語)」みたいですね。あれも四人姉妹の話だ。意識したのかな。
是枝裕和監督、原作は吉田秋生さん。
見に行った劇場は場Lower Queen Anne の
Cinema Uptown。
開演45分前に着いたら、もう長い列ができてました。満員札止めでした。もっと大きな劇場でやればよかったのに。
もうすぐアメリカ各地の映画館で公開されるようですよ。
おすすめです!観てね!
ただし、観に行かれる方に重要な情報をお知らせします。
飯テロ注意。
くれぐれも、空腹を抱えて見に行かないように。
わたしとCTちゃんは午後6時開始の回にご飯を食べずに行くという大失態をおかしてしまい、大変に辛い思いをしました。
釜揚げしらす丼。カリカリの鯵フライ。ホームメイド梅酒。ちくわ入りカレー。などが次々に襲ってきます。特に、鯵フライがとても辛かった(涙)。
映画館を出てすぐに、CTちゃんと目を見合わせ、即決で同じブロックにあった日本料理屋さん「OBASAN」(この名前は本当にどうかと思う)へ駆け込み、梅酒と枝豆と揚げだし豆腐と塩サバ定食をオーダーしました。塩サバには大根おろしがついていてほしかったけど、そしてご飯は仏壇に備えるみたいな盛り付けだったけど、この際もう文句は申しません。ほっと一息でした。
『海街Diary』は超大好きなマンガです。まだ4巻までしか読んでないけど、もう7巻まで出てるのか!
いつも鼻水流して泣きながら読むので、映画でも相当泣くのではと思ったけど、それほどでもなかった。泣いたのは3回くらいでした。充分か。
是枝監督にしてはとっても直球な映画だったと思います。ハードボイルドなCTちゃんは少し不満そうでした。
とかいいながら、是枝監督の映画はこれまで、『誰も知らない』と『歩いても歩いても』しか観てないのですが。
この3つの映画に出てくるお母さんたち3人には共通点があります。
それは、
何かとてつもなく大切なことから逃げていて、それがあたかもなかったかのように振る舞っている。ということ。
この3作品の中で私が一番好きなのは、『歩いても歩いても』。
海で溺れかけていた子どもを助けようとして自分が溺れるという悲惨な海の事故で自慢の息子を失ったあと、その助けられた子どもだった青年を毎年息子の命日に呼びつける母が、樹木希林。
部屋に入ってきたちょうちょを息子だと言いはって追いかける母親の顔がすごかった。
死んだ兄に比べて出来の悪い弟、浮気をしていた父、固く閉じたまま表むきだけ社交上手な母、打算的な妹。誰もが心を開くことも信頼しあうことも寄りかかることもなく、永遠にすれ違う家族の映画でした。
『海街Diary』の姉妹たちは、それとは対照的にまっすぐ互いにも自分にも向き合い、真剣に心を開いて互いを思いやっています。
イメージもキャラクターも、ほとんど原作そのままだったことがむしろ驚きでした。
マンガを実写でとなるとあれこれイメージと違ってがっくりすることが多いのに、この映画は原作の重要なエッセンスをそのまま、きれいな映像にしてくれてます。
アジフライと釜揚げしらすつきで(涙)。
四人姉妹が住んでいる鎌倉の古い家!庭に梅の木があり、風呂場にカマドウマが出る、瓦屋根の家。これも原作のイメージそのまんまでした。
広瀬すずちゃん、末っ子の「すず」のキャラクターにはこれ以上ない適役だと思う。ただし、この映画の設定の14歳の「すず」役にはちょーっと大人っぽすぎて、中学の教室のシーンなどではカイツブリの中の白鳥みたいに目立ってしまうのが少しだけ居心地悪かった。(風太くんとのツーショットは、シャム猫とハリネズミみたいだった)
実際に広瀬すずちゃんがいくつだったのか知りませんが。
あまりにも綺麗な顔で眼ヂカラが強力すぎるため、一瞬でも画面に出てくると視線が吸い寄せられてしまう。半分くらいは広瀬すず映画になってたような。
これまではぽよよーんとした感じのお嬢さんキャラだと思ってた綾瀬はるかが、しっかりものの長女「シャチ姉」をキリッと演じてて、これもびっくり。
次女も三女も良かったけど、なにより「大船のおばさん」役でセリフも出番もちょっとだけの樹木希林の存在感がすごかった!
小津安二郎映画の常連で、いつも遠慮のない口をきく江戸っ子のおばさん役の杉村春子を思い出しました。
あと、お母さん役の大竹しのぶ!えっこれ本当に大竹しのぶ?と途中で不安になってしまうくらい、このお母さんになりきってた。誰これ見たことないこの人、みたいな。
以下ネタバレます。
『海街diary』は、喪失をめぐる物語。そして明るい家族の話。
鎌倉の古い家に住んでいる20代の三姉妹。
小さなときに父が愛人を作って家族を捨て、数年後には今度は母が再婚するために子どもたちを自分の母(子どもたちの祖母)に託していなくなってしまう。さらに最近、祖母も亡くなった後は、3人だけでケンカしながらも仲良く暮らしている。
崩壊した家庭の、父も母も去った家で、それでもサザエさんのように明るく楽しく元気に家族を続けている姉妹です。
この姉妹が長らく音信不通だった父の葬式のために、岩手の山奥の温泉旅館に行くところから話が始まります。
駅に迎えに来た女子中学生すずは、3人の腹違いの妹。実母が病気で亡くなった後、父(三姉妹と同じ父)がまた再婚して、この温泉宿にやってきたばかり。父が病気で亡くなった後、血の繋がらない継母と残されてしまった、心細い身の上。
父の三番目の妻が葬式で泣き崩れているのを見て、この姉妹は「あの人、うちのお母さんに似てる」と評します。泣いているだけで周りに頼りきりの姿勢が。
自分は動揺しすぎていて喪主としての挨拶ができないと言って、中学生のすずに喪主の役を振ろうとするその妻に、長女はビシっと
「それはいけません。これは大人の役割です」
と言います。すずは驚いたようにその顔を見ます。これまでそんなことを言う大人が周りにいなかったということ。
看護師をしている長女は、「きっとあの奥さんは自分が辛いからといって病室にもロクに行かなかったに違いない」と見抜き、すずに「あなたがお父さんと一緒にずっといてくれたのね、ありがとう」とねぎらいます。
このシーンを最初にマンガで読んで、私は泣きながら、あー悔しい、と思いました。
大人ってこういう人なんだ。私は年ばかり取ってもこれほどきっぱり子どもを守れるような筋の通った大人になれてないよ全然、と。
年を取ったら誰でも自動的に大人になれるものではないですね。
大人というのは「引き受ける人、向き合う人」なのだと思います。
失ったものに正面から向き合い、恐れずにその形を記憶しておく人。
誰かのために何かの役割を引き受けることを(自分のために喜んで)選ぶ人。
そしてそのようなへこんだり大切なものを失くしたりした経験を持つからこそ、深い共感を持って人の気持ちを思いやることができる人。
この話に出てくるお母さんもお父さんも、たぶん自分の失ったものと向き合うことから逃げていて、そのためにどこか大人になりきれていない人。
いますね、そういう人。ていうか身に覚えがありすぎて痛い。
中学生のすずは出来過ぎなほど大人びた子どもで、だけど子どもだからやはり伸びきったゴムのように限界が来ている。3人の姉を持って、家族として暮らし始めて、それがほぐれてゆく。
『海街diary』は話の冒頭からすでに父と母を失くしている上に、まだまだ喪失だらけのおはなしです。
長女は既婚者と辛い恋をしていて、次女もわけありの彼氏と別れたばかり。
子どものときから馴染みの(アジフライがうまい)食堂のおばさんはガンで亡くなっていく。映画にもたくさんの別れが描かれてます。
原作では、すずが入団するサッカーチームのエースの男の子が病気で足を切断しなければならなくなる話と、すずの初失恋の話が前半の重要なストーリー。
まったく理不尽に奪われていくもの、かなわない思い、うまくいかないこと、その他いろいろななくなってしまうものに主人公たちが向き合い、落ち込んで、また次の日に美味しいものやおかしなことを見つけて、大事な人たちと分け合って、とりあえず前を見て元気に過ごしていくという話です。
こんな風にまっすぐに、余計なことに足をとられずに、周りの優しさをきちんと感じながら生活していきたいものだよ。
それから、この映画を見るとたぶんもれなく鎌倉に行きたくなること間違いなしです。
来週から日本に一時帰国です! 逗子に行く予定はできたのだけど、鎌倉には行けるかしら。行きたい、いやぜひ行かねばー。そして5巻以降も買ってこなくちゃ。