2016/03/18

ギフトショップ化が進行中


あっと言う間に3月なかばです。今学期もあとペーパー1つでなんとか終わりー。

今回はオンラインで「Theories In the Studies of Religion」という講座をとってました。最後まで講座の名前が覚えられなかった。ダメすぎる。いろんな人が19世紀以降現在まで宗教についていろいろ考えたことをざっと学ぶという、そういう講座でした。大変面白かったけど大変疲れました。

毎週のペーパーを書こうとしているときの有様は、このような、画像検索で「乱雑 混乱 テーブル」と入れたら出てきそうな状況。頭のなかもだいたいこんなです(そして真ん中にチョコレート)。

このダンスクの青いライン入りカップ&ソーサーと、ポルトガル製のやわらかい陶器で目つきの悪い鳥が描かれてる三日月形オードブル皿はGoodwillの獲物。

友人のCTちゃんがあそびにきたときに自慢したら
「tomozoの部屋、だんだん土産もの屋さんみたくなってきてるよ知ってると思うけど」と冷たく言われてしまいました。

ぎくぅーーーーー。

CTちゃんは私がじかに知っている人間の中で、たぶん一番のミニマリストです。

彼女のおうちのリビングもキッチンも、まるで禅寺のよう。
クロゼットを見せてもらったら、10枚か15枚くらいの色のトーンが揃った洋服が、美しくかかっていた。これだけか!

家具屋さんのカタログ以外であれほどスキマのあるクロゼットを私は見たことがありません。シーズンが終わるとヘビーローテションで着ていた服もいさぎよく処分しちゃう、捨てる名人。

気に入ったものだけをギリギリ必要な数だけしか置かないという生活が絵にかいたモチやグラビア写真用のセッティングだけではなくて、リアルに可能なのだということを、私は彼女から学んだのでした。

そんな厳しい美意識をもつCTちゃんが、何を間違ったかこんなガラクタを溜めこむ習性のあるゆるゆるな性格の私と、よく7年間も我慢して住んでくれたものだ。さぞ辛かったことでありましょう。

断捨離という言葉が発明されるずっと前から断捨離な暮らしを実践しているCTちゃん。

その昔ホノルルにいたころパートで働いていた某社で、会社宛に来ていたクリスマスカードをクリスマスの翌日に全部捨てたという伝説の持ち主でもあります。もちろん、12月26日にCT家にクリスマスツリーはありません。

うちの亡くなった母はその真逆でした。

とにかくモノが捨てられず、家中にモノがあふれかえって収拾がつかなくなっていた中で私は育ったので、CT家に同居するようになって、モノが積み上がっていない空間で暮らすという感覚、家の中に置くもののすべてをコントロール下に置くという感覚が、数年かけてじわじわと日常生活の中にしみとおっていったのだと思う。

そして7年後には、水回りが汚れていたり、デスクやテーブルの上にモノがありすぎるのが気になって気になってつい拭いてしまうまでに。

人は変わるものだ!

慣れってすごい。

もしかして、自分の性格だと思っている考え方や癖って、習慣が90%くらいなのかもしれないですよ。

しかし、CT家を去りこのアパートに入居して2年半。だんだんとカオスが再び忍び寄っている予感。

とくにこの非常時にも食べることのできない植物たちが増える一方で、日当たりの良いダイニングテーブルは半分占拠されてしまってます。どうするんだ〜。


去年のクリスマスに息子ガールフレンドからコーヒーいれるやつ(ケメックス)をもらって愛用中。
ほかの器は流しに出しっぱなしなのにこれだけはいつも使ったらきれいにゆすいで干してある。息子よ…。

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2016/03/06

Kehinde Wiley: A New Republic  


またもや先月の話になってしまいましたが、2月にシアトル美術館で始まったKehinde Wiley: New Republic を初日に見てきました。オープニングナイトで、本人の姿もありました。

まだ弱冠38歳のKehinde画伯。西海岸での大規模な展覧会はこのシアトルだけだそうですよ。お見逃しなく。


彼の作品は、むかしの巨匠たちの絵を下敷きに、通りで声をかけてつかまえた無名のアフリカン・アメリカンの人びとを主人公として描いたもの。最近ではアフリカやアジア、中南米など世界各地の人びとをフィーチャーしたシリーズを展開してます。

この代表作は、19世紀の新古典主義の巨匠、ダヴィッドが描いた有名なナポレオンの肖像を下敷きにしたもの。

これですね。
近づいてよくみると、壁紙みたいな背景にうようよと精子らしきものが泳いでいるのも面白い。元にした絵はマチズモ丸出しの19世紀絵画ですが、英雄をブラックアメリカンの男性に演じさせ、単にヒーローを置き換えているだけじゃなく、マチズモな構図そのものをちょっと笑える仕掛けをいれて客観的に描いている。
でも描かれた対象から離れすぎてもいないので、やっぱりかっこ良さは熱いのです。


無名な人ばかりでなくて、こんな有名人もモデルになってます。
マイケル本人から肖像画の依頼があったようですが、生きている間には完成しなかったらしい。
これは『Equestrian Portrait of King Philip II』(騎乗のフェリペ二世)というタイトル。元絵はルーベンスのこれです。


世界を制服した西洋の白い人たちが何世紀かをかけて作り上げた美術世界を、ただパロディとして扱うのではなく、そのきめ細かく華麗な美の世界を理解し嘆賞しながら、そこに21世紀のいまを生きる肌の黒い人びと、数世紀をかけて搾取されてきた人びとの子孫であり、いまもその負の遺産をいろいろな形で受け継いでいるリアルな人びとをあてはめてみる、というのが彼の作品です。

Kehinde画伯はインタビューで、10代の時に美術館でみたヨーロッパ絵画の美しさに心酔したと語っていました。彼の作品には、ヨーロッパの巨匠たちの美の世界への心からの賛辞と、その背景にあった社会と文化へのストレートな問いかけが共存しています。単なるパロディでもなく、単なるプロパガンダでもなく、単なる追従でもない。


いずれも元の作品の写真を展示してほしかった気もするけど、でも作品そのものの迫力を感じるには、余計な情報は無いほうが良いのかもしれません。元絵の情報がそばにあると、どうしてもパロディに見えてしまうのかもしれない。


これは、東方正教会のイコンに感銘を受けて作ったシリーズ。イコンの聖人が、ストリートの若者たちに置き換えられています。


ステンドグラスのシリーズ。
彼の作品をキッチュだとかキャンプだとかと批判する人もあるようで、そしてこのような宗教画の置き換えには特に我慢のならないという人びとも一定数間違いなくいるのだろうと思います。

たしかに、既存の美術の枠組みからは逸脱しているのかもしれない。でもとても真摯な作品であることは間違いないと感じました。美術に対しても、描かれる対象に対しても。

これは世界各地の人びとを主人公に制作している近作「ワールド・シリーズ」のひとつ。このディテールがわたくしはツボでした。魚がー。


素敵なマダムがフレームに入ってくださったのでそのままパチリ。
ほかの特別展と違い「Please take pictures」と、入り口に記されています。どんどん写真を撮って、どんどん拡散してくださいという姿勢。


エリカ・バドゥ的な女性胸像は、巨大な髪でつながっています。
女性たちの肖像は、とても強く、ミステリアス。


人物が装飾的な植物のパターンに溶け込んでいるところがすごく好き。


ミュージアムのブックストア。
奥の壁に再現されているブラックパンサーのジャケットを着た若者の絵は、シアトル美術館の誇る収蔵品です。

会期は5月8日まで。

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2016/02/28

Oscar Night


本日はオスカー・ナイトでした。

こないだブログに書いた『The Revenant』でイニャリトゥ監督が監督賞、そしてようやくディカプリオさん、念願の主演男優賞が獲得できて、ほんとによかった。

できることなら作品賞も、トム・ハーディに助演賞もとってもらいたかったけど、ひとまずよかった良かった。

これでこの映画を見てくれる人が増えると思うと嬉しいです。できるだけ大画面で見てねー。

授賞式パフォーマンスでは、レディ・ガガがカッコ良かったですね〜。顔がパンパンだったけど。


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Fat'sのチキン&ワッフル


シアトルの「フッド」、セントラル・ディストリクトに去年オープンしたFat's Chicken & Waffles
(このセントラルディストリクトのことを知らなくて偶然「発見」した時のびっくり体験についてはいぜん書きました)

ここは長年愛されたソウルフードの名物店「Catfish Corner」があった場所(Catfish Cornerは一旦閉店したあと、名物店主夫婦の孫がサウスシアトルで再開したそうです)。

ブラックネイバーフッドの真ん中、しかも20年以上も近所のランドマークだった名物店のあとに南部風料理のお店を出すというのは、相当のガッツが必要なはず。

ここのオーナーはバラードとキャピトル・ヒルのハンバーガー店、Lil' Woodysのオーナーでもあります。この人はほかにも洋服のブランドやいろいろ経営しているシアトルの面白いアントレプレナー。(会ったことはないですが、うちの息子がしばらくLil' Woodyでバイトしてたのでお噂はかねがね聞いてます)。


そしてここの家具は、シアトル在住の若い家具作家、Nick Yoshiharaくんに特注したもの。なんでこんな細かい内幕を知っているかというと、実はうちの息子がここの開店前にNickくんにまとめて発注された家具作りを見習いとして手伝っていたからなのです。

息子はいま大学で産業デザインの勉強中なんですが、家具作りも勉強してみたかったみたいで、紙ヤスリかけたり、カッティングを手伝ったり、重労働ながらも楽しかったようです。



日系のNickくんの家具はミッドセンチュリーモダン風。
明るい店内によく映えてました。


働いているスタッフは100%ブラックですが、来ているお客さんはこんな感じ。新しくシアトルに流入してる、ハイテク企業勤務の20代から30代の頭良さそうでファッショナブルなプロフェッショナルたちが大半で、その中に近所のブラックコミュニティのお客さんもちらほら。
行ったのは日曜の午後だったので、教会帰りらしい黒人のお父さんとお母さんもいました。

地価がバカスカ上昇しているシアトルですから、この地域にもじわじわと「ジェントリフィケーション」が進み、カルチャーが変わって来ているという危惧も最近よく聞かれます。

地域の家賃や家の価格が高くなりすぎて長年住んでいた人びとが出ていかなければならないという現象はたしかにこの辺にも進んでいるようです。

このお店はそんな新旧のミックスの象徴みたい。ここのオーナーはその辺をすごく理解してて、使命感みたいな自負を感じているんだろうなと思いました。



コーヒーはキャピトル・ヒルのロースター、Caffe Vita の豆です。

食材もインテリアも可能な限り地元で調達、というのがオーナーさんのポリシー。
地産地消というのも結局スノッブな自己満足にすぎないなんて批判もあるけど、私は一つでも小さくても結果が作れて損をする人がいないなら、そっちのほうがいいと思う。



肝心のチキン&ワッフル。美味しゅうございました。ワッフルはもっと厚いほうが好みだけど。フライドチキンはとってもジューシーでした。


トイレの壁には以前この場所にあった店の巨大な看板が飾ってあって泣かせます。この場所にあったキャットフィッシュ・コーナーには行く機会がありませんでしたが、新しいお店にはぜひ行ってみたい。

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2016/02/20

タコマで西部


先月、Tacoma Art Museum に行ってきました。
通称「TAM」。
SAM(シアトル美術館)よりさらにこぢんまりしたミュージアムですが、浮世絵の収蔵品なども充実してます。
以前も浮世絵とノーマン・ロックウェルを見に行ったりしたのでした。懐かしいー。
うわー、もう5年前?? あのときはまだ息子も高校生だった。

現在は、ほかの展示室が準備中で、数年前にまとめて寄付されたプライベートコレクションの「Western American Art」というのをやっていました。


ドイツのスーパーマケットかなにかの実業家でタコマにゆかりの深い夫妻が寄付したコレクションで、アメリカ西部をテーマにしたいろいろな時代の絵画や彫刻。

いかにもウェスタンな、西部劇みたいなテーマのものから、新しい世代のネイティブ部族出身のアーティストの作品まで。

シアトル周辺のノースウェスト地方は、西部劇に出てくる「西部」とは全然関係ない感じなのですが、ここは、西部劇の西部の、さらに西の果て。「中西部」じゃなくて「極西部」ともいうべきか。19世紀はじめの白人たちにとっては、まさに「極西」の未知なフロンティア、辺境でした。

カウボーイたちと「インディアン」が走り回った中西部の大草原とは、文化的にも何気なく細い糸でつながっている、でも明らかに違う、たとえていえば日本と韓国くらいの文化的距離な気がします。



数年前にサウスダコタ州までのロードトリップをしてみて、この中西部とノースウェストの距離が実感できた気がしました。カルチャー的にも、実際の距離も。

それこそ『The Revenant』 の舞台であった中西部です。
ここ(ノースウェスト)からいうと、「山の向こうのだだっ広い国」。


展示数は少ないけれど、「西部」のいろんな要素が一度に見られる、なかなか面白い展覧会でした。

このクマ親子の絵はHerbert Dantonさんというメイン州出身のアメリカ人画家の作品。1930年のもので、アール・ヌーヴォー的な、優雅なヨーロッパ風な感じが、ほかの「西部もの」とは少し違ってます。

また『The Revenant』の恐ろしいママベアを思い出してしまいますねー(涙)。

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2016/02/17

うちわとケーブルテレビ


うちわを買ってケーブルを解約しました。

うちではテレビってほとんど見ないのに、ケーブルテレビとインターネット接続で月額140ドルも払ってました。

ずっと腑に落ちない気分だったのですが、この間ようやく重い腰をあげてComcast(ケーブル会社)に電話して「インターネットだけのプランてないの?」と聞いてみた。

(ウェブサイトにはもちろん載せていないのです。)

そしたら明るいお兄ちゃんが(インド人ではなかったようです)「あるよー。70ドルだよ」と。

なにー。
安いじゃん!! 

2年半前に契約したときには、確かに、この速度(50Mbps)ではケーブルテレビとのセットのほうが安かったはずなのだけど。その時はなにかスペシャルで、半年間くらいの抱き合わせパッケージ特別価格をオファーされていたからそっちのほうが安かったのでしょうね。

150Mbpsというもっと高速なのもあるけど、そちらはインターネットだけで160ドルくらいになるので見送り、速攻、ケーブルテレビは解約。
こんなことなら1年前に電話しておけばよかったーー。年間900ドル以上の節約になったのにーー。

数年前、解約しようとしたら何十分も粘られる恐怖のカスタマーサービス対応がネットで晒されて大炎上したコムキャストでしたが、全社あげてカスタマーサービスのオーバーホールがあったものか、電話のお兄ちゃんはとってもサクサク対応でした。

ちょっと遠慮がちに「電話のセットもあるけど…」と売り込みはかけてきたものの、「サンキュー、でも興味ない」というと「あっそう、オッケー」とあっさり引き下がってくれました。

うちわみたいなのは室内用のデジタルアンテナです。これで「地デジ」のチャンネル25こくらいは全部見られるので、シーホークスの試合も日曜日のDownton Abbey 最終シーズンもばっちり美しいHDで見られてノープロブレム。スペイン語チャンネルもありますよー。

しかしこれだけテックワーカーが多い街のくせに、シアトルのこのネット状況の立ち遅れはどうにかしてほしいものです。ていうか、全米どこでもケーブル会社の寡占のおかげで高速化が進んでないようですよ。コムキャストめ!

近くにCentury Linkというインターネット屋さんのデータセンターがあるので、もしかしてComcastより安いプランがあるかも、と調べてみたら、個人契約のでは7Mbpsしかなかった。ダイヤルアップか〜〜〜(涙!!

光ケーブルは郊外の街にはちらほら導入されているのだけど、この辺にはまだ当分やってきそうもありません。ほんとにチョイスが少ないです。

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2016/02/16

The Revenant レヴェナント 蘇えりし者



長い長いお葬式を見た気がする。

『The Revenant』(『レヴェナント 蘇えりし者』)を観てきました。

すぅーーーーーーごくよかったです。映画館でこんなに泣いたの何年ぶりってくらい鼻水出して泣きました。そしてこういう時に限ってハンカチを忘れる。

しかし一緒に見にいったアメリカ中年M太郎は、「長すぎ」「あと30分短くてよかった」「所々たいくつした」と文句を言っていた。

たしかに、2時間36分の映画なんだけど3時間半くらいある気がする
そしていろいろな意味で見るのが辛い映画です。

正直いうと、最初の3分間ですぐに家に帰りたくなった。映画を見ながら、間違った所に来てしまったような嫌な感覚に襲われました。

そしてたしかに、グロいです。正視できない箇所がたくさんあった。

以下、盛大にネタバレですので、まだ観ていない方はどうぞ今すぐ観に行ってきてください。



Revenantという単語は知りませんでした。
戻ってくる人」そして「亡霊」という意味だそうです。「蘇りし者」というのは、重箱の隅をつつくようだけど、若干違う。亡霊は元の人の蘇った形ではないですね。同じ顔をしているのだけど、徹底的に中身が変わってしまっているのです。

舞台は19世紀前半のアメリカ西部。ルイジアナ買収で増えたばかりの国土。

その100年くらい前から入り込んでいたフランスの毛皮商人やさまざまなネイティブの部族の中にアメリカ人がとことこ入り込んで、「さてこの場所をどうしたものか」と考え始めていた、そういう時代のそういう土地。

ローラ・インガルスのお父さんたちみたいな入植者が幌馬車でやって来るよりも、数十年だけ前。草原にはまだバッファローと狼が、森にはクマが、空にはリョコウバトがわんさといて、白人たちは無数の動物の毛皮をネイティブから買いに来ていた時代。

ディカプリオ演じるヒュー・グラスは、そういう土地でアメリカ人の一群に雇われて毛皮貿易のガイドをしている。この一行は陸軍の制服を着た「キャプテン」に率いられているから、この毛皮交易は合衆国政府の事業なのらしい。

彼が連れている高校生くらいの年頃の黒髪の男の子は息子で、お母さんはネイティブの女性だったことがわかる。幸せな家庭だったのに、部族の村は白人の軍隊に焼かれ、妻ももう一人の息子も軍隊に殺されたのだということが、途切れ途切れに挿入される断片でわかる。
連れている息子も、その時のやけどを顔に負っている。

アメリカ人の一行と共に行動しながら、グラスと息子はひそひそと、部族の言葉で語り合う。
「生き延びたいなら、目立つんじゃない」と、彼は息子に言ってきかせる。

いつ敵意をむきだしにするかもしれない白人たちの中で、影のように息をひそめて生きろと教える。

同行しているアメリカ人の中にはネイティブ部族に以前、頭の皮を剥がれた男もいて、その混血の息子を憎んでいる。

人のいない、どこまでも広大な、レンジャーのいない無限の国立公園のような世界だった土地。現在のいわゆるアメリカ中西部。
4年ほど前に私が息子とクルマで旅行した、あのあたり。

この森は怖い。人間にフレンドリーな世界ではない。
いつ、なにがどこから襲ってくるかわからない。急に矢が飛んでくるかもしれないし、ケモノが襲ってくるかもしれない。

映画の冒頭からそんな緊張感がみっしり。

そして当然、矢が飛んでくる。アメリカ人一行はネイティブ部族の襲撃を受ける。川船を捨て、陸路を取ることにしたあと、主人公のグラスは森で巨大クマに襲われて重傷を負う。
かわいい2頭の子熊を守ろうとしたママベアーが、突進してくる。

この母クマとの戦いが、また長くて、苦しい。痛い。撃たれても刺されても、クマはなかなか死なない。何度も何度も戻ってきて、グラスを組み伏し、殺そうとする。
背中を裂き、喉に穴をあけ、死んだふりをする彼の顔に息をふきかけて匂いを嗅ぐ。

死闘の末にクマにとどめをさして、クマと折り重なって倒れている瀕死のグラスを発見した一行は、クマに襲われた傷を応急に縫い合わせて(これがまた痛そう)、彼をかついで基地へ向かおうとする。でもあまりに山道が険しくて担ぎきれず、一行を率いている「キャプテン」は、これまで一行に貢献してくれた彼が死にかかっているのを置いていくこともできず、とどめをさして葬ろうとするもののそれもできず、彼とあとに残る有志をつのる。

グラスの息子ホークと、ホークと同じくらいの年の白人少年と、もう一人、混血の息子のこともその父のグラスのこともよからず思っていた男フィツジェラルドがあとに残ると申し出る。助けを待つというより、グラスが死ぬのを待ち、立派に葬ってやるために。

でもそれを待ちきれないフィツジェラルドは、身動きのとれないグラスを窒息させて殺そうとする。それを見た息子ホークがパニックになったために、フィツジェラルドはホークをナイフで刺して殺す。
その一部始終を、担架に寝たままのグラスは見届けなければならない。
さらにフィツジェラルドはもう一人の少年に、危険な部族の斥候が来たからこいつを置いてすぐに逃げなければと騙して、瀕死のグラスを掘りたての墓穴に放り込んで逃げてしまう。

グラスはその墓穴から「蘇り」、枯れ草やその辺に死んでいる動物の骨などを食べながらも、生き延びる。荒野と険しい雪山と急流を乗り越えて、息子を殺した男を追う。

グラスはどんな目に遭っても、死なない。
自分の娘をさらっていったフランス人の毛皮商人を追っているネイティブ部族の酋長たちに2度も遭遇して矢や銃を射かけられ、1度目は急流に落ち、2度目は崖から馬ごと落ちても、死なない。
さすがに崖から馬ごと落ちたのにグラスは樹にひっかかって死ななかったときには(馬は即死)、劇場内で近くの席からぷっと笑う声が聞こえた。まじでか?みたいな。私もその気持ちはわかる。

だけど彼は死ぬことができないのだ。愛した家族を一人残らず、何の理由もなく殺された彼は、ただただ広大な雪の荒野をひたすら歩き、息子を殺した男のあとを追う。

深い森、雪の野原、山々、凍った滝、薄青い急流、広い広い空、その中にぽつんとある人間。風景が、とにかく素晴らしい。

音楽は坂本龍一だって知らなかった。とても控えめで、素朴だけど陰鬱な緊張感のある、部族的な響きのある音楽でした。

ほとんど前知識なしに見たので、この映画の監督が誰だかも知りませんでした。でも見ながら、これは白人の監督が撮った映画ではないだろうなと思った。

『バベル』や『Biutiful(ビューティフル)』『バードマン』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督だったというのを知って、すごく納得した。

『Biutiful』もすごく好きな映画。登場人物に言葉では語らせない(語りきれない)たくさんの情報や感情を、とても静かな映像に繊細に描き込む方法が、この映画にも共通している。
Biutiful』もたしか前にブログに書きましたが、錆びた包丁で胸をえぐられるような辛い映画で、でも最後の場面の明るい抜け感が途方もなく好きです。あの映画の最後の父との邂逅場面の、寂しく明るい静かな手触りは、なにか質感のあるものとして、ずっしり体に残った。いろいろな場面に、それと同じ質感を感じました。

ひとつひとつのシーンが、とても象徴的。でもそれをひとつひとつ言葉で説明しようとするととても陳腐になる。

圧倒されるような冷たい美しい画面の中に、物語の壮大な背景が丹念に描かれています。

たとえば、飢えたグラスの目の前に現れる、バッファローと狼の群れ。

狼の獲物であったバッファローの生肉をむさぼる、ネイティブの男。

その男とグラスが打ち解け、無邪気に笑いながら風に舞う雪を食べるシーン。

弱りきったグラスを癒すために、この男は小さな小屋をこしらえて、焼いた石であたため、即席サウナのようなものを作る。その中で生死をさまよいながら、グラスは廃墟になった教会の夢を見る。

屋根が落ち、ひとつの壁だけになった南米風の教会。
そこでグラスは息子と再会する。

この場面は本当に、静かで荘厳でみっしりと美しくてあまりにも悲しくて、一生忘れられないと思います。鼻水出して泣きました。

そして、夢から覚め、生気を取り戻してグラスが簡易サウナテントから出て行くと、この癒しの家を用意してくれた男は、通りがかりのどこかの白人の慰みものとして殺され、枝に吊るされている。

映画の最後、ついにフィッツジェラルドを追い詰めたグラスは、とどめを刺さず、深手を負ったフィッツジェラルドを川に流す。ひょーっと流れていった川下に待っていたネイティブの一群が、代わりに彼を殺す。

彼が求めていたのは復讐ではなく、正義。

最後に、グラスはまっすぐに観客を見据える。

この話は、本当にクマと戦って瀕死の重傷を負い、山中にほったらかしにされて何マイルも雪山を歩き生還した人の史実をもとにしているそうですが、イニャリトゥ監督は、それを、この国の、今でもあまり正視されていない(忘れたふりをされている)原罪の話として、描いています。

ほんとうのありふれた現実では、フィッツジェラルドのような人間は逃げおおせ、テキサスにわたってまたたくさんの人を殺してきたのです。
 あなたは、誰か。
そのような人ではないのか、そのような人の子孫ではないのか、あなたは負の遺産を受け継いではいないのか、あなたのいるその場所はほんとうにあなたのものなのか、と、最後にグラスの目が尋ねているように思える。

2度観たい映画ではない、あまりに辛くて。
でもひとつひとつの場面の手触りが、記憶に刻まれるような映画はそんなにないです。

ところでフィッツジェラルド役の俳優さん、トム・ハーディ。この人『マッドマックス』さんだって、誰かに言われるまで気づかなかった!こちらのほうがアカデミー主演級ではないでしょうかねぇ。


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