2017/02/25

見ると変わるのプロセス


バタバタすぎる2月がすぎてゆくー。もう本当に自分のすべての回転数を上げたい。

今週はちょっと腰をすえて学校の課題をなんて考えてたら、いろいろと細かな仕事や用事が降ってきて、わたわたわたわた。何もすすまーん! 流れにさからって泳いでるみたいな気分です。ていうか陸がますます遠くなっているのでは…みたいな。たぶん実力以上のことをやろうとしすぎているのね。

先週、お天気の良い日に散歩に出たらカッコいい雲が。
写真じゃよくわからないのだけど、下のほうにほのかにプリズムが映っていてキレイな彩雲でした。

雲とかトリとか、こんなちょっとしたものが、泳げなくて流される一方のわたしを癒してくれて嬉しい。しかもタダ。

ちょっと外に出るとびっくりするような豪華な世界が広がっている。
なんて世界はゴージャスなのかと思う。

だいたい自分の足で歩けるってすごい。

もともと大変に欲が深いので、足りないよ今すぐ欲しい、と思うものは数かぎりなくあるけれど。

今の5倍くらいなスピードで何もかもこなせるようになりたいとか。

年収があと3億円くらい必要とか、九州とハワイとアリゾナに家がほしいとか、年間200日くらい旅行したいとか。

さらに、自分のバカさや人としてのダメさに、心底イラっとしたりアタマをかきむしったりそのへんを走り回りたくなることも、けっこう毎日何度もあるけれど。

まあそれはそれとして、とりあえず今目の前に広がってるこれ、の充足感で即、わりと幸せな機嫌に切替えるのが簡単になったのが、私にとっては「ワーク」の効用のひとつです。

欲は減らないけど、考えてみたら、悩みというのは実際あんまりなくなった。

ダメなことに開き直るのではなくて、とりあえず、今ここ、だけに集中すると悩んでいる時間がなくなるのです。

ところでこの間、

<<「ワーク」は、あまりにも慣れすぎて自分自身に牡蠣殻のようにくっついてしまっている、だから自分自身と切り離せない一部と思ってしまっている、その思考パターンをこそぎ落とすための、とても役に立つツールです。>>

と書いたのは間違ってました。

正確にいうと「こそぎ落とすためのツール」ではなく、じっと見つめるだけで、気づくと勝手に離れていくのです。

あっこれはもう要らないものだ。と思った瞬間に、その考えがパラリと取れてしまう。
これは不思議で実に気持ち良い。

自分の考えに、「meet with understanding (理解を持って向き合う)」という言い方を、ワークショップでケイティはしてました。

そして放っておけばまたくっついてくるけれど、何度も繰り返しているうちにだんだんくっつく期間が短くなって、そのうちくっつく前に目ざとく見つけて、ハイハイまた来たね、いらっしゃい、と迎えることができるようになってきます。

自分が万全に機能しているなら何をくっつけていたっていいわけだけど、もし、その考えによって辛くなったり機嫌が悪くなったり、人にあたりちらしたくなったりするのであれば、

「それは本当に本当?」
「それが本当に真実だと言い切れる?」
「それがあると自分には何がおこる?」
「それがなければ自分はどんな人になるだろう?」

という質問を試してみると、きっとびっくりしますよ。保証します。

ケイティはこの「ワーク」のプロセスを、瞑想だと言ってました。

今まで慣れていた思考のパターンにじっくり向き合ってみるのは、たしかに瞑想といえるのかも。普通の瞑想とはちょっと違いますが、世の中が本当に後戻りできないほどに変わってしまうのは事実。


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