2012/09/22

シアトル5番街の Old & New


大西部旅行wの写真の整理にちょっと疲れてきたので、一回やすみ。

シアトルお散歩with iPhoneです。

このところ、寒くて暗かった7月の埋め合わせをするかのように、夏めいた爽やかな晴天の日が続いていました。

またしばらくオフィス仕事中です。週日はオフィスにこもりっきりで青空も窓から眺めるだけだけど、時間のある日は少し早めに出て、ダウンタウンのバス停3つ分くらい、ぷらぷら歩いて帰ります。

晴天の日、5th Avenueを Columbia から Pikeまで歩きました。

5番街は新旧とりまぜて個性的なビルの多い通りです。


5th Ave. の空き地。5th and Columbia Tower というビルが建つ予定。まだ本格的な工事は始まっていなくて、なんだかアートのインスタレーションみたいな色とりどりのテープがはためいてます。なんだろうこれ。飾りかな。


同じ区画にはクラシックな建物があって、なんなのか気になってました。グーグル先生に聞いてみたら、これはもとFirst Methodist Church の礼拝堂で、長いこと紛糾していた建物だったのでした。


1910年に完成した、パイプオルガンも備え付けの荘厳な建物です。中はこんな

1985年に、持ち主のメソジスト教会の反対を無視して、シアトル市がこの建物を歴史的建造物に指定。
ここを取り壊して土地ごと売り払い、運転資金にしたかった教会との間で、それ以来20年にわたる法廷バトルが繰り広げられたそうです。

昔日は5000人以上の信徒がいたけれど現在は600人ほどの小世帯になってしまい、この一等地を売って新しい教会でもっと能率的に神への奉仕をしたいという教会、かたや、古いものには目のない保存マインドなシアトル市。

21世紀にもつれこんだ裁判の結果、「信教活動の自由を保障するため」市が敗訴したのですが、そこへデベロッパーが登場。この礼拝堂はコンサート用のホールとして保存し、半分の敷地に高層ビルを建てる計画で、結局買い取ったそうなんです。ほー。

上の色とりどりのテープがはためいている土地が、もと礼拝堂につづく別館があったところ。ここに2014年完成の予定で、ビルが建つそうです。まるくおさまったようですね。


その先のブロックは、レム・コールハース設計のかっちょいい図書館ビル。この図書館についてはまた今度あらためてご紹介したいです。ここの写真も、たまっているなー。


2ブロック先にはルイ・ヴィトンが入っているRainier Tower。草間彌生の水玉もように心をうばわれて、ビルの写真を撮るのを忘れた。ニューヨークのワールドトレードセンターを設計したシアトル出身の建築家ミノル・ヤマサキ氏の、なんというかとっても画期的なビルです。画像はこちらで。


そしてさらに2ブロック先、Pike の角にはBanana Republic のダウンタウン店。シアトルに初めて来たとき、このビルを見てけっこう感動しました。最初はバナリパが建てたなんちゃってクラシック風ビルかと思った。そのくらい、このブランドにしっくり溶け込んでる。

これはもと映画館だったビルで、1916年建造。大正5年ですね。三越日本橋本店だって昭和10年完成だから、それよりさらに20年古い建物ですよ。大正時代の映画館がすっかりリモデルされて、まるで最初からバナリパのために造られたかのようなはまり具合。

小ギレイな男女が出入りする活気あるブティックに生まれ変わって、ビルもさぞ幸せなことでしょう。

いろんな時代のオールド&ニューが並ぶ5番街です。ほんとにシアトルの人って、建造物保存に熱心ですね。


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2012/09/19

バッドランズの動物たち


Badlands National Parkでは、公園の中のロッジCedar Pass Lodge に宿泊しました。


こんなロケーションのキャビン(「離れ」というか、小屋)で、1泊税込み90ドルくらいでした。

バスタブやテレビやインターネットはありませんが、とても清潔な部屋で、シャワーも普通に使えます。まったくアメリカの国立公園って、ホテルを一歩出れば大自然のはずなのに、異常なまでに快適にすごせます。


お部屋はこんなでした。これは「historic cabin」。これから建て替えるみたいです。
難をいえば窓が壊れていた(笑)。エアコンもついていたけれど、夜は涼しくて必要ありませんでした。4月から10月までの営業です。

息子は星が見たいといって、屋根の上に寝袋を出して寝てました。
コヨーテが吠えているのが聞こえて、満天の星空で最高だったそうです。


レストランとショップとロビーを兼ねたセンターが、小屋から徒歩2分の距離にあります。
レストランはちょっとオーバープライス。なかみはアメリカ版ファミレスです。
こんなところで美味なレストランを求めるべきじゃないですが。


ハイキングトレイルの入口。


Badlands、悪い土地。というのはここを横切ろうとした白人たちのつけた名前でしょう。

テレビシリーズの『ロンサム・ダブ』でも、牛の群れを連れて北上してきたテキサスのカウボーイたちがここを横断して、死にそうになる場面がありました。

今は舗装道路が国立公園内をぐるっと回っていますが、車で運転していてもえんえんと続くバッドランズに圧倒されます。

ここを徒歩で横断しなくてはならない旅人にとっては、ほんとに悪夢のような土地だったことでしょう。


正午近く。ぽつんと1本だけ立っている木の下に、鹿の親子が。まわり一帯、ここのほかに日陰はないのです。炎天下は摂氏40度。
こんな環境で子どもを二人も育てているお母さん、大変すぎる。


乾いた砂でできている山々は、どれもババロアか焼き菓子のような、おいしそうな色合い。ピンクと白の縞模様や、黄色とピンクの上に白が乗っていたり。


 よく見ると谷あいには細い流れがあるか、または雨水が長くとどまっているらしく、谷に沿って緑がちらほら続いていました。


岩の丘陵地帯が終わると、大草原の生き物たちの生活ゾーン。


草原の入口には若いbighorn(ビッグホーン、大角羊)がいました。1920年代にこのあたりでは乱獲で絶滅してしまった種ですが、そのあとほかの州から再導入されたそうです。


バッファローも同じく、いったんこの地域からすっかり消えてしまい、再導入でまた増えてきている保護動物。
この大草原を覆い尽くすほどの大群がいたのに、わずか数十年で絶滅寸前にされてしまったという想像を絶するスケールの乱獲が、まさに『大草原の小さな家』の時代に進行中だったんですね。

バッファロー達はすこしも人を恐れません。ゆうゆうと道を横切っていきます。
保護される動物になってから1世紀。もう何世代も、追いかけられたことはないんですもんね。


草原には見渡すかぎり、プレーリードッグの広大なタウンが広がっていました。

小学生の頃、『大草原の小さな家』でローラがプレーリードッグを追いかける場面を読んで以来、本物のプレーリードッグをいつか追いかけてみたい!と熱望したものでした。あれから数十年。ほんものをやっと見られました。

でもここのプレーリードッグたちは、Devils TowerやWind Caveにいたのよりずっと警戒心が強くて、車でそろそろ前を通る間は草原の上で活動しているのに、車を下りて徒歩の人間が近づいてくると、さっと穴にかくれてしまいます。他の場所より天敵が多いのか。

 (拡大図) 何度も車を停めて写真を撮ろうとしたのですけど、人間が車から降りた気配を察すると、ハッ!として全員がさっと穴に隠れてしまう。

(さらに拡大図)ハッ!としているところ。この1秒後には地面の下に。

後ろにいるのは、 アンテロープ/プロングホーン。国道沿いの畑にもうろうろしているのをたくさん見かけました。恥ずかしながらこんな動物が米国西部にいるとは知らなくて、夕暮れに広い畑で水を飲んでいるアン テロープの群れを見た時には、てっきり牧場で趣味で飼っているエキゾチックな動物だと思ってしまいました(「ラマ牧場」みたいに)。アフリカから連れて来られたのかと思った ら、これは固有種なんですね。
望遠レンズではなかったのでこんなボンヤリ写真です。


きちんと撮影できたのは、プレーリードッグ不在の穴たちばかり。ちょっと前までこの穴のとこに立ってたのに!



これは朝の散歩で出会ったウサギ。

「バッドランズ」と呼ぶのは人間の勝手で、動物たちにはここがスイートホーム。苛酷な環境に見えても、意外に賑やかに生きものたちが暮らしているのでした。


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2012/09/16

惑星タトゥイーンを散歩 バッドランズ国立公園


今回の旅行中で一番良かったのは、Badlands National Park(バッドランズ国立公園)でした。

Wind Cave から1時間ばかり、ブラックヒルズの丘陵地帯を抜けてラピッドシティのほうへ戻り、そこから東に向かって田舎道に入ると、えんえんまた1時間ばかり、こんな道が続く。↓↓↓↓↓


小一時間ほど、1台の車ともすれ違いませんでした。
ダリかなにかのシュールな絵の中に入り込んでしまったような風景。


バッドランズでは国立公園内のロッジに泊まったので、翌朝は7時前に息子を叩き起こして、早朝ハイキングに行きました。

日中の予想気温は最高華氏106度 (41度C)だというので、歩くなら日が高くなる前に、と思い。

いつもは夜更かしで朝がめっぽう弱いのに、旅先では早起きになる。



ボードウォーク完備の数百メートルの短いトレイルから10マイルを超えるバックカントリーまで、いろいろなハイキングコースがありますが、ロッジをチェックアウトして次の目的地へ向かわなくてはならないので、さくっと2時間以内で行って帰ってこられるバックカントリーのルートにしました。

草むらは毒ヘビがいるというので、トレイルを離れないように歩きます。
 

この光景は、いつかどこかで見た気が。

STAR WARSに出て来た、惑星Tatooine (タトゥイーン)のようだ。


ルーク・スカイウォーカーが育った農場があったあの惑星です。


岩山の間を歩いていると頭の上からジャワサンドピープルが出てきそう。


チョコレートのように、おいしそうにめくれた泥。

 

ガトーショコラの上に乗ってそうです。
年間降雨量はとても少ないけれど、降るとなったら半端なく降るようです。


こんな場所でも植物はしっかり根を張ってます。


アスターのような可憐な花でした。岩の形が面白い。

サボテンも。




早起きしてよかった。三文以上の得でした。


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2012/09/13

Crazy Horse, Wind Cave, Black Hills



ラシュモア山のすぐ先に、「クレイジーホース・メモリアル」というのがあります。

前回書きましたが、この一帯、ブラックヒルズと呼ばれる地域はラコタ・スー族はじめ様々なインディアン部族の大切な土地だったため、そこに白人の大統領の顔が彫られて毎年何百万人もの観光客が来ているのに、もともと住んでいた部族のことは知られていない、「私たちにもヒーローはいる」ことを示したい、だから偉大な酋長クレイジーホース(Tashunca-uitco)の像を作ろう、と、ラコタの長老たちが彫刻家に声をかけたのが、1942年。

それに応じた彫刻家Korczak Ziolkowski氏が家族を連れてここに住みついて、1948年に作業を始め、80年代に亡くなって、事業は彫刻家の7人の子どもたちと未亡人が引き継いで、やっと顔の部分ができたのが、1998年。

顔完成までに50年。

拡大図

まだ先は長い。完成するとこんな形になるそうです。

構想は壮大で、この麓にインディアンのためのメディカルセンターや大学の分校をおいて、一大カルチャー村を建設し、その上にクレイジーホースがそびえたつ光景が、いつの日か実現する、かも。

現在あるのは、巨大なビジターセンターと、立派なお土産やさん。広々したビジターセンターにはこの壮大な構想の模型のほかに、インディアンのアートやティピも並べてある。そして彫刻家未亡人がプロジェクトについて語る20分くらいの映画を見せる、かなり立派な映画館。

ビジターセンターへの入場料は1人10ドルの「寄付」で、プロジェクトのために使われるという話。

映画の中で、彫刻家未亡人が、連邦政府からの何億ドルだかの援助金は断ったのだと言ってました。あくまで独立したプロジェクトにするために。 そのかわり、地元のお金持ちが何百万ドルも寄付しているそうです。

この一家がこのメモリアルにすべてをつぎ込んでいるのはよく分かるけれど、じゃあ結局ファミリービジネスなのね? という印象は拭いきれませんでした。 
連邦の資金を入れて、外部からもっとプロジェクト・マネージメントのプロを入れれば、もっとさくさく進むんじゃ…? そりゃ大事業にしても、いくらなんでも半世紀って、かかりすぎでしょ。ラシュモア山の彫像は14年で出来たそうですよ。ていうかもともと、スー族の人たちのためのプロジェクトであって彫刻家のじゃないでしょ?  

…と思っていたら、クレイジーホースの子孫が「私たちには何の相談もなかった。山を崩してこんな像なんか作るべきじゃない」と言ってたりもするのでした。ラコタ・スー族の中でも意見が分かれているのか。さもありなん。

なんだかいまいち釈然としないメモリアルでした。



そしてブラックヒルズの南端あたりにある、Wind Caveへ。

ここは地下に広がっている広大な洞窟です。
時々、外の気圧が下がると、あちこちに開いている小さな開口部からそよそよと空気が出て来てくるので「風の洞窟」と呼ばれている。

気圧の変化に合わせて、呼吸するように、風を吸い込んだり吐き出したりする洞窟。
全部で1万3000ヘクタール以上の広さがあるけれど、まだ調査が完了しているのはほんの1パーセントなのだとか。

ラコタ・スー族には、この洞窟からバッファローや人間が生じたという伝説があるそうです。

ここも国立公園で、一日何度かのツアーでだけ、地下の洞窟を歩くことができます。案内してくれたパークレンジャーは元気な若い女の子で、1時間以上のツアーの間、ずーーっとしゃべりっぱなしでした。本当に洞窟が大好きみたいで、ツアーをやらない日には洞窟の奥のほうの調査探検に参加して、狭くて暗い、誰も行ったことのない迷路の奥に入り込むのが楽しくてたまらないようでした。

日本の鍾乳洞と違ってほとんど地下水がないのでとても乾いた洞窟で、生き物も特殊なバクテリアなどのほかほとんどいない、不思議空間です。


 外にはこの生き物がたくさんいました。Wind Cave の入口にもDevils Towerにも、プレイリードッグの「タウン」が。むかしはメキシコからカナダまで、西部の平原にはどこでもいたそうですが、いまでは主に国立公園の中が居住区です。


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ラシュモア山


ラピッド・シティの、というより、サウスダコタ州の観光の目玉といえば、Mt. Rushmore、 ラシュモア山。

サウスダコタ州観光局のサイトも当然、この図柄です。

1920年代にサウスダコタ州知事が「ぜひわが州に観光名所を」と、あちこちに働きかけまくり、ついに連邦議会から資金を勝ち取って作らせた像なのだそうです。狙いは見事に当たって、今では国際敵な観光名所になりました。

この超有名な大統領たちの頭像は、ラピッド・シティから坂道を20分くらい登っていったところにあります。

この道の両側には「爬虫類館」とか「クマ牧場」とか、しょ〜もない(失礼)ような観光アトラクションがてんこもり。

よくいう「tourist trap 」とはまさにこのこと、という見本市みたいな道でした。

そしてラシュモア山のすぐ麓には宿が何軒か立ち並び、まるで「門前町」のよう。ひさびさに純粋な「観光地」を見たって気がしました。





ラシュモア山入口では、1台につき「駐車料金」11ドルを徴収されます。ここは「ナショナル・メモリアル」で、国立公園局の運営だけど、国立公園の年間パスは使えません。ちぇっ。



立派な屋根付きパーキングや、こんな ↑ 広々とした展望台、カフェテリア、屋外シアターなどの施設がピカピカで巨大すぎて、肝心の彫刻が、ちっちゃく見える。




サイズや印象からいったらピンで立ってる「高崎観音」のほうが、でかいし遠くからも目立つ。

ていうか、なぜ、たったこれだけのものを見に、全米から、さらには全世界から、人が集まるのでしょうか。

サイズが大きめの白人のおじちゃんおばちゃんが多かったけれど、インド人家族や日本人家族もちらほら見かけました。

ダイナマイトで砕かれて斜面に崩れたままの砂利が痛々しい。

こんな綺麗な岩山にこんなモノを作ってしまって、というのが素直な感想で、むしろ究極の キッチュアートに見えてしまいました。

たぶん今までこの図柄をあちこちで見過ぎているからで、まったく何の前知識もなしに見たら感動したかな、とも考えてみたけれど、やっぱり「………え、なんだこりゃ?」と思うような気がする。なんか、岩山に寄生した奇妙なキノコのように見える。






 建国の父ワシントン(左)、独立宣言を起草したジェファーソン(そのとなり)、奴隷解放を宣言して北軍を勝利させたリンカーン(一番右)に囲まれて、「ちょっとここ、失礼しますよ」とまるでカーテンの陰からこっそり出て来て奥のほうで勝手に仲間に入っているかのように見えてしまう、テディ・ルーズベルト(右から二番目)。

「なぜテディがこの3人と一緒に?」と疑問を持つ人はアメリカ人の中にも多いようです。

テディさんはまったくの東部出身ではあったけれどモンタナに牧場を持ってカウボーイ&狩猟家で売り出していた、西部に縁の深い、愛されキャラの大統領だったし、それに実はこの像を彫った(実際の作業には多くの人夫を使っていたので「監督した」というべきですね)彫刻家の長年のパトロン&友人だったので、この殿堂に仲間入りしたようです。

偉大な3人に囲まれたテディさんが遠慮がちに、少し居心地悪そうに見えるのはわたしだけでしょうか。

 でも20世紀の初めに、アメリカのフロンティア精神と帝国主義を結合して米国の西進を押し進めた政治家だったから、この輪の中に入るのはある意味、的を得ているのかもしれません。

建国&自由平等の精神>南北統一・産業の勝利>そして大西洋と太平洋にまたがる大国への道、という流れで。テディ・ルーズベルトのキャラクターをもって、東部のエスタブリッシュメントの白人たちは、はじめて西部を心情的に「所有」することができた、つながりを持てたと言ってよいのではないでしょうか。

この御影石の山に大統領の顔を彫るという行為は、この土地に入植して町を作った白人コミュニティと合衆国政府とが宣言する「所有」のしるしにほかならないです。牛に押す焼き印のような。

ラシュモア山があるBlack Hills (ブラックヒルズ)一帯は多くのインディアン部族にとって特別な土地で、特にラコタ・スー族は、いったん19世紀にこの土地を居留地として与えると政府から約束されておきながら、金鉱が発見された後でその約束を反古にされているため、なんと100年以上たった現在でも土地の返還を求めて法廷で係争中です。

1980年に最高裁判所が、合衆国政府がブラックヒルズの土地をラコタ族から不法に取り上げたとして1億ドル以上の賠償金を支払うよう判決を出したのですが、「この土地は売り物ではない」として、ラコタ・スー族は受け取らず、今でも土地の返還を求めているというのです。

彼らにとっては、祖先の土地に勝手に彫られた白人の首長たちの顔は、それが「自由、平等」という旗で飾られていたとしても、いまいましいものに違いありません。



 

独立記念日には花火ショーがあるそうです。それを見に来る人たちのほとんどは、この土地を返してほしいと言っている人がいることなど聞いたこともないでしょう。

奴隷制の負債がまだ社会の中に根強く残り、全然解消されていないのと同じく、インディアン戦争も、百年以上たっても、まだ決着などしていないのです。

彫刻家本人はこの像は「アメリカに限らず、すべての共和制の民主国家のためのモニュメントだと語っています。

それを受けて、1936年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領がこの像の前で語ったスピーチがあります。


I think that we can perhaps meditate a little on those Americans ten thousand years from now, when the weathering on the faces of Washington and Jefferson and Lincoln shall have proceeded to perhaps the depth of a tenth of an inch, and wonder what our descendants—and I think they will still be here will think about us.
Let us hope that at least they will give us the benefit of the doubt, that they will believe we have honestly striven every day and generation to preserve for our descendants a decent land to live in and a decent form of government to operate under.

(少し時間をとって、いまから1万年後のアメリカ人のことを考えてみましょう。その頃には恐らく、ワシントンやジェファーソンやリンカーンの顔も10分の1インチほどは風雪にすり減っていることでしょう。そのとき、我々の子孫たちは…まだきっとこの土地に住んでいることだと思いますが…我々のことをどのように考えていることでしょうか。

我々が日々、何世代にもわたって誠実に努力し、子孫のために、住むに値する土地と、きちんとした政府を守り、残したのだと、彼らがそう考えてくれることを願おうではありませんか。)

親戚のテディ伯父さんは、気の毒なほど完全スルーされています(笑)。

FDR大統領、このあとを「だから、これからは自然と戦うのではなく自然と協力しよう」とスピーチを結んでいて、さすがに良いこと言う!と思いますが、大恐慌後の国民に対してのスピーチで「1万年後のアメリカ人」とはまた思い切った風呂敷を広げたものです。ビジョンが壮大。

1万年後にこの場所にアメリカという国、どころか人類がこの大陸に生き残っているのかどうか。

1万年後、ラシュモア山がまだこの場所にあって、知性のあるものがそこに立つことがあったとしたら、きっと現代人がスフィンクスを見るように不思議に思い、古代の人は変なものを岩に彫ったものだなあ、と感じるのではないでしょうか。



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