2012/09/13

Crazy Horse, Wind Cave, Black Hills



ラシュモア山のすぐ先に、「クレイジーホース・メモリアル」というのがあります。

前回書きましたが、この一帯、ブラックヒルズと呼ばれる地域はラコタ・スー族はじめ様々なインディアン部族の大切な土地だったため、そこに白人の大統領の顔が彫られて毎年何百万人もの観光客が来ているのに、もともと住んでいた部族のことは知られていない、「私たちにもヒーローはいる」ことを示したい、だから偉大な酋長クレイジーホース(Tashunca-uitco)の像を作ろう、と、ラコタの長老たちが彫刻家に声をかけたのが、1942年。

それに応じた彫刻家Korczak Ziolkowski氏が家族を連れてここに住みついて、1948年に作業を始め、80年代に亡くなって、事業は彫刻家の7人の子どもたちと未亡人が引き継いで、やっと顔の部分ができたのが、1998年。

顔完成までに50年。

拡大図

まだ先は長い。完成するとこんな形になるそうです。

構想は壮大で、この麓にインディアンのためのメディカルセンターや大学の分校をおいて、一大カルチャー村を建設し、その上にクレイジーホースがそびえたつ光景が、いつの日か実現する、かも。

現在あるのは、巨大なビジターセンターと、立派なお土産やさん。広々したビジターセンターにはこの壮大な構想の模型のほかに、インディアンのアートやティピも並べてある。そして彫刻家未亡人がプロジェクトについて語る20分くらいの映画を見せる、かなり立派な映画館。

ビジターセンターへの入場料は1人10ドルの「寄付」で、プロジェクトのために使われるという話。

映画の中で、彫刻家未亡人が、連邦政府からの何億ドルだかの援助金は断ったのだと言ってました。あくまで独立したプロジェクトにするために。 そのかわり、地元のお金持ちが何百万ドルも寄付しているそうです。

この一家がこのメモリアルにすべてをつぎ込んでいるのはよく分かるけれど、じゃあ結局ファミリービジネスなのね? という印象は拭いきれませんでした。 
連邦の資金を入れて、外部からもっとプロジェクト・マネージメントのプロを入れれば、もっとさくさく進むんじゃ…? そりゃ大事業にしても、いくらなんでも半世紀って、かかりすぎでしょ。ラシュモア山の彫像は14年で出来たそうですよ。ていうかもともと、スー族の人たちのためのプロジェクトであって彫刻家のじゃないでしょ?  

…と思っていたら、クレイジーホースの子孫が「私たちには何の相談もなかった。山を崩してこんな像なんか作るべきじゃない」と言ってたりもするのでした。ラコタ・スー族の中でも意見が分かれているのか。さもありなん。

なんだかいまいち釈然としないメモリアルでした。



そしてブラックヒルズの南端あたりにある、Wind Caveへ。

ここは地下に広がっている広大な洞窟です。
時々、外の気圧が下がると、あちこちに開いている小さな開口部からそよそよと空気が出て来てくるので「風の洞窟」と呼ばれている。

気圧の変化に合わせて、呼吸するように、風を吸い込んだり吐き出したりする洞窟。
全部で1万3000ヘクタール以上の広さがあるけれど、まだ調査が完了しているのはほんの1パーセントなのだとか。

ラコタ・スー族には、この洞窟からバッファローや人間が生じたという伝説があるそうです。

ここも国立公園で、一日何度かのツアーでだけ、地下の洞窟を歩くことができます。案内してくれたパークレンジャーは元気な若い女の子で、1時間以上のツアーの間、ずーーっとしゃべりっぱなしでした。本当に洞窟が大好きみたいで、ツアーをやらない日には洞窟の奥のほうの調査探検に参加して、狭くて暗い、誰も行ったことのない迷路の奥に入り込むのが楽しくてたまらないようでした。

日本の鍾乳洞と違ってほとんど地下水がないのでとても乾いた洞窟で、生き物も特殊なバクテリアなどのほかほとんどいない、不思議空間です。


 外にはこの生き物がたくさんいました。Wind Cave の入口にもDevils Towerにも、プレイリードッグの「タウン」が。むかしはメキシコからカナダまで、西部の平原にはどこでもいたそうですが、いまでは主に国立公園の中が居住区です。


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ラシュモア山


ラピッド・シティの、というより、サウスダコタ州の観光の目玉といえば、Mt. Rushmore、 ラシュモア山。

サウスダコタ州観光局のサイトも当然、この図柄です。

1920年代にサウスダコタ州知事が「ぜひわが州に観光名所を」と、あちこちに働きかけまくり、ついに連邦議会から資金を勝ち取って作らせた像なのだそうです。狙いは見事に当たって、今では国際敵な観光名所になりました。

この超有名な大統領たちの頭像は、ラピッド・シティから坂道を20分くらい登っていったところにあります。

この道の両側には「爬虫類館」とか「クマ牧場」とか、しょ〜もない(失礼)ような観光アトラクションがてんこもり。

よくいう「tourist trap 」とはまさにこのこと、という見本市みたいな道でした。

そしてラシュモア山のすぐ麓には宿が何軒か立ち並び、まるで「門前町」のよう。ひさびさに純粋な「観光地」を見たって気がしました。





ラシュモア山入口では、1台につき「駐車料金」11ドルを徴収されます。ここは「ナショナル・メモリアル」で、国立公園局の運営だけど、国立公園の年間パスは使えません。ちぇっ。



立派な屋根付きパーキングや、こんな ↑ 広々とした展望台、カフェテリア、屋外シアターなどの施設がピカピカで巨大すぎて、肝心の彫刻が、ちっちゃく見える。




サイズや印象からいったらピンで立ってる「高崎観音」のほうが、でかいし遠くからも目立つ。

ていうか、なぜ、たったこれだけのものを見に、全米から、さらには全世界から、人が集まるのでしょうか。

サイズが大きめの白人のおじちゃんおばちゃんが多かったけれど、インド人家族や日本人家族もちらほら見かけました。

ダイナマイトで砕かれて斜面に崩れたままの砂利が痛々しい。

こんな綺麗な岩山にこんなモノを作ってしまって、というのが素直な感想で、むしろ究極の キッチュアートに見えてしまいました。

たぶん今までこの図柄をあちこちで見過ぎているからで、まったく何の前知識もなしに見たら感動したかな、とも考えてみたけれど、やっぱり「………え、なんだこりゃ?」と思うような気がする。なんか、岩山に寄生した奇妙なキノコのように見える。






 建国の父ワシントン(左)、独立宣言を起草したジェファーソン(そのとなり)、奴隷解放を宣言して北軍を勝利させたリンカーン(一番右)に囲まれて、「ちょっとここ、失礼しますよ」とまるでカーテンの陰からこっそり出て来て奥のほうで勝手に仲間に入っているかのように見えてしまう、テディ・ルーズベルト(右から二番目)。

「なぜテディがこの3人と一緒に?」と疑問を持つ人はアメリカ人の中にも多いようです。

テディさんはまったくの東部出身ではあったけれどモンタナに牧場を持ってカウボーイ&狩猟家で売り出していた、西部に縁の深い、愛されキャラの大統領だったし、それに実はこの像を彫った(実際の作業には多くの人夫を使っていたので「監督した」というべきですね)彫刻家の長年のパトロン&友人だったので、この殿堂に仲間入りしたようです。

偉大な3人に囲まれたテディさんが遠慮がちに、少し居心地悪そうに見えるのはわたしだけでしょうか。

 でも20世紀の初めに、アメリカのフロンティア精神と帝国主義を結合して米国の西進を押し進めた政治家だったから、この輪の中に入るのはある意味、的を得ているのかもしれません。

建国&自由平等の精神>南北統一・産業の勝利>そして大西洋と太平洋にまたがる大国への道、という流れで。テディ・ルーズベルトのキャラクターをもって、東部のエスタブリッシュメントの白人たちは、はじめて西部を心情的に「所有」することができた、つながりを持てたと言ってよいのではないでしょうか。

この御影石の山に大統領の顔を彫るという行為は、この土地に入植して町を作った白人コミュニティと合衆国政府とが宣言する「所有」のしるしにほかならないです。牛に押す焼き印のような。

ラシュモア山があるBlack Hills (ブラックヒルズ)一帯は多くのインディアン部族にとって特別な土地で、特にラコタ・スー族は、いったん19世紀にこの土地を居留地として与えると政府から約束されておきながら、金鉱が発見された後でその約束を反古にされているため、なんと100年以上たった現在でも土地の返還を求めて法廷で係争中です。

1980年に最高裁判所が、合衆国政府がブラックヒルズの土地をラコタ族から不法に取り上げたとして1億ドル以上の賠償金を支払うよう判決を出したのですが、「この土地は売り物ではない」として、ラコタ・スー族は受け取らず、今でも土地の返還を求めているというのです。

彼らにとっては、祖先の土地に勝手に彫られた白人の首長たちの顔は、それが「自由、平等」という旗で飾られていたとしても、いまいましいものに違いありません。



 

独立記念日には花火ショーがあるそうです。それを見に来る人たちのほとんどは、この土地を返してほしいと言っている人がいることなど聞いたこともないでしょう。

奴隷制の負債がまだ社会の中に根強く残り、全然解消されていないのと同じく、インディアン戦争も、百年以上たっても、まだ決着などしていないのです。

彫刻家本人はこの像は「アメリカに限らず、すべての共和制の民主国家のためのモニュメントだと語っています。

それを受けて、1936年にフランクリン・D・ルーズベルト大統領がこの像の前で語ったスピーチがあります。


I think that we can perhaps meditate a little on those Americans ten thousand years from now, when the weathering on the faces of Washington and Jefferson and Lincoln shall have proceeded to perhaps the depth of a tenth of an inch, and wonder what our descendants—and I think they will still be here will think about us.
Let us hope that at least they will give us the benefit of the doubt, that they will believe we have honestly striven every day and generation to preserve for our descendants a decent land to live in and a decent form of government to operate under.

(少し時間をとって、いまから1万年後のアメリカ人のことを考えてみましょう。その頃には恐らく、ワシントンやジェファーソンやリンカーンの顔も10分の1インチほどは風雪にすり減っていることでしょう。そのとき、我々の子孫たちは…まだきっとこの土地に住んでいることだと思いますが…我々のことをどのように考えていることでしょうか。

我々が日々、何世代にもわたって誠実に努力し、子孫のために、住むに値する土地と、きちんとした政府を守り、残したのだと、彼らがそう考えてくれることを願おうではありませんか。)

親戚のテディ伯父さんは、気の毒なほど完全スルーされています(笑)。

FDR大統領、このあとを「だから、これからは自然と戦うのではなく自然と協力しよう」とスピーチを結んでいて、さすがに良いこと言う!と思いますが、大恐慌後の国民に対してのスピーチで「1万年後のアメリカ人」とはまた思い切った風呂敷を広げたものです。ビジョンが壮大。

1万年後にこの場所にアメリカという国、どころか人類がこの大陸に生き残っているのかどうか。

1万年後、ラシュモア山がまだこの場所にあって、知性のあるものがそこに立つことがあったとしたら、きっと現代人がスフィンクスを見るように不思議に思い、古代の人は変なものを岩に彫ったものだなあ、と感じるのではないでしょうか。



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2012/09/10

Rapid City の幽霊ホテル


ワイオミング州からサウスダコタ州にちょっと入ったところにある都市、Rapid City に泊まりました。サウスダコタ州第2位の都市、でも人口は6万人ちょっとでシアトル市の10分の1。

 西部だなあと思うのは、ホテルの壁にも、

このとおりバッファローが並んでいるところなど…。

そしてホテルの部屋に置いてあった雑誌は『Cowboys and Indians』 という、ピンポイントなマガジン。ひょえ〜何とニッチなと思ったけど、このあたりではカウボーイ&インディアンはニッチ市場ではなく、中心的存在。

読んでみたらこれがクオリティの高い作りで意外に面白かったし。真面目な、そして洗練されたカウボーイ市場というのが、それなりの規模で存在しているのですねえ。内容は牧場風の暮らしインテリアとか、Oヘンリーの描いた西部とか、19世紀の水彩画家の話とかで、ルー・ダイアモンド・フィリップスやケビン・コスナーが表紙の人でした。


 建物はてっぺんに山小屋チックなチューダー風の屋根が乗った、面白いビル。屋上には宿泊者専用のバーがあって街が眺められる。1928年完成のこの10階建てのビルより高い建物がほかには見当たらない街。


壁にはインディアン酋長のリアルな肖像が。

このホテル、幽霊が出るので有名らしく、テレビの『Ghost Hunters』にも何度も出てて、「Hauntedパッケージ」なんていうのを売り出してたりするのでした。全然知らなかった…。
帰って来てから初めて知ったのだけど、そういえば、あの晩は寝苦しかったなあ…。屋上のバーで飲みなれないウイスキーなどを飲んだからか、夜中の3時頃に目が覚めて、なかなか眠れなかった。別に超常現象には遭遇しませんでしたが。

スタッフはとってもフレンドリーで親切でした。しかし、最初、 荷物を持って部屋に上がってみたら、ちっちゃい部屋にベッドが1台しかない!ベッド2台っていったのに!念のためにメールで予約を確認してから、また荷物を全部持ってフロントに言いにいったら、「あら、あの部屋は…ちょっと待ってね、そうそう、バスルームの反対側にもう一部屋あるのよ」…えっ。


このちっちゃいバスルームの向こう側に、たしかにもう一部屋寝室がありました。
最初に言ってよ〜。 

1階には「Seattle's Best Coffee」が入ってました。


街を散策するほどの時間はなく、さらっと一周だけ近所を散歩。消防署を改造したパブがあったり、太鼓の専門店があったり、なかなか面白そうです。わりにこじゃれた界隈でした。


公園の前の街角に、インディアンの母と小さな娘の像が。


交差点の反対側には、バッファローとインディアン戦士、鷲が一体化した彫刻。
「すべての人類の和解と誇りと尊敬を祈念して」と、これはまた、壮大な願いを背負っている彫刻です。

リトルビッグホーンのインディアン記念碑も、ここの像も、まだピカピカに真新しくて、近年になってインディアン文化を(表向きだけでも)尊重する方向に風向きがやっと変わったんだなあということが、かえってすごくリアルに感じられるのでした。

ずいぶんあちこちに彫像がおいてある街だなと思ったら、歴代米国大統領全員の像を街中のあちらこちらに並べて、「City of Presidents」 として売り出しているのでした。

もしシアトルの街角に最近の大統領の像なんかがあったら、たちまちいろんなかぶりものをかぶらされたり首から変なものを下げられたりしそうですね。



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2012/09/09

デビルズ・タワー




ワイオミングの町、シェリダンでお昼。

対インディアン戦争の総指揮をとった将軍の名前を冠した町です。「バッファローなど絶滅させてしまえ」と言った人。

そんなこととは関係なく、ちゃんとしたエスプレッソメニューも揃った感動的なまでに優秀なカフェがあって、ベジラップがおいしかったです。


ウェイトレスの女の子も可愛かった。ディナー担当のシェフはシアトル出身なのだそうですよ。 Lulu's Cafe  Sheridan, Wyoming 


Gillette という埃っぽい町を通る。石炭や石油の採掘現場がたくさんあるあたりを過ぎると、ピンク色の岩山が現れてきます。


インターステートを下りて、2車線の山道に入ってしばらく行くと、見えてきました〜。

Devils Towerです。『未知との遭遇』でリチャード・ドレイファスが封鎖を突破してクルマを走らせたのはこのへんかしら、と思いながらタワーを目指す。 本当に、プリンみたいな形だ。

爆睡していた息子をこの辺で起こすと、窓の外を見て「あれは何だ!」と本気でびっくりしてました。


じゃーん。

道の彼方に突然現れるところもすごいけど、真下から見ても迫力だー。
デビルズ・タワーの周りを一周するトレイルを歩いてみました。



斜面に岩がごろごろしている。この柱状の岩は地中でマグマが固まったときの形だというのだけど、神殿の遺跡の柱かなんかのように倒れてます。

うちの息子はデビルズ・タワーを見たとたんに登りたい衝動にかられたようで、うわごとのように登りたいと言いつづけ、今までそんなこと言ったことなかったのでちょっと気味が悪かった。
実際、下からロッククライミングをする人もいるようです。

てっぺんにはノスリのような鳥がたくさん旋回していて、よく見るとずっと上のほうに巣がたくさんありました。


トレイルからブラックヒル地域がひろびろ眺められます。



トレイルのあちこちに、「てるてる坊主」のような飾りが結ばれてます。
ここはインディアンの聖地でもあって、20以上もの部族から崇拝の対象になっていると言います。

お守りなのか願掛けなのか祈りのしるしなのか、いろいろな布や動物のホネなどがあちこちに結んである。


 もう夕方で、すれ違う人もいないトレイルを巨大岩を見上げながら歩いていると、『未知との遭遇』というより『ピクニック・アット・ハンギングロック』な気分でした。

ぐあーん、という音が聞こえてきそうな気がする。

ふもとにお土産屋さんがあって、宇宙人の人形をたくさん売ってるのがおかしかった。



タワーのふもとにキャンプ場がありました。シャワーなしのプリミティブなサイトだけど、すぐ横にプレイリードッグの町もあるし、とっても魅力的です。

もうちょっと近かったらちょくちょく行きたい場所です。


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2012/09/07

草原の墓場 リトルビッグホーン


車中で地図を見ていたら、高速道路のすぐそばにLittle Big Horn Battlefield National Monument があるのをみつけて、寄ってみることにしました。


ところで、私はカーナビを持っていません。たいがい、知らない町ではグーグルマップに頼っていますが、基本、頭がアナログなのらしい。紙の地図を広げて見るのが好きで、今回も全国版ロードアトラスを買って、暇さえあれば(運転していなければだいたい暇なわけですが)見てました。

カーナビが気に入らない理由のひとつは、目的地に早くつく以外の「余計な情報」の入る余地がないことです。地図には、まったいらな二次元の空間に、消化しきれない余計な情報が整然と詰め込まれています。その中に自分の位置を確認するだけで、何か読み解いたような気がするところが好き。ロードアトラスは、あまり実用にはならなくって、グーグルマップも時々アテにならなかったりちゃんと見てなかったりして道に迷うので、息子には「カーナビ買いなよ(怒」と言われましたけど。(アメリカのカーナビは日本みたいに豪華品じゃなく、200ドルくらいの廉価なものが主流)あと、人に行き順を教えてもらうのが基本的に好きじゃないのかもしれません。

さてリトル・ビッグ・ホーン。先日のアメリカ史の教科書で読んだばかりの、西部で一番有名な戦場です。


モニュメントの門番のパークレンジャーは、長い三つ編みのインディアンの青年でした。
入場料は10ドルですが、ここで国立公園共通の年間パス(80ドル)を購入しました。

パーキングの横にいきなりずらっと墓石が並んでいてその数に驚くけれど、これは第二次大戦で亡くなった兵士やその家族などの墓地。ハワイのパンチボウルやヴァージニアのアーリントンと同じ、戦没者のための国立墓地でした。


この戦場で亡くなった兵士たちのお墓は、ビジターセンターの奥のゆるやかな丘の上に散在しています。

1876年、カスター中佐の第七騎兵隊が、インディアン連合軍に壊滅させられた丘陵です。

数時間の短い戦いの間に、600名の騎兵のうちカスター中佐本人を含む260名近い将兵が亡くなった場所。いまはこんなにのどかな風景ですが、アメリカ史上でも有数の血みどろな戦場でした。


600人の騎兵に対し、インディアン側はいくつもの部族が集まって何千人ものキャンプを張っており、戦士だけでも1500人以上がいたという、その中に部隊をわざわざ3つにわけて乗り込んで行ったのだから、「飛んで火に入る夏の虫」のようにやすやすとやられてしまいました。

クレイジーホースとシティングブルという2大カリスマ酋長も揃っていたこの戦いは、インディアン側の華々しい勝利となりましたが、同時に「last stand of Indians」とも言われています。この後、戦いに参加した部族のほとんどは降伏して居留地に入り、クレイジーホースは翌年リンチ同様に処刑されてしまいました。インディアンが平原を駆け回ることができた時代は、この時に確実に終わったのでしょう。日本ではちょうど西南戦争の頃。

西へ進み続けるアメリカという国と、その近代国家という原理が、平原インディアンにも、日本にも、アジアのほかの国にも、それから太平洋の島々にも、進路に大きな影響を与えたのだと思うと、薩摩士族のラストサムライとインディアンの間に不思議なつながりを感じます。ロマンチックな眼鏡で見るべきではないですが。

ビジターセンターでの説明には、このモニュメントは「memorializes one of the last armed efforts of the Northern Plains Indians to preserve their ancestral way of life(平原インディアンによる、祖先から受け継いだ暮らしを武力によって守ろうとした最後の試みのうちのひとつを記念する)」ものだとあります。この文言は最近書かれたものでしょう。

この戦場はずっと「カスター・メモリアル」と呼ばれていたのを、1990年代になってインディアンの側こそ主役なのだからと「リトルビッグホーン」と名称を改められたそうです。



カスター部隊壊滅の地を散策する草原のトレイルもあり、レンジャーのガイドつきツアーもありますが、ヘビに注意。今回は時間がなく、トレイルを歩くことはできませんでした。


カスター部隊の白い墓石は19世紀に建てられたもので、風雪にさらされて角がとれていますが、その間に真新しい墓石も立っています。同じ1876年の戦いで亡くなった、Cheyenne (シャイアン)族の戦士を記念したものでした。羽根が飾られていました。


 カスター部隊の一群の墓石と向かい合うようにして、新しいモニュメントがありました。


インディアン・メモリアル」です。小さなシアターのような円形の壁の内側に、戦いに参加した各部族の記念碑があります。
1990年代に議会で承認され、2003年にようやく完成したもの。

この戦いには、米国陸軍の斥候としてCrow(クロウ)族などの戦士が雇われて参加して、何人かが戦死しています。

宿敵であり、この戦いでも敵同士だったクロウ族やアリカラ族とシャイアン族やラコタ・スー族が、この記念碑のなかでは「Unity と平和」を記念して一緒に並んでいます。

ビジターセンターに写真がありましたが、クロウ族の斥候がイケメンぞろいでした。



乾いた丘陵にユッカが生えていました。

地図を通してふらりと招かれるように訪ねた戦場跡でしたが、行ってよかった。

ビジターセンターもあまりゆっくりと見学できなかったのですが、第七騎兵隊の兵士たちはアメリカに来たての、英語もあまり流暢でない(それこそFOBな)ヨーロッパからの移民が多かったというのが、新鮮でした。

ここまで来る観光客は、ほとんどが白人ばっかり。子ども連れもいたけれど、老夫婦が多かったです。この辺まで来ると、アジア人が珍しいのか、まじまじと見つめられることが多くなる。何か御用でも?と思うくらい、じっと見られることが多々ありました。

 

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2012/09/04

スポケーン〜ボーズマン ワイルドウェストの大学町


アメリカ四分の一周、ロードトリップ第1日目。

州間ハイウェイ I-90を東へ。エレンズバーグを過ぎると、風力発電の風車が丘の上に突然現れます。


そしてコロンビア川を渡る。
 先日行ったあたりより、もう少し南側。このへんは意外に川幅が狭いですね。


川に沿った高台の眺望用パーキングの横手の丘に、馬の彫刻が。時間がないので登りませんでしたが、かっこいいインスタレーションです。





シアトルから4時間ほどでSpokane(スポケーン。うちではなぜか皆勝手に「スポカネ」とハワイ風?に呼んでいる)に到着。

迷い込んだビルのパーキングアテンダントの可愛い女の子にお勧めを聞いて、行ってみた店「Mizuna」。「水菜」のこと?日本人シェフの店かと思ったらそうでもないみたい。夜はワインバーになる可愛い店で、オーガニック素材のサラダ&スープがおいしかったです。



古いビルを改装した店の雰囲気や、煉瓦の露地にテーブルを出しているところ、ホノルルのチャイナタウンのワインバーに似てる。あの店まだあるのかな。


スポケーンは住みやすそうな洗練された町でした。


きれいな模様のある煙突。 80年代まで現役の発電所だったようです。いまはレストランになっているらしい。




アイダホの峠道を越えて、夕方遅くMissoula (ミズーラ)に到着。ここで早めの夕ご飯。


ミズーラはなんとはなしに行ってみたかった町でした。閑静でオシャレ度の高い大学町です。若者が多くて、自転車の人が多いのが印象的でした。道が広いから自転車用レーンもしっかり確保されていました。

モンタナ大学のキャンパスもちらっとクルマで見学してみました。通りすがりの勝手な印象だけど、のびのびしてリベラルな感じは、シアトルの山間支部みたいな気がする、そんな町。


カレッジタウンらしい広々したカフェもあった。


ミズーラの町の真ん中あたりでみかけた、丸屋根の時計台つきネオクラシックなビル。郡裁判所だそうです。1910年製。



山を越えたら時差があるのをすっかり忘れてました。1時間分、知らないうちに時計が進んでいた。1日めはBozeman(ボーズマン)に宿泊、10時頃の到着でした。

イエローストーン国立公園の入口の町なので、ホテルのパーキングにもいろんな州のナンバープレートをつけたクルマが集合してました。


スポケーン > ミズーラ > ボーズマン、とどんどん町のサイズが小さくなっていきます。


朝、通りすぎたメインストリートのシアター。

ゆっくり見る時間はなかったけれど、こじんまりした気持ちのよさそうな町です。

ボーズマン・トレイルという、西への開拓民のルートを開いた人の名を冠した町。

このあたりまで来ると、どこに行っても、ルイス&クラークと、カウボーイと、開拓民とインディアンの歴史にぶつかります。この先のハイウェイの休憩所にも、ボーズマン・トレイルを単独で旅して、インディアンの襲撃を受けて殺された親子の話が書いてありました。

が、殺されたインディアンについての碑は、あまり見かけません。

 ダイアン・レインとトミー・リー・ジョーンズとロバート・デュヴァルの『ロンサム・ダブ』というテレビシリーズの西部劇がすごく好きで、ついこの間もNetFlixで全4話一気にマラソン再見しました。19世紀末、テキサスから牛の大群を連れてモンタナへ引っ越して来るハードボイルドな二人の老カウボーイの話ですが、めちゃ泣けます。年とってから観たら、若い時に観たときよりも余計に泣けた。インディアンの描き方もカウボーイ劇にしてはフェアなほうで、19世紀のワイルドウェストがリアルに感じられる映画です。

実際にテキサスから平原を超えてモンタナまで牛の群れを連れてやってきた、ロバート・デュヴァルが演じた「ガス」みたいなカウボーイもいたようです。


広い空の下に延々続く丘陵を見ていると、地平線までバッファローでいっぱいの光景を想像せずにいられません。




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