2016/05/06

メキシコでタクシーに財布を忘れたの話


メキシコシティのタクシーには何種類かあります。

ホテルと契約してホテルの玄関に来る、観光客向けのリムジン的なタクシー
Sitio(シティオ)という無線タクシー
Libre(リブレ)という流しのタクシー

上から下へと値段は安くなりますが、それぞれ、その場の交渉しだいで若干安くなったりもします。リブレは相乗りが普通で、人が乗っていても同じ方向だと後から客が乗ってきたりするそうな。上のピンクのはリブレです。

あと最近はUberも進出しているようです。

流しのタクシーには危険だから絶対に乗ってはいけません!とクライアントさんに釘をさされましたが、だいたいリブレの運転手さんはまずスペイン語しか話さないので、わたしには意思の疎通ができない。

空港から乗ったシティオの運転手さんもほとんど英語を喋らず、行き先を伝えるのにたいへん苦労しました。


展示会の会場からホテルに戻るときには会場のタクシー乗り場にやってきたのに有無を言わさず順番に乗せられるので、リブレにも何度かあたりましたが、クライアントさんの、スペイン語ペラペラでシマリスみたいに超絶可愛いB嬢が運転手さんとコミュニケートしてくれました。笠智衆ドライバーもリブレでした。

リブレはシートが普通に破けていたり、トランクの中がむき出しだったり、かなり使い込んだクルマが多かった。
新しい車はみんな白とピンクに統一されてて、上のみたいなピカピカの電気自動車も見かけましたが、古い車は相当の年代もの。


乗客を拉致して金品を強奪する強盗タクシーが大変多かった(今も出るらしい)ので、市も対策のために10年ほど前からライセンス制度を一新する、車をピンクに統一する(なぜだ?)など、いろいろ努力してるようです。

最近はスマートフォンのアプリで呼ぶタクシーが普及してるそうです(アプリでライセンスとナンバープレートを確認して、ちゃんとした運転手のタクシーかどうか調べられるらしい)。

3日目、午前中お休みをいただいて一人で後から展示会場に行ったとき、当然ながらホテルで呼んでくれるタクシーに乗ったのですが、この運転手さんはかなり英語を流暢に話す青年でした。

翌日の最終日に半日だけ観光できる時間があるので、何をしようか思案中だったのですが、シティからクルマで片道1時間くらいのとこにある世界遺産の遺跡テオティワカンに貸し切り往復1500ペソ(約80ドル)で行ってくれるというので、お願いすることにしました。
メキシコシティの運転手さんはこうやって積極営業します。



ほかのタクシーに比べればきっとバカ高い値段なのかもしれませんが、英語でわりとふつうに会話できる信頼できそうな運転手さんで、エアコンつきの綺麗なSUV(ヒュンダイ)の貸し切りで、観光している間待っててくれて100ドル以下なら、こちらとしては願ってもなし。
 
ツアーに参加するのも検討してみたのですが、タイアップの土産物屋やレストランに寄り、あちこちのホテルを回って帰ってくるのではどうしても帰りが夕方になっちゃって時間が間に合わなかったので、テオティワカン見物は諦めかけていたのです。

この運転手さんはエドガー君という礼儀正しい27歳の青年で、2年ほどオレゴンのポートランド付近の高校に通っていたそうです。
「僕はアメリカよりもメキシコのほうが好きだ」と言ってました。
「ここがホームだから」。
 

さて遺跡に行ったあと、ホテル近くの歴史地区で見逃したベジャス・アルテスの壁画を見たかったので、その前で降ろしてもらい、一旦ホテルに戻ってシャワーを浴びて着替えて荷物をまとめ直してチェックアウトをすませてから、また空港までエドガー君に送ってもらいました。

空港のチケットカウンターでグリーンカードの提出を求められて、かばんの中に財布を探したら、あら。なぜか、入っていない。なぜだろう。


旅先で、その旅に必要なすべてアンドさらに色々大事なものもろもろが入った財布をなくしたのは、わたくし、これが初めてではございません。

以前、子どもと日本に帰ったときに、JRパスとドルと円あわせて6万円くらいの現金とクレジットカード全種類およびグリーンカードまで入った財布を、新宿駅の京王線改札に置き忘れたことがありました。

その時は恐怖のあまり一時体が軽くなるという臨死状態に近い体験をしましたが、幸い親切な方がそのまんままるっと届けてくれて、小一時間ほど冷や汗をかいただけで済みました。

今回はクルマを降りるときに、エドガー君にペソの残りとUSドルの現金でチップをあげて、そのまま座席に忘れてきてしまったのだ!と思いいたり、速攻エドガー君に電話。

「さっさっさいふをっ!あなたの車に置いてきちゃったと思うんだけどっ」

 気の毒そうに見守るチケットカウンターのお姉さんにスーツケースを預かってもらったまま、回りを顧みず超大声でエドガー君に報告。

「…え?」
「さっさいふ!」
「財布を僕のクルマに忘れたの?」
「そう!!…だと思う(であってほしい!)」
「……ちょっと待って。5分くらいしたらかけ直すから」

といったきり、 エドガー君からは10分以上電話がありませんでした(涙)。

もしかしたら空港に着いてから掏られたのかもしれない、ほかにはクレジットカードも現金も何も持ってないので、出てこなかったら日本領事館かどこかに連絡して救助を求めなくてはならないのだな、グリーンカードも入っていたから当分アメリカに入国ができないのだろうか、難儀なことになったものよ、などと考えていると、エドガー君から電話が。

「見つかったよ。空港に持ってってほしい?」
「はいっ(裏声)。ぜひお願いいたします!」
 
エドガー君はかなり離れた場所にいたらしく、15分くらいして別の小さなクルマに乗ってやってきて、
「口が開いてたけど、中身全部入ってるか確認して」と財布を渡してくれました。

ドルとペソの現金を全部使ってしまった後だったので、戻って来てくれた分のお礼もできなかったのですが、「良い旅を!」とニコニコして去っていきました。

いい青年や(涙)。

どこまでも詰めの甘いというか脇が甘いというか、ほんとに無事に今まで生きてこられたのはありとあらゆる周りの人に恵まれていたからだわ。

この次の旅行ではクレジットカード1枚とグリーンカードは別の場所に入れておくことにしよう。

でもこの日、詰めが甘かったのはこれだけではなかったのでした…。つづく。


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2016/05/03

テンプロ・マヨール


メキシコシティ・メトロポリタン大聖堂のすぐ目の前にあるアステカの神殿の遺跡、テンプロ・マヨール。


1970年代、電気会社の工事中に見つかったのだそうです。20世紀初頭からだいたいこの辺にあるということは考古学者にはわかっていたものの、なかなか発掘までは手が出ず、工事中に偶然、大きな石の円盤が出土したことからようやくこの一帯にあった13棟の建物を取り壊しての発掘にゴーサインがでたという。

とはいえ、この大都市の大神殿の大部分は、隣の大聖堂の下に永遠に埋もれているのだとか。


わたしはメキシコシティが古代アステカの都市の上に建っていたということすら知らなんだ。
スペイン人が来る前は、テノチティトランという人口30万人の都市だった。

異民族が来て文明を滅ぼすというのは、こういうことなんだー。
壇ノ浦で平家が滅びたとか、城を焼いたとかそういうレベルじゃなく、そこに都市があったことそのものを、何世紀もの間、記憶(と建物)の下にすっかり埋もれさせてしまうという。


そして400年の後、陽の光の下にでてきた、蛇の頭の彫刻。


午後から仕事に戻らねばならなかったので、ものすごく急ぎ足で見てまわらねばならず、じっくり鑑賞する時間はなかったのですが、それでもいろいろインパクト強かった。


人身生け贄が行われていた神殿なだけに、ホラーな感じを受けるものも多い。


隣は博物館になっていて、発掘で出てきた遺物が展示されてました。
ドクロ彫刻の並んだ壁。死者の日の骸骨グッズのルーツなのね。


この植物のような幾何的のようなアステカ文様は心惹かれます。



すごく洗練された図柄。現代のものみたい。

平面レリーフもカッコ良いです。

斬新なデザイン…。

円谷プロ的な…。

雨の神様だそうです。


 顔つきナイフ。とぼけた顔をしていますが、「主に人身の生け贄に使われた」って説明にありました。ひー。アステカでは「太陽がもうすぐ滅びる」と信じられていて、太陽のちからを存続させるためにはヒトの生き血を捧げることが必要だと考えられていたためにとても多くの生け贄が必要だったという話。神官が生きたまま生け贄の人の心臓を取り出したとか生きたまま皮をはいだとか。


素朴なところがかえって恐い、赤い壺。


17世紀頃のものだという、スペインのタイル。こっちのほうがアステカのものよりさらに素朴な感じ。色が綺麗です。


有田焼きがあった! フィリピンのマニラを通って、アカプルコ経由でヨーロッパにわたっていたんですね。へー。

徳川家康も最初はスペインと貿易をして技術を獲得しようとしていたらしいですね。どのへんでスペインを凶悪と判断して禁教にふみきったのか、ちょっと興味がわいてきました。

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2016/05/02

大聖堂


歴史地区の中心にある街の目玉、メキシコシティ・メトロポリタン大聖堂。

スペインから来てアステカ帝国を滅ぼしたコルテスが、アステカの古い神殿の上に建てさせたのがはじまりという教会です。

アメリカ大陸では最大の聖堂。
16世紀から何度も増築されて19世紀に完成したという巨大な建物は、なんだか要塞みたいです。外から見ると、ものすごい威圧感。明るくオープンに人を招く教会とは違います。


わたしはヨーロッパに行ったことがないのでわからないんだけど、この威圧感は、ヨーロッパの古い聖堂とはまたきっと違う種類なのじゃないかな。

異民族を征服して、その上に建てられた大聖堂。

そして今では8割の人がカソリックという国で、ありとあらゆる望みと祈りを何世紀にもわたって吸収してきた施設です。


ぜんぜん知らなかったんだけど、WIikiを読んだら、慶長使節船の支倉常長もここに来たことがあったそうです。そもそも慶長使節も支倉常長も知らなかった!日本史情弱!

伊達政宗はメキシコと交易しようとしてたんですね! そんなことすら知らなかった。すごいな戦国時代。伊達政宗の野望がうまく行っていたら東北はスペイン語圏になっていたかも?


巨大聖堂の中には普通の教会の大きさの祭壇が2つと礼拝室が16もあります。

現代では、聖堂のほとんどの部分は観光客のためにも開放されていますが、Altar of Forgiveness(赦しの祭壇)といくつかの礼拝室は「祈りのためだけ」に取り置かれ、写真撮影は禁止。
「祈りだけ」のスペース入り口にはおばさんが2名立っていて、「only for prayer!」と入る人に釘をさします。


それぞれの礼拝室には熱心に祈っている人もたくさんいました。


1960年代の火事でかなり損傷したそうです。内装はどのくらいがオリジナルなんだろうか。


聖壇横の観光客エリアから見たAltar of Forgiveness。
黒いイエス・キリストの像が有名ですが、なぜ黒いのかについて、伝説以外の説明はなし。


伝説というのは、聖職者が毎日祈りを終えた後、このキリスト像の足にキスをしているのを知っていた暗殺者が、足のところに毒を塗って聖職者を殺そうとしたら、聖職者がキスをする前に急にキリスト像が黒くなったという話。

だからこのキリスト像は Lord of Poisonと呼ばれているのだそうです。
そんな話をわざわざ作る必要があったのは、「黒」は忌むべきカラーだという前提があればこそで、有色人種の土地に白人が作った教会であればなおさらだったのでしょう。

でもこの黒いキリスト像には、引き寄せられるような迫力がありました。


巨大なパイプオルガンを2つも備えた聖堂。
何世紀もかけて増築されたので、バロックから新古典様式までいろいろな様式が入り混じっています。


これは中央の聖壇。
きちんとスーツを着た中年の男性が長い間祈っていました。


わたしが今まで見てきたアメリカのキリスト教会の空気とは、まったく違う世界です。
重々しくて、簡単につながれない。
正直、どう感じていいものかわからず、呆然としてしまった。

呆然としながら3つの入り口から入って3つの出口を出て、3通りの順路でうろうろと小一時間ほど過ごしました。
吸収したいんだけどもうどうにも歯が立たない、美味しそうだけれど油っぽくて固くて噛みきれないごちそうを前にしてウロウロする野良犬のような心持ちでした。

この複雑さ、壮大さ、壮麗さ、重々しさは、そのまま、スペインとメキシコの歴史と、カソリック教会そのものの複雑な存在感に重なると思う。あまりにも重層的で、理解はおろか、簡単に見尽くすことができません。

何十世代にもわたる祈りと、絶大な権力と、さまざまな思惑と争いのエピソードが何百も何千もあちこちに織り込まれている、壮大な物語。


午前中の強い日光がちょうど差し込んでいて、さらにドラマチックな効果を上げていました。


ステンドグラスだけが20世紀風の素朴でシンプルなデザインで、色合いも不揃いな直線もとても素敵なのだけど、いったいいつのものなのだか、サイトにも説明が見つからなかった。


ちょうど午前中の祈祷が終わったところでした。


制服姿の小学生男子が廊下でケロケロ笑っている姿にちょっとほっとしました。


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2016/05/01

高山病、スモッグ、壁画、ピンヒール


メキシコシティは標高が高い(2240m)ので高山病になりやすい。

到着した日、イミグレーションが長蛇の列で(3機同時に到着したのに係員が3人しかいなかった)入国までに2時間以上かかり、立ちっぱなしで本を読んでいたら、だんだんと頭痛がしてきた。

ゆっくりと重いもので締め付けられるような頭痛が夜まで続き、一晩寝たら少し良くなったものの、翌日もうっすらと頭全体を絞られるような頭痛。

バファリンをもらって呑んだらその日はすっきり回復したけれど、勝手の違う土地に来たな、という感触がありました。


そして、とても空気が悪い。
飛行機の窓から見て、街がオレンジがかった靄のようなものに覆われているのに驚いた。
土の色も屋根の色も褐色系なので、全体に茶色っぽい。

主に排気ガスによるスモッグらしく、誰に聞いてもメキシコシティの3大プロブラムは渋滞とスモッグと腐敗した政治家だと言ってました。

スモッグは鼻毛が伸びるレベル。
そして、高度に体が慣れるまでに2日か3日はかかるようです。
5日目の最終日はすっかり元気になって、よし勝った、と思って調子に乗って後で大変な目に遭ったのですが、それはまたのちほど。


4日め、仕事の最終日に、嬉しいことに午前中お休みを頂いたので、さっさと朝食を済ませて、ホテルから歩いて30分ほどの歴史地区へ。


「建国の父」ベニート・フアレスにちなんだフアレス通り。

大きな公園にジャカランダ(たぶん)の紫の花が咲いていました。
歩行者信号はアニメーションになってて、とことこ走る姿がかわいい。


Palacio de Bellas Artes、パレシオ・デ・ベジャス・アルテス。この名前がどうしても覚えられなくて、頭の悪い子どものような悲しい思いをしました。
「宮殿」という名前ではありますが、なかみは美術館とコンサートホール。 20世紀初頭の建築です。ここは午前10時からで、9時頃に行ったらまだ閉まっていたので、中を見るのは次の日にしました。

警備員さんだかポリスだかが勤務中に靴を磨いてもらってました。いいのか。


宮殿前でウマに乗っているこの人は。
レ、レーニン? 違う? 誰の像だか見てきませんでした。
ベジャス・アルテス宮殿の中にも、ディエゴ・リベラの描いたレーニンがいるはずなのですけど。

泊まったホテルのあるこの地区には、革命記念塔と独立記念塔をはじめ、大きなモニュメントや彫刻がとてもたくさんあります。

道端にあったフリー図書館。アメリカのと同じく、自由に読み終わった本を持ってきて、新しいのを持っていくシステムらしいです。
素朴な木製のカゴがいい味出してます。ピンクと緑はメキシコシティのデフォルトカラーらしい。タクシーもこのピンク色です。


壁画の国だけに、大胆で面白い壁画もあちこちに。


ベシャス・アルテスの先は歴史地区。古い建物も多くて、見飽きない。
ラベンダー色の戸口に鮮やかなバラが。

こんなに自由時間が取れるのならば、ちゃんとしたカメラを持っていくのだった。
ウォーキング用の靴さえ持っていかなかったので、まず目についた靴屋さんでウォーキングシューズを買いました。


路地ではおばさんが何やらおいしそうなものを作って売っています。トリの唐揚げみたいなものと豚のなにかだそうです。
せめて数くらいでも、スペイン語を覚えていくのだった。「これいくら?」は聞けても、かえってくる答えがわからない(涙)。


素朴で美しい手描きタイルを張った壁、ロートアイアンの扉。こういう意匠の存在は、新しい建築にも影響を与えずにはいないのだと思う。

そしてピンヒールで歩く女性。

展示会場にも12センチのヒールを履いたレースクイーンみたいな格好のお姉さんがたくさんいました。
女性はヒールと厚塗りのメイクアップがデフォルトといってもいい。そして男性は整髪料でツンツンにした髪がデフォルト。

濃いです。
シアトルとはだいぶ、人としての前提が違う。

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