メキシコシティ・メトロポリタン大聖堂のすぐ目の前にあるアステカの神殿の遺跡、テンプロ・マヨール。
1970年代、電気会社の工事中に見つかったのだそうです。20世紀初頭からだいたいこの辺にあるということは考古学者にはわかっていたものの、なかなか発掘までは手が出ず、工事中に偶然、大きな石の円盤が出土したことからようやくこの一帯にあった13棟の建物を取り壊しての発掘にゴーサインがでたという。
とはいえ、この大都市の大神殿の大部分は、隣の大聖堂の下に永遠に埋もれているのだとか。
わたしはメキシコシティが古代アステカの都市の上に建っていたということすら知らなんだ。
スペイン人が来る前は、テノチティトランという人口30万人の都市だった。
異民族が来て文明を滅ぼすというのは、こういうことなんだー。
壇ノ浦で平家が滅びたとか、城を焼いたとかそういうレベルじゃなく、そこに都市があったことそのものを、何世紀もの間、記憶(と建物)の下にすっかり埋もれさせてしまうという。
そして400年の後、陽の光の下にでてきた、蛇の頭の彫刻。
午後から仕事に戻らねばならなかったので、ものすごく急ぎ足で見てまわらねばならず、じっくり鑑賞する時間はなかったのですが、それでもいろいろインパクト強かった。
人身生け贄が行われていた神殿なだけに、ホラーな感じを受けるものも多い。
隣は博物館になっていて、発掘で出てきた遺物が展示されてました。
ドクロ彫刻の並んだ壁。死者の日の骸骨グッズのルーツなのね。
この植物のような幾何的のようなアステカ文様は心惹かれます。
すごく洗練された図柄。現代のものみたい。
平面レリーフもカッコ良いです。
斬新なデザイン…。
円谷プロ的な…。
雨の神様だそうです。
顔つきナイフ。とぼけた顔をしていますが、「主に人身の生け贄に使われた」って説明にありました。ひー。アステカでは「太陽がもうすぐ滅びる」と信じられていて、太陽のちからを存続させるためにはヒトの生き血を捧げることが必要だと考えられていたためにとても多くの生け贄が必要だったという話。神官が生きたまま生け贄の人の心臓を取り出したとか生きたまま皮をはいだとか。
素朴なところがかえって恐い、赤い壺。
17世紀頃のものだという、スペインのタイル。こっちのほうがアステカのものよりさらに素朴な感じ。色が綺麗です。
有田焼きがあった! フィリピンのマニラを通って、アカプルコ経由でヨーロッパにわたっていたんですね。へー。
徳川家康も最初はスペインと貿易をして技術を獲得しようとしていたらしいですね。どのへんでスペインを凶悪と判断して禁教にふみきったのか、ちょっと興味がわいてきました。