Christmas rose (クリスマスローズ)。別名ウインターローズ。
花壇にほかの花がない、まだ朝晩地面が凍りつく頃からひっそりと咲き始める。バラとは何の関係もなくて見た目も全然似てないと思うのだけど、ヨーロッパではクリスマスの時期に咲く貴重な花>花と言えばバラ>夏のバラの面影を忍ばせる、という存在の花であったようだ。
Google books をちょろっと見てみたら、1922年の本にこんな詩が載っていた。
Pale winter roses, the white ghosts
of our June roses,
Last beauty that the old year boasts
Ere his reign closes
冬の庭に群れ咲く白い花は、6月の庭に咲くバラの幽霊のようだ、という気分はわかる気がする。ヨーロッパの暗い冬にはなおのこと、死に絶えたような庭の一すじの希望的存在だったのだろう。
この辺ではクリスマスをかなり過ぎた1月末くらいから咲き始めて、まだまだ咲いている。
良くみると、トロピカルな風情もある。
上記本によると、ギリシャではこの花の根から取った薬は、頭をハッキリさせるために哲人に用いられ、フランスでも少し気の触れた人を正気に戻すための薬として使われていたのだとか。でも沢山使うと猛毒だそうだ。
花言葉は、「Relieve my anxiety(私の不安を取り除いてください)」。
遊びに来てくださってありがとう。
お帰りには↓こちらにも寄ってくださると嬉しゅうございます。
2011/04/03
2011/03/29
雨の日のアンドロメダ
雨の朝のアセビの花に、ハチが雨宿り。
シアトル近辺の住宅街ではとても良く見かける、馬酔木(アセビ/アシビ)。
かなり大きく育った木も多く、ミニチュアのシャンデリアのような花がたくさん垂れ下がっている。
遠目にはあまり派手な花木ではないけれど、近づいて良くみると可憐で豪華。
白花も。
花の時期は長い。気がする。
この木は鹿が食べないので、奈良公園にはたくさんあるのだと聞いた。
春先の奈良に一度行ったときには気づかなかったな。鹿にばかり気をとられて…。焼き芋も取られた。アグレッシブな鹿たちだった。
英語名はAndromeda (アンドロメダ)。
銀河の星のようにたくさん花がつくから、なのだかどうか。
雨の日の花にはまた格別な表情があります。
遊びに来てくださってありがとう。
お帰りには、↓ こちらにもお寄りくださると嬉しいです。
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植物
2011/03/27
沈丁花
超満月の日
先週末のイベント報告です。
「超満月」の舞踏の夕べ、とても素晴らしかった。かなり仕事が立て込んでいてどうしようかと思ったけれど、本当に行ってよかった。
場所は、シアトル道教寺院。「寺院」じゃないのかな。
すみません、道教(タオイズム)のことはなにも知りません。
Taoist Studies Institute という研究機関のような名前がついている。
建物はPhinney Ridge (フィニー・リッジ)の閑静な住宅街にある教会。その半分がこのインスティチュートです。教会の建物長老派のキリスト教教会と仲良く半分こずつ占有しています。
入り口脇にはステンドグラス。
少し遅れて行ったら、時間通りにもう始まっていた。
ほの暗い、天井の高い礼拝堂には、木の床に黒いクッションが並べられ、ステージとの間には点々と小さなロウソクが置かれています。結界みたいに。
音楽家と踊り手の間には、言葉に翻訳しがたいやり取りが飛び交う。音楽家が投げた音を何百分かの1秒で踊り手がはっしと受け取って、新しい流れが始まる。
踊り手の次の動きを読み取った音楽家が、少しだけ予想と違うリズムを投げて、また違う方向に何かが向かう。
見たことのない赤い乾いた平原や、緑濃い田園、水牛が歩くアジアのほこりっぽい道などが、音の中から次々に現れて消えるような。
そして見ている人の中にも、奏でている人にも踊る人にも多分、津波に呑まれた町や村のことが深く刻まれていて、出口を探している。
自然と人と、流れるもの、与えられるもの、永遠に生きるもの、語るもの、這いずるもの、飛ぶもの、命や力、などのこと。大きすぎてなかなか頭に入りきらないもの。
床に座っていながら、とてもてても広い風景を見てきたような気がした、小一時間でした。
休憩時間には、お茶をいただきました。
大きなガラスの入れものに入った中から好きな茶葉を選ぶと、ボランティアのスタッフが1杯ずつポットで入れてくれる。
紫色のロータスの花とラベンダーの花のお茶は、ほっとなごむ味でした。
家に帰ると、ちょうど、スーパー満月が上ってくるところでした。
北園克衛に
「赤い月がわめきながらのぼって来た」
というような詩の一節があった(ものすごくうろ覚え)けど、まさにそんな感じの月でした。
ベランダから息子撮影。トリミングしまくり。これは上ってきてから20分後くらいの月です。
追記:Kaoru さんのブログに動画がアップされました。
「超満月」の舞踏の夕べ、とても素晴らしかった。かなり仕事が立て込んでいてどうしようかと思ったけれど、本当に行ってよかった。
場所は、シアトル道教寺院。「寺院」じゃないのかな。
すみません、道教(タオイズム)のことはなにも知りません。
Taoist Studies Institute という研究機関のような名前がついている。
建物はPhinney Ridge (フィニー・リッジ)の閑静な住宅街にある教会。その半分がこのインスティチュートです。教会の建物長老派のキリスト教教会と仲良く半分こずつ占有しています。
入り口脇にはステンドグラス。
少し遅れて行ったら、時間通りにもう始まっていた。
ほの暗い、天井の高い礼拝堂には、木の床に黒いクッションが並べられ、ステージとの間には点々と小さなロウソクが置かれています。結界みたいに。
奥には背のまっすぐな椅子が2脚と中国風のベンチがひとつ。右手の隅にはいろいろ不思議な楽器が並んでいて、Serge さんが音を奏でている。
Kaoruさんの踊りは、風に飛ばされる木の葉や、水に流されていく草のような、たき火の炎のような、ちょっと人間の体とは思えないような動きと、耳に聞こえないリズムで流れていく。
踊る人の手の表情は豊か。
奈良や京都のお寺の優雅な天人像や菩薩像のような、語る指先。
そして音の、なんと気持ちよいことか。
東南アジアのお寺の屋根の形をしたカンボジアの銅鑼の音は、明るく澄んで、余韻がいつまでもお堂の隅々からはらはら静かに降ってくるようだった。インドの鈴のくぐもった音、しゃらしゃら鳴るジャワの鈴の、アジアの豊かな雨のような音。
いろいろな太鼓の乾いた音。
そして、主役は、Didgeridoo(ディジュリドゥ)の、なんだか聞いたことのあるようなないような、地面深くに埋められた不思議な機械のエンジンから響いてくるような音。
わたしは今回この楽器の存在を初めて知ったのですが、民族楽器のなかでは有名なのらしい。
みためは、形も大きさも、長めのゾウの鼻くらい。
オーストラリアのアボリジニの楽器で、シロアリが喰って空洞になったユーカリの木の根をほぼそのまま、外側に装飾して楽器としたものなのだそうだ。すごい製法ですね。
この楽器には、トカゲくんが彫られていた。
音楽家と踊り手の間には、言葉に翻訳しがたいやり取りが飛び交う。音楽家が投げた音を何百分かの1秒で踊り手がはっしと受け取って、新しい流れが始まる。
踊り手の次の動きを読み取った音楽家が、少しだけ予想と違うリズムを投げて、また違う方向に何かが向かう。
見たことのない赤い乾いた平原や、緑濃い田園、水牛が歩くアジアのほこりっぽい道などが、音の中から次々に現れて消えるような。
そして見ている人の中にも、奏でている人にも踊る人にも多分、津波に呑まれた町や村のことが深く刻まれていて、出口を探している。
自然と人と、流れるもの、与えられるもの、永遠に生きるもの、語るもの、這いずるもの、飛ぶもの、命や力、などのこと。大きすぎてなかなか頭に入りきらないもの。
床に座っていながら、とてもてても広い風景を見てきたような気がした、小一時間でした。
休憩時間には、お茶をいただきました。
大きなガラスの入れものに入った中から好きな茶葉を選ぶと、ボランティアのスタッフが1杯ずつポットで入れてくれる。
紫色のロータスの花とラベンダーの花のお茶は、ほっとなごむ味でした。
家に帰ると、ちょうど、スーパー満月が上ってくるところでした。
北園克衛に
「赤い月がわめきながらのぼって来た」
というような詩の一節があった(ものすごくうろ覚え)けど、まさにそんな感じの月でした。
ベランダから息子撮影。トリミングしまくり。これは上ってきてから20分後くらいの月です。
追記:Kaoru さんのブログに動画がアップされました。
2011/03/25
2011/03/20
春の最初の日
写真は去年の、近所の桜。
今年は春が遅い。
去年が異常にあたたかすぎたのかも。日付別に整理してある写真を見ると、3月18日にはもう桜が満開だった。
3月もずっと寒くて、桜も咲き始めたものの、固まってしまってもう1ヶ月もちらっと咲き始めた状態のまま。
今日はお天気もよくて、ようやく春らしい空気になっていた。
今年の満開は、あと10日くらいかな。
今日はつぼみがようやくふくらみ始めていた。クロッカスや水仙も一斉に開いた。
明日は春分の日。こちらではなぜだかFirst "official" day of spring といわれる。
被災地の方々にも、どうかどうか早く暖かい春の日が来ますように。
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2011/03/18
兎年月夜之舞踏
明日は「Super Moon」だそうですが、舞踊家のKaoruさんがシアトル・グリーンウッドのTaoist Studies Institute(こんなのがあるとは知らなかった!シアトル何でもある…)で公演されるそうなので、おしらせ。
ディジュリドゥやベル、銅鑼などの演奏にあわせて静かな舞踏が繰り広げられます。
寄付のみ(suggested $10 donation)。
フロアに座っての鑑賞なので、クッション持参でどうぞ、とのこと。
詳細はこちら。
場所:Taoist Studies Institute 225 N 70th St, Seattle, WA, 98103-5003
時間:3月19日(土)午後6時〜7時半
“The Great Tone makes little sound; The Great Image has no shape”
-- from Tao Te Ching, Ch. 41
Please join us in welcoming the talented Serge Gubelman as he plays his Didgeridoo, Bells, Gongs, & more, and take in the artistic movement of Kaoru Okumura while she performs Butoh.
Suggested $10 donation. All proceeds benefit the Taoist Temple Retreat Center.
Doors open at 5:30pm, performance starts at 6pm
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Sound by Serge Gubelman (Didgeridoo, Bells, Gongs, etc.) : Serge (of the group "Manna Presence") is a multidisciplinary artist who is devoting his life to the practice of listening and availability to the moment. In a four decade span he has worked/played with numerous artists and in venues of all sizes. In the world of Butoh, in NYC, he performed a duet with Min Tanaka.
Movement by Kaoru Okumura (Butoh) : Kaoru studied Butoh - A movement form that emerged from post war Japan - in 1993 at Asbestos-Kan, Tokyo with Akiko Motofuji. After a long interval, she has enjoyed performing in Seattle area with Danse Perdue, and with other Daipan members, where she experiences how a body bridges the soul and the world.
Front seating will be on the floor, so please bring your own pillow, if you would like to sit on the floor.
お近くの方はぜひどうぞ♪ 私も行く予定です。
お帰りの際はこちらをぼにょっと
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