2018/08/09
橋がこわれた
シアトルはダウンタウンのすぐ北側を湖と運河がつながった水の道が横断しているため、タウンから北側に行くには橋をわたらねばなりません。
その橋のひとつ「Ballard Bridge(バラード橋)」は可動橋です。
この橋のすぐ下のあたりにはフィッシャーマンズワーフがあり、アラスカ沖にカニ漁にいく船たちが並んでます。
この橋は、ピュージェット湾からユニオン湖を経由してワシントン湖に至る水道の、入り口はいって最初の橋。
船を通すために橋が上がると、上の写真のように15番通りが通行止めになる。
どのくらいの頻度で上がってるのか知らないけど、わりとちょくちょく上がっているのを見かける。
たいていの場合は10分もかからず元にもどって通行止めも終わります。
今日、ダウンタウンから「D」ラインのバスでバラードに帰ってくる途中、橋の手前で運転手さん(40代くらいの女性)が突然めっちゃ元気な声で、
「どうやら橋が開きっぱなしで戻らなくなっちゃったみたい。経路変更しろって指令が来てるけど、どっちみちかなーり時間がかかると思いますので悪しからずよろ!」
とアナウンス。
それが7時少し前。
すこしして、「直って動き始めたみたいだからこのまま進むわ、やった〜!」と再アナウンスがあって、橋を渡りはじめたのが7時ころ。
でも結局、故障はまだ直ってなかったらしく、橋の上にさしかかったところで完全に車の流れがストップ。
時々諦めてUターンして橋を出ていく車のほか、まったく動かなくなってしまった。
復旧の予測がつかないので乗客のほとんどは降りて歩いていってしまったけど、徒歩なら橋を渡れるというわけではなく、かなり後戻りして別のバスに乗り換え、すこし離れたフリーモント橋へ回るしかない。
荷物が多いし、とくに急がんし、読むものもたくさん持っていたし、ちょうどウワジマヤで買った菓子パンもあっておやつもばっちり、というわけで、波止場のサンセットを眺めながらゆっくり本を読むことにしました。
持っていたのは小川洋子編のアンソロジー『陶酔短編箱』。
開いたまま閉まらない橋の上で読む、武田泰淳と色川式大の昭和なエッセイ(『いりみだれた散歩』『雀』)はなんだかしみじみ味わい深かった。
昭和な刑事ドラマのエンディングみたいな夕日を浴びて。
ウェスタン音楽かブルースふうの歌謡曲が聞こえてきそうな色合いのサンセット。
ようやく橋が直ってバスが動き始めたのは、8時15分。
1時間15分くらい、橋の上にいたことになります。
しかし。橋って、落ちるだけじゃなくて「下りなくなる」ってこわれ方をするんですね。
2018/08/06
たとへば君
今朝の出会い。
どんぐりも実って、もはや秋の気配。
『たとへば君』を読みました。
とくに目的もなく入った阿佐ヶ谷の古本屋さんで目についた。
2010年に乳がんで亡くなった歌人、河野裕子さんと、旦那さんでやはり歌人の永田和宏さんの作品集で「40年間の恋歌」と副題がある。
河野さんは15冊の歌集を、科学者でもある永田さんも12冊の歌集を出していて、この本はその中から夫妻が互いを詠んだ「相聞歌」380首と二人の短いエッセイを編んだもの。
京都大学の歌会での出会いから、二人の子どもを持つ多忙な家庭生活、アメリカでの生活、生活のいろいろな葛藤、癌の発見、治癒、再発、という40年の歴史が、短歌という形式に凝縮されて並んでいる。
行き違いもあり、殴り合いもあり、決して穏やかでばかりではなかった歴史。
乳がんの治療後、河野さんは精神が乱れて大変だった時期もあったらしい。
たとへば君 ガサッと落ち葉すくうように私をさらって行ってはくれぬか
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
たったこれだけの家族であるよ子を二人あひだにおきて山道のぼる
しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
やはらかな縫ひ目見ゆると思ふまでこの人の無言心地よきなり
とげとげともの言ふ妻よ疲れやすくわれは向日葵の畑に来たり
不機嫌の妻の理由のわからねば子と犬と連れて裏口を出つ
月光が匂ふと言へばわかる人鞄をさげてどこまで行きし
わたしには七十代の日はあらず在らぬ日を生きる君を悲しむ
河野さんはエッセイの一つで、ある歌集を出したときに夫の永田さんがそれを読んで「お前はこんなに淋しかったのか」と言ったと書いている。
なんでもよくしゃべる家族で「いつもいつもくっついてきた夫婦で寂しさなんて一番わかっているはずなのに」そう言われたという。
「短歌というのは生ま身の関係で喋っているレベルとまた違うレベルで、お互いの人に言わない言えない感じというのを読みあっていく詩型だなあと改めて思いました。
表現する者同士の心の通い合わせ方とか、短歌という詩型の持っている力とかを、その永田の一言で思いました。わかってくれる読者がひとりいればいいんです」(156)
いちばん親しいはずの夫婦でも親子でも、そういつもいつも、何もかも分かり合えるわけもない。
そもそも一人のひとを完全に理解することなんかできないだろうし、家族といえども謎の部分があるのは当たり前。と、思ってはいても、出方が自分の予想とちょっと違うだけで寂しく感じたりする。
でも、たとえば定型詩というような狭くて限定された方法であっても、誰かと深くわかりあえているという確信をもてるというのは、なんとしあわせなことか。
2018/08/05
Evoke Coffee
激変しているサウスレイクユニオンにできたEvoke Coffee。
広い店内がドッグランみたいなことになってました。
このふたり(バーニーズマウンテンドッグ)は生後3ヶ月と10ヶ月だって。
巨大だけど10ヶ月。
お客さんのブルドッグと一緒に、駆け回る駆け回る。
エスプレッソが信じられないほどおいしいお店です。バリスタくんがすごく優秀なんだって。
豆は、ポートランドのHeart Coffee Roastersのもの。
アボカドトーストも食べた。スレートのプレートに、バルサミコとごま。オシャレです。
バーニーズマウンテンドッグはKちゃんちでもリビングルームを走り回っている。
大きい犬はかわいいねえ。
2018/08/04
七夕の上賀茂神社
脈絡なく京都日記のつづきです。
雨が時々激しく降っていた七夕の日、上賀茂神社に行くと、きれいな竹飾りが。
葵(「二葉葵」)の葉をかたどった、ハート型のきれいな短冊が用意されていました。
上賀茂神社、「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」というのが正式名称だそうです。
入ると、まず目につくのがこの「立砂」。
これは「憑代」でもあったそうで、古代っぽい。
本殿の北北西2キロのところにある「神山」という山に降臨した神さまを祀っているといい、造営は白鳳時代、678年。って、また天武天皇の時代だ〜!
この境内にある建物はどれも、定期的に屋根を檜皮で葺き替えているそうです。
以前は伊勢神宮のように建て替えていたのだけど、国宝と文化財に指定されているので今は取り壊して建て直すことはせず、屋根を葺き替えるだけになったと。
この屋根の形!なんてキレイな曲線なんでしょうか。
屋根の隅がきゅう!と上がっているところがぐっとくる。
ちょうど特別拝観実施中だったので、国宝に指定されている本殿も拝見できました。
本殿のほうはカメラ禁止だったけど、なんというか、本当に古い都の断片をちらりと拝見した感じ。
「流造」の原型といわれている建築で、今の建物は文久に建ったものだけど、おそらく白鳳時代の形をとどめているらしい。
摂社のひとつ、片岡社は、紫式部さんが通ったそうで、新古今集におさめられている歌
ほととぎす声まつほどは片岡のもりのしづくに立ちやぬれまし
はここのお社を詠んでいるのだそうだ。
絵馬はハート型(葵の形なのだろうけど)で、紫式部さまのお歌と十二単の絵柄。
雅ですねー。
すみずみまで行き届いていて、清々しい境内。
境内に水が流れているのも、浮世離れした風情をますます濃くしています。
深山幽谷の気配まである。
ちょうど雨が降ったりやんだりの天気だったので、よけいにしっとりとした風情で、なかなか立ち去りがたい、素敵な場所でした。
バスで四条の町へ出ると、大雨でした。
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2018/08/03
地獄に通勤した人
源融さんのお屋敷あとというのに偶然遭遇してちょっとびっくりしたのは、その日の午後、紫式部さんの墓所に行こうと思っていたから。
ときどき大雨の降る七夕の日でした。「紫野」というところに、かなり立派な墓所があります。
室町のころにはもうすでにあったといわれ、本当に紫式部さんの墓所なのかどうかは不明。でもかなり古いお墓で、誰か埋まってるのはたしからしい。
こういうの、発掘調査をしようと言い出す人はいないんですね。
すぐとなりにあるのは旦那さんのお墓なのかと思ったら違って、「小野篁」の墓所だという。
小野篁さんは紫式部さんよりも100年も前の時代の人なので、隣り合ってるってどういうわけ?と思ったら、「紫式部のために小野篁の墓をおとなりに移した」といわれているらしい。
なぜ小野篁が隣に越してきたかというと、小野篁さんは「昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府で閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていた」という伝説があって、紫式部さんは『源氏』という煩悩にまみれたお話を書いたことによりしばらく地獄に落とされたので、小野篁さんに閻魔大王にとりなしてもらったのだ、という話が伝わっているそうです。
井戸を通って地獄に通勤していたという伝説が生まれるような小野篁さんは、生きていたときから相当ヘンな人だったみたいですね。紫式部さんとはウマが合わない気がするんだけど、全然違う二人の天才がほんとに出会っていたら、面白い会話が生まれただろうなあ。
隣り合ったお墓で会話しているところを想像すると面白い。 式部さんがかなりムッとしていそう。
2018/08/02
リアル光源氏のお屋敷
京都の高瀬川。
河原町にあるこの高瀬川に近いR子さんの別宅を、7月に1週間ほど使わせてもらった。
自転車でこのへんをうろちょろしていると、なにやら尋常ではないほど風情のある木の前に、立て札があった。
こう書いてありました。
この付近には、嵯峨天皇皇子で『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる平安時代前期の左大臣源融(822〜895)の邸宅、河原院があった。東西は現在地から柳馬場通まで、南北は現五条通から六条通(一説に正面通)に及ぶ広大な敷地を有する、平安京屈指の大邸宅であった。
邸内には陸奥塩釜の風景を写した庭園を造り、難波の浦から運んだ海水で塩焼きをしては、その長めを楽しんだという。河原町五条の西側に「塩竈町」「本塩竈町」の町名があるのは、このことに由来する。
また、このえのきの大樹が邸内にあった森の名残ともいわれている。
河原院自体も、『源氏物語』で光源氏が自邸として造営した六条院に投影されており、作中では源氏が妻たちとともに住み、冷泉帝・朱雀院の行幸を得て栄達の極みを謳歌する舞台となっている。
へーーーー!
わたくし実は、今回京都でようやく『源氏物語』を読み終えたのでございます。
谷崎潤一郎訳の中公文庫のと、岩波文庫の「原書」とを並べて、ちまちまと毎晩読んでいたので、これまた5年くらいかかった。
ちまちま読んでるのもあり、人物関係がややこしすぎてあまり理解できていません。
3年ほど前にシアトルの紀伊國屋書店で岩波文庫が5割引きセールになったときに、後半をまとめて購入したのでした。
この次に京都に行くまでに源氏を読み終える!という謎のコミットメントをしていたのだけれど、出発前に最後の浮舟ちゃんの物語を100ページくらい読みきれなかったので、かさばるのにわざわざ米国から谷崎版と岩波の最終巻を2冊持っていき(両方で厚さ5センチくらいあった)、京都でようやく読み終わったのだった。
美しくて気の毒な浮舟ちゃん。というより、みんなが気の毒すぎる話だった。
美意識と生まれの高貴さだけが価値のすべてである世界の人々よ。
みんなすぐ出家したがるし、すぐもののけに取り憑かれて死ぬし。
男はほんんっっとみんな最低だし。女は自分の身の程をわきまえてなよなよと死にそうにたよりないのが最高の美徳であり。お坊さんもたよりにならないし。
しかし、光源氏にモデルがいたなんて知らなかった。
リアル六条院のお屋敷があったんだ!
しかも、京都で滞在していたそのすぐ目と鼻の先に!
なんだか縁を感じるわー。源融さんは迷惑だろうけど。
京タウン誌の『LEAF』 のこんな記事がありました。
ひろーい。
女人厄除けで有名だという市比賣神社が、源氏物語の嫉妬に狂って生霊を飛ばし人を呪い殺してしまい、もののけになってさまよう六条御息所にゆかりの場所だというのがなんともいえない。
六条御息所は1000年にわたって日本女性の心に響く存在だったんだ。
御息所の御殿のあとに光源氏が六条院を作ったんだったっけ?そして娘の秋好中宮がその同じあたりの屋敷に住むのだったね。
このエノキの木も苔にびっしり覆われてなんとも風情があるけれど、その後ろのこのお宅、真っ黒に焼いた木を外壁に使っていてこれがまたとてつもなくオシャレ。
看板もなにもない秘密クラブのような料亭ででもあるのか、六条院のモデルになったお屋敷があったという場所にとてもふさわしい、と思ったら、どうやらそうではなく「榎大明神」という神社的な施設らしい。
グーグルマップで見ると、以前は(わりと最近まで)この建物には鳥居がとりつけられていたみたい。
いずれにしても謎の存在。
お庭に陸奥塩竈の風景を作って塩焼きをしたとな。
平安時代がどんな経済システムだったのかぜんぜん知らないけど、 リアルにそんな豪勢に遊び暮らしていた貴族たちを養う余裕があったんだなあ、というか文化ってそういう洗練された搾取の中から生まれてきたんだなあ、とあらためてそのスケール感をここで実感した。
そのころ生まれていたらあたしゃ間違いなく「やまがつ」だ。
お庭で潮を焼く要員ででもあったかもしれない。
2018/08/01
真夏の道で食べ散らかし放題
うひゃー、もう8月だ!
連日快晴のシアトルで30度Cに近付こうものなら「暑い」「溶けるー」とぬかす、ここのシアトル人たちをまとめて東京に送りつけてやりたい。
このごろ朝晩は15Cまで下がる。夜は寒いって。
でもさすがにおとといの昼間などは、もあーっと部屋中暑くなって、冷房入れようかなと思った。
(去年大家さんが古いパネルヒーターをエアコンに取り替えてくれたのでシアトルには珍しい冷房物件になった)。
でも東京の暑さを思い出して思い直し、代わりに扇風機をつけました。
もう草木も伸び切って、そろそろ秋の気配。
スーパーにもブルーベリーが山盛り。安くておいしいブルーベリーは、このへんに住むしあわせのひとつ。
近所の家の庭にヘーゼルナッツの木があって、その前をとおるとガサガサ食べかすが落ちてくる。見ると、枝のあいだにりすが3匹くらいいて、わき目もふらずに宴を繰り広げている。
道を歩けばあちこちにりんごとかプラムとかチェリーとかも食べ散らかされている夏のご近所なのだった。
Rのつく月じゃないけど牡蠣をごちそうになっちゃった。夏でもうまいす!
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