パイオニア・スクエアの胸像 |
今月から地元シアトルの日本語コミュニティ紙、『Soy Source』にちょこっとした小話を書かせていただいています。
何か面白いこと、自分の興味のあること、と考えて、最近ノースウェストの歴史がとても面白いなあ、と軽〜〜い気持ちで歴史の小話を始めてしまったのですが、冷静になれば、まったく専門家でもないのになんだか偉そうな知ったかブリで、と冷や汗三斗。
シアトルご在住の方、ご笑覧いただければ幸いです。
第一回目は以前にブログでもちょこっと書いたことのあるシアトル酋長について書きました。以下、記事と重なりますが、書ききれなかったことなどの追補です。
トーテムポールはアラスカの部族の作で、酋長とは無関係です。 |
19世紀のネイティブ・アメリカンの歴史は、読めば読むほど胸が塞がるひどい話ばかりですが、ここノースウェスト沿岸地域ももちろん例外ではありません。
東から幌馬車隊がやってきて、最初の入植者たちと平和につきあっているうちにどんどん白人の数が増えて来て、そのうち町が出来、役人がやって来て政府が出来、軍隊がやって来て、鉄道が敷かれ、役人から居留地への移動をオファーされ、断る選択もなく応じると数年後にはどんどん居留地が縮小され、…今に至る。というのがデフォルトのコース。
ゴールが「貧乏農場」しかない人生ゲームのようなものです。
途中で反乱をおこしたり居留地への移動を拒んだりすれば、すぐに一族郎党掃討されました。ヤキマでも小さな戦争があり、シアトル近辺の入植地も一時、白人がみな町へ避難する緊張状態になったことがあったそうです。
19世紀半ば、ワシントン・テリトリー(まだ州ではなかった)に東部から送り込まれてきた初めての知事(スティーブンズ・パスに名を残すスティーブンス知事)が、ワシントンDCの議会に命じられていたのが、できるだけ早く当地のインディアン達を居留地に送るよう、条約を取り付けろという任務。
知事はあちこちの部族を回って、白人の偉い酋長=大統領と議会、が求めている条約を提示します。居留地に移って土地を明け渡せば、軍隊がほかの部族から守ってやるほか、料理用ストーブや何やかやの日用品を差し上げましょう、医療や教育も提供しましょう。というような約束。
もちろん居留地は多くの場合、農地にも適さないへんぴな場所にある、白人が誰もほしがらない土地でした。
そして20世紀初頭には同化政策で民族の言葉も文化も危機にさらされるのですが、それはまた後の話です。
現在のシアトル周辺の部族の長だったシアトル酋長が、そのスティーブンス知事と対面したときに語ったというスピーチが、後年、有名になります。
ベルタウンのTilikum Placeの酋長像 |
威風堂々として丈高く、よく通る声で話すカリスマ的存在だったというシアトル酋長は、自分たち部族の時代の終わりを悲しみ、しかし白人にもいつか終わりの日が来るだろう、と予言したというのです。
『あといくつかの月が巡り、あといくつかの冬が巡る頃には、かつてこの地の強大な主であり、この広大な地を満たした者たち、今ではわずかな 群れとなり、茫漠とした孤独の中を彷徨っている者たちはついに一人もいなくなるだろう。かつてはあなた方と同様に強く希望に満ちていた人びとの墓の前で嘆 く者は、一人もなくなってしまうことだろう。』
『しかし、嘆くことがあろうか? 我ら部族の命運に不平を言って何になろう。部族は人からなるもので、一人の人間となんら変わることはない。
海の波のように、人は来たり、去っていく。涙が流され、儀式がとり行なわれ、悲歌が歌われ、嘆き惜しむ我らの目の前から永遠に去っていく。白い人でさえも、神と共に歩み、友人のように神と語らう白い人びとでさえも、すべてに共通の命運からは逃れられない。やはり我らは兄弟かもしれぬ。未来が答えを出すだろう』
そして、居留地に移ることになるなら、最初に条件がある、として、死者を敬うこと、死者たちの思い出の場所に自分たちがいつもはばかりなく行けるようにしてもらいたい、なぜならこの土地のすべてが部族の思い出に満ちているのだから、と言ったといいます。
『黒装束の戦士たち、優しい母たち、ほがらかな娘たち、小さな子どもたちがかつてこの地に、喜びに満ちて住まっていた。彼らの名は失われても、彼らは今もこ
の地の静寂を愛し、この地に結ばれ、夕闇の濃くなる中に仄暗い魂となって姿を現すだろう。最後の一人となった赤い人が地の表から消え、白い人びとの記憶に
残る赤い人の姿が伝説と化した後も、この岸辺には姿の見えない私の部族の死者たちが満ちるだろう。
『あなた方の子どもたちの子どもたちが、畑の中で、店で、
道路で、あるいは森のしじまの中に一人でいると考えるとき、彼らは決して一人ではない。
この地の上に、人が一人きりでいられる場所はひとつもない。夜、あなた方の町や村の通りが静寂に包まれ、人影ひとつないと思うとき、そこはかつてこの地に満ち、この美しい土地を今も愛し、戻って来る死者たちの群れで覆わ れているだろう。白い人が一人になることは決してない。白い人が私につながる人びとを正しく遇さんことを。死者はいつも無力ではないのだから』
この地の上に、人が一人きりでいられる場所はひとつもない。夜、あなた方の町や村の通りが静寂に包まれ、人影ひとつないと思うとき、そこはかつてこの地に満ち、この美しい土地を今も愛し、戻って来る死者たちの群れで覆わ れているだろう。白い人が一人になることは決してない。白い人が私につながる人びとを正しく遇さんことを。死者はいつも無力ではないのだから』
たしかに19世紀のヴィクトリア朝知識人らしい、きらきらしく回りくどい饒舌調で、いったいどれほど酋長の言葉が本当に反映されているのかは不明です。
歴史家の中には全部が作り話だと考える人もあるようですが、Smith氏のほかの著作と比べてこのスピーチの出来は際立っているので、なにかしら印象の種となったものはあったのだろう、という意見もあるし、さまざまな文学や媒体で流通していた滅びゆくインディアン像の集大成とみる人もあるようです。
全文はこちら
シアトル酋長のスピーチ(訳)
長くなってしまったのでつづく。
ソイソース掲載開始、おめでとうございます~。知らなかったわ、さっそくどこかでGETしてこなくちゃ…。
返信削除楽しみが一つ増えましたね。
Kaoruさん、ありがとうございます、お目汚しですが。(こっそり)ご意見お聞かせくださいませ。
削除おお!それはすごい!!
返信削除おめでとうございます~!
早速、手元にあったソイソース7月10日号を見ましたが、
Tomozoさんのお話が載っているのはこれではない・・みたいですね?
また次をもらってきてみます(^^
prunusさん、ありがとうございます。25日号のほうに載ってます〜。
削除ソイソース、先ほど手にして持ち帰って、
返信削除で、ダンナが、『この書いてる人知ってる?』と聞くので見てみると
なんと、Tomozoさんだった・・
(すみません・・気づくの遅いですよね・・)
ダンナが真剣に読んでて、ためになったーと言ってました。
なので、Tomozoさんのブログも読んだらいいよと、紹介しておきましたよー!!
Tomozoさんのブログは、ためになる内容がたくさんあって、
本当に読んでて楽しいです。
私は、大学で英文学が専攻だったし、
ネイティブ・アメリカンの歴史についてもかなり勉強したはずですが、
もう、、、ほとんどうろ覚え。
20そこそこのあの頃の私は(大体がそうかもしれませんが)
バイトに明け暮れて、ほとんど勉強しなかったけれど、
でも、今、この年齢になって、改めてもう一度学びたい、
と思うものですね。
でも、実際には腰が重くて何も学ぼうとしていないので、
分かりやすく書いていただけるTomozoさんのブログで、
少しずつ学び直したいとおもいますっ。
masakingさん、わーー、ありがとうございます。
削除「バッドシャーク」旦那様にそんな真剣に読んでいただけたなんて、嬉しいです。
私も自分であちこちで読んだり聞いたりして、へええ〜全然知らなかった、面白い〜!と思ったことを書いているだけで、ぜんぜん背景知識なんかないんですよー。
こんなことに興味持ってくれる人ってほかにいるのかしら?と思いつつ、記憶力がますます衰える(涙)自分のメモにもなるし、と思って書いていますので、ちょっとでも面白いと思ってくださったら、とても嬉しいです♪
日本語紙でのエッセイ(かな?)おめでとう!
返信削除Tomozoさんは本当に勤勉、努力家、確実に結果を出して行く人ですごいです。
ソイソースって名前もいい♪ 無料新聞かしら。
インディアンの話し、私にとってけっこうタイムリー。
この間知り合いのおじさんが、インディアンのあれこれを熱く語っていたの。新鮮&驚きで、帰ってきてからクリスにその日学んだインディアン情報を知ったかぶって熱く語り継いだのでした。笑
秋の予定、オンだよね?
期待してますよぉー。
Motokoちゃん、とんでもありませんよー。全然勤勉じゃないよ。本当に超いい加減な人生だよなあ、とあらためて毎日思うこのごろ。ソイソースは月2回発行の無料日本語コミュニティ紙です。地元情報に重宝しています。
削除インディアンの話を熱く語るおじさんっていいなあ。
ここのところ、私もなんだか19世紀~20世紀初頭の西部にはまってて、『Lonsome Dove』とか『Legends of Falls』とか見まくってます。
サンディエゴ近辺も歴史が濃いよねー。
秋の予定、まだ何も具体的に手配してないけど、前向きに計画してます!