2021/03/26

急に来るワクチン


東京でも桜が満開のようですね。シアトルの桜も咲き始めました。

今年は、プラムが咲き始めたのは早かったけれど、そのあとで雪が降ったり寒くなったりしたので、花期が長い。ほかの花は例年よりすこし遅いくらいではないかな。

 木曜日の午後はすかっと晴れたので、久しぶりにフィニーに散歩に。 

コブシが満開でした。



先週からまた新しい化学療法を開始しました。分子標的治療薬というのをつかっています。

今回はいままでになく頭がぼーっとしていて、思考力がいつもの20%以下になってる気がする。

春だし。ユーカリをたらふく食べたコアラのように、好きなだけ寝ています。

 


 …で今日もお昼すぎにのこのこ起きてきたら、急に病院からデンワがあり、「コロナのワクチンがあまっているので今から1時間以内に来れば接種してやるがどうか」とのこと。

いやまだ朝ごはん食べてないし。

しかもちょうど、(起き抜けに)午後2時間以内に即納品の小さな仕事を2件受けちゃったばかりだったので、わたしは見送りました。間が悪い。

で、うちの青年だけ、接種を受けに行ってきました。ファイザーのだったそうです。

ちょっと筋肉痛があったけどいまのところその他の副作用はなし。

ワシントン州で現在ワクチン接種を受けられるのは、医療従事者や高リスクの職場で働いている人、65歳以上の高齢者、50歳以上で孫の面倒を見ている人など。その次に16歳以上で既往症など高リスクを持つ人のグループがあって、わたしも病人だからこのグループに入るのですが、このグループの接種が来週あたりからはじまる見込み。

でも、どういうわけかワクチンがときどき大量に余ってしまい、数時間以内に使わないと無効になってしまうため、手当たり次第にリストのずっと後のほうにいる人にまで急に順番が回ってくることもあるのです。

 

 


息子がワクチン接種を受けに行っているあいだに、だし巻き卵をつくって食べた。

日本のふつうの旅館の朝ごはんが食べたいな〜。美味しい海苔と、アジの干物と、大根おろしと、味噌汁とお漬物があれば最高。そして朝日がさす露天風呂。


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2021/03/19

七面鳥団子と言霊


晴れたり曇ったり、忙しいシアトルの春です。

まだ朝晩かなり冷える日もあり、汁ものが恋しい。鶏団子スープ、大型スーパーにターキーのひき肉しかなかったので七面鳥ミートで作ってみたら、やっぱり鶏肉よりも淡白でした。

 


アメリカ各地でアジア人へのヘイトクライムが続いています。先月末にはシアトルのチャイナタウンでも日本人の女性が鈍器で顔を殴打されて一時意識不明になる事件がありました。ひどい。

コロナにうんざりしたフラストレーション、その他もろもろの、思うようにいかない人生のフラストレーションを他人に向けたくてたまらない人たちがたくさんいるのですが。

トランプが任期中に自分の失政から目をそらさせるために頻繁に使った「チャイナウイルス」「武漢ウイルス」などの言葉が、そういうフラストレーションを持った人たちに喜んで受け入れられ、意識に染み込んでいったのは間違いありません。 

日本には言霊(コトダマ)ということばがあります。言葉はそれ自体が命をもち、世界に作用する、という考え方。

ヘイトワードや人をけなす言葉は、最も強く作用するコトダマかもしれません。

使う言葉は見える現実を変え、感じ方のパターンをつくりあげてしまうものだから、怒りのはけ口を集約しやすいヘイトワードがボキャブラリに入っていないかどうか、こまめにチェックするのが本来ならば指導者たる人物の役目なのに。

意図的にセンセーショナルに大衆のフラストレーションを掻き立てて、毒のある言葉を撒き散らした前大統領の置き土産は、まだまだ根強く生きています。

日本の人のなかには、自分を「アジア人」と考えたことのない人がけっこういるかもしれませんが、一歩国外に出たら、日本人も中国人も韓国人も「東アジアの人」。

日本の中に暮らす外国人や隣国の(政府批判ではなく)人たちをむやみに貶めるような言葉を使う人も、アジア人を襲撃する残念なアメリカ人とメンタル的に同等です。

さらに私は最近、口に出さずとも脳内で言語化した段階で、もう言霊は生まれていると思っています。もちろん口に出したり書いたりするのは次のレベルだけれど。

毒のある言葉は、つまり呪いと同等なので、結局まわりまわって自分に返ってくる、ということを、わたしはかなり身をもって痛い思いをして学びました。

気づかないうちに毒を撒いているということのないように。

よい言霊を放って暮らしたいです。


去年の秋ころうちのすぐ近所にできた、ウインドウだけのギャラリー。

コンテンポラリーのアーティストの作品が展示されてます。



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2021/03/13

新しいフリーモントと誕生日



東日本大震災から10年目(日本の日付で)、そしてパンデミック宣言からちょうど1年のこの日、3月11日。たまたまわたしの誕生日でした。

またひとつ、年をとることができました。思えば長生きしたなー。
自分が50歳を超えるなんて、子どものころには考えたこともなかった。

青年が朝からゴソゴソとFUJIベーカリーのケーキを買ってきてくれました。

いちごのショートケーキ。いやさすがにおいしい生クリームです。

でもふたりで食べるにはちょっと大きすぎ(6インチ?)…。
まだ半分くらい冷蔵庫にはいっています。


晴れ女の面目キープ。誕生日の木曜は、雲ひとつない青空でした。
近所ではただいま、いろいろなプラムの花が満開です。

午後納品の仕事をひとつ仕上げて、ひさびさに青年と隣町フリーモントへ散歩に行きました。

本当に気持ちの良い午後でした。

運河沿いの歩道&自転車道、青年はいつも自転車で通るそうだけど、わたしはずいぶん久しぶりでした。何年ぶりか。近いのになかなか行かない。

 


ちょうど橋が上がって、なにが通るのかと思ったら、重機をのせたイカダみたいなものが通過してました。


ここ5、6年くらいでフリーモントもすっかりジェントリフィケーションが進んで、小綺麗になってしまいました。

橋の近くの運河沿いの低層ビルの3棟くらいにGoogleが入居して、ウォーターフロントの一等地を占めてます。


窓越しにジロジロとオフィスを覗いてみたけど、もちろんまだみんなステイホームでお仕事しているに違いなく、木曜の午後のオフィスには、人の姿がありませんでした。

Macの大きなモニターと植木がたくさん並んでて、「瞑想室」という表示がついている部屋も見えた。

シリコンバレーとフリーモントを比べたら、若い独身者にとっては、フリーモントのほうがはるかに住環境はいいと思う。

シリコンバレーには過去数年にわたって何度も仕事で行きましたが、スタバとブルーボトルとベイエリアのチェーン「Philz」以外のカフェは片手で数えるほどしかないし、80年代以降の小綺麗だけれど個性がない住宅街のあいだにテック企業がちらほらとある、平べったくて退屈なアメリカン郊外といった印象でした。

「気」はすこーんと清々しくてとてもよいと思ったけれど、刺激はとてもすくない土地。

20代でGoogleに勤めていたら、シリコンバレーに住みたいとは思わないのは当然。
GoogleやAppleの従業員たちがサンフランシスコから専用の大型バスで通勤しているのが数年前にいろいろな論議のまとになったりしてましたよね。

シアトルはベイエリアに比べたら家の値段も賃貸しの家賃もまだまだ格段に安い。

フリーモントには水辺のバイクルートもあるし、ボートやスタンドアップパドルボードなどの水辺の遊びのアクセスも簡単。

水辺を歩いていると、Theo'sの小さなチョコレート工場からよい匂いが漂ってくるし、マイクロブリュワリーも本当においしいコーヒー屋さんもちょっと気の利いたレストランも近辺にたくさんあるし、タトゥーと鼻ピアスをした人の人口が多いし、レーニン像もトロルも健在だし。

小綺麗になってしまったとはいえ、まだまだ引き続き、ちょっとヘンなものが好きな人にとっては面白い町です。





逆光になっちゃってよくわからないけど、ビーバーが無残にかじりたおした木が伐採されていました。こりゃ危ない。



きれいな綿毛をみつけました。

このような気持ちのよい小道ですが、気をつけないと自転車が猛スピードでやってくるので歩行者は端を歩くべし。

 

わたしはただ歩いているだけでもなにかに追突しやすいので、青年にいつも注意されています。



湖のむこうのダウンタウンのむこうには、霊峰タホマことレーニア山の壮麗なお姿。こんな写真じゃその迫力はちっともつたわりませんが。



この日は橋の下のトロルには会いにいかなかったけれど、いつの間にかベルリンの壁の一部が設置されてました。前からあったのかな。

このあたりには何年か前にタブロー・ソフトウェアの本社が(やはりシリコンバレーのGoogle本社の近くから)引っ越してきて、こじゃれたビルがいくつもできて激変しました。Googleが入ってきたのはそのあとかな。

水辺にはAdobeも入居してて、歩道沿いに、塀に囲まれたきれいな中庭を見せびらかしてます。
これは反感買うと思うなー。とくにバカ高いソフトウェアに毎月お金を搾り取られているフリーモント庶民には……。

どの会社にも人影は皆無でした。

 


家に帰ると、にゃを美先生からパッケージが届いてた!ちょうど誕生日に!! 

日本からの荷物が届くのも、去年よりもだいぶ早くなったような気がします。

いつもかわいい切手のコレクションが貼ってあってうれしい小包です。なかみもうれしいけどパッケージもうれしい。

今回も、星の王子さまや鮭やドラえもんやレオ・レオニやお相撲さんが満載で、楽しい。日本の切手のラインナップはすごいですね。

 


 

まったりと平和な、まことによい一日でありました。


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2021/03/06

ちょうど1年前に本物のプーに会ったこと



だんだんとあたたかくなってきたシアトルです。今日はほぼ雨がちだったけど、気温は12度。

iPhoneが最近、アルバムに何千枚も撮りっぱなしでほとんど忘れている写真を使って勝手にムービーを作ったり、「この日」とポイントを絞って思い出を押しつけてきます。

それがなぜか気味の悪いほどピンポイントに良いツボを突いて来て、思わず号泣してしまったりするのがくやしいのですが、今朝は朝からいきなり「この日」と、1年前の3月4日の写真を勝手に選んで出してきました。

そうだった、1年前の3月4日は、ニューヨークにいたのでした。コロナですべてがシャットダウンする、ぎりぎり直前。

まだニューヨークの街でマスクをしていたのは東洋人の女性が2人くらいだけだった。
なんとなく重苦しい予感が街にあふれていて、消毒液や除菌ワイプはもう売り切れになっていたけれど、ふつうの生活が続いていた。


たった1年前なのに、隔世の感。

最後にきれいな青空の下のニューヨークを見られたのは幸いでした。


このあとに行ったイサム・ノグチ美術館のことは書いたのだけど、図書館を見に行った話は書いてませんでした。

 


 観光名所でもあるニューヨーク公共図書館の「本館」。

ものすごく立派で巨大な建物です。完成は1910年だけれど、設計は19世紀末。

いかにも19世紀の「GRAND(壮大)」さが鳴り響いているような建物です。


 

この過剰なまでの重厚な装飾、壁画。図書館というのは、都市のなかの聖域のひとつだし、都市の誇り、集合的自意識の反映。

建設や運営の資金は、19世紀から20世紀のはじめにかけて、カーネギーさんはじめ多くの富豪がお金を出したそうです。



 

建材も大理石がふんだんに使われていて豪華だしとにかく広いし天井高いし。まるでお城。なんでこんなに巨大でなければならないんだろうか、と困惑するほど。

当時のアメリカの、ヨーロッパに追いつけ追い越せという気概が感じられる気がします。
イギリスやフランスからは、まだ文化度が低く洗練を知らない田舎者扱いされていたアメリカ人たちの、鼻息荒く「今に見ていろ」っていう感じ。

「アメリカの青春」というのは1950年代ではなくて1900年代だったのじゃないかな。



 

でも、中の壁画や天井画は、圧倒的にボストンの中央図書館のほうが素晴らしかった。
ボストンのは、なにしろサージェントさんたちの筆だしね。
ボストンの図書館のことも書こうと思って後回しになっていました。

しかしこの図書館の宝は、壁画ではなく、目立たない1階のすみの児童書コーナーにあるのです!

 


例によって何も調べずに出かけたので、行くまで知らなかったのだけど、ここには「本物の」くまのプーと仲間たちが保管されているのです!!



ほんもののクリストファー・ロビンが持っていた、プーと、イーヨーと、ティガー(トラー)と、カンガと、もちろんピグレット(コブタ)も。




よこから見たところ。


コブタちゃんはかなり使い込まれた感があり、小さいけど存在感が強い。




なんで英国じゃなくてニューヨークに?と思ったけど、図書館のサイトの説明によれば、プーと仲間たちは1947年に米国にわたってきたらしい。どうやら出版社がブックツアーのために米国に持ち込み、そのまま出版社に飾っていたようで、1987年からこの図書館に展示されるようになったそうです。

1998年には英国議会が返還を求めたものの、その後「プーと仲間たちはアメリカの地で幸せですこやかに暮らしていることがわかり、英国の人もアメリカの人も、プーと仲間たちがニューヨーク公共図書館にとどまることに意見が一致しました」とありました。



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2021/02/27

ワクチンとかうさぎとか


花がいろいろ咲き始めました。もう2月も終わりとは!



雨が降ったり曇ったりのあいだに、きれいな青空も登場した金曜日。
小さな鳥が一羽、ずーーーーっと啼いていました。シアトルにはウグイスはいないけど、いろいろな小鳥の声が面白い。


カラスが2羽、近くの枝にとまっていて、小鳥がカラスたちにえんえんとお説教してるみたいで面白かった。

 

先週、花を買おうと思ってひさびさにバラードのファーマーズマーケットに行ってみたら、花屋さんの屋台は2つだけで、ひとつはドライフラワーばっかりだった。

風が強くて寒くて、お店も少なくてすこし寂しいマーケットでした。でも犬たちがたくさんいて(人間つきで)、犬見物が楽しかった。



 

しかたなくチューリップとヒヤシンスを買ってきました。そして蜂蜜。





ワシントン州ではコロナのワクチン接種が1月から始まってますが、デスパレートにワクチンを求めて奔走する「ワクチンハンター」なる人びとも各地にあらわれてるそうです。

知人も、わざわざ片道5時間くらいかかるワラワラという州のはじっこの町までワクチン接種を受けにいくと(たまたまそこに「空き」があったとか…)いってました……。本気か。

アメリカの人は人種や年齢にかかわらず、ワクチン接種を受けたくてたまらない人が大多数のようですが、もちろんワクチン反対派もいるし、陰謀論も根強くあります。

聞いたなかで最高の陰謀説は「コロナのワクチンにはマイクロチップが入っている」というもの。どうやって!!!!

次点は、「ワクチンは信仰心がなくなってしまうように造られている」というもの。……ていうか信仰心はウイルス由来だったんかい!!!

日本ではワクチン接種に消極的な人のほうが多数派だそうですね。

日本はロックダウンもされてないし、人がバタバタ死んでもいないし、温度差がかなりありますね。アメリカの人は本当にもううんざりしているのです。



バレンタインデーが(いつの間にか)過ぎたら、つぎはイースター。
というわけでうさぎやヒヨコのチョコレートがスーパーに並んでました。

よく見るとかなり目つきの悪い、スイスのうさぎたち。こわい。




なぜかコロナ禍で品薄だったという「Peeps」もカムバック。
串焼き的なパッケージが斬新ですが、相変わらず、口に入れていいもののような気がしない色がすごい。

 

 

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2021/02/20

世界の終わりとサンドイッチ



村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を何十年ぶりかに読み返しています。
 
重要なプロットをいろいろすっかり忘れてる。ものすごくおいしいサンドイッチでてきたので、サンドイッチが食べたいなと思っていたら、青年がこんなのをつくってくれた。


 「そのサンドウィッチは私の定めた基準線を軽くクリアしていた。パンは新鮮ではりがあり、よく切れる清潔な包丁でカットされていた。とかく見過ごされがちなことだけれど、良いサンドウィッチを作るためには良い包丁を用意することが絶対に不可欠なのだ」
(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』67p)  
 
 
包丁は研いだばかりだけど、この切り口はどうなんだろう。基準線をクリアしているのか。
なんか切りそこなった跡があるけど。
 
 1985年に出版されたこの小説。
村上春樹作品のなかで一番印象に強く残った小説だったけど、いま読み返してみると、ああこの過剰さは80年代だなあ、と感じる。

80年代の東京のあの狂ったように調子にのった過剰なカルチャーって、いまの中国に似てるものがあると思う。
 
村上春樹の書く世界は、そのカルチャーとは外れたところにあって(対極とはいわないけれど)、当時の作品は、最近の作品よりも、もっとずっと暗かった。

表面的にさっと見るぶんには文体もポップで軽いのだけど、奥のほうにものすごく重い絶望感がしまわれてあって、読後にときどき全身の力が抜けるほど絶望に共振させられてしまっていました。

真面目な話、80年代に村上春樹のある短編集を読んだあとでひどい鬱になってしまったくらいです。春樹さんのせいだけではないけれど。まことに感じやすく影響されやすかった10代のわたくし。

今回読み返してみて、必ずしもその時代の主流の文化と同じ方向をむいていなくても、その時代のもつオーラみたいなものはいやおうなく反映されるものなんだな、と思いました。
そういうのって、そのさなかにいるときにはわからないものですね。

 



うちの青年も村上春樹は好きだけど、残念ながら原文で読むほどの日本語力はないため、英語の翻訳版で読んでいます。 このあいだクリスマスプレゼントの一部としてこの『世界の終わり…』英語版をあげたので、わたしも読み返してみようと思い、本棚から引っ張りだしてきました。
 

文学の細やかな日本語表現を子どもと共有できないのは残念だけれど、読むのが好きになってくれてよかった。高校までは学校で必要に迫られないかぎり、全然本を読まなかったんですよ。
高校のシニアのときから6年間つきあっていたガールフレンドのキリコちゃんが読書家だったのが、大きく影響したようです。

青年はなぜか朝からヴァージニア・ウルフを読んでました。 
 
 
 

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2021/02/17

青空とロビンと岡本太郎


週末とはうってかわって、晴れたり曇ったりで青空もみえた火曜日でした。

今日はかなり気温もあがって(昼間は7度Cくらい)もうすっかり雪は消えてます。



降った量もシアトルにしては規格外だったけど、消えるのも爆速で、集合的なダメージは最小限にとどまったかな。

でも、今日散歩してたら、続けざまに何台も、車体に「一体何が!」と思うような大きな損傷のある車とすれ違ったのだけど、もしかしてそのうち何台かは、この週末に果敢にも雪のなかを運転した結果なのかも…。

 
変わった色のウィッチヘーゼル(マンサク)。きれいなオレンジ色です。



ずいぶん膨らんでるロビン。うちのアパートのすぐ前に南天みたいな赤い実をたくさんつける木があって、ここ数週間、ロビンたちが集団でそれを食べに来ていました。

 せまい裏道をはさんでお向かいにヤナギ(日本のしだれ柳とは違う種類)の大木があっるのですが、その枝に団体で止まって、順番に十羽くらいずつ、路地の反対側の木に飛来してきて食べる。 そういうときは同じロビンばかり何十羽もつるんでるけど、それ以外のときは完全単独行動。鳥の世界も面白いですね。

鳥って、自分と同種の鳥と、ほかの種類の鳥と、それ以外の動物と、どういう感覚でつきあってるんでしょうか。



夕陽を浴びたマグノリア(これはたぶん、コブシか木蓮か)のつぼみたち。開花ももうすぐ。


この間、岡本太郎の『日本の伝統』という本を読んで、すごく面白かったので、感想文的なものをデジタルクリエイターズのメルマガに載せていただき、NOTEに転載しました。

こちらです。

お暇がありましたらご笑覧くださいませ。

太郎さん、面白い人でしたね。 

 18歳から10年間フランスに行ってて、太平洋戦争直前に帰国して徴兵されたというの、知らなかった。

特に作品のファンではないけれど、とても純粋な人だなあと思うし、その主張の多くにはうなずけます。

日本の文化に「変態的なゆがみがある」という言い切りがすごい。昭和30年代だからこそ言えたのだと思う。

昭和30年代ならではの言葉づかいも(「モーレツに」とか)面白いです。

 

 


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