2019/11/15

短すぎる。そしてモノレールとパラサイト


今週末は雨がちのシアトルです。

葉っぱもすっかり散って地面が豪華だけどお掃除たいへん(<他人事)。

ちょっと晴れた夕方にはあっちこっちで落ち葉かきのホウキの音が。ホームオーナーの皆様お疲れ様です。綺麗な葉っぱを堪能させてくださってありがとう。


さいきん日が短くなったので(そして冬時間に戻ったためもあり)、あっという間に夜になってしまう。4時半には日が沈んでしまうんだもの。

うっかり昼近くまで寝ていると、昼間が4時間で終わっちゃってびっくりだ。

…とCTちゃんに話したら、とも蔵、頑張ってもうちょっと早く起きなよ、といわれた。わたしもそう思う。


ところで、シアトル生活10年にしてはじめて、モノレールに乗りました。

ワシントン大学からシアトルセンターの近くへの路線を検索したら、Siriちゃんが電車とモノレールでゆけというので。

ワシントン大から電車でウェストレイクへ、そして地上へ出てモノレール駅へ…。
て、駅はどこ?

モノレールの線路が終わってるところ(↑)は知ってたけど、乗り場はいったいどこにあるのか知らなかった。ダイソーがはいってるビルの3階が乗り場だったんですね。


前からこんなだったっけか?
ライトレールができてから、モノレールが交通システムの一部に積極的に統合されるようになったのではないかしらと思う。推測だけど。ビルの中のこの案内板、ピカピカだし。


モノレールって1962年の万博のときにできて以来(スペースニードルもその時できたやつ)、路線を伸ばす話が何度かあったみたいだけどいまだにウェストレイクとシアトルセンターの間の一駅だけで、乗る人いるのだろうか?ってつねづね不思議だった。

この日(火曜日の午後5時ころ)は会社帰りらしい人、ヨガマット持った人など、日常につかってるっぽい人が10人くらい乗ってました。



まわりの街はこの10年ほどでものすごく変わったけど、線路も車両も(たぶん、少なくとも見た目は)1962年のまま。レトロフューチャーでかわいいです。

乗車料金は3ドル。乗車時間たったの2分で3ドルってずいぶんお高いわね、と思ったけど、あとでORCAカードの明細を見たら、電車からの乗り換えなので50セントしか取られてなかった。ワシントン大からシアトルセンターまでの片道合計が3ドル25セントでした。



モノレールに乗って何しにいったかというと、SIFF UPTOWNでやってるこの映画↑をみにいったのでした。
邦題は『パラサイト 半地下の家族』。日本では1月公開。

面白かったです。怖いですよ。ホラー映画の新しいジャンルかもしれません。今年のカンヌ映画祭でパルムドールをとっている。

貧乏家族の映画というと去年のパルムドール受賞作、是枝監督の『万引き家族』とつい比較してしまうけど、これはまたぜんぜん違うテイスト。

コレエダ作品がおでんだとしたら、これは…キムチ山盛り、にんにくたっぷり、唐辛子たっぷりのチゲ鍋といったところではないでしょうか。

「微妙なニュアンス」はほぼなくて、ぐいぐい押しまくってくるので、うわーもうお腹いっぱいです!となる。でも、俳優陣がとてもよくて、映像もディテールもよくて、終わり方もよかったな。
 
これは名画座で『JOKER』と二本立て上映してほしい。タイトルは「持たざる者たちの反乱」でいかがでしょう。


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イザベラさんの館と盗難事件


とほうもないお金が転がりこんできたら、何に使います?

世界を旅して、大好きな美術品を買い集めて、それを展示する美術館兼住居を建て、それがコミュニティの文化の中心として育っていくのを見届ける、という、もう羨ましいとかそういうレベルじゃない人生を歩んだのが、イザベラ・スチュワート・ガードナーさん。

スーパーリッチ階級の令嬢として1840年にニューヨークシティで生まれ、パリで教育を受けたイザベラさんは、ボストン出身のガードナーさんと知り合って結婚したあと、幼い息子をなくし、しかも流産して子どもが望めなくなるという悲劇にみまわれます。

で、うつ状態になった彼女の健康を取り戻そうと旦那さんがヨーロッパ旅行に連れ出し、なんと1年間も旅行しているうちにすっかり元気になって、社交界の華にかえり咲いたそうです。

51歳のときに父の莫大な遺産を相続したあと、ヨーロッパの美術品をどっさり買い集めて、徐々に美術館建設を構想。

夫が急死したあともそのプロジェクトに取り組み、ちょうど19世紀の終わりに4階建ての壮麗なベネツィアふうの館を建てて、20世紀になったばかりの1903年に美術館としてオープン。

いまもその館がボストンの重要な美術館でありつづけてます。

4階は生前、イザベラさんの居室であったそうです。



「PALACE」と呼ばれるこの旧館は、オープン当時とおなじく1階から3階までが美術館になっていて、それぞれテーマの違う部屋が各階4〜6室くらいあり、ルネッサンス時代の貴族の居室のようなかっこうで、家具やタペストリや絵画やその他いろいろなものが飾られてます。



悪魔を踏みつける大天使ミカエルさん。


天秤に乗っているこの白い人はなんだろう。泣いている。


心惹かれたタペストリ。巨大昆虫が飛ぶ庭を、かたつむり的なドラゴンにのって散歩する人。なんだろうこの人。
 
わりあいに暗めで、ほんとうにいろんなものがいっしょくたに飾られているので、思いがけない大家の作品がさりげなさすぎる隅のほうにひょいっとあったりしてびっくりする。



ルーベンスだよ。

また例によって何も下調べをせずに行ったので、この「オランダの間」にあったこのからっぽの額縁を見て…
 

…ん?貸出中なのかな?と思ってしまったのですが、これはなんと、盗難にあった絵画だったのでした。

1990年3月18日の深夜、警官をよそおった男2名が押し入り、警備員を縛って、レンブラント3点、フェルメール1点、そのほかドガやマネの作品含む全部で13点を奪って逃げた。という、超有名な事件だそうです。

そういえば、うっすらどこかで聞いたこともあったような。

13点の美術品のゆくえはいまだに不明で、13点ぜんぶの無傷のリカバリーにつながる情報には、1,000万ドルの報奨金が提供されてます!


あっ!ボッティチェリだ!

この聖母もかわいいですねぇ。ウフィツィ美術館にあった、師匠フィリッポ・リッピの聖母像ととっても似た感じ。

なにも知らずに出かけるというのは、「えっそうなの!」「あっこんな作品が!」という出会いの驚きがあって楽しいんですが、メジャーななにかを見逃すという危険もあります。

ここに収蔵されてる中でいちばんの有名作品はティツィアーノの「エウロペの誘拐」だそうですが、すーっと見てスルーしちゃってて、記憶に残ってません。


こちらは1階の小さな書斎のようなおもむきの部屋「黄色の間」。いろんなものがところせましと飾られているなかで存在感を放っていた、マティスの絵。


こちらは半屋外の「スペイン回廊」にある、ジョン・シンガー・サージェントの作品『エル・ハレオ』。ドラマチックです。

湿気とか大丈夫なの、とちょっと心配になるようなセッティング。もちろん厳重に管理されてるのでしょうが。

この回廊に貼ってあったスペインかポルトガル製のタイルも素敵だった。

サージェントはイザベラさんと親交が深く、イザベラさんの肖像画も描いてるし、招かれてこの美術館内で制作をしてこともある。


サージェントによるイザベラさんの肖像、1888年制作。

サージェントはアメリカ人だけど、生まれ育ちはフィレンツェ! 

イタリアとパリで教育を受けて、パリとロンドンを活躍の場として、生涯のほとんどをヨーロッパで過ごした、いわば「米系2世」のヨーロッパ人です。

ボストンに縁が深く、アメリカ初の個展はボストンで開催し、図書館とボストン美術館で壁画を制作してる。最初にボストンとニューヨークに渡ったのは、このイザベラさんの肖像を含む20ほどの肖像画制作のためだったそうです。

画家にむかって絵がうまいっていうのもなんだけど、この人ってほんとに絵がうまいなあ、と思う。

肖像画で有名な人だけど、この人の描く肖像画はほんとうにいきいきしていて躍動感があって、品格があって、しかも嘘くさくなくて、美しい。当時ひっぱりだこの人気作家だったのもうなずけます。


サージェントの水彩画もいくつか展示されていました。風景画も超うまい〜!
この一番上のは、ヴェネツィアの風景をさらさらっと描いた水彩画。いいなあ。
晩年は肖像画制作の看板をおろして、風景画に没頭していたようです。

この人は、印象派の画家たちやピカソとかマティスとかのように芸術の新潮流を切りひらいていったアーティストではなくて、むしろ職人的にもくもくと仕事をして自分の知っている美の世界を深く追求していった人で、だから当然、先端のアーティストにや評論家には時代おくれとしてバカにされたりもしたのだけど、それはそれとして、私はとても好きです。



旧館の外には小さな庭もあり。

そして2012年にオープンしたばかりの新館は、なんとレンゾ・ピアノさんの設計だった。
(たった今知りました…。)

最近よく遭遇するピアノの建物。去年たまたま行ったらすごかった、ヒューストンのザ・メニル・コレクションの本館もピアノ設計だった。

こちらも素敵な建物でした。モダンだけど明るくて空気が軽くて、優雅な旧館との違和感を感じさせないのがすごい。

美術館のウェブサイトより

新館ではコンテンポラリーアートの展示がありました。
定期的にコンサートもひらかれているようです。こんなん近所にあったらいいな。


ちょうど閉まる直前にカフェにすべりこみ、コーヒーを頼んだら、こんなかわいいポットにはいってきた。


小さな温室も併設されています。フワフワなサボテンもありました。

あの世のように綺麗な庭といろんな時代の綺麗なものを眺めつつ、この世の幸せをつくづく感じられる美術館でした。ああ幸せ。イザベラさんありがとう。

レンブラントとフェルメールが見つかるといいですね。

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2019/11/09

イザベラさんの庭で


ときどき、自分がもう死んでいるんではないかと思うことがある。

ボストンで絶対行きたかった場所のひとつ、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館。ここでもそんな思いをしました。


イタリアン・ルネッサンス様式(19世紀末〜20世紀の建築なのでリバイバルというべきなのだろうけど)の緑ゆたかな中庭。

とぽとぽと小さな噴水の水音もして、大輪の菊の花と熱帯の花が咲く中に、とつぜん美しいソプラノが流れてくる。

はい?ここはあの世ですか?と思うほどの、尋常ではない美しさ。
ありがたやありがたや。なんだこれ。



中庭で突如はじまり、突如終わった歌の一幕。うちの息子と「いったいこれは何だろう」 と言いあっていると、黒と金が鮮やかなキモノをアレンジした衣装に身をつつんだ歌い手がしずしずと息子にむかってやってきて、
「あなたに音楽の贈りものをさしあげたいのですが、受け取っていただけますか」と言う。

台湾のアーティスト、リー・ミンウェイさんのSonic Blossom』というインスタレーション作品なのでした。

ふたりの歌手がかわるがわる、中庭をぶらぶらしている観客を選んで唐突に「音楽のおくりもの」を申し出て、観客がOKすれば(たいていする)、中庭の真ん中に特別にしつらえられた椅子に案内され、 シューベルトの歌曲をプレゼントするという、そういう作品。




特別席に案内される青年。なんか渋谷にいる兄ちゃんみたいだな。

この小柄な歌手の方、ヘアスタイルは刈り上げで90年代ロックバンドのボーカルのようなんだけど、ほんとにこの世のものとは思えないほど素敵な声で、最初は録音なのだと思った。(伴奏のピアノは録音でした)



この世のものとは思えない庭で、とくべつな椅子に案内されて、この世のものならぬ歌を贈られたうちの息子は、この世ならぬ経験をしたようです。

ミンウェイさんの、この作品についてのアーティスト・ステートメントには、お母さんが手術を受けて入院していたときに、唐突にどこかから聴こえてきたシューベルトの歌曲に言い尽くせないほどの癒やしを感じた、とあった。

「老い」や「死」が、抽象的なものではなくて現実として突然目の前にあらわれるという体験を経て、この作品をつくったという。

ああー。このうちの息子がこのおくりものをもらったのは偶然じゃないのね。

この青年も、本人はまあ言わないけど、去年の暮れから今年にかけてわたしが入院したりしていたときに、ずっとそんな経験をしてて、今もし続けてるんですよ。

「シューベルトの歌曲のように、私たちの生涯もごく短い。でもだからこそ、さらに美しいのです」とミンウェイさんのステートメント。



曲は、「Du bist die Ruh(あなたはわが憩い)」、D776。


熱帯植物やコーニスや大きな菊の花が配されていて、真ん中にはイタリアの遺跡から運ばれてきたというメデューサのモザイクがあり、イタリアふうの噴水がある。

ほんとうの折衷主義だけどとても落ち着いている、不思議な庭。



このあとこの青年は、しばらくの間、頭があの世に行ってしまったらしく、何を見ても何も頭に入らなかったそうです。

このインスタレーション作品はNYCのMETとか、あちこちの美術館などで行われてきたけれど、ここの美術館では今ずっと継続的に進行中。これほど作品に合った場所、場所に合った作品はめったにないのではないかと思います。


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流れるものとおいしいもの


快晴つづきだったシアトルですが、今週末はようやく雨が来る予報。


今年の紅葉はほんとに綺麗でござったことよ。


ボストンは昨日あたりから急激に冷え込んでいるそうです。息子にヒートテックを買いなさいというておいた(近くにユニクロがある)。



木曜日、久しぶり〜〜(何年ぶりか!)にアートウォークに行ってきました。
キングストリート駅の上にこんな広いギャラリーができてるなんて知らなかった。
ここはシアトル市の運営するスペースで、50名の地元アーティストをフィーチャーしてます。

日本人アーティストも数名。日系アメリカ人の方も。さっと見渡しただけでも、シアトルってけっこう日系の文化の影響が色濃いんだなあと思わされました。

パイオニア・スクエア、ほんとにギャラリーが増えててびっくり。
しかもすごく規模の大きな(広い)のがいっぱいできてるんですね。
 たまには出かけなくては…。

artXchange gelleryの、June Sekiguchiさんというアーティストのインスタレーション作品「The Pulse of Water」がとても印象的でした。

タイのメコン川をモチーフにした作品で、何層にもなった流れが、繊細な色の切り絵のようなカットアウトで表現されています。



川はいろいろなメタファーをふくむ、とてもパワフルな存在。流れるものにはいくつもの層がある。

ひどい写真ですみません。実物は断然もっと素敵。
こっちのギャラリーの写真を見てね。11月末まで展示中。
そのあとはサンファンアイランドの美術館に展示予定だそうです。


ごちそうになりました〜。江戸前寿司は、ほんとに世にも美しい食事だよね。
ごちそうさまでしたー。


こちらも美しい、舞踏家(または踊る数学者)薫先生のお手製梅が枝餅。
ごちそうさまでした〜。

おいしいものをおいしく食べられる幸せよ。

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2019/11/05

いろいろあったのだ


ボストンて、空気の密度が濃い気がしました。

西海岸のすっこーんと抜けた空気とは、なにか違う。


どよんとしているというのではないのだけど、こう、空気に存在感があるというか、重量があるというか。

気圧や、土にまじってるものや、大西洋からただよってくるものに関係あるのかもしれません。


ひと月の滞在中、1週間は風邪ひいてケホケホずるずるしてたし、半月は体調があんまりよくなかったので、よけいに重く感じたのかも。


こちらは、ボストンパブリックガーデンの隣にある「ボストン・コモン」。

イギリス植民地時代の1634年に創立されたという、「アメリカでいちばん古い公園」をなのっています。

日本では島原の乱のあと、徳川幕府が鎖国政策を完成させるちょっと前ですね。

でももちろん、そのころから今のように人びとがピクニックをしたりマリファナを吸いに来るような公園ではなく、最初は清教徒たちが牛を放牧する共有地だったようです。


隣の「ガーデン」がお花いっぱいで華麗で明るいのとは対照的に、道一本へだてたコモンは、なんか殺風景です。寒々しているといってもいいくらい。
とくにこの日は曇ってたので写真も暗い。

真ん中あたりに低い丘があって、こんな巨大なモニュメントがある。南北戦争で戦死したボストン出身の兵隊さんたちを記念する塔だと書いてありました。

今ではティーン・エイジャーたちがマリファナを吸いに来る場所になっているようです。
ちょっと「イキった」かんじの少女たちがケホケホしていました。若者よ。



18世紀、独立戦争の前にはここで植民地軍があつまり、英国軍が駐屯し、戦勝後はジョージ・ワシントンやジョン・アダムスがあつまって祝ったそうで、南北戦争の前にはこの地で奴隷制反対の集会が開かれたという場所でもある。



回転木馬があります。木馬じゃないものも回っています。



この公園には19世紀まで巨大なエルムの木があって、ボストンのランドマークだったそうです。

(ウィキコモンズより)

公園は、最初は牛の放牧地であり、罪人がさらされたり処刑されたりする広場でもあったのだそうです。
島原の乱のころ。世界のどの国でも罪人は生きても死んでもさらされるのが当然の世の中でありました。

このエルムの木は「公園」のごく初期から公開処刑の道具となって、最初は1670年代、英国軍とたたかったネイティブ・アメリカンが吊るされ、その後は海賊や「魔女」も吊るされたそうです。

17世紀の魔女裁判は近くのセーラムが有名だけど、ボストンでも「隣人より口が達者だった」というような理由だけで魔女として処刑された女性の記録などがのこってるそうです。




コモンのすぐ外側、市庁舎と議事堂がある向かい側には、こんなレリーフがありました。
南北戦争を戦った黒人部隊、第54マサチューセッツ歩兵大隊を称えるレリーフでした。



この部隊の話はデンゼル・ワシントン主演の映画『Glory』にもなってます。
おお、あれか!と思ったものの、映画をよく覚えてなかった。



コモンの別の側には、通りをはさんで80年代のシットコム『チアーズ』のモデルになったというお店「CHEERS」があって、アメリカ人のおじさんおばさんたちが団体で並んでました。有名なドラマだけどほとんど観たことない。


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