2019/07/10

越後屋さんたちのそれからと、お江戸のご馳走



5月下旬の東京。
お江戸日本橋の三越ライオン君。英国生まれだそうです。




店内もなにやら、すんごく素敵。

お昼を食べに行く前であったし、日本橋マダムたちとの間に見えない壁を感じて中に入らず通りすぎてしまったけど、これ隈研吾のデザインだったんだー!
くうううう‼ 足を踏み入れて中から見ておくのであった。

東京は本当に情報が多すぎて頭がぼんやりしてしまう。



行ったのはこちら、コレド室町。
COREDOって、core+EDO(江戸)で「江戸のまんなか」っていう意味かしら。と思ったら、やっぱりそうでした。

三井不動産が開発。ビルそのものの意匠も、街並みも、徹底して和風を意識したつくり。

そして入居してるのも和食のお店が多く、ショップも石見銀山ショップや包丁の木屋や、昆布屋さんやお茶屋さんや漆器の店など、和もの系が多いラインナップ。


鰹節のにんべんがやってる「日本橋だし場 はなれ」。「一汁三菜スタイルの和ダイニング」という謳い文句で、ひじき、おから、きんぴらがついてくる、地味ながらなごむお食事。きれいな鰹節がテーブルにおいてあり、使い放題でした。

この日のランチは、福岡から飛んできてくださったりょんさんと。

学校で飼育されているうさぎなどの動物たちの福祉(ただ檻に入れて放置されているだけのことも多く、やたらに増えてしまったり、学校が長い休みのときには世話が行き届いていないことが多いそうです)と、子どもたちと動物のふれあいを推進しているベテラン教諭です。
去年はその関連のレポート英訳というお仕事をさせていただいた。

りょんさんのようにどこまでもどこまでも心優しく、世の中にダイレクトに違いを作っている方にお会いしていると、自分のことばっかり考えている自分の視野の狭さが恥ずかしくなってきます。


ビルの谷間に神社。おいなりさんです。

これも三井不動産が、コレドと込みで開発した物件。
こちらの記事に詳しく書かれてました。

この神社は「江戸」そのものよりずっと昔、9世紀からあるという実に古い神社なのだけど、一時はビルの屋上や居酒屋の中に祀られていたそうな!それを三井不動産が「日本橋再生計画」の新しいランドマークとして、敷地を確保したというものです。

おもしろーい。都心の再開発で敷地を割いて、公園ならぬ神社を再生する、って、昭和の時代にはなかった発想だと思う。



 ビルの外壁のウインドウにはこんな、ため息が出るほど美しい細工も飾られています。

日本橋って何年ぶりだろうか。
ずいぶん昔、それこそ今のうちの息子くらいの年のとき。八重洲にあった小さな広告会社で働いていたことがありました。
そのころからはずいぶん街も人も変わった。

明治維新から150年、敗戦から70年以上たってますが、最近ようやく(たぶん21世紀になる頃から徐々に)日本の<和風>をコアに取り入れた、自信あふれるデザインが増えてきたなあ、と思います。今はもう、東京の新しいビルっていうとほとんど和風なニュアンスといってもいいほど。

ビルの名前が和風になってきたのもそれを反映しているし。

戦後の建物のデザインって本当にカオスで、まわりとの調和なんていう発想すらない街並みでした。ハングリーな昭和は、パワーはあったけどデザインは醜かった。咀嚼できていない西洋を無理やり移植しようとしていた。
そのころの街や建物は、アイデンティティのない、というか、敗戦をひきずっていた時代のアイデンティティを反映していたのだと思います。西洋への憧れと誤解と高度経済成長の生命力がごっちゃになってすさまじかった。
今はデザインが成熟してきて、その分景気は後退して国の生命力は衰えつつある。皮肉というか。



三井本館。「越後屋」があったところだそうです。

「おぬしも悪よのぅ」の越後屋だのぅw

関東大震災後、1929年の竣工で、設計も施工もアメリカの事務所によるもの。
国の重要文化財に指定されています。

この円柱のスケールはすごいですね。
ニューヨークのウォール街近辺にある建物にもひけをとらない。というよりそれより状態が小奇麗で(さすが日本)ピカピカしているから、堂々たる風格を感じます。



こちらは、そのすぐお隣にくっついているマンダリンオリエンタルのビル。これも三井さんの地所で、もちろん三井不動産の開発。

お隣の三井本館の新古典主義様式の、パンテオンみたいな巨大な柱のデザインをトレースしつつ、やっぱり和のニュアンスが濃い意匠ですよね。

メタリックな金色が使われてるところにちょっと中華味が入ってる感じもするけど、格子風の縦ラインといい、渋いえび茶の日よけや暖簾といい、メインは中華資本のホテルとはいえ「もと越後屋」の看板にぴったり。


そのあと行った、銀座の無印良品旗艦店。オープンしてまだ間もないせいか、むっちゃくちゃ混んでいた。
ここも上のほう、格子風デザインですね。

MUJIも、戦後のカオスの中からシンプルな和デザインの美しさをいちはやく提唱して牽引してきた張本人でした。そうそう、原研哉さんとかが中核にいたんですよね。「真ん中になにもない」というシンプルさの哲学を再発見して、それを生かし始めたデザイン。


愉快なマダムMファミリーにつれていっていただいた、激ウマ焼き肉。美しいお肉。
わたしの知っているおニクと違う…。なにこれうまい。涙でそう。
マダムMファミリーは3人家族で、サーファーde外科医のパパ、バンドマンde医学生の息子、おっとりした美人主婦マダム。みんな面白い人。
うちの息子はハワイにいたときに毎年遊んでもらってた。
どうしてわたしの周りには、こんなに心優しく面白い人ばっかりいるんだろうか。


ついでに、別の日、その昔八重洲にあった(いまは移転して虎ノ門)会社のもと上司、K社長にご馳走していただいたヤキトリ!
なにこれ私の知ってるトリニクと違う。めちゃうまでした。
シメに名物だというドライカレー。これがまたウマウマ。

このK社長は、20代半ばのとき、今から考えると明らかに社会人未満というかほぼ人間未満であったわたくしを、バシバシ鍛えてくださった恩人です。ライターのしごとで入ったのだけど、まーよく採ってくれたわ、と思います。最初のうちは赤入れるほうが時間かかってしょうがなかったと思う。
2年ほどしかいなかったというのが信じられないほど濃かったです。K社長は20代の小娘にはちょっと話についていけないほど博識で、文章の書き方から仕事の仕方まで、色々な道理をきちんと整理して持っている方で、会議のたびに頭がパンクしてました。


マダムMと六本木へ。


森ビルでアートナイトをやっていて若いもんたちが群がってました。
東京はほんと夜が遅い。
シアトルはお店、どこでも10時にはしまっちゃうし、バーも1時ころまで。
2時すぎてやっているお店はとても少ないですが、東京はまあ、景気が悪いとかいいながらネオンが明るいこと。夜明けまで遊ぶ人の多いこと。


おばちゃんはちょっと疲れてしまって早々に帰りました。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2019/07/07

くまコーヒーのモカコーヒー


シアトル地元のロースター、KUMA Coffeeの、このエチオピア豆「SOLOMO」がめっちゃうまいです。最近飲んだなかでぴかいち、直球でツボでした。

もともと、少し酸味があって香りが高いエチオピアのコーヒーが好きなんだけど、これはほんとに超ウマで、びっくりした。

香りの説明には「マンゴー、ライムエイド、キウィ、ピーチ」と書いてありますが、 南国フルーツだけでなくキャラメルのような明るい香りがぱーっと立って、甘みとコクもあってちょっと薄めに入れてもおいしい。


豆がとても小粒です。

袋には、エチオピアGUJI地区のエアルーム、と書いてある。

ウェブサイトだと1袋(340g)19ドルだけど、ご近所スーパー(バラードマーケット)では14ドルでした。

エアルーム品種っていうのがあるの、知らなかった。日本だったらかなり高値になるんじゃないかな。


ところで「モカ」コーヒーというのがイエメンとエチオピア産のコーヒーだということを、わたくしはつい最近はじめて知りました。

エリトリアやソマリアの向かい側のイエメン。紅海の出口に近い、海峡が一番狭くなってるとこのちょっと内側に、たしかに「モカ」という港がありました。


エリトリアのアッサブという港町の対岸です。


広域図。まさに、海賊が出るあたり。

現在のモカの町はこんならしい…(悲)。

ウィキコモンズより、1996年の風景)

15世紀から、ここでコーヒー豆が出荷されてたんだそうです。

そしてウィキペディア先生によれば。

「 かつてモカの港からは、イエメン産のコーヒー豆の他、対岸のエチオピア産の豆も一緒に輸出されたため、両国産のコーヒー豆を合わせて「モカ」と呼んでいる」
 へー!

さらに、
「エチオピア産はブラジルなど苦みが強い豆とブレンドされることが多い。特に苦みの強い、ジャワ産ロブスタ種とのブレンドは、モカジャバとして親しまれている」
だそうです。

へー‼
モカジャバって、そういうブレンドだったのね。全然知らんかった。

寺山修司の歌に

<ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し>

というのがありますが、本来のモカは苦いコーヒーじゃなかったんだ。

<モカジャバはかくまで苦し>じゃ、違う歌になっちゃいますね。




この間、東京に行ったとき、代官山のモカ珈琲専門店、Mochaというお店に行きました。

ここの豆は100パーセントイエメン産。

エチオピアの豆よりも少しアーシーな感じでした。
同じ国でも、それぞれのマイクロな産地によってまた少しずつ違ったりするのかも。

イエメンって、今、内戦まっただなか。
政情不安定で大変な地域から、はるばるやってきた豆たち。


ほんとに、のんびりおいしいコーヒーを飲んでいられるって、めちゃめちゃ恵まれてますよね。ありがたい。

モカの町もいつかまた平和な港になる日が来ますように。
 

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

ポジとネガ、リプレゼンテーションとピザ



独立記念日はファースト・サースデー(第一木曜日は美術館の入館料金が安くなり、遅くまで開いてるのです)でもありました。

そして、舞踏家・薫さんをモデルにしたRuthie.Vさんの作品がSAMギャラリーに飾られているので、シアトル美術館に集合だったのです。


モデルと実物!

狙ったのか偶然か。お召し物が白と黒で、ポジとネガ、みたいですね。
裾の花模様も響き合っている。

カメラ(iPhoneなのに)を向けると、すっと舞台の上の人になってしまう舞踏家です。



この日は特別展『Victorian Radicals』(ヴィクトリア朝時代の過激派たち)をやっていて、そちらも見に行きました。なにしろ通常29.99ドルのところ9.99ドル。お得です。

さくっと見るつもりが、けっこう熱心に考え込んでしまい、三々五々ながら一緒に行ったはずの皆様にすっかりはぐれていつの間にか一人になっていた。

東京でラファエル前派展をやっていたのに見てこなかったことをすごく後悔していたこともあり。

わたしはラスキンさんについて、というかラファエル前派についてまるで誤解していたなあと思いました。いつもながら。本当に何も知らなくてごめんね、ラスキンちゃん。
 
こちらはまた今度ゆっくり。



ネズミ君とアンゼルム・キーファーさんのひまわり(泣くほど好き)にも挨拶し。


3階ギャラリーのこちらも特別展。

これもまた、さくっと見るつもりが、惹き込まれました。

Zanele Muholiさん、南アフリカのアーティスト。LGBTの活動家でもある。
世界各地で撮影したセルフポートレイトです。


いわば一種の「コスプレ」を通して、見る人に

「a discomforting self-defining journey, rethinking the culture of self-representation and self-expression」

(居心地のわるい、自分を定義する試み、セルフ・リプレゼンテーションと自己表現の文化について考え直す機会)
を提供する、という。

このrepresentationって、人類学の講義でも現代美術史でもさんざんでてきたんだけど、日本語でなんて訳したらいいのかいまだによくわからない。
フーコーとかの訳書では「表象」とされてるみたいだけど(ちゃんと読んでませんよーん)、表象って言われてもなにそれって思うよねえ。

自分や組織や団体などの主体を、どのように定義して表現するか、意識してない部分も含め、それをどう考えるか、常識とか役割とかそういった社会(そして権力構造)との結びつきの文脈で考えなおしてみよう、という場面で使われる言葉で、つまりは「これはこのような形で理解する」というかたち、概念、捉え方、立場のこと、といっていいのかな。

その捉え方は多くの場合、意識しないうちに身についていて、点検されないまま<常識>になっていることが多い。20世紀後半にはいろいろなマイノリティが自らの立場を守り向上させるためにその常識を攻撃し、新しいリプレゼンテーションを意識して主張してきた、という経緯があり、現代の、特にアメリカの社会ではとても重要なキーワードとしてよく出てくるのだけど。

日本語でこの「リプレゼンテーション」、スッキリ手頃な言い方がないのが、どうも納得いかない。
アートスケープのこのページがとても詳しく説明していて、いろいろ文脈により訳語が工夫されてはいるが、結局<「表象」がその他の意味を包含しつつ使用されることが一般的である>とあります。うーん。


こういうときはIT業界やファッション業界にならって、カタカナで概念ごと輸入してしまうのが一番無難なのかもしれません。

他人種っていうあきらかな他者を(建前上、そしてボリューミーに)内側にもたない日本の社会では、リプレゼンテーションの問題って、社会の大きな関心時ではなかったのかもしれない。

でもともかく、リプレゼンテーションの常識を揺さぶるという試み、というのはリクツだけではなく、美意識の領域に深くくいこんでくるもの。でないと力を持たないよね。

とても美しくて強烈な写真でした。おすすめ。11月までやってます。



独立記念日の夕方は、きっと私がぽつねんと意気消沈していると思って気遣ってくれたのにちがいないCT夫妻と、ピザのディナー。

帰って仕事をしてたら外がうるさいので窓から覗いてみると、ガスワークパークで打ち上げられている独立記念日の花火が、遠いけどとてもよく見えました。

けっこう大玉が多くて豪華だった。

よい一日でした。日本の花火が見たいな。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2019/07/05

シアトル美術館の謎の半分


フランスは6月、むちゃくちゃな猛暑だったそうですが、シアトルは今年、いまのところやや肌寒い夏です。
5月にぱーっと暑い日が続いたあと、真夏日はまだ一度もないんじゃないかな。
長袖デフォルトの7月です。


独立記念日はシアトル美術館へ行ってきました。

この建物。

反対側(ユニオン・ストリート側)は直線の多いビジネスライクな顔のデザインなのに、ビルのこっち側(ユニバーシティ・ストリート側)半分にはアールデコを1980年代風に解釈しました風の妙な装飾があり、性格が完全に分裂していて、よく見るとおもしろい。

こちら側は1991年に作られたビルで、真面目なほうは2006年に拡張工事をした部分だそうです。

よく見るとマハラジャみたいなアーチと黒いつっかえ棒みたいな柱もある。80年代だなあ、としみじみ感じるデザインです。


前から変な意匠だなと思ってたんだけど、そういえばこの同じ通りを2ブロック坂をのぼったところに、あのシアトル・タワーがあったのだということに初めて気づいた。


この正統派アールデコのしゅっとしたビルです。
しみじみカッコ良いです。
このビルがオーロラ色にライトアップされていたという、その頃のシアトルの夜景を誰かCGで再現してくれないかな。 

戦前・戦後のかなり長い間、シアトル・ダウンタウンの代表格だったという建物。

シアトル・タワーにもエジプトの墳墓をイメージしたという、金ぴかのロビーがある。

もしかしたらこのシアトル美術館のビルのアールデコ風装飾は、同じ通りのシアトル・タワーをかなり意識したオマージュだったのかもしれないな、とふと思ったのでした。


久しぶりにダウンタウンに行ったらまた見覚えのないビルが増えていた。
最近のシアトルは数ヶ月見ない間に、かなり街並みが変わってます。ほんとに。

たしかこのビルたちができる前まではまだフェリーからもちょこっとだけシアトル・タワーの一部が見えた気がした。…んだけど、記憶違いかもしれません。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2019/07/04

お見送り。


よく伸びたディルの花。気持ちよく晴れた月曜日でした。


いろいろまぜこぜに茂ってる野原っぽい植え込み。


さて、うちの息子。大学卒業後、就活2年目(というか…)にしてようやくインターンシップを得て、東海岸にゆくことになりました。 とりあえず1年、の予定。


シアトル最後の晩ごはんは、隣のお宅がよく見えるうちのキッチンテーブルにて。
旬のソックアイサーモンが安かったのでムニエルに。
そうそう、ごはんは感謝して食べなさいね。


ふつうのキャベツ味噌汁、白ごはん(大盛り)。


Kちゃんは1週間同行して、東海岸のようすを偵察に行ってきます。


ゲートに消えていくきのこ頭。いってらっしゃい。
ちゃんとご飯を食べて、よく寝てよく働きなさい。

出発前の数日は、私がすることは何もないのにまったく落ち着かなくてソワソワしてあまり何も手につかなかったので、ゲートをくぐって行っちゃったらぐっと来るのかなと思ったけど、まだあんまり実感がありません。なにかひと仕事終えた感が。 私がすることは別に何もなかったんですけどね。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2019/07/02

ポートギャンブルからベインブリッジフェリー


6月最後の金曜日。ホノルルからのお客様があり、タコマの友人も一緒に(運転してもらった)久しぶりにフェリーでキングストン、ポートギャンブル、ベインブリッジアイランドへ小遠足。

キイチゴがたくさん咲いていた。

やっぱり対岸は、緑が濃いですのう。

パールシティ在住のK先生は、野生のも鉢植えのも咲いている花がみんな目新しいようすで、ペチュニアの写真も撮っていらした。

わかるー。ハワイの住宅街で目につくのってハイビスカスとプルメリアとバードオブパラダイスばっかりだから。シアトルにきた当時はすべてが新鮮だった。

雨の予報でしたが見事に晴れて、ほんの少しぱらつく程度でした。晴れ女健在!


ポートギャンブルの「ジェネラルストア」。


そのとなりの水辺のレストランでボリューミーなランチ。

今ではビクトリア時代の古い家が10軒ほど並ぶだけの小さな集落だけど、19世紀後半にはここに製材所があって、オリンピック半島から伐り出した木材をここの港から世界中に直直送してたんだそうです。へー。知らなかった。


ベインブリッジ島のフェリー乗り場の近くにあるミュージアム。
息子の高校時代にはサッカーの試合やらで何度もこの近くを通ったのだけど、ここに行ったことはなかった。
あいにく展示替えの最中で、ショップしか見られませんでした。


ベインブリッジ島からシアトルダウンタウンへのフェリー。

暑くもなく寒くもなく、フェリーのデッキに出てもそんなに寒くない、穏やかな夕方でした。


だんだん近づいてくるシアトルのスカイライン。


いやーほんとに。だんだんビルの間のスキマがなくなってきましたね。


その昔、1920年代にはシアトルダウンタウンの真ん中のランドマークで、ライトアップされて海上からもオーロラ色に輝いて見えたというシアトル・タワーも、ついに新しいビルの後ろに隠れて完全に見えなくなってしまいました。(写真まんなかより少し左寄りの、建設中のビルの斜め前です)


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

みたらし団子降臨


もう7月ですね。

ある日、昼寝の夢に、みたらし団子が降臨しました。

夢から覚めた瞬間にとてもリアルなみたらし団子が脳裏に浮かび、これはきっと夢のお告げ。とぐぐってみました。

そして見つけたのがこちらのレシピ

えっ、半分豆腐?

ということは糖質半分?
まじですか! なんてすばらしい。



ちょうどお豆腐も冷蔵庫にあったし、なぜか白玉粉もずっとパントリーにあったので、半分寝ぼけたままで団子の制作を開始いたしました。

白玉粉 150グラム
絹ごし豆腐 150グラム

これを良く練って、まるめて、ゆでるだけ。
浮き上がってきてから3分ほど待って、氷水にとる。



おおおおー!

もっちもちに出来ました。
なんて簡単なの‼
そして半分は豆腐だし、罪悪感50パーセントオフ‼ (でいいのか)

なぜか今までの人生で、団子というものは制作過程がとても面倒なものであり、ましてやみたらし団子などはお店で買うしかないものだという思い込みに囚われていたのであった。

団子制作が、これほどまでに簡単なものだったとは!

半世紀ものあいだ、団子は制作可能なものであるということに思い至らなかったのが悔やまれる。いったいいつから団子は豆腐で制作可能になったのだ。



団子降臨。さすがに串の買い置きはなかった。

(タレはちょっと目をはなした隙に煮詰めすぎてやや失敗。きなこ味のほうがおいしかった)

冷蔵庫で一晩おいても固くなってなかったです。

団子のある日々は、とりあえず幸せだー。
白玉粉また買ってこよう。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ