2019/07/04

お見送り。


よく伸びたディルの花。気持ちよく晴れた月曜日でした。


いろいろまぜこぜに茂ってる野原っぽい植え込み。


さて、うちの息子。大学卒業後、就活2年目(というか…)にしてようやくインターンシップを得て、東海岸にゆくことになりました。 とりあえず1年、の予定。


シアトル最後の晩ごはんは、隣のお宅がよく見えるうちのキッチンテーブルにて。
旬のソックアイサーモンが安かったのでムニエルに。
そうそう、ごはんは感謝して食べなさいね。


ふつうのキャベツ味噌汁、白ごはん(大盛り)。


Kちゃんは1週間同行して、東海岸のようすを偵察に行ってきます。


ゲートに消えていくきのこ頭。いってらっしゃい。
ちゃんとご飯を食べて、よく寝てよく働きなさい。

出発前の数日は、私がすることは何もないのにまったく落ち着かなくてソワソワしてあまり何も手につかなかったので、ゲートをくぐって行っちゃったらぐっと来るのかなと思ったけど、まだあんまり実感がありません。なにかひと仕事終えた感が。 私がすることは別に何もなかったんですけどね。

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2019/07/02

ポートギャンブルからベインブリッジフェリー


6月最後の金曜日。ホノルルからのお客様があり、タコマの友人も一緒に(運転してもらった)久しぶりにフェリーでキングストン、ポートギャンブル、ベインブリッジアイランドへ小遠足。

キイチゴがたくさん咲いていた。

やっぱり対岸は、緑が濃いですのう。

パールシティ在住のK先生は、野生のも鉢植えのも咲いている花がみんな目新しいようすで、ペチュニアの写真も撮っていらした。

わかるー。ハワイの住宅街で目につくのってハイビスカスとプルメリアとバードオブパラダイスばっかりだから。シアトルにきた当時はすべてが新鮮だった。

雨の予報でしたが見事に晴れて、ほんの少しぱらつく程度でした。晴れ女健在!


ポートギャンブルの「ジェネラルストア」。


そのとなりの水辺のレストランでボリューミーなランチ。

今ではビクトリア時代の古い家が10軒ほど並ぶだけの小さな集落だけど、19世紀後半にはここに製材所があって、オリンピック半島から伐り出した木材をここの港から世界中に直直送してたんだそうです。へー。知らなかった。


ベインブリッジ島のフェリー乗り場の近くにあるミュージアム。
息子の高校時代にはサッカーの試合やらで何度もこの近くを通ったのだけど、ここに行ったことはなかった。
あいにく展示替えの最中で、ショップしか見られませんでした。


ベインブリッジ島からシアトルダウンタウンへのフェリー。

暑くもなく寒くもなく、フェリーのデッキに出てもそんなに寒くない、穏やかな夕方でした。


だんだん近づいてくるシアトルのスカイライン。


いやーほんとに。だんだんビルの間のスキマがなくなってきましたね。


その昔、1920年代にはシアトルダウンタウンの真ん中のランドマークで、ライトアップされて海上からもオーロラ色に輝いて見えたというシアトル・タワーも、ついに新しいビルの後ろに隠れて完全に見えなくなってしまいました。(写真まんなかより少し左寄りの、建設中のビルの斜め前です)


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みたらし団子降臨


もう7月ですね。

ある日、昼寝の夢に、みたらし団子が降臨しました。

夢から覚めた瞬間にとてもリアルなみたらし団子が脳裏に浮かび、これはきっと夢のお告げ。とぐぐってみました。

そして見つけたのがこちらのレシピ

えっ、半分豆腐?

ということは糖質半分?
まじですか! なんてすばらしい。



ちょうどお豆腐も冷蔵庫にあったし、なぜか白玉粉もずっとパントリーにあったので、半分寝ぼけたままで団子の制作を開始いたしました。

白玉粉 150グラム
絹ごし豆腐 150グラム

これを良く練って、まるめて、ゆでるだけ。
浮き上がってきてから3分ほど待って、氷水にとる。



おおおおー!

もっちもちに出来ました。
なんて簡単なの‼
そして半分は豆腐だし、罪悪感50パーセントオフ‼ (でいいのか)

なぜか今までの人生で、団子というものは制作過程がとても面倒なものであり、ましてやみたらし団子などはお店で買うしかないものだという思い込みに囚われていたのであった。

団子制作が、これほどまでに簡単なものだったとは!

半世紀ものあいだ、団子は制作可能なものであるということに思い至らなかったのが悔やまれる。いったいいつから団子は豆腐で制作可能になったのだ。



団子降臨。さすがに串の買い置きはなかった。

(タレはちょっと目をはなした隙に煮詰めすぎてやや失敗。きなこ味のほうがおいしかった)

冷蔵庫で一晩おいても固くなってなかったです。

団子のある日々は、とりあえず幸せだー。
白玉粉また買ってこよう。


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2019/06/29

漱石山房の猫たち


草間彌生美術館に行ってから初めて知ったのが、ミュージアムの裏手から民家の間の曲がりくねった狭い猫道のような人道を歩いて、なんと徒歩わずか3分のところに漱石山房記念館があるという事実!

夏目漱石先生のご自宅跡の記念館です。

去年から行きたいと思っていた場所だけに、ミュージアムと同じ町内(正確にはお隣で、ミュージアムがあるのは弁天町、漱石山房は早稲田南町ではあるけれど、なにしろ本当に徒歩3分)にあるという偶然にびっくり!
弁天町には彌生ちゃんの現在のお住まいとアトリエもあるのだそうだ。

草間彌生美術館と神楽坂のまんなかあたりには泉鏡花旧居跡というのもある(ここは単に札が立っているだけ)。

新宿区すごいな。今度ゆっくり早稲田と神楽坂を歩いてみたい。
漱石山房記念館には漱石先生ゆかりの周辺散歩道マップもありました。
これはぜひとももう一度行かなければ…。できれば暑くも寒くもない時期に…。
神楽坂周辺はそういえば、本郷と並んで漱石作品にもよく出てきてました。



漱石山房記念館は新宿区立。和風を意識した、すっきりとしたデザインのとてもモダンな建物で、オープンは2017年9月だったそうです。

 ここは漱石先生が教職を辞し、朝日新聞の社員という立場で連載小説を書く専業小説家に転身した後、亡くなるまでの10年間、すなわち専業作家ライフのすべてを過ごした場所。

漱石先生の生前は借家だったそうですが、『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『こゝろ』『明暗』などなどがここで執筆され、お弟子さんたちが集った「木曜会」のサロンでもあったのでした。(「木曜会」の説明は、地元漱石ファンの「NPO 漱石山房」のサイトへどうぞ)。

そうなんですよね、とてもとても存在感の強い国民的作家にもかかわらず、漱石先生の本格的な作家活動はたったの10年間。それも胃の病気にしばしば悩まされた10年だったのでした。


1階に入ると両側は「ブックカフェ」の席になっていて、床から天井までのガラス張りの明るい窓辺で、いくらでもゆっくりと本を読んだりできます。

復刻版や漱石先生関連書籍が席の前の本棚に並んでいて自由に手にとれるようになっている。しかし一つ問題が‼

日本語の読み書きは幼稚園レベルのうちの息子に英語版の「吾が猫」を見せようと思ったら、なぜか英訳版の小説がひとつもない!!

サイトもパンフも英語版を用意してるのだし、代表作の英訳版ペーパーバックくらいはこのカフェの横の棚に並べておいてほしいなあ。

地下には図書室とレクチャールームがあるようです。
1階の右半分は「山房」の書斎を再現した展示室、2階も展示室。

入館は無料で、展示室の入場は大人300円でした。


書斎を再現した部屋には係の方がいて、とても丁寧に説明してくださった。

神奈川近代文学館にも、この全く同じ書斎を再現した展示があり、そちらには実際に漱石先生が使っていた文机などの調度が置かれているそうです。
後発のこちらは、残された写真とその展示を参照してすべて再現したもの。

しかしさすがにオリジナルロケーション、念入りです。


書斎の外にバナナが…?
と思ったら、これはバナナじゃなくて「芭蕉」でした。

その下に生えているツンツンした「トクサ」も漱石先生が好んで植えたもので、当時の様子を写した写真のままに再現されているのでした。


こちらが再現された書斎。ペルシャ絨毯の上に白磁の火鉢、紫檀の文机(さすがに再現ではすべてホンモノの素材ではなく「それらしい」雰囲気を持つもので代替されてましたが)。

こぢんまりしているけれど、居心地がよさそう。


積んである書籍も、書棚に並ぶ本も本物ではなく、すべて外側だけ本物そっくりに作ってあるのだそうです。


再現書斎の先は回廊になっていて、黒猫が先導してくれます。

この白い手すり、芭蕉と合わせてちょっと南国風のおもむきのあるフェンスも、漱石先生が好んで取り付けたものだそうです。


ちょうどこんな感じの回廊だったのですね。
大正モダンのさきがけな感じ。
芭蕉といい、南国風が流行っていたのか、漱石先生がお好きだったのか。

後ろはうっそうとした木立になっているのが今とは違う。


2階の展示室は撮影禁止。
まだ資料館としては資料は少ないそうですが、御遺族や関係者など色々な方面から寄付があって充実しつつあるそうです。

「気に入らない事、癪に障る事、憤慨すべき事は塵芥の如くたくさんあります。
それを清めることは人間の力では出来ません。それと戦うよりもそれをゆるす事が人間として立派なものならば、出来るだけそちらの方の修養をお互いにしたいと思うがどうでしょう」

漱石先生から武者小路実篤宛ての手紙の一節。大正四年六月。


カフェにも黒猫ちゃん。かわええー。ノラちゃんに似てる。

探検家ノラ子。



作品にも出てくるという「空也」の最中とほうじ茶(またはコーヒーか紅茶)のセットで648円。
このカップがあまりにもかわいくて持って帰る。

実のところは『吾輩は猫である』に出てくるのは最中じゃなくてここの餅菓子であるようです。

ほうじ茶おいしかった。
カフェでは本を広げて読みふけっている人が数名。のんびり長居できる感じなので、ここでパソコンひろげてちょっと仕事をさせてもらいました。

小学校の下校時間で、目の前の細い道を小学生たちが、体育着入れを振り回して戦いながら通っていくのを眺めつつ。

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2019/06/25

無限の水玉


5月の東京ですよ。
草間彌生ミュージアムにも行きました。この日は息子と二人で遠足。


 開催中の展示は「幾兆億年の果てより今日も夜はまた訪れてくるのだ―永遠の無限」。

彌生ちゃんはいつも頭からつま先まで大真面目でとてもストレートフォワード。
いつも直球です。


東西線の早稲田駅から10分くらい歩いたところにある細長いたてもので、オープンは2017年。
建物は久米設計だそうです。ケレン味はないけど実直に品よく、そつなくおしゃれ。


たまたま建物の壁にできていたこんな影が綺麗でした。

ミュージアムは完全予約制で、時間入れ替え制(滞在可能時間は90分)。
オンラインでもチケットが買えるので、飛行機のチケット取るのとほぼ同時に入手しました。
1名1000円なり。
半分くらい外国人のお客さんだった。彌生ちゃんは海外でも大人気。

とっても小さい美術館で、各フロアの面積は、こぢんまりしたリビングルームといった感じ。
美術館というより、ちっちゃいギャラリーを4段重ねにしました、といったおもむきでした。

「ちっちゃすぎだろ」というレビューもあったけど、いやいや、かなり楽しめましたよ。
1000円はリーズナブルプライスだと思う。これ以上高かったらやだけど。


1階が入り口とショップ、2階にから4階がギャラリー、その上は小さなライブラリと屋上のオープンエア展示。

ギャラリーは自然光をたくさん採り入れてとても明るい。ぐるぐる階段を登って上の階へあがっていくシステムは、ニューヨークのNew Museumのような感触(あちらはずっと規模が大きいですが)。

階段が使えない人のためにはエレベーターがあります。


フロアの一つに展示されていたインスタレーション、無限のはしご。

こことショップと屋上だけは撮影OKでした。

床に置かれた丸い鏡の上に、ネオンのはしごが設置されている。
覗き込むと、光の梯子が上にも下にも永遠に続いています。
とほうもない「永遠」をかいまみてしまう作品。

彌生さんは小さなころから幻聴や幻視に悩まされ、すみれの花や犬がとつぜん話しかけてきたり、おかしな影法師のような存在におびき出されて池で溺れそうになったりしていたそうです。


「ある日、机の上の赤い花模様のテーブル・クロスを見た後、目を天井に移すと、一面に、窓ガラスにも柱にも同じ赤い花の形が張りついている。部屋じゅう、身体じゅう、全宇宙が赤い花の形で埋めつくされて、ついに私は消滅してしまう。そして、永遠の時の無限と、空間の絶対の中に、私は回帰し、還元されてしまう。これは幻でなく現実なのだ。私は心底から驚愕した。そして、怖いインフィニティ・ネッツに体を束縛される。
…のちに私の芸術の基本的な概念となる、解体と集積。増殖と分離。粒子的消滅感と見えざる宇宙からの音響。それらはもう、あの時から始まっていた。」
(『無限の網 草間彌生自伝』作品社、61 ページ)

…という、幼少期からえんえんと続いている、「脅迫」のようなビジョンと、それを乗り越えて作品にしていく旺盛な表現力、生命力。

<筋金入り>というのはこういう人のことをいうのですね。

「無限に続く全体のなかに溶け込んでしまう」という感覚は、少しわかる気がします。
鏡の部屋や永遠のはしごだけでなく、一連の水玉作品にも、その圧倒的な感覚が背後にあると思うと、見方が変わるはず。


屋上階は美しいかぼちゃのための空間。
完璧な青空でした。


近づくと、自分もカボチャの中で水玉世界の変な模様になっているのです。


彌生ちゃんのカボチャたちには特に心惹かれるわけではないのだけど、この磨き抜かれたシルバーパンプキンはいままで見たカボチャの中で一番好き。この場所がパーフェクト。

展示は年に2回、変わるそうです。次回は10月頃から新展示。




エレベーターの中も、無限の水玉。


ショップでハンカチ買った。たしか1,200円 2,000円でした。


『宴のあと[SOXTE]』(2005年)というドローイングをハンカチにしたもの。
やはりここにも増殖していくものたちが色々と好き勝手な方角へ。


細胞たちと顔たちと妄想たちが繰り広げる宴。

そのなかをわたくしたちは生きているということを思い出せてくれるハンカチです。

(ここでも)ああやっぱり図録買ってくればよかったー!ご飯一食抜いても!

とても楽しかった。また行きたい。


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