2019/05/09

聖母と春とビーナス、受胎告知、怖い聖壇画 <フィレンツェ思い出し日記 その9>



もう2ヶ月前のことになってしまったフィレンツェ日記。
ずんずん続けます。
写真を見るたびになんと美しい街であることか、と思う。ヨーロッパすげえ。

2日目の午後に行ったのはウフィツィ美術館。

フィレンツェのメインイベントだったのだけど、時間が足りなかったー。

フィレンツェカードを持っていたので美術館にはあまり並ばずに入れたのですが、ケイタイが死んでしまい、美術館に入ってから遅れてやってきた息子たちを待ちつつ、ジェニファーちゃんと並んで入り口のあたりで充電するという無駄な時間を費やしてしまった。

スマートフォンのポータブル充電器と、欧州のコンセント用のアダプターというものを持っていかなかったのは大失敗でした(アダプターは息子に借りた)。
街歩きには充電器が絶対必要ですね。

ウフィツィ美術館素晴らしすぎた。
充電終わって見始めたのが午後遅くなっていて、3時間くらいしかなく、もーぜっんぜん足りませんでした。
休憩時間も入れて5時間か6時間くらいほしかった。わたくし、作品を見るのにすごく時間がかかるので。


シモーネ・マルティーニの「受胎告知」。ゴシック後期、1333年の作品。
中世の平面的な人物にくらべると、確かに手や表情に自然な丸みがありますね。

「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられる。……マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名づけなさい」(ルカによる福音書、新共同訳)

 …と、大天使ガブリエルに告げられた瞬間のマリア。

しかし!
こんなにあからさまに嫌そうな顔をしている受胎告知のマリアははじめて見ました!!

今まで見たことのある受胎告知の絵では、うら若きマリア様はびっくりしたり、天使に向かってつつましくお辞儀をしているのでしたが。

嫁入り前の娘がいきなり「あなたは身ごもって男の子を生む」とか、突然現れた天使に言われても、「なんでわたしが。ていうかあなた誰」ってなるよね、そりゃそうだ、と思わずにいられない。このものすごーく嫌そうな憂いの表情に共感しますね。

しかもこの天使の言葉「おめでとう、恵まれた方」がレーザー光線のようにマリアを直撃しています。逃げる場所なし。避けようとして体をよじっているマリア様。

ゴシック後期の人物描写。「切り絵」みたいにカクカクした中世の絵画様式の範疇にはいるものの、この表情は意外にリアリスティックな描写というべきではないのだろうか。

 全体図はこちら(ウィキのパブリックドメインより)。

金ピカの画面に、衣服のディテールなどがとても美しいです。
もとはシエナの教会の祭壇に飾られていたもの。


こちらはボッティチェリの師、フィリッポ・リッピの聖母像。1465年。
本当に透明感のある綺麗なマドンナです。

しかし、聖母子が全く目をあわせずそれぞれの世界に没入していて、天使にかつがれている幼子イエスの目が宙をさまよっているのはなぜなんでしょうか。天使はどちらかというと小悪魔的な表情です。



ウフィツィ美術館内で一番人がかたまっているのは、もちろんこのボッティチェリの「プリマヴェーラ(春)」と「ヴィーナスの誕生」の絵の前。

ボッティチェリさんもメディチ家の多大なバックアップを受けた芸術家で、Netflixの『メディチ』シーズン2ではメディチの貴公子たちの親友という役割で描かれてました。

あのボッティチェリさんはちょっとどうかと思うけどなー。ていうかメディチ君たちもねー…。


この『プリマヴェーラ』も『ヴィーナスの誕生』も、小学校以来何度も何度も何度も印刷物で眺めてきたのですが、正直そんなに期待していなかったし、それこそ無数のパロディも含めていろんな媒体で見すぎていたためか、通俗的でキッチュな感じのする変な絵だと思っていたのです。

でも実際に実物の前に立ってみると、その途方もない美しさに圧倒されてしまいました。

1980年代に修復されて、それまで黒ずんでいた画面の下に隠れていた精密な植物が現れてきて、学者が調べてみたら、フィレンツェ近郊に自生する花が190種類も確認されたそうです。


細部まで繊細。

やっぱりつくづく変な絵ではあるのだけど、ものすごく惹きつけるオーラがあります。

ボッティチェリって死後はほとんど忘れられていて、19世紀にラファエル前派のロマンチストさんたちに発見されてまた脚光を浴びたのだそうです。



それまでの英国ロイヤルアカデミーの権威ある伝統にのっとった画法に飽き足らず、「自然の忠実な再現」と「崇高な精神性」を求めた、ラファエル前派の人たち。
暗いイギリスのラファエル前派の画家たちは、イタリアルネサンス初期の画家たちの作品にある「純粋で素朴な精神」に、強い啓示のようなものを受けたらしい。

おなじように既存の権威とされる絵画手法に反旗をひるがえしたフランスの印象派とは違って、ラファエル前派ってなんかこうやたら理屈っぽくて、大げさで大上段に構えたところがある(そのわりに中身は意外にシンプルな神秘主義って気がする)と感じるのですが、それって、当時のイギリス社会の縛りの反映なんだろうなと思う。

ボッティチェリをフィレンツェで観て最初に評価したラファエル前派初期の一人が、耽美主義の画家といわれるバーン=ジョーンズさんだったそうです。なんかわかる気がする!

バーン=ジョーンズさんの描いた天使。

「ヴィーナスの誕生」。
うん、キッチュ。でもほんとうに美しい。
19世紀の真面目なイギリス人がここに「純粋で素朴な精神」を見て憧れたって、わかる気がする。

それってかなりの部分、気候のせいでもあると思うのだけど。


ディテールがすべて美味しい。ずっと眺めていたくなる。
実際、3回もこの絵の前に戻ってきちゃいました。
自分がこんなにヴィーナス好きなんて思ってもみなかったw


こちらもボッティチェリ、『書斎の聖アウグスティヌス』。1490−95年頃。
書き損じを散らかしているアウグスティヌスさん。


こちらもボッティチェリさんです。いろんな時代の聖人や天使に囲まれている聖母子像。

前列左から聖カタリナ(3世紀末に殉教した聖人)、聖アウグスティヌス(4世紀の教父)、 聖ベルナルド(12世紀の聖人らしい)。
右の3人は左から、洗礼者ヨハネ、聖イグナチオ(ローマで迫害され西暦107年にライオンの餌食になって殉教した聖人)、そして黒いカッコいい鎧に身を固めた大天使ミカエル。

後ろの段には天使たちが集まって、両脇の天使は、将来キリストが磔になるときに被らされる茨の王冠と、十字架にうちつけられる釘を幼子イエスの前に見せてます。ひどい。

聖母マリアは美しいけれども放心したような表情。これが聖母らしい美の表現なのかな。
頭上には貝の形が逆さになっていて、聖母マリアの首のかしげ方といい、「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスを思わせます。

もとはフィレンツェの教会に飾られていたそうです。



前の段の人たちも、殉教者が多いだけにみんな憂いのある表情です。

この絵が描かれたのは1488年頃。
過激な修道僧サヴォナローラがこの8年後にフィレンツェの政治顧問になり、不道徳な絵画や虚飾とされる装飾品や衣服が広場で焼かれるというような時代がやってくるのです。

そのサヴォナローラも、ローマ教皇にたてついたために破門され、逮捕されて拷問のうえやはり広場で火刑に処されるという末路をたどる。
激しいです。ていうかほんとうにあからさまに暴力が内包されていた教会の信仰システムであることよ、と改めて思わされる。



憂いある人々の中でも目を惹きつけられたのは洗礼者ヨハネ。
いったいこの表情はなんだ。

この3人の、まったく噛み合っていない視線。
どの視線の先にも、この世のものがあるようにはみえない。

それぞれが「死」を見ているのだろうと思います。

この絵の額縁の外側に小さなコマ割りの一連の絵があって、それもボッティチェリの作かどうかわかりませんが、そのうちのひとつがこれ↓。


これはたぶん、母にいわれて洗礼者ヨハネの首を所望したサロメちゃん。
「お母様、 ヨハネの首をもってまいりましたわよ」。


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2019/05/07

慈悲のマドンナ、トスカナの黄瀬戸風 <フィレンツェ思い出し日記 その8>


バルジェッロ美術館の残り半分には、中世やルネサンス期の彫金や焼き物などもいろいろありました。


ホグワーツ魔法魔術学校っぽい感じの天井。アーチが綺麗ですねえー。


ちょっと心うたれた15世紀の木彫。
作家名はなくて、Umbrian Art とだけ説明がありました。
15世紀に「ウンブリア派」っていう派があったんですね。
ウンブリアはフィレンツェよりもすこし南の地方。
今回行くチャンスはありませんでしたが、シアトルに素敵なCafe Unbriaというイタリアンファミリー経営のカフェがあるので、ちょっと馴染み深い地名。

Madonna of Mercy と名づけられてます。「慈悲のマドンナ」。


ケープの中に、王様から聖職者から尼僧からふつうの庶民らしい人たちまで、大勢を庇護しています。
奥のほう、群衆の頭だけがみえている。ものすごい数の人です。

日本の信仰でいったらお地蔵様的な感じの、衆生まとめて一気にひきうけましょうという慈愛と頼もしさがあふれてる像です。


やきものコーナーにあった変な容れ物。
黄瀬戸にそっくり。
なんなのこの動物は。


警察署&刑務所で刑場だったというこわい建物ですが、とても素敵な見ごたえたっぷりの美術館でございました。


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2019/05/05

バルジェッロ美術館のバッカスやダビデくんたち <フィレンツェ思い出し日記 その7>


リラックマに気を取られていました。フィレンツェ日記に戻ります。
バルジェッロ美術館のつづき。

ミケランジェロとドナテッロの代表作がいくつもある、豪華な展示室です。
警察署だったというけど、天井がめっちゃ高い聖堂のようなホール。
広くはないけど、自然光がいい感じで差し込んでいます。


1497年制作、ミケランジェロの「バッカス」像。
ダビデ像制作に取り掛かる直前、ミケランジェロ20代前半の最初の大きな仕事だったそうです。

品格あるダビデ像とはまったく正反対の、お腹もたるたるのだらしのない姿で、酔いつぶれて視線も定まらないバッカス。


後ろに従えている牧神くんも、完全にベロベロに出来上がっています。
「でへへへへぇ〜」という感じ。

こういうベロベロなモデルは、フィレンツェの富裕な若者たちのなかにいっぱいいたんでしょうねー。
しかし腕の筋肉とか背中とか、本当に美しいです。

「退廃」と「放蕩」をこれほど正確に、しかもある意味魅力的に描いた美術作品は、退廃がもっともっとおおっぴらに礼賛された19世紀にだって、そうそうなかったのではないだろうか。

ちなみにこの像は枢機卿の依頼でミケランジェロがつくったのだけど、出来上がりをみて「いらない」といわれたそうで、銀行家の家に飾られたそうです…。



こちらはミケランジェロよりも約100年前、3世代前くらいの巨匠、ドナテッロさんが作った「ダビデ像」、1440年制作。ミケランジェロの「バッカス」の半世紀前につくられたものですが、なんとなく雰囲気が似てる。

同じ裸像でもミケランジェロの英雄的なダビデ像とは違って、ヘルメットとブーツだけ身につけているところが、まずもってコスプレ感強い。

倒したばかりの巨人ゴリアテの首に足をかけて得意そうに微笑むダビデくんはかなり中性的で、BLマンガにでてきそうなクールな美少年。
すごく都会的な印象です。

BBCのドラマ『メディチ』にも、この像、出てきました。
男色の彫刻家ドナテッロが作った退廃的な像だといって、メディチ家の敵が煽るシーンもあった。


男性のヌード彫刻というのは、そもそも肉体の美しさを賛美するという思想がなかった中世の教会の支配下ではまったくありえないものだったので、このBL美少年ダビデくんは古代ローマ時代以来はじめての男性裸像として、ルネサンス美術を切りひらく存在となったそうです。

このあとに続々とつづく裸像たちのさきがけとなったルネサンス最初期の代表作なんですね。

実際、メディチ家の宮殿の中庭に飾られていたこの像を、メディチ家の庇護と教育を受けていた少年ミケランジェロくんは日々目にしていたのでしょう。


こちらもドナテッロ作のダビデ像。1409年。こちらは着衣です。
裸像のほうはドナテッロさん50代くらいのときの作品ですが、こちらはそれより30年ほどさかのぼり、20代前半のときの作品。このダビデくんは良家のプリンスという感じですね。


このダビデくんととても良く似た印象だけどもっとかっこいいのが、聖ジョージ。


1417年、ドナテッロさん30代の作品。
この人は、美術室の石膏像で顔みたことありました。でも全身像がこんなになっているのは知らなかった。
聖ジョージというより、日本では「ジョルジュ」または「聖ゲオルギウス」像という名前のほうが通りがいいですね。聖ゲオルギオス、というとめっちゃ強そう。
竜退治で有名な聖人です。

たぶんこれから竜を退治するところなのでしょう。

眉を寄せた表情は、石膏像だと単にちょっと困った顔に見えるんだけど、 こうやって下から見上げるとすっごく凛々しくてかっこよかったです。
こんなにイケメンだったのね!


こちらはミケランジェロのブルータス像、1540年制作。
一見すると、より直線的な大づかみの彫像という印象だけれど、表情はとても繊細。


こちらの正面から見た横顔は英雄的だけれども、顔の右半分では少し唇を歪めてワケありげな表情をしているのを、 リック・スティーブズさんは、親友カエサルの暗殺に加担したブルータスの英雄的な面と狡猾な面を微妙に表現しながら、さらにフィレンツェの独裁者だったメディチ家と愛するフィレンツェ共和制に対するミケランジェロ自身の揺れ動く心情を映している、と評してます。ふーん。


こちらはルネサンス時代も後期のジャンボローニャの作品「マーキュリー」。1580年。
ミケランジェロの次の世代でいわゆる「マニエリスム」の作品。

マニエリスムって「自然を凌駕する行動の芸術的手法」とか言われてもさっぱり分からなかったけど、こうやってルネサンス初期から後期までのすごい作品を並べて見せてもらうと、ああなるほどねー、ミケランジェロの世代が古典美を現代(当時の)によみがえらせて完成させてしまったあとで、こういう方向にいかざるをえなかったんだねえ、というのがちょっとわかる気がする。
あまりにも不自然にねじ曲がった姿勢のマーキュリー。



そしてちょっとこれは、足のせ台としてはあんまりなんじゃないかと思うよ。


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2019/04/30

令和元年そしてリラックマ



あけましておめでとうございますw。

新元号の「新年」、ゴールデンウィークの真ん中というのんびりした時期だっただけに、日本では盛り上がってるみたいですね。
テレビ見てないからあんまり雰囲気がつかめないけど、ツイッターとかFBで見る限り。

「日本だから花火は上がらないよね」と日本の友人にLINEで言ったら、気仙沼では令和元年の深夜0時に花火を打ち上げたっていうニュースを送ってくれて、そうか、気仙沼か、としみじみしてしまいました。
大変だった平成の東北。ほんとに日本全国平和な令和でありますように。

今日は快晴。ちょっとのんびり。街中あちこちでチューリップが咲いてます。


ゴールデンウィークとはなんの関わりもありませんが、Netflixで『リラックマとカオルさん』を見て、なんとなくゴールデンウィークな気分になっている令和元年。
新宿では巨大リラックマに長蛇の列だって。

だけどこのNetflixのリラックマ、なんか声(うなり声)ドスがきいててちょっとイメージと違う。

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中庭の裸像 <フィレンツェ思い出し日記 その6>


フィレンツェ思い出し日記の続きです。
2日めの午前中に行ったバルジェッロ美術館。


16世紀から19世紀まではフィレンツェの治安取締りを担当した警察署的な役所として使われていて、監獄も兼ね、この中庭では罪人の処刑も行われてたそうです。

一番最初は市長的な役割の人の役所として建てられたというけれど、それにしても銃眼や見張り塔がついていて要塞的なおもむき。警察署といわれるとなるほどなーという感じ。

ヴェネツィアの華奢で華麗な建てものと比べると、フィレンツェの建てものはごっついですね。

19世紀後半から美術館になったそうで、彫刻作品がたくさん。
版画家なおみ先生が「高校の美術室で見たやつがいっぱいあるよー」とおすすめしてくれたので、ここはダビデくんとウフィツィ美術館、ドゥオーモについで必見だと思っていた美術館でした。行ってよかった!



中庭の正面にあったやつ。これは噴水で、まんなかの女性のチチからピューっと水が出るというデザイン。
これってラスベガスとか南カリフォルニアにありがちな噴水だと思っていたんだけど、なんとイタリアにちゃんと元ネタがあったのね。

 製作年代は16世紀なかば、1556〜1561年。バルトロメオ・アンマナーティという方の作品です。この人は建築家でもあった。ルネサンス期の彫刻家って建築家でもあった人が多いんですね。
ミケランジェロより30歳くらい年下の世代で、このあとに作ったネプチューンの噴水(シニョーリア広場にあるが、ちゃんと見てこなかった)は気の毒に、ミケランジェロに「綺麗な大理石を台無しにして、プッ」なんて、けちょんけちょんにバカにされたそうですよ気の毒に。

アーチの上に座っているのはゼウスの妻ジュノー(ヘラ)。
両脇にいるのはアルノ川(左)と「パルナッソスの泉」の擬人化だそうです。ふーん。

盛期ルネサンスて、本当に、バリバリにローマ・ギリシアの裸の神様を礼賛だったのねー。
こういう裸像が増えていく富裕な都市を見て、ローマの教皇やマジメな僧たちは、さぞやイラっとしたことでしょう。

そのへんの時代についてまったく無知なので、フィレンツェにきてこういう像をたくさん見て、ルネサンスって面白いー!と今さらながら思うのだった。

でもこの時代は異端審問所が設置されたころでもあり、宗教改革に刺激されてカトリック教会も反省して変貌していく時代でもあって、マジメな僧たちが権力をにぎったあと、フィレンツェでも裸像が弾圧されて、ミケランジェロも最後には裸像ばっかりつくった自分を悔い改めたみたいなことを書き残してたりするのが興味深い。

でも中国の文革みたいになにもかも壊されたりしないでよかった。



 こちらも中庭にあった、これは大砲。
100年後、1638年の建造で、実際にピサの街の防衛につかわれていたそうです。

大砲の後ろに首を突き出しているこのひげの方はどなたかというと、なんと!聖パウロさんです!

キリストの使徒パウロさんがこんな好戦的な物体に装着されていてもいいのか、と思ってしまうのはきっと後世の感想であって、戦が日常的な脅威であった時代には、街を守ってくれるありがたい存在として庶民から敬われていたんでしょうね。



青銅製で、ライオンも乗っており、全体に細かい模様が施されているとても綺麗な大砲ですが、まったくのお飾りではなくて、現役の武器だったんでしょう。



これも中庭の回廊にあった、19世紀のヴィンチェンツォ・ジェミートという人のなかなか素敵な「Fishing Boy(釣りをする少年)」。1876年。

目を惹きます。どことなくアール・ヌーヴォーの時代のものだなーっていう感じがするのは、この素材の黒い色なのせいなのか、テーマというか、描写の手法なのかな。


絵画に比べると、今まで彫刻作品ってそんなに熱心に見てこなかったしそもそもそんなに知らなかったけど、ここの美術館の彫刻作品はほんとに素敵なものが多くって、目を開かれる思いでした。


もうひとつ素敵なお尻。
これは黄金の羊皮を探しにいったギリシャ神話の「イアーソーン」。英語読みだと「ジェイソン」だったのね!知らなかった。

1589年、ピエトロ・フランカヴィッラさん制作のお尻です。かなりモリッと盛り上がってますねー。

メインの展示室にはミケランジェロさんやドナテッロさんの裸像がいっぱいでした。つづく。

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2019/04/28

きのう何食べた?


リラの花が咲き始めましたよ。


でもまだ寒い!今朝も、セーターにダウンジャケット重ねて散歩。
今日は快晴で気分のよい一日でござった。
キツツキがあちこちでいろいろなものを連打しています。みんな巣作りで大忙し。

キッチンのテーブルで仕事してたら、窓の外を白いものがふわふわと飛んでいく。
えぇ雪?と一瞬思ったけど、いくら寒いといってもそんなわけはなく、八重桜の花吹雪でした。


版画家なおみ先生がいろいろと送ってくださった!嬉しいー。

一保堂茶舗の極上ほうじ茶、『モーニング』と『きのう何食べた?』最新15巻、そして自作の最新ねこ絵本(イタリア語と日本語の四行詩つき小冊子。Cordel literatureというそうです)。目キラキラのねこたちがかわいすぎ。

締切きついお仕事中の週末なんですけど、届いたばかりのモーニングをもちろん読みふけってしまう土曜日の午後でした。 そしていま、日曜の夜。まだ終わっていませんよ。ひー。

去年に帰国した時もコミック誌は買わなかったから、モーニング読むのものすごく久しぶり。
「クッキングパパ」がまだ連載中だったのにはびっくり。
島耕作が会長になったのは聞いていたが、相変わらずですね。

『きのう何食べた?』は唯一紀伊国屋さんのプレミアム価格でも新刊を買うほどのお気に入り。ドラマ化されたと聞いてうわー観たい!と思っていたところ、なおみ先生がDVDに焼いて送ってくれた。しかしうちの機器では再生できませんでした(悲。

史朗さんのレシピ、新刊読むたびに刺激されて食卓に登場してます。


こちらは以前に送ってもらったカエルちゃんのお守り。朝夕守ってくれてます。

マダムMにもこのあいだ成田山のお守りを頂いた。お不動さま連合ありがとうー。

ほんとにいろいろありがとうございます。嬉しいよー。


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