2018/08/05

Evoke Coffee


激変しているサウスレイクユニオンにできたEvoke Coffee

広い店内がドッグランみたいなことになってました。


このふたり(バーニーズマウンテンドッグ)は生後3ヶ月と10ヶ月だって。
巨大だけど10ヶ月。
お客さんのブルドッグと一緒に、駆け回る駆け回る。

エスプレッソが信じられないほどおいしいお店です。バリスタくんがすごく優秀なんだって。
豆は、ポートランドのHeart Coffee Roastersのもの。



アボカドトーストも食べた。スレートのプレートに、バルサミコとごま。オシャレです。



バーニーズマウンテンドッグはKちゃんちでもリビングルームを走り回っている。
大きい犬はかわいいねえ。



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2018/08/04

七夕の上賀茂神社


脈絡なく京都日記のつづきです。

雨が時々激しく降っていた七夕の日、上賀茂神社に行くと、きれいな竹飾りが。

これを見て、そうだ今日は七夕だった、と思い出したのだった。




葵(「二葉葵」)の葉をかたどった、ハート型のきれいな短冊が用意されていました。


上賀茂神社、「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」というのが正式名称だそうです。

とても雅な感じのする神社。



入ると、まず目につくのがこの「立砂」。
これは「憑代」でもあったそうで、古代っぽい。

本殿の北北西2キロのところにある「神山」という山に降臨した神さまを祀っているといい、造営は白鳳時代、678年。って、また天武天皇の時代だ〜!



この境内にある建物はどれも、定期的に屋根を檜皮で葺き替えているそうです。
以前は伊勢神宮のように建て替えていたのだけど、国宝と文化財に指定されているので今は取り壊して建て直すことはせず、屋根を葺き替えるだけになったと。

この屋根の形!なんてキレイな曲線なんでしょうか。



屋根の隅がきゅう!と上がっているところがぐっとくる。

ちょうど特別拝観実施中だったので、国宝に指定されている本殿も拝見できました。
本殿のほうはカメラ禁止だったけど、なんというか、本当に古い都の断片をちらりと拝見した感じ。

「流造」の原型といわれている建築で、今の建物は文久に建ったものだけど、おそらく白鳳時代の形をとどめているらしい。



摂社のひとつ、片岡社は、紫式部さんが通ったそうで、新古今集におさめられている歌

ほととぎす声まつほどは片岡のもりのしづくに立ちやぬれまし

はここのお社を詠んでいるのだそうだ。
 


絵馬はハート型(葵の形なのだろうけど)で、紫式部さまのお歌と十二単の絵柄。
雅ですねー。


すみずみまで行き届いていて、清々しい境内。


境内に水が流れているのも、浮世離れした風情をますます濃くしています。



深山幽谷の気配まである。

ちょうど雨が降ったりやんだりの天気だったので、よけいにしっとりとした風情で、なかなか立ち去りがたい、素敵な場所でした。



バスで四条の町へ出ると、大雨でした。


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2018/08/03

地獄に通勤した人


源融さんのお屋敷あとというのに偶然遭遇してちょっとびっくりしたのは、その日の午後、紫式部さんの墓所に行こうと思っていたから。

ときどき大雨の降る七夕の日でした。「紫野」というところに、かなり立派な墓所があります。



室町のころにはもうすでにあったといわれ、本当に紫式部さんの墓所なのかどうかは不明。でもかなり古いお墓で、誰か埋まってるのはたしからしい。
こういうの、発掘調査をしようと言い出す人はいないんですね。



すぐとなりにあるのは旦那さんのお墓なのかと思ったら違って、「小野篁」の墓所だという。
小野篁さんは紫式部さんよりも100年も前の時代の人なので、隣り合ってるってどういうわけ?と思ったら、「紫式部のために小野篁の墓をおとなりに移した」といわれているらしい。

なぜ小野篁が隣に越してきたかというと、小野篁さんは「昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府で閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていた」という伝説があって、紫式部さんは『源氏』という煩悩にまみれたお話を書いたことによりしばらく地獄に落とされたので、小野篁さんに閻魔大王にとりなしてもらったのだ、という話が伝わっているそうです。

井戸を通って地獄に通勤していたという伝説が生まれるような小野篁さんは、生きていたときから相当ヘンな人だったみたいですね。紫式部さんとはウマが合わない気がするんだけど、全然違う二人の天才がほんとに出会っていたら、面白い会話が生まれただろうなあ。

隣り合ったお墓で会話しているところを想像すると面白い。 式部さんがかなりムッとしていそう。


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2018/08/02

リアル光源氏のお屋敷


京都の高瀬川。

河原町にあるこの高瀬川に近いR子さんの別宅を、7月に1週間ほど使わせてもらった。

自転車でこのへんをうろちょろしていると、なにやら尋常ではないほど風情のある木の前に、立て札があった。


こう書いてありました。

 この付近には、嵯峨天皇皇子で『源氏物語』の主人公光源氏のモデルとされる平安時代前期の左大臣源融(822〜895)の邸宅、河原院があった。東西は現在地から柳馬場通まで、南北は現五条通から六条通(一説に正面通)に及ぶ広大な敷地を有する、平安京屈指の大邸宅であった。
 
邸内には陸奥塩釜の風景を写した庭園を造り、難波の浦から運んだ海水で塩焼きをしては、その長めを楽しんだという。河原町五条の西側に「塩竈町」「本塩竈町」の町名があるのは、このことに由来する。

また、このえのきの大樹が邸内にあった森の名残ともいわれている。

河原院自体も、『源氏物語』で光源氏が自邸として造営した六条院に投影されており、作中では源氏が妻たちとともに住み、冷泉帝・朱雀院の行幸を得て栄達の極みを謳歌する舞台となっている。

へーーーー!

わたくし実は、今回京都でようやく『源氏物語』を読み終えたのでございます。
谷崎潤一郎訳の中公文庫のと、岩波文庫の「原書」とを並べて、ちまちまと毎晩読んでいたので、これまた5年くらいかかった。

ちまちま読んでるのもあり、人物関係がややこしすぎてあまり理解できていません。

3年ほど前にシアトルの紀伊國屋書店で岩波文庫が5割引きセールになったときに、後半をまとめて購入したのでした。


この次に京都に行くまでに源氏を読み終える!という謎のコミットメントをしていたのだけれど、出発前に最後の浮舟ちゃんの物語を100ページくらい読みきれなかったので、かさばるのにわざわざ米国から谷崎版と岩波の最終巻を2冊持っていき(両方で厚さ5センチくらいあった)、京都でようやく読み終わったのだった。

美しくて気の毒な浮舟ちゃん。というより、みんなが気の毒すぎる話だった。
美意識と生まれの高貴さだけが価値のすべてである世界の人々よ。

みんなすぐ出家したがるし、すぐもののけに取り憑かれて死ぬし。
男はほんんっっとみんな最低だし。女は自分の身の程をわきまえてなよなよと死にそうにたよりないのが最高の美徳であり。お坊さんもたよりにならないし。

しかし、光源氏にモデルがいたなんて知らなかった。

リアル六条院のお屋敷があったんだ! 
しかも、京都で滞在していたそのすぐ目と鼻の先に!
なんだか縁を感じるわー。源融さんは迷惑だろうけど。



京タウン誌の『LEAF』 のこんな記事がありました。

ひろーい。

女人厄除けで有名だという市比賣神社が、源氏物語の嫉妬に狂って生霊を飛ばし人を呪い殺してしまい、もののけになってさまよう六条御息所にゆかりの場所だというのがなんともいえない。
六条御息所は1000年にわたって日本女性の心に響く存在だったんだ。

御息所の御殿のあとに光源氏が六条院を作ったんだったっけ?そして娘の秋好中宮がその同じあたりの屋敷に住むのだったね。



このエノキの木も苔にびっしり覆われてなんとも風情があるけれど、その後ろのこのお宅、真っ黒に焼いた木を外壁に使っていてこれがまたとてつもなくオシャレ。


看板もなにもない秘密クラブのような料亭ででもあるのか、六条院のモデルになったお屋敷があったという場所にとてもふさわしい、と思ったら、どうやらそうではなく「榎大明神」という神社的な施設らしい。
グーグルマップで見ると、以前は(わりと最近まで)この建物には鳥居がとりつけられていたみたい。
いずれにしても謎の存在。

お庭に陸奥塩竈の風景を作って塩焼きをしたとな。

平安時代がどんな経済システムだったのかぜんぜん知らないけど、 リアルにそんな豪勢に遊び暮らしていた貴族たちを養う余裕があったんだなあ、というか文化ってそういう洗練された搾取の中から生まれてきたんだなあ、とあらためてそのスケール感をここで実感した。

そのころ生まれていたらあたしゃ間違いなく「やまがつ」だ。
お庭で潮を焼く要員ででもあったかもしれない。



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2018/08/01

真夏の道で食べ散らかし放題


うひゃー、もう8月だ! 
連日快晴のシアトルで30度Cに近付こうものなら「暑い」「溶けるー」とぬかす、ここのシアトル人たちをまとめて東京に送りつけてやりたい。
このごろ朝晩は15Cまで下がる。夜は寒いって。

でもさすがにおとといの昼間などは、もあーっと部屋中暑くなって、冷房入れようかなと思った。
(去年大家さんが古いパネルヒーターをエアコンに取り替えてくれたのでシアトルには珍しい冷房物件になった)。
でも東京の暑さを思い出して思い直し、代わりに扇風機をつけました。


もう草木も伸び切って、そろそろ秋の気配。


 スーパーにもブルーベリーが山盛り。安くておいしいブルーベリーは、このへんに住むしあわせのひとつ。



近所の家の庭にヘーゼルナッツの木があって、その前をとおるとガサガサ食べかすが落ちてくる。見ると、枝のあいだにりすが3匹くらいいて、わき目もふらずに宴を繰り広げている。
道を歩けばあちこちにりんごとかプラムとかチェリーとかも食べ散らかされている夏のご近所なのだった。


Rのつく月じゃないけど牡蠣をごちそうになっちゃった。夏でもうまいす!


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2018/07/31

あるアル中の話


Don't Worry, He Won't Get Far on Foot という映画を観てきました。

シアトルではUptown Cinemaその他で上映中。

監督は『グッド・ウィル・ハンティング』のガス・ヴァン・サント。

主演はホアキン・フェニックス。

泥酔して交通事故に遭い四肢麻痺になってもお酒をやめられなかったアル中男が、酒をやめ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)のグループに出会って、マンガ家になるというおはなし。

めっちゃ地味な話やん!と思うでしょう。
わたしも観る前はちょっと退屈な映画を予期してたのだけど、これがぜんぜん退屈しなかった。

俳優さんがむちゃくちゃいい。
主演のホアキンもいいけど、ジャック・ブラックとジョナ・ヒルもすごいし、セリフを言わない人もめっちゃ説得力があるの、あれは一体なんなんでしょう。監督さんの力量なのか役者がみんなうますぎるのか。

アルコホーリクス・アノニマスは、カート・ヴォネガットがインタビューで

「これはとくにすぐれている、とお考えの宗教がありますか」と聞かれて

「アルコホーリクス・アノニマスです。この会は血縁関係にとても近い拡大家族を会員に与えてくれます。あらゆる会員が同じ破滅的な体験を持っているからです。」
と答えていたのが強烈に印象的だった。
(「自己変革は可能か」プレイボーイ・インタビュー1973年7月、『ヴォネガット、大いに語る』飛田茂雄訳、サンリオ文庫)

ヴォネガットはつづけて
「そしてアルコホーリクス・アノニマスのすこぶるおもしろい特徴のひとつは、大酒飲みでない大勢の人が加入していることです。彼らがアル中患者のふりをするのは、社会的、精神的な恩恵がそれだけ大きいからです」

とも言っている。これを読んだ当時AAのことも全く知らなくて、何だそれ?と思ったのでよく覚えているんだけど、この映画はそれに対する、充分すぎる回答だった。

アルコホーリクス・アノニマスは日本にも組織があるようで、ウェブサイトに「12ステップ」の日本語版があった。

自分が無力であることを認め「意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心を」し、あやまちを認め、自分が傷つけた人に許しを求め、「祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求め」るというのが、その骨子。

委ねること、限界とあやまちを認めること、より良い価値を実践する力を求め続けること。

なるほど、と思った。

この映画が描いている、人を変革する力、人を不幸から救う力、というのは宗教の最善の部分だと思うし、ドグマに陥らず個人の救いになる宗教のかたちがあるならAAの実践しているこれがそうなのかもしれないとまったく本気で思う。

(アルコホーリクス・アノニマスは宗教を名乗ってるわけじゃありません、念のため!)

サンリオ文庫もなくなってしまった今、30年を経てやっとわかりました。


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2018/07/30

蔵王堂とカエルたち


吉野の朝。5時ころに巫女M様に声をかけられてぱっちり目が覚めると外がこんなことになっていて、もう眠れる感じにならなかったので、そのまま支度をして早朝お散歩に。

いつもはよく寝るわたくしですが、旅先では貧乏症のため、わりと早起きになります。



宿の前には柴犬さんが。まだ道路が涼しいあいだに、ぺったりとおひるね。


宿は坂の上にあって、細い坂道を降りていくと、古い構えのお店が並ぶ門前町に出る。

瓦の庇の上に鍾馗さんがいた。この顔も格好も、完璧にデビルそのものだ。本人か。


もちろんまだお店はひとつもあいちゃいませんでしたが、気になる提灯があちこちの軒先に吊ってある。
蛙飛行事ってなんだ。

坂をどんどん下っていくと、金剛山寺の「蔵王堂」がバーン!と登場。


檜皮葺の屋根を持つ「東大寺に次ぐ規模の木造の建築」と前の日に宿の人が言っていたのを聞き流していて頭に入っていなかったのだけど、この山の中にほんとにここまで大きなお寺がぽんっと出てくると思ってなかったので、衝撃を受けた。

すごく立派な本堂。

でもやっぱり何度か火事で燃えて、これは16世紀に再建されたものだそうです。


本堂のなかは撮影禁止なので写真はありませんが、柱がみんな、一抱え以上ある大きな無垢の丸太であるところも山のお寺らしいワイルドさ。いままでに見たことのあるどんなお寺よりも、豪胆で率直な印象を受けました。

しかもツツジとか梨といった、ふつうこんなに巨大化しないだろうと思うような木もある不思議建築である。

ユネスコの世界遺産にも登録されてるんだそうです。

ここは役小角がひらいたといわれる独自の修験道の本山であって、高野山とも比叡山ともちがい、ご本尊は「蔵王権現」というここだけの独自の存在なのだった。

「権現」というだけに、神でもあり仏でもあり、神でもなく仏でもないという不思議に折衷的な存在。

役小角さんがが山の中で千日の修行を行ったのちに、この権現があらわれたと伝わっているそうです。

 役小角さん。金剛山寺サイトよりお借りいたしました。

 御本尊の蔵王権現は3体あって、年に一度くらいしか公開されていない。
今年は3月〜5月に公開されたそうで、残念ながら見られませんでした。

3体の蔵王権現が、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩の化身として祀られているというのです。お寺のサイトに公開された写真がありました。


 めっちゃ怒ってらっしゃいますけど、なんか親しみが持てるお顔である。


まだ拝観時間ではなかったので、外から見るだけで失礼しようと思っていると、法螺貝を抱えた若いイケメンお坊さんがやってきて、これから朝の行が始まるところなのでよかったらどうぞどうぞ♪と、とっても明るく爽やかに誘ってくださった。

うわーい!とありがたくお言葉に甘え、お坊さん(ほとんど若い人ばかりだった)8人くらいの迫力ある勤行を、本堂のどまんなかでM嬢と二人で聞かせていただくという、贅沢な目にあわせていただきました。

勤行の最後は、お経をとなえながら本堂の奥の像たち(如来や不動明王、聖徳太子もいた) を訪ねてまわる。これもお誘いいただいて、いちばん最後にくっついて回らせてもらう。最後に役小角像にご挨拶してシメでした。

若いお坊さんにいろいろお話お伺いして、もと来た坂を大汗かいて(すでに暑かった)上り、宿の露天風呂で朝日を浴びながら汗を流して、朝食の席へ。
そしてまだ8時。なんと贅沢。

ごはんを食べてチェックアウトして、そろそろお店があき始めた門前町をもう一度訪ねてみました。
そして車の鍵をなくした



どのおうちも歴史ある店構えでしみじみ素敵なのだけど、特に目をひきつけて離さないのがこのガマガエルが鎮座する「陀羅尼助丸」のお店。

これは黄檗などが主な材料とするお腹のくすりで、ガマガエルは原料にははいっていない。


リアルすぎるガマちゃんなのである。


カエル柄の暖簾も、味がある素敵デザイン。家にほしいかといえばほしくないが。

胃腸が弱いわたくしは、この陀羅尼助丸を買ってみました。まだ服用してみていません。


お店のおねえさんに「蛙飛行事」について聞いてみると、「カエルの格好をした人が神輿に乗って回る」という話。………?

探してみると動画があった。



蔵王堂で行われる、かなり盛大な行事なんですね。

ブログで詳細な写真とともに紹介している方もありました。

「蛙の姿に変えられた人間が、行者さんの法力によってまためでたく人間に戻してもらう」というストーリーのようです。
修験道の力を喧伝するマーケティングイベント的な感じですね。いつ頃から行われていたのかはお寺のサイトにも記載がない。

提灯のデザインが涼しげで素敵です。



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