2018/01/14

天啓と凶悪な暖簾


Apple Musicでバッハのカンタータを聴いたら、Hildegard von Bingen(ヒルデガルト・フォン・ビンゲン)という女性のアルバムをおすすめされた。

こういう中世の音楽好きー。

ヒルデガルトさん、どこかで名前をお伺いしたなあ、という程度でしたが、天啓を得て幻視体験をもとに絵や書を残し、薬草学にも通じ、優れた音楽もたくさん残した「中世ヨーロッパ最大の賢女」さんだったのですね、バイ・ウィキペディア。
古代ローマ以降はじめての女性作曲家だそうです。

12世紀の女子修道院長さんだったというヒルデガルトさんですが、ウィキに載ってるこの絵が衝撃的すぎて、いただいてまいりました。

これはヒルデガルトさんが記した書『道を知れ』という書の挿絵で「神からの啓示を受けているヒルデガルトと、書記のフォルマール」だそうです。

上からおりてきて目を覆っているこの赤いものは「天啓」らしいですが、どちらかというと凶悪な感じのする赤い暖簾的なもの、または触手的なものに見えますね。

そしてこの書紀係だというフォルマールさん、「おやおや」みたいなカジュアルな感じでまたそれがおかしい。この人宙に浮いちゃってるし。


生涯に77曲を作曲したそうです。天啓だけで作ったという。

でもほんとに素敵な音楽で、落ち着きます。

どっかで聞いたなあ、ヒルデガルトさん…。

と思っていたら、なんとつい数日前に読んだ、フェミニストアーティストについての文章の最初のところに、歴史上の有名な女性神秘家の一人として名前が出ていた。

ほんとうにこの記憶力の悪さ。なんとかアップグレードできないものか。

ところでApple Music、iOSを更新したらもっとよくなってるかと思ったら、ぜんぜん変わってなかった。

このUIについても色々言いたいことがございます。Spotifyもクラシック音楽の方面はあんまり強くなさそうだしね。ポール・アレンさんあたりがドン!と出資して、クラシック専門の気の利いたストリーミング再生サービスが出来ないかな。若手の育成のためにも、おかねもちの方がたくさんお金を出すストリーミングサービスというのはいかがでしょう。
ある程度需要はありそうな気がするけど、そうでもないのかな。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

ネルドリップ


どしぇー、いつの間にかもう1月が半ばにさしかかっている!

とっくに学校も始まってるしタックスリターンとかいろいろ「お正月」にやろうと思っていたことがぜんぜん片付いていません。

年末年始ってどういうわけかまとまった時間がやってくるような気がしてしまうけど、過ぎてみるとそんなカタマリは自分で作らなければどこにもないのだった。

OSの更新もやろうやろうと思いつつ手が出ない。

きょうやっと、iOSをアップデートしました。(これはダウンロードするだけで自分では何もしなくていいのに、なぜか先延ばしにしていた)

動作がはやっ!
そして文字が読みやすくなってておばちゃんには嬉しい。

あとはMacOSとウィンドウズ…。うちはまだYosemite&Windouw7です。

ところで猫パパ、ぴゃっとさんに、このあいだ日本のおみやげにネルドリッパーをいただいた。

息子が淹れ方をネットで調べてたよ。

英語では「Coffee sock」っていうのね。「くつした」ってなぜか可愛い。

そしてこれがまた、びっくりするほどうまかった!
同じ豆なのに、ドリップの方法でこんなに違うんだ。味もまろやかになるし、香りがもっと引き立つのね。

昭和の日本の珈琲専門店は、気難しそうな店主がネルドリップで淹れてくれるのがスタンダードだった。
そういえばずっと昔、うちの父もネルドリップで珈琲を淹れて自分用の益子焼のカップで飲んでいた。あれはいつごろだったんだろうか。

いただいた「くつした」もHARIO製だったけど、電気ポットもガラスのポットもこっちで買ったHARIO製。シアトルのカフェでも、ケメックスと一緒にHARIOのポットやなんかが並んでます。

シアトルのロースター&カフェではサイフォンやエアロプレスはあるけど、ネルドリップはアメリカのカフェではまだ一度もみたことありません。手間だし、衛生上も制約があるのかも。

ネルドリップって別に日本だけのものではないけど、わたしの引き出しには「昭和の風景」って刷り込まれてます。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2018/01/11

ダメなお父さんたちと壊れた家族



Netflixのオリジナル映画『The Meyerowitz Stories (New and Selected) 』邦題は『マイヤーウィッツ家の人々(改訂版)』をみました。(この家族の名前が長すぎてどうしても覚えられない。そして「改訂版」ってちょっと何?って感じだ。)

面白かったです!星五つっ!

ダスティン・ホフマンがお父さん。
アダム・サンドラーとベン・スティラーが、腹違いの兄弟。
エマ・トンプソンとキャンディス・バーゲンも出てる。

カメオでシガニー・ウィーバーと、ハン・ソロの息子アダム・ドライバーも出てくるよ!


お父さんは前衛彫刻家。60年代にニューヨーク派がブイブイいっていた時にちょっと注目され、ホイットニー美術館にも作品が買い上げられたりしたが、その後鳴かず飛ばず。
いまはマンハッタンのアパートと田舎の家をいったり来たりしながら、ヒッピー崩れみたいな4度目の妻(エマ・トンプソン)とぼんやりと暮らしている。

長男ダニー(アダム・サンドラー)は、音楽の才能があったのに小心者でその道に進むこともなく、ほとんど仕事につかずに暮らしている。
妹のジーン(エリザベス・マーヴェル)と共に、コミュ障気味のぼーっとした兄妹である。

次男のマシュー(ベン・スティラー)はアートとは全く関係ない会計士のしごとで成功して、父のいるNYから遠くはなれたロサンゼルスで生活している。

お父さんもぼーっとしていながらむちゃくちゃに我が強くて、誰と会っても人の話を聞かないし、過去の仲間だったアーティストの成功にジェラシーを燃やしている。

ダニーもマシューも、自分をみとめてくれなかったお父さんを憎みつつ、それでも大好きで、いまだに簡単に解消できないコンプレックスを抱えている。

という映画。

地味ーな話なんだけど、もうなんといっても俳優陣が最高です。

ダメな人々のしみじみとしたダメさを、すごい俳優さんたちが説得力マックスで演じてる。

ダニーもマシューも離婚しているし、ジーンは生涯独身みたいだし、お父さんの奥さんもむっちゃ変でマイペースだし、主要登場人物はみんなどこかが決定的に間違っている。つまり普通の人。

でもそのキャラクターがみんな、ダメだけどあたたかく描かれてて。

勝手ばかり言い、息子と会っても中身のない自慢話しかしない彫刻家お父さんも。
ダメすぎて大学生の娘に「何かあったら話してね」と心配されるダニーも。
ダメすぎて泣ける。

こういう壊れた家族系の映画ではメリル・ストリープが超絶イヤなお母さんを演じた『August: Osage County』(邦題『8月の家族たち』)がすごかったけど、この『マイヤーウィッツ家』はもっとほっこりできて笑えて、よく考えるとまったく誰も救われてはいないんだけど救いがある気分をのこして明るく終わってくれる。

壊れた家族系の映画は大好きです。
アメリカって、「ファミリーは仲良し」神話の圧力がものすごく強いだけに、壊れた家族の秀作が多いのかも。

しかし!ネットフリックスがこんな映画も作るようになったのか!
というのが、驚きでした。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2018/01/08

死への旅。本当はものすごく暗くて恐いワイエスさん


雨の日曜日、シアトル美術館でやってるアンドリュー・ワイエス回顧展を観に行ってきました。
うっかりしてたらもう会期が残り1週間になってた!

11月からなんだか忙しさがじわじわと途切れず、余裕がまったくありません。力量と自己管理能力の足りなさよ。

前の晩にウェブで予約したら、もう翌日の枠は夕方5時の回以外は売り切れだった。

というわけで5時入場。
閉館まで1時間しかなかったので、とても全部じっくり観ることはできず、さくさくと観てまわりました。

会場の入り口に、

「モノをそのままに描くことにはまったく興味がない。モノの真実よりも、モノが持つ気分のほうにずっと深い興味を惹かれるのだ」

というワイエスの言葉が。

リアリズムの画家として知られているけど、私の描いてるのは単にモノじゃないんですよ、という。なるほど。



ワイエスさんの絵をちゃんと見た覚えはあまりなく、このあいだNYのMOMAで『クリスティーナの世界』(今回の展覧会には入っていなかった。あまり貸し出さないようです)をまじまじと見たのがたぶん初めてかも。

日本ではあんまりワイエスを見た覚えがない。
たんに私が知らないだけなのかもだけど、ヨーロッパの巨匠たち、特に印象派が大変にありがたがられるのに比べて、アメリカの有名画家って日本ではもしかしてわりに冷淡な扱い? 

ポップアートや抽象表現主義のようなモダンアートの潮流に属さないアメリカの絵は退屈だと思われているのかもしれないし、実際わたしも以前はそういうような意味不明の漠然とした偏見をもってた。

単になにも知らなかったんですけど、ワイエスさんってこんなに暗い人だとおもわなかった。
なんかもっと無難な幸せな絵なのかと思ってた。



ノーマン・ロックウェルを頂点としてペーター佐藤のミスドのイラストへつながっている的な、「アメリカの同時代の写実的な絵」というすごく乱暴なくくりかたで勝手にクラスタを作ってしまっていた。

ロックウェルさんの作品だって幸せな絵ばかりではないのだけど。

有名な『クリスティーナの世界』さえ、絵面を漠然と知ってただけでちゃんと見たことがなかったので、わりと最近まで、草原の上にのんびり寝そべっている女の人の絵だと思ってたくらい。



 (これは今回のSAMのではなくてMOMAで撮った写真です)

ほんとうは下半身が麻痺している少女が草原の丘をずりずりと這っていく絵で、しかも彼女が苦労してめざしているのはペンキも剥げ、うらぶれて寂しそうな家で、しかも窓にはカラスが群れていて恐いのだ。でも彼女にある世界はその家しかない。という絵。

でもそんなうっかりさんは、きっと私だけではないだろうと思う。

立ち止まらずに横目で見ただけの人の目には何でもない平和で静かな風景の美しさを描いた絵だと映ってしまうような端正さが、ワイエスの半端ない技量と美意識が作る世界の凄みなのだと思う。

数秒立ち止まってまじまじと見て初めて、ようやくそのなんでもなくなさがじわじわ伝わってきて、その画面に緻密に描かれた現実のあらわな残酷さ、厳しさ、おそろしさ、に目が離せなくなってくる。

いやーでも、ほんとうに暗いんですね、ワイエスさん。

メイン州の砂浜に干された、風にはためく漁網を見て、水死した女の子を追想したり(下の右の網)。
網が、命をからめとる大きなクモの巣みたいだ。

窓から入ってくる風を描いた作品も、ざわざわする不吉な知らせを感じさせる。


親しい友人のポートレートは、ボートの中に寝かせて完全に死体にしか見えないコスプレ画像にしてしまうし!!

この人の絵は、とがった鈎とか、黒い鳥とか、煙とか、曇り空とか、陰鬱で不吉なイメージに満ちている。

死のイメージにとりつかれていた人だったのだ。



とはいえ、ここにある死のイメージは、たとえばヨーロッパのシュールレアリズムの人たちのとは違って、ほの明るくて、すみずみまで照らされていて、とても月なみな言い方だけれど、さらっと乾いている感じがする。

たぶんそれは、テンペラという素材の質感もあるのかもしれないけど、まずは、ガランとした空間のせいなんだろうと思う。

地平線までなにもない、茶色い草だけがボウボウと生える、まったく愛想のない草原。
陰鬱な空の下にひろがる空っぽの大地。

アメリカという国が、その真ん中に抱えているこの空っぽな空間は、ほんとは実に重苦しい土地なのだ。
ワイエスさんの絵の舞台は東海岸の田舎で、中西部のハートランドではないんだけど、この空の広さはおなじ。

ポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』はアフリカの話だけど、米国の草原の空にも、空にフタをされているような威圧感がある。

(ボウルズはニューヨークの人だし、アフリカは知っていてもきっとあまりアメリカ国内の草原なんかに興味はなかったのだろう。あの主人公の夫婦はやむにやまれず、何ものかに動かされてヨーロッパを通過してアフリカへ行かなければならなかった。決してアメリカの平原ではなく。彼らがめざしたのは内省ではなくてエスケープだったからだろうと思う。

これはまた別の話だけど、アメリカの都会の人とハートランドの相容れなさは19世紀からもう始まっていたんだなって思う。)

あまりに広い場所は、かえって息苦しく感じられることもある。

一見静かで端正な表面の下に荒々しい容赦なさを持つ、フレンドリーではない自然。

その中に生きる人たちの、あり得ないほどの強靭さと静かな威厳。

ワイエスの絵には、その両方が淡々と端正に描かれている。

アンフレンドリーな自然の中で生きる人生がラクであるはずがない。

ワイエスはそのすべてをちゃんと見て、その場にある確かな「気分」を外科医のような緻密さで描き込む。

ワイエスに描かれる人々は淡々と自分の人生を受け入れて、少し下を見ながら暮らしている。


ワイエスを訪ねて来て、しばらく寄食していたというネイティブアメリカンの青年。活動家で画家だったそうです。イケメンである!

一番柔らかな印象だった絵は、光が差し込む小さな小屋の風景。



絞った牛乳を置いておく古い掘っ立て小屋で、ワイエスはこの小屋に中世風の風情を見出していたという。

有名な挿絵画家だった父が描き、子どもの頃に親しんだ『ロビン・フッド』の場面を思わせたのかもしれない、と解説にありました。


14歳の黒人少女を描いた絵。ぜんぜん作風は違うのだけど、ムンクの「思春期」を思わせる。

重苦しい未来の予感に耐えている少女。
おばさんみたいな服に身を包んだこちらの少女のほうが、ムンクの少女よりも老成してみえますね。もう人生の大きな部分について、諦めることを学んでしまった表情である。


ワイエスは品行方正な画家だと思われていたらしいけど、50歳を超えてから近所のローティーンの少女の生命力あふれるヌードを描き出したり、近所の人妻の「エロティックな」ヌード像をいくつも「秘密で」描いていたのだそうです。

長年応援してくれていた妻にも内緒で!

これはマネの『オランピア』をモチーフにした、その人妻の絵。

うーんなんともいえない。奥さんはそれはイヤだろうよ。秘密にしてたって絶対バレるだろうし。バカですね男って。

ピカソみたいに最初から全開でエロじじいだったら、奥さんもまあもうしょうがないと思えるのかもしれないけど(思えないかもしれないけど)、うーん。

でもこれがまた、すごく迫力のある絵でした。
画家の命を削った渾身の作ですよってオーラが出てて、ほかのテーマの絵と違う迫力があった。
光り輝く裸体のまわりが闇っていうのも凄みがある。

エネルギーを描こうとしているけれど、その周りは闇で包まれている。
死を描いた絵よりも、ある意味凄惨な感じがする。

暗闇につつまれ、中にも秘密や暗闇を抱えた私たち。
そして私たちが崇めるもの。
の絵です。

オランピアとは違って向こうを向いた、人格のないヌード。闇のなかの生け贄みたいだ。



恐い絵がてんこもりの展覧会でしたが、これがなんといっても一等賞。



ダンスを踊っている人々は、ワイエスさんが長年モデルにしてた近所の友人たちで、故人ぞろい。

モデルがどうこうで、という解説を読まなくても、これは生きてる人を描いた絵ではないというのがわかる。

死んだひとたちの楽しそうなダンス。そしてみんながこちらに背を向けている。

1989年!
ワイエスさんは1917年生まれなので、72歳の時に描いた絵。

これは、イングマール・ベルイマンの映画『第七の封印』の一場面からとられているそうです。

ほんっとうにしみじみする。この絵を見てると、怖くて泣けました。引きずられる気がする。




これも笑えるほど怖かったよ。
怖さでは上の死人のダンスと同着で一位って感じの、しかもタイトルが『春』!!

ここでも友人を、死人にコスプレ。いうことなしの怖さです。

この絵がかかっている部屋で寝たくはない。


シアトル美術館、珍しいほどの激混みでした。

アメリカ人にはワイエスさんは人気だし、空が陰鬱で自殺率が高い都市シアトルの人には、ワイエスさんの世界はとくに通じるものがあるのかもしれないですね。

会期は15日までですよ! 

緻密な草の葉をしみじみ眺め、インディアンのイケメン青年と恐い死人コスプレを観るだけでも、25ドルの価値ありです! 

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2018/01/06

明治の変人 南方熊楠さん


マダムMからいただいた『南方熊楠』(唐澤太輔著、中公新書)読みました。おもしろかった。

南方さん、ロンドンから帰る漱石先生と、インド洋上ですれ違ってたんですね!


大学予備門でも同窓だったけど、ほとんどお互いにメンションなしだという。

酒豪で酔っぱらいで 、気に入らない人には自在にゲロを吐きかける技をもち、部屋はめっちゃ汚くて、身なりにも構わず、とにかく知識の追求にだけひたむきに生きたという南方さん。

漱石先生と南方さんは、同じ時代を生きて外国の知識を異常なスピードで吸収する旺盛な情熱と知性の持ち主であったということを別にすれば、まったく正反対のキャラクターだけど、でも後年に出会っていたら、きっとお互いに興味を惹かれたことだろうと思う。

癲癇の発作などの理由で予備門を中退して以降は正規の教育をほとんど受けず、古今東西の書籍を読みあさって超人的な知識をたくわえ、アメリカのフロリダやキューバで地衣類や粘菌をあつめ、ロンドンでは大英博物館でひたすら筆写にはげみ、1万ページ以上の文献を書き写したという南方さん。

うん、やっぱり大変人。屈折したエリートで、かつオシャレな漱石先生とは、若い頃には話があわなかったかもしれない。

グーグル先生になんでも聞ける今は筆写なんて誰もしなくなったし手で字を書くことさえ減った。だいいちワープロソフトで切り貼りしながら文章を書くのがふつうになったけど、
手書きで書き写して行く作業にはなにか特別な方法で脳に働きかけるものがあるのではないかと思う。


南方さんは後年、日本に戻ったあとは熊野の那智山にこもっていたのだとか!

(熊野にまた行きたいなあ、と最近よく思います。特に前回行けなかった熊野大社と那智の滝。今年の夏に行きたい! )

そして例の明治政府による神社合祀の反対運動に奔走する。

日本の山や里に無数にある小さな神社が、自然環境にとっても人心にとっても社会にとってもホリスティックな装置であったことを体感していたんですね。

南方さんのいうことは、今でも的確。

「わが国特有の天然風景はわが国の曼荼羅ならん 」(204)

ホリスティックなアプローチも、「シンク・グローバル、アクト・ローカル」を地で行く思想も、いま21世紀の最先端に置いても適切なのは、その時代の常識にとらわれなかったから、というより常識に従うことができなかった人だからだろうと思う。行動の人であり、直感で情報を集めることにも長けていて、後年はスピリチュアルな方向にも真摯な科学的興味をもって傾倒する。

大英博物館の館長にも愛されて、「君は東洋と西洋に関するかくも深い学識を持ち、人間世界と物質世界の率直で公平でしかも私心のない観察者です」と賛辞を送られている。

ゲロはいたり酔っ払ったりで家族や友人は迷惑することも多かったと思うけど、それ以上にこんな人がいたら面白くてたまらなかっただろうなと思う。



一昨年の暮れにオシャレなイソップで発見した南方さん(ギフトパッケージに使われていた)。

ようやく少しお顔を拝見できた感じです。もっといろいろ読んでみたいー。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2018/01/03

冬のビーチパーク ゴールデン・ガーデンズ公園



2017年最後のお散歩。30日にゴールデン・ガーデンズ公園へ行きました。

いつ見ても、うすら寂しいビーチです。特に冬は。
少し遠くをアザラシが泳いでました。


ビーバー君の姿は見当たらず。でもビーバーの家があった。


貸自転車(バイクシェアリング) のLimeバイクがこんな砂浜に放置されていた。
ここで乗り捨てか!!!



と思ったら、ほかにも貸自転車で来ている人たちがいた。

高校生くらいの男の子2人で、ゲラゲラ笑いながら乗り回し、えらい楽しそうでした。
貸しチャリで浜辺に行くのが流行っているのか?

厚い雲のむこうの夕日。
ハワイ島のキラウエア火山のハレマウマウ火口を思い出しました。


この寒々しい浜辺には、でも、ファイヤーピットがいくつかあります。これはいいなあ。
先着順で使ってよいらしい。

暖かいスープと良い本と毛布を何枚か持ってって、サンセットに焚き火って素敵だーー。

ついでに焼き芋もしたい!


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2018/01/01

あけましておめでとうございます。鍋と護摩とトリの謎


あけましておめでとうございます。

気がつけば2018年です。
去年はうっかり、恐ろしいモチの話で終えてしまいました。

こんなよた話ばかりのブログに遊びに来てくださってありがとうございます。
なんのお役にもたちませんが、今年もどうぞよろしく!

新しい年が良い年でありますように。願わくば平和でありますように。


大晦日の夜はシアトル高野山の護摩にいってきました。

ごんごん燃えていました。

おぜんざいもいただきました。美味しかったです〜!!


しかしこのトリが気になって気になって…。

帰りに御坊様か関係者に聞いてみようと思ったら、おぜんざいをいただくのに夢中になってトリについてお尋ねするのをすっかり失念。

マダムMに写真を送ったところ、
「鳳凰?」
あっなるほど!(ていうかその他のなに?ってことだ)

絶対に七面鳥ではないと思ったんだけどね。
でもこの吊るされ方がどうも肉屋を思い起こさせるのである。



護摩をきいておぜんざいを(2杯)いただいて、すっかり満腹で車に戻ると、午前2時22分でした。スーパー満月だったらしいです。

冷たそうな靄が高いところに切れぎれにかかる、透明度の高いキレイな夜空でした。



翌朝の元日は快晴。寒い朝は飛行機雲がよく見える。
見ていると心配になるくらい、飛行機が垂直に上昇していくこともある。
あれってこちらの目の錯覚なんだろうか?ほとんどロケット?と思うような90度の角度で上昇してくのを見るんだけど。

今朝はほんとうにキレイな朝で、ちょっと遅めの初日の出(地平線からでなく、フィニーの丘の家の屋根の上からでてくる)をリビングでお迎えいたしました。



今年もまたクリスマスツリーもお正月のお飾りも何もしなかったのだけど、息子の部屋に行ったら一画がなんとなく正月っぽくなっていました。

CTちゃんが日本から送ってくれたおめでたい飴ちゃん、Kちゃんがバラードマーケットで買ってきたくりくりパーマみたいな松の枝、そしてアンバー色のフレンチプレス。

大晦日は簡単に家で鍋にしようー!といったら、Kちゃんの大学のお友達でサンディエゴから遊びに来ているマルタ(仮名。ほんとうは忘れた)ちゃんも呼んでいい?というのでおーいいよ!となってワカモノ3人とのディナーとなった。
来年はちゃんとジェニファーちゃんたちもお招きできるように半年前くらいから計画しよう…。

ワカモノが3人揃うだけで舞い上がり、うちの土鍋はちっちゃいので、大晦日のウワジマヤで9号の土鍋買っちゃったよ。

前からちょっと大きめの鍋が欲しかったので、えいっ!とフンパツ。90ドルなり。
日本で買えば半分以下の値段なんだろうけど、これをスーツケースに入れて帰ってくることを考えたらまあ仕方のない値段なのかも。

土鍋フロム・ダークサイドという感じに黒光りしている鍋にしました。なかなかいい感じになります。


鍋は鱈ちりに豚肉も投入の寄せ鍋。お嬢さんたちもよく食べてくれました。

このあと『ブラック・ミラー』新シーズンのくっらーーいエピソードを見て、キッズはKちゃんちの年越しへ、わたしは高野山へ。
 
元日は年内にやり残した仕事があり、自業自得で年初から稼働。
でもパンパンにタイトではないので、近所を散歩したり、マダムMがこの間ハワイに持ってきてくれた新書の『南方熊楠』を読んだり、おひとり様で静かにふつふつと平和な、よい元旦でした。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ