2017/12/27

クリスマスディナーの子どもたち


クリスマスは、息子カノジョKちゃんのママ、ジェニファーちゃんの25年来のママ友キャリーさんのおうちになぜか息子ともどもお招きいただきました。隣の家の人もついてきちゃったよー的な微妙なお招きで、えっ?誰?わたし?なぜ?と最初は躊躇したんだけど、楽しかった。

ジェニファーちゃんちはご夫妻と東海岸から来てるお父さんと娘たちで総勢5名プラスお姉ちゃんのボーイフレンド、うちが2名、キャリーさんち4名にお嬢さんのボーイフレンドという、13名のディナーでした。

キャリーさんとジェニファーちゃんとは、 長女ブリちゃん(Kちゃんのお姉ちゃん)が生まれる前からのつきあいで、ほぼ同時期に生まれた娘たちも幼稚園から高校までずーっと一緒で仲良しだったのだそうだ。で、クリスマスはここ何年もずっと一緒にお祝いしているのだそうです。

ディナーのメインはキャリーさんとお嬢さんが作ったビーフブルギニョン。
わたしはジェニファーちゃんご所望で、クランベリーソースを持っていった。だからメインはハムなのかと思ったらビーフでびっくり。
写真は全くひどくてごめんなさい。写真だとおいしくなさそう。
でもすべてうまかったです!このほかにもサラダやポテトの付け合せがいっぱい。

キャリーさんのお祖父様とお祖母様はノルウェーからの移民で、バラードが北欧タウンだった頃のオリジナル住民だったそう。お祖父様は漁師で、ちっちゃい船でアラスカまで漁に出ていたのだとか。

だからおうちの中にもスカンジナビア風のインテリアがたくさんあって可愛かった。


そうして、ジェニファーちゃんのお祖父様は英国人でスリランカで農園を経営していた人なので、英国風のプラムケーキがなくてはクリスマスにならないのらしい。
こういうプラムケーキを子どもの頃から毎年クリスマスに食べていたそうで、お正月のお雑煮的存在なんでしょうか。本当は中に金貨が入ってるんだって。

これにゴボゴボとブランデーをかけ、火をともす儀式をやってくれました。


さらにKちゃんシスター、ブリちゃんが毎年つくるというブッシュドノエル。
キャリーさんちの旦那さんがつくったチョコトフィー。そしてノルウェー風スイーツの数々と、デザートも大充実。

 大人はディナーテーブルに座り、「キッズ」はリビングのテーブルへ。キッズたちは22歳から26歳で、ここんちの美女リアちゃんとそのボーイフレンド、弟のベンくん、ジェニファーちゃんとこの姉妹とそれぞれのボーイフレンド、そして犬、という、すごくかさばるキッズルームだった。


クリスマスって、若者たちはボーイフレンドやガールフレンドの家にこうやって招かれてディナーに行くものなのね? みんなお育ちの良いお嬢さんと青年たちで(うちの子は除く)、とても礼儀正しく感じの良い子たちばかりでした。



わんこのオーディンちゃんは、お気に入りのブリちゃんはじめ、人がいっぱい来たので嬉しくてちびってしまっていた。ラブラドールとプードルのミックスだそうです。かわええ。

今年も平和なクリスマスでした。

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2017/12/25

雪のクリスマス、ピンクの帽子



『ゆきのひ』って書いたら、シアトルは本当に雪のクリスマスになりました。

良いクリスマスをお過ごしでしたでしょうか。

シアトルではイブの午後から雪が降り始めて、クリスマスの日もまだチラチラ降ってます。


こんな立派なホワイトクリスマスになったのは、覚えているかぎりでは初めてだ(しかし物忘れが激しいのであてになりません)。


近所でデコレーションがいちばん派手な家。一見そうでもないように見えるかもしれませんが、これがですね奥様!右上の窓はアニメーションになっておりまして、音楽と共に次々に画像が変わるのです。
そしてもちろん家の周りにとりつけられたネオンも、音楽に合わせてチカチカします。
イブの夜はやってなかったけど。


降ったあとは少し温度も上がったので、さいわい道路はカチカチになったりしませんでした。


 道路のまんなかにある花壇(ラウンドアバウトの真ん中)のひまわりたち。


スノーマンを発見。けっこう立派な雪だるまが充分できる積雪量だったのでした。


なんとイブの日に納品っていう仕事が1件あったんですが(日本はクリスマスもふつうに営業日なんだったよね!)、それでようやく一段落したので、イブの夜は家で焼き肉!
はりきって焼肉タレも作ったよ!

それから『スター・ウォーズ』を観に行ってまいりました。やっと行けた!




帰ってきてから、シアトルのカトリック教会、セント・ジェームズ教会の深夜ミサの中継を観てました。

こういう普通の町の教会(とはいってもシアトルでは多分いちばん大きくて有力なカトリック教会なのだろうけど)のミサのテレビ中継を見るのは初めてでした。



司祭さん(でいいのか)のピンクのぼうし(「カロッタ」っていうのね。初めて知りました)に萌える。

カラーは位階をしめすのらしい。
このあとみたバチカンのやつでは赤い人とピンクの人がいて、法王さんのは白だった。

わたしはカトリックではないので、進行がいまいちよくわかっていませんが、ほんとうに面白い。

テレビで見ると、その場に実際にあるものは呼吸できないかわりに、その場にいたのでは絶対に見られない角度や細部が見られるし。

セント・ジェームズ教会の礼拝は、ただただ荘厳なバチカンのミサやロンドンのでかい教会のミサとは違い、なんだかご近所感がいっぱいで楽しかった。

音楽も進行も、町の教会らしく手作り感が溢れてて、なんていうかコミュニティのイベントって感じがする。
 
司祭さんもふつうに英語で話してるし(当たり前だけど)、高校の校長先生みたいな気さくな感じだし。説教は「神はわたしたちを互いに憎むようにはおつくりにならなかった」と愛のメッセージ。

来てる人を見てるのも面白い。みんな着てるものマチマチでパタゴニアのダウンジャケット着たままのおじさんもいるし。聖堂は寒いのかしら。

周りのひとたちと握手を交わすあいさつの時間(すいません名詞がわかりません)のあと、係の人たち(なんか役職名があるのでしょうね、信徒のなかの、礼服を着てお手伝いをする人たち)が、サニタイザーで手を拭いているのをわたしは見てしまった。
そのあと聖餐式(カトリックでは別名かも)のお手伝いでウェハースを運んだりする役目だからかもしれません。

テレビ(ローカルのKING局)では、この深夜ミサの同時中継のあとに、バチカンで行われたミサの録画が流れてました。

もう深夜すぎてたので最初だけ見ようと思ったけど、あまりにキレイなので1時間くらい観ちゃった。

司祭さんたちの入場のところ、両側の参列者がみんなスマートフォンで写真撮ってるのがなんともいえん。

そしてバチカンの本場聖歌隊の歌が美しすぎる。 朗読もたまらんほど美しい。読んでるのもふつうにイケメン。この伝統の厚みはやっぱり圧倒的。

バチカンのミサの参列者はまた、前列のほうはえらいゴージャスなマダムとかがたくさんいらして、いったいあの聖堂の前の列にこの日座っている参列者がどういう人々なのかわからないけど、かなりのセレブには違いなく、映画から出てきたみたいなキメキメな人たちが多い。

そしてカメラは若いイケメンを追う。

さらに世界から集まった司教さんたちが色々な意味でたいへん見応えがある。

『スター・ウォーズ』を観た直後だったので、前のほうに整然と座っている白い礼服の司祭さんたちがストームトルーパーに見えてしまって、自分でもちょっと驚いた。

しかしセント・ピーターズ大聖堂。とほうもない建物ですね。
生きてるうちに行かなくちゃ。



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2017/12/23

ふくらハミングバード、すしツリー、ゆきのひ


こないだ大学キャンパスでみかけた、ハミングバード。なんとなく膨らまってます。

スズメは寒いとまんまるになるけど、ハミングバードも丸くなるのだろうか。

今夜は寒いよ〜!20度台だって!(といっても摂氏でマイナス2度。NYCとかシカゴにくらべたらどってことないですね)

明日・明後日は雪になるかも!ホワイトクリスマスかも!という予報もでてます。


て、気がついたらもう明日はクリスマスイブではないか!
日本はもうクリスマスになってしまうのだ!

日本から寿司ツリーがとどいた。萌える。寿司くいてー。



今年のホリデー切手は、エズラ=ジャック・キーツの『ゆきのひ』でした!

というのは、もうカードを書き始めてから知った。時はすでに12月なかば。

あら切手買ってなかった、と思ってUSPSのウェブでキーツの切手を見て、うあああああこれは買うしかない!と思ってぽちったのだけど、カード発送にはまったく間に合いませんでした(笑)いつもながら見事な手際の悪さ。

この切手は来年のカードに使います、たぶん。
そしてすでに何年分かのホリデー切手の使いかけがたまっていたことに気づく。切手って額面小さいけど、販売部数に対して使われない率高いよね。

丸い月とキャベツみたいな多肉ちゃんの切手は、国際郵便用フォーエバースタンプ。
フォーエバースタンプって郵便料金が変わっても(だいたい毎年値上がりする)永遠に使い続けられるって素敵なシステムです。今は日本でもあるのかな?

そういえば、子どもの頃、切手の収集をしていたのだった!
ピンセットでつまんで大切に収集用のアルバムに並べていたけど、あの切手帳どこいっちゃったんだろう。


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2017/12/22

今週のトレーダー・ジョーズさん 危険な季節の戦うハニー


先週Trader Joe's で買ってしまった蜂蜜つめあわせ9ドル99セント。

この季節はいろいろギフト用に、ふだん見慣れない詰め合わせ製品や限定グッズが異常に増えるので、たいへん危険なのである。


なんか戦隊ものチックな。たたかうハニー。
蜂蜜がわりと異常に近いくらい好きなので、ファーマーズマーケットに行くとかならずフラフラと蜂蜜を買い集めてしまう。ハワイに行っても絶対買おうと思っていたのは蜂蜜だった。前世で蜂飼いか、もしくは蜂だったのかもしれない。

色がキレイなのでテーブルに置いて癒やされてます。

でもこのボトルなー。
可愛いんだけど、あまり実用的ではありませんね。



テーブルに蜂蜜を出しておいたら、なんかちょっと禍々しいかんじの蜂が来ていた。
Tyler the Creator の新しいアルバム(ビニール盤)についてきたオマケだそうです。



蜂蜜にも弱いけど塩にも弱いのよ。

トレジョのギフトは値段もお手頃でパッケージがツボすぎる。

これは去年やはりトレジョで自分用に買ってしまった塩の詰め合わせギフトセット。
そしてまだ小さじ1杯しか使ってなかった!


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フェイクなニュースのかわし方


お寒うございます。
クリスマスは雪になるかも、なんて予報もあるシアトルです。

デジタルクリエイターズに掲載していただいたのをこっちに貼っておきます。

今回は10月に行ったワシントン大学のレクチャーで聞いた内容をもとにしてるんだけど、実はこの内容は、歴史の授業のエクストラ・クレジットのために提出したレポートの焼き直しでしたw 

わたくし、えらそうに書いてるけど実は情報に左右されやすい人です。

このレクチャーはYOU TUBEでも公開されてます。
(Bloggerの埋め込みでYou Tube のクリップを選択できるのだけど、なぜか検索エンジンがふつうのと違うらしく、なかなか目指すのがヒットしない。なんでなんだろう。)


 (以下、デジタルクリエイターズからの転載です)





少し前、ワシントン大学のレクチャー「Finding "Fake News" in Times of Crisis: Online Rumors, Conspiracy Theories and Information(危機の時代のフェイクニュース:ネットの噂、陰謀論、情報)」を観に行った。


これはタイトルからすると社会学部やコミュニケーション学部のイベントのようだけど、そうでなくて工学部が主催するレクチャーシリーズのひとつで、この日の講師はケイト・スターバードさんという、人間中心設計&工学部の助教授。42歳だけど可愛らしい感じがする、すごく若々しくて元気でおもしろいハカセで、ガイジンの私にとっても、とても聞きやすい講義だった。

去年の大統領選挙のあたりから米国ではますますフェイクニュースが猛威をふるっていて、しかも現職大統領が大手メディアを「フェイクニュース」だと攻撃してはばからないので、ニュースそのものに対するこれまでの社会的信頼感がグラグラしてしまっている今日このごろ。

スターバード助教授はソーシャルメディアと群集行動の研究が専門で、その研究成果を発表するとともに、ここで一体フェイクニュースとは何かをもう一度おさらいして、対策を考えてみようというのがレクチャーの主旨だった。

まず、フェイクニュースが広まる背景には二つの条件がある、とスターバードさん。「エコーチェンバー」と「フィルターバブル」がそれだ。

「エコーチェンバー」は、自分の周りには同じ考えの人ばっかり集まりがちなので、たとえばSNSのフィードに自分が賛同できる意見だけが表示されるというような現象。さらにSNSは、「あなたはきっとこういう情報が好きでしょう」と類推して情報を集めてくれるので、輪をかけて自分の耳にやさしい情報ばかりが集まってくる。これが「フィルターバブル」。フィルターを通した情報だけが入ってくる、閉じた小さな世界(バブル=泡の中の世界)という意味ですね。

「バブル(泡)」という言い方には、包まれているのが透明な膜なので、自分がそのなかに閉じ込もっているのに気づかない、といった含みがある。

「何度も繰り返し観たり聞いたりすることで、その情報は見慣れたものとなり、真実であるかどうかにかかわらず、その人の世界の捉え方の一部になる」とスターバードさん。つまり、偏った情報によってその人にとっての現実世界が構築されてしまう。

そして、非常に残念なことに、反復によっていったんニセ情報が刷り込まれてしまうと、正しい情報でそれを外から「修正」しようとしても、なかなかうまくいかないのだという。

それが長い期間慣れ親しんだ考えであればあるほど、「あっそうなのか、自分が間違っていたんだ」と認めるのは、誰にとってもなかなか大変だってことはちょっと考えてみてもよくわかる。しかも周りにいる人が自分と同意見(のように見える)場合にはなおさら。

しかし、風評だのウワサだのというのはもちろん、インターネット登場以前からあるもの。人類はウワサと共に歩んできた。

噂というのは、災害などの事態に直面したときに説明を求める集団的な行いだと、スターバードさんは指摘する。

何かしらわかりやすく、自分にとって腑に落ちやすい物語を作り上げる行動、ということなんだろう。




たとえば、2013年に起きたボストン・マラソン爆弾テロ事件では、事件発生の直後から、「これはCIAの陰謀だ」とか、「海軍特殊部隊の人が怪しいバックパックを背負って現場近くにいたのがこの写真で確認できた」とかの陰謀説ツイートがじゃんじゃん発生したという。

こういう「オルタナティヴ・ナラティブ(もう一つのストーリー)」、つまり語っている人からすると「みんな知らないけど、自分だけは知っている本当の話!」は、悲劇的な事件が起きると必ず言い出す人がいて、またたく間に広がる。

同時多発テロ、サンディフック小学校の銃乱射事件、フロリダのナイトクラブでの銃乱射事件などの惨事のあとにも、すぐにこういう「みんなが知らない本当の話」=陰謀説が語られ始め、拡散していったという。

スターバードさんは「フロリダの事件も、サンディフックやボストンやサンバーナーディーノの事件とおなじく、みんなユダヤ資本の支配するメディアが捏造したウソだ」といったツイートを、その典型として例示していた。

スターバードさんのチームは2016年に9カ月にわたってTwitter上で「shooting, shooter, gunman, gunmen(銃撃、狙撃者)」というキーワードで、5800万件以上のツイートを調査したという。

そこでこういう陰謀説などの相関関係を追跡すると、ウソのニュースを作っては流すのが専門の一握りのウェブサイトがボットを使って投下しているウソ情報が、途方もない量拡散されていることが確認されたという。

興味深かったのは、イランやロシアなどの国家が出資するメディアが投下する嘘ニュースの量も突出しているということ。

大統領選挙へのロシアの関与が取りざたされているけど、インターネットを使った人心への攻撃作戦というのは、実際にかなりの規模で行われているのだという。

こういった、国家や組織による「戦略上や地政学上有利な結果を得るために国内または外国の政治的意見を歪める行為」は、Facebookの2017年4月27日の白書で「Information Operation(情報操作)」と定義されている。

スターバードさんのチームはマレーシア航空事件の後の情報を調査研究していたのだが、この事件では特に政府機関のものと思われる情報撹乱が激しく、調査チームのメンバーが神経衰弱になりそうなほどだったという。

そしてこのレクチャーでもう一つ面白かったのは、嘘ニュースの背景になっている政治的なプロパガンダは、リベラル(左)VS保守派(右)ではなくて、ナショナリストVSグローバリストという構図なのだ、という指摘だった。

陰謀説には極端な左の人が言うものから極端な右の人のものが言うものまで、ほんとうにたくさんの種類があるが、そのほとんどは「ナショナリズム」的な傾向があるというのだ。どちらもグローバルな存在、メディア、国家に大きな不信を持ち、それが「別の物語」を作り上げる動機になっている。

そうか、たとえばワクチン陰謀論とか、メディアや企業になんでもかんでも不信を抱く傾向も「ナショナリスト」なのか。

ナショナリストの気持ちというのは、つまり慣れ親しんだ範囲にものごとを置いておきたい、昔ながらの方法がいい、という方向の情熱なのだろう。トランプ支持者から欧州の極右から日本のネトウヨさんまで、共通しているのは「守りたい」「変わりたくない」「こっちに来るな」という感情。恐れにもとづく反発と怒りだ。

スターバードさんのレクチャーの締めくくりは、さて、それではそんな嘘ニュースであふれ返ったこの時代の対処法は?という課題だったが、情報管理のベストプラクティスに万能薬などない、というのが身もフタもない結論。

ただし個人レベルでできることとして、自分自身の認知バイアスを自覚すること、そして、自分が情報に対してどんなふうに感情的に反応するかに気をつけて観察すること、という二つを提案していた。

そして最後に、メディアリテラシーというのは必ずしも論理的な部分だけではないのですよ!と強調していたけど、これはすごく重要なポイントだと思う。

リテラシーというと「知識」の部分にどうしても目がいくけれど、本当に重要なのはそれを自分の認知・感情のシステムがどう処理しているかに目を向けることなのかもしれない。

自分がどんな物語を求めているのか、どんな物語に反応しやすいのかを、常によく観察すること。
それで「話がうますぎる」「自分が慣れ親しんだシナリオにうまく合い過ぎてる」と思ったら、まず疑ってみること。

「簡単に騙されないようにメディアリテラシーを向上させよう」というスローガンはよく見るけど、言うほど簡単ではない。知識ってそんなに簡単に身につくものじゃないし。

これだけ情報があふれ返っていて、リテラシーを身につけるにも何をどこから手をつけていいのやら、どう選択していいのやら、もう最初からさじを投げたくこともある。

私は時々、世の中にある情報の量を考えただけで気持ちが悪くなるし、布団から出たくなくなる。

自分はすべてを知ることができないという無力感は、きっと人の持つ恐怖の根源のひとつなのだろう。だからこそ皆、シンプルな説明(物語)を必要とするのだと思う。

だから、嘘ニュースに飛びつかないようにするには、自分の内面をよく観察して直感を磨いておくことが、知識を蓄えるのと同じくらい大切なのだと思う。

嘘か嘘でないかを見分ける力は、言葉よりも直感のほうが優れていると思う。
直感は言語化されていない漠然とした情報を受取る力で、そっちの情報のほうが言葉になっている情報よりも圧倒的に多いからだ。(圧倒的に大事だという意味じゃなく、ボリュームとして多いという意味)

もちろん知識を得ていくのは重要だけど、その前にまずとりあえず足元を固めておこうという意味で、認知バイアスと自分の感情の流れをよく観察する、というのはすごーく有効なアドバイスだと思う。

誰でも物語なしには生きていけない。この世界には実に無数の物語があって、それぞれが複雑にからみあい、利害にもとづいて情報を発信している。
わけのわからない国家や組織が悪意をもって流すニセ情報もたくさんある。世の中は恐いところである。

ナショナリズムのエネルギー源は、変化に対する恐怖だ。自分や、自分が所属する(と信じている)国やコミュニティが脅かされているという恐怖。

自分が恐がっていることを自覚していないと、恐怖はどんどん膨らんで、そのコミュニティに属していない人やものへの攻撃になる。

いったい自分が何に対して攻撃的になっているのか、何を怖がっているのかに気づくことで手放せるものは、とても大きい。

誰だってある程度の認知バイアスがないと正常に生きてはいけない。でも、自分にどんなバイアスがあるのかを知るのは、自分を自由にしていくことだ。

わたしは30代のときに鬱になって病院に通ったことがあるんだけど、その時に医師に紹介してもらったのも、認知行動療法的なメソッドだった。自分が持っている強迫的な考えを(コントロールしようとするのではなく)ニュートラルに観察すること。

これはむちゃくちゃ役に立っている。このメソッドは認知すべてに応用できるし、使い慣れてくると生きるのがだんだん楽になってくるのだ。

インターネットにかぎらず、実は自分の中にも嘘ニュースはいっぱい詰まっていたりする。

生まれてこのかた真実だと思っていた(自分にとっての)常識が実は根拠のない情報だったということに気づくたびに、身軽になる。

自分が何に振り回されているのかに気づくだけで、状況は変わっていなくても気が楽になるものなのである。

人工知能やVRがどんどん進化していくこの先の世界では、きっと、嘘と現実の境目はますます曖昧になっていく。

何が真実かを自分で選ばなければならない日が来る。ていうか、もう来ている。

その時に重要なのは、結局一人一人が情報をどう受け取りどう感じるか、どういう立場でどう活かすかという主体的判断になってくるのかもしれない。

そんな世界で正気でいるために大切なことは、自分が恐いと感じるものをよく知っておくことだ。

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2017/12/21

溺れる日のゴボウせんべいとシナモンロール


東京にひっこしてしまったCTちゃんが、いろいろはいったハコを送ってくれた。うれじいいいい(`;ω;´) これウマすぎる。ゴボウ煎。息子には一個もやらずに食べちゃった。

これに、猫ママにゃを子さんからいただいた一保堂のほうじ茶で、今日はひととき命を救われた思いなり。


なんだか先週から先が見えませーん。今日はこんな感じ。

「ちょっとこれ木曜までお願いねー?」といきなり振られたメールに、お金に目がくらんで「あいよー」とむざむざ答えてしまい、気づいたら鼻先まで水につかっていたのに、さらに風呂桶一杯分のごま油を自ら投入してしまったというような状況である。

これが従業員ならブラックな訴訟ものである。
自業自得なので誰にもハラを立てることができません。


やさぐれて散歩に出れば、町はクリスマスなのである。

今日ひとつ原稿を送ったら、
「ありがとうございました。それでは楽しいクリスマス休暇をお過ごしください♪」と いうメールがかえってきた。丸めてどこかの暗い沼に捨てたい気分。


そして家の中にも浮かれている人が。
カリフォルニアからカノジョが帰省中で、いつもよりテンションが200度くらい上がっている。



ものすごく時間がかかるシナモンロールなのだそうです。



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2017/12/17

ピーナツバター&アップルとレプリカント再び


ある日の寒そうな空。

期末の翌日から、また終わりの見えない闘いがだらだらと続く。



りんごをたくさんもらったので、メリケンキッズのおやつの定番、ピーナツバター・アンド・アップルばっかり食べている。

最初に見たときは、りんごに何ということをするのか!と思ったのだったが、意外とピーナツバターのこってり感と薄い塩味がりんごに合うんですよね。



ところでまたもやブレードランナーなんだけど。

山形浩生さんのブログにブレードランナー2049の批評がのってました。

ほかの批評は誰のもまったく読んでないけど、そうか、

「前作を意識しすぎ。前作と関係ないところは、とてもいいのね。でも前作とつなごうとする部分が非常に苦しいしくどい。」

というのは、みんなやっぱり感じてるんだなー。そういうレビューが多いんだそうです。

(以下ネタバレしますよ。山形さん、どうでもいいけどぜーんぶバラしたあとでブログの最後に「ネタバレ気をつけて」ってどういうことよwww 映画見る前にあのレビュー読んでがっかりする人はいないと思うけどさ)



それでね、あの最後の巨大ジョイちゃんとの邂逅の場面は

(引用)
特にジョイの部分はよくて、いろいろあって彼女が破壊されたあとで、街頭CMの巨大なジョイの映像が、Kに話しかける。そのときに使われるせりふは、最も親密だったはずのジョーという名前も含めて、Kと関係を築いていたはずのジョイとまったく同じ。 それは、Kにとってどういう意味をもつのか。ひょっとしたらそれは、単純に自分のジョイちゃんを思い出す契機だったのかもしれない。でもひょっとしたらそれは、「自分の」ジョイだと思っていた存在、それが自分だけに向けて言っていると思っていたせりふが、結局はAIのパターンでしかないことを認識させられる悲しい瞬間だったのかもしれない。だからこそ、あの瞬間にKの決意のすべてがある。かれはそこで(革命軍の指示にさからって)デッカードを助けようと思う。自分にとっての大義、生まれてきたものには魂があるのだという考えに奉仕するべく。
(ここまで)

と書かれてました。

あー!そうか!
「「自分の」ジョイだと思っていた存在、それが自分だけに向けて言っていると思っていたせりふが、結局はAIのパターンでしかないことを認識させられる悲しい瞬間だったのかもしれない。だからこそ」
ああ、これこれ、これがわかりたかったんだよね。こうやって書いてもらうとすっきりした!さすがだわ。ありがとうございます!

わたしはKにとっての「大義」は、たとえウソであっても自分の体験であったと思う。
その「パターンでしかない」生が、自分にとっては、そして誰にとってもかけがえのないものだってことが「大義」だったんじゃないかなと。

「生まれてきたものには魂がある」って、まあそういうことか。

でも、消化できないモヤモヤした体験を映像でハイ、って見せてくれる監督はさらにすごい。

あの場面はこの映画最大の山場でしたよね。
切なすぎ。
あの場面のためにこの映画はあったといってもいいのではないかと思う。

勝手な思い込みではあるけど、そういう、ぎゅぎゅっとすべてが詰まった場面がひとつある映画って忘れ難く、道をあるいてても思い出しただけで泣けたりする。
最近では『 レヴェナント 蘇りし者』の廃墟の教会のシーンがいつまでたっても号泣殿堂入り。

『ブレードランナー2049』、あんまり評価は高くないみたいだけど、わたしは『メッセージ』よりこっちのほうがずっと好きだけどなー。
Netflixに来たらまたゆっくり観てみよう。いつの日か…。

しかし山形さんってどういう頭の構造をしているんでしょうね。

読書と翻訳のスピード!
メモリにしたら30倍くらい違うんだろうなあ、わたしの頭にはいってるやつと。それで国際援助関連とかの本職をお持ちなんだから、ほんとに鼻持ちならない人ですわ!もしかしてレプリカントかも。

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