2017/07/07

イーストビレッジのソルティピンプとか


ニューヨークでは、グリニッジ・ビレッジの次に、イーストビレッジに数日滞在しました。
ここもAirBnBで、マダムMが見つけてくれた。

ニューヨークではうっかりすると5階でもエレベーターなしという体育会系のアパートが多い中、 ここはエレベーターありのビルで助かった。しかしドアは手動という微妙に面白いエレベーターだった。
立て込んでるのでどこのビルにも明り取りの中庭がある。


イーストビレッジは、ウエスト(グリニッジ)ビレッジよりもぐっと庶民的。
ちょっと歩くとリトルイタリーで、チャイナタウンも頑張れば徒歩圏内だった。


意外と庶民派のマダムMもこのエリアがお気に召したそうです。
わたしもすごく好きー。

シアトルでいうと、バラードをもっとごちゃごちゃにした感じ。
東京でいうと、下北沢的な感じではないだろうか。下北沢はもう20年以上行ってないので今はどうなってるのか知らないけど。


「ホールフーズ」じゃなくて「ホールサムフード」マーケットがあったww


見た目庶民的なのだけど、AirBnBのホストさんによるとこの辺もすんごくジェントリフィケーションが進んでて、だから夜中に出歩いてても全然平和なのだそうです。


実際、古いビルの中にお洒落なバーとかレストランがたくさんあって、平日でも夜遅くまで若者がたくさんいた。


かと思うとこんなネイバーフッドのマイクロ公園があったりする。


地元有志が管理してるっぽいガーデン。このちっちゃい公園も日本のガイドブックに載ってるそうで、マダムが予習してきていた。ここだけ見るとヨーロピアンみたいですね。


かと思うとこんな目を奪われる配色のビルもある。
少しチャイナタウンのしっぽが伸びているようす。



ニューヨークは大体どこも落書きとステッカーでいっぱいだった。


「the System is NOT self-correct」(システムに自浄作用はない)
アンチ体制なスピリットが生きている東村。

 ニューヨークに比べると、シアトルって小奇麗な街だよなと思った。だいたいほとんどゴミが落ちてないもん。


有名らしい「Big Gay Ice Cream Shop」の「ソルティピンプ」という素敵な名前のソフトクリーム。


お洒落なフライドチキンの店。これも内装といい、地産地消のメニューといい、バラードにありそうすぎる。

マダムとレモネード。


チキン&ワッフルはかわいいサイズ。でもちょうどよい。おいしゅうございました。


AirBnBのホストさんは、俳優兼ダンサーをしている方で、エンタメ情報をたくさん教えてくれた。
すぐ近所にあったこのジャズ・クラブもそのひとつ。カバー10ドルでした。この日は、この店でもう10年も毎週演奏してるというスイング・ジャズのバンドが入ってた。


ミュージシャンも観客も大半は白人。年齢層は20代から90代までバラバラで、若いアジア系のカップルが1920年代風の格好をしてスイングで踊ってて楽しそうでした。

イーストビレッジはほんと居心地良かった。また行きたい!

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2017/07/05

湖上の花火


山中湖。じゃなくて、タホマ山AKAレーニア山が見える、シアトル郊外の湖です。
シアトルからは車で1時間くらいか。


湖に面した知人の家で、独立記念日におよばれ。

湖を囲む家には大きいのも小さいのもみんな愛国精神にあふれた赤白青のデコレーションがされている。



日が暮れる前からあちこちで花火が上がる。鳥やケモノたちは大騒ぎ。世界の終わりだと思ったことでしょう。

よい月夜。
湖のまんなかで小さな花火大会があるので、小さなボートで見物に。

まだうっすらと山が見える。


まわりのお宅の花火が半端ない。ほんとに庭でやっていいの?と思うような、50メートル以上の高さのが、次々と上がる。



派手なミュージックもアナウンスも混雑もなく淡々と上がる花火大会。
水にうつる花火が面白い。


反映がトワイライト・ゾーン的な。


一度ボートに乗って水の上の花火を見てみたかったんだった。嬉しい。しかも、打ち上げ花火の音のほかは本当に静か。


このくらいの大きさの花火が、夜中近くまであっちの家でもこっちの家でも打ち上がってた。

ハワイの人も大晦日の爆竹と花火にとんでもない情熱とお金をつぎ込んでいたけど、このへんの人も相当なもの。
皆さん景気がよろしいのねえ。 すごいなあ。花火って経費で落とせるのかな。


お腹に響く大玉花火が空いっぱいに開く日本の花火大会にもまた行きたいけど、こんな嘘みたいに静かな混雑フリーの花火もこれはこれでしみじみ嬉しい。

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2017/07/04

雨のニューミュージアム


マグナムの展覧会を見たあと、まだ雨が降る中、お向かいのNew Museumへ。
ここは妹島和世さん&西沢立衛さんのユニットSANAAの設計によるビルディング。


フロアをつなぐ階段の途中に窓があって、コンクリの壁に自然光がきれい。

トイレのタイル。

1階のカフェ。

この美術館は同時代のアーティストに絞って紹介していて、この時はフロアごとに分かれて3人の作家さんの展覧会が開催されてました。


トップフロアはイギリスの作家Lynette Yiadom-Boakyeさん。等身大より大きなポートレイト。


黒人モデルのオーバーサイズの肖像というと去年SAMにみにいったKehinde Wileyさんの作品を思い出すけど、こちらはまったくトーンの違う抑えた色彩のスタイリッシュな肖像画。
この作家さんは、1977年生まれのガーナ系英国人女性だそうです。


真ん中のフロアはカリフォルニアのアーティスト、Kaari Upsonさん。1972年生まれ。
多作な人らしく、素材も手法もいろいろ。


コストコ風の棚にマネキンが詰め込まれてるインスタレーション。

そのそばをおんなじようなシャツを着た人が偶然歩いててびっくり。この人はインスタレーションの一部ではありませんでしたw。

畳3枚分くらいのドローイングが圧巻。



そしてその下の階は、イタリアのCarol Ramaさんの作品150点を集めた回顧展。
トリノ出身で、1912年生まれ、2015年に亡くなった女性画家。そういえばこの時の展示は上から下までみんな女性アーティストだった。


キャロル・ラマさんは独学でアートを学んだという人。正統派の芸術家ではない「アウトサイダー」のカテゴリーにはいるのかもしれない。「ほとんど顧みられていなかったが、そのきわめて予見的な作品は多くのアーティストに影響を与え、カルト的な存在になっている」そうです。

子ども時代、母が精神を病んでいて、大きく欠落した家庭で育った、自分はそれが自然なのだと思っていた、という。

初期の「bodies without organs(臓器のない身体)」というテーマの作品には、というよりも臓器ばかりでできているような身体ばかりが出て来る。
ペニスが何本もある生きもの、蛇が生えだした身体、盛大な女性器。


「性器はスキャンダラスなものではない。その正反対です。私は自分が本来そうである以上にリアリストでありたいと思うから、性器を自分の絵に入れるのです。それは静物なのです。それは、私の口から聴こえるささやき声の忠言のようなものです。でも、私の絵では口をカモフラージュすることが多いのです。口こそ、本当に欲望をあらわすものだから」
というキャロル・ラマさんの言葉が会場に貼られてた。

少し前に日本人アーティストの女性器をかたどった作品が話題になっていて、わたしはその作品は見てないけど、なんだか随分大仰な話をしているのう、という感じを受けた。

ラマさんの作品は、ほんとうになんというか純粋なオブセッションというのはこういうものなのだという見本のようなものばかりで、ひとつもこれみよがしなところがなく、ものすごく切実だった。


このマチス風の赤い壁紙がある画面にも、分断された割れ目からわけのわからないケモノが出てきてて超怖い。

アートは人を巻き込むオブセッション。おのずから毒のあるオブセッションには惹きつけられずにいられないものですよね。それも、わざわざ求めるのではなくて、もとからそこにある毒。

まったく作風もテーマも違うのだけど、ラマさんの絵をみているとなぜだか青島千穂さんの絵を思い出す。どちらも途方もない生命力があって、正直で、可憐で、絶望的に激しいなにかにとりつかれている。


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2017/07/03

雨とマグナム 



ニューヨーク滞在中、2回ほど大雨に降られました。


イーストビレッジからチャイナタウンのほうへ歩いて行こうとしたら雨脚があまりにも烈しくなり、途中で断念。
たまたますぐ近くにあった国際写真センター(International Center of Photography)
のカフェで雨宿り。
ついでに気軽な気持ちで展示を見たら、これがすごく良かった。雨に感謝。

Magnum Manifesto という、写真集団マグナムの設立から現在までの70年を三つの時代に区切って、テーマ別に振り返る展覧会でした。

パート1の1947年から68年までは「Human Rights and Wrongs(人権と人権の不在)」。公民権運動の20年。ほんとうに、公民権の成立からたった!50年そこそこなんだだよね!

コンスタンティン・マノスさんというギリシャ系アメリカ人の写真家の、1952年の18歳の時の作品だという一連の作品がすごく良かった。サウスカロライナ州の小さな島での、黒人の男の子の生活を撮った連作。


パート2は1969年〜1989年。「Inventory of difference(異形のインベントリ)」というタイトル。
学生革命をへて、新しい価値観を模索するカルチャーのなかで、はみ出したもの、異形のもの、奇妙なもの、辺境のものが、被写体として追い求められた時代。



「Stories about Endings(終末の物語)」と題されたパート3は1990年代〜現在。
ベルリンの壁が崩壊してグローバリゼーションが進み、従来のいろんなシステムが解体しつつある時代。といってしまうと超簡単だけど、なにが終わっているのか、実際にその渦中を生きているわたしたちにはまだわからないことばかり。

進行中の終末を記録する報道写真はものすごくパワフルで詩的で、圧倒される。


2000年、ロシアに落ちたロケットの残骸を取り囲む蝶の群れ。



2014年のウクライナのデモ。


2001年、同時多発テロ直後のマンハッタンで、世界貿易センタービルから降ってきた書類の1枚を拾い上げ、読み始めるビジネスマン。

この写真は格別に胸に迫った。
日常が完全に崩壊した圧倒的な混乱のなかで、目の前に落ちてきた誰かの日常の情報を拾い上げること。 そしてまるで日常のつづきのように、読んでしまう。

それは何かの啓示なのかもしれないし、本当になんの意味もないのかもしれないし。

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