2017/01/31

アボカドトーストを守れ


朝ごはんの定番。2分でできるアボカドトースト。

うちのは超シンプル。レモンをぎゅうとしぼり、ハワイアンソルトをぱらり、良いほうの(サラダ用)オリーブオイルをたらりとかけて、つぶすだけ。

昨日は近所のスーパーで3個5ドルだった。アボカド消費量の多いうちとしてはありがたい。 (本日火曜日、こんどは4個で5ドルになってました!わーい。もちろんProduct of Mexico)。



世界中の笑いものになっている「グレートトランプウォール」のためにメキシコからの関税が課されたらもうアボカドは食べられませんからね。
いまのうちに食べておかなくちゃ。
なんて冗談じゃありませんよ本当に!



近所のスーパーで、シアトルのベーカリーMacrina BakeryのパンGiuseppeも安かった!いつも5ドルくらいするんですけど昨日は3ドル以下でした。ああ嬉しい。

このこんがりキャラメル色の美しいこと。
そしてうまーーーーーい。COMOちゃんもいいけどこれも本当においしい。
パンとかご飯とかがおいしいってほんとうに幸せ。人間の根源的な生存にかかわる満足感を満たしてくれる。そんな大げさじゃないか。

これは創業者が「イタリアの街角で食べて感動して、作ってる人を探してさまよった」というパンであるというストーリーが袋にかいてありました。

Giuseppeとは、メンターになってくれたというそのイタリアのパン職人のおっちゃんの名前らしいです。なんかいい話。



ところでこの間クックパッドをみてたら、アボカドの保存法というのをみつけた。
レシピ(というのか)はこちら

半分残したアボカドは、使った皮をこのように使ってないほうの半分に元通りかぶせて保存すると、長持ちするのだと!


実践してます。たしかにラップをかけて保存するより色ツヤが長持ちするみたい。
翌日もグリーンです。 (明日ここに証拠写真をアップしましょう)


追記:こちらが約24時間後のアボカドちゃんです(朝寝坊して起きたら息子が半分食べていった後でこれだけになっていた)。ほとんど切った時のままの色。

ラップもいらなくてエコだし。やったことがなかったら、ぜひためしてみてね。

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2017/01/30

フレッド・コレマツ・デー


きょうのGOOGLEのトップにのってるおじさんは一体誰だろう、と思ったら、日系2世のひとだった。

フレッド・コレマツ、日本名は是松 豊三郎さん。 

恥ずかしながらぜんぜん知りませんでした。

NPRのサイトの記事によると、是松さんはカリフォルニア州オークランド生まれのアメリカ市民。1942年、大統領令でカリフォルニアの日系人が内陸の強制収容施設に送られたときに、この大統領令を憲法違反だとして訴訟をして、最高裁までいったのだそうだ。

結局その裁判では負けて有罪になり(現在ではこの判決は米国裁判史上でも最悪の事例とみなされているそうです)、1983年になってカリフォルニア州に再度訴えを起こして無罪になっている。

国家に罪をきせられて40年を過ごした是松さんは、この裁判後、「私は恩赦を受ける立場ではない」といい、
 "If anyone should do any pardoning," he said, "I should be the one pardoning the government for what they did to the Japanese-American people." 
「恩赦を行うべき者があるとすれば、それは私だ。日系アメリカ人に対して政府がしたことを赦す立場にあるのは私のほうだ」
と言ったそうです。

是松さんは2005年に亡くなったけれど、その後、2010年に当時シュワちゃんが知事だったカリフォルニア州で、是松さんの誕生日の1月30日を「Fred Korematsu Day (フレッド・コレマツ・デー)」とすることが決まったんだそうです。そのほかにもハワイなどいくつかの州で是松デーが祝われている。

このグーグル・ドゥードゥルで、是松さんの背景にあるのは収容施設だったのね。
 
「国の安全」が持ち出されると、国は正常では考えられないことを次々にするようになる。

1930年代の日本とかドイツとか、発狂しはじめていた国で普通の人がニュースをきいて「ひどいね」と眉をひそめながら暮らしていた時代の話が、今のアメリカではひとごとですまされない。


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2017/01/29

素敵なウソの国 La La Land


『LA LA LAND』(ラ・ラ・ランド)をみてきましたよー。

わたしは、元気いっぱいのミュージカル映画はどちらかというと苦手なのだけど、でもこの映画はすごく楽しかった!

鮮やかな原色を効果的につかった画面がとても素敵。

主演のエマ・ストーン、いままで見た中で一番良かった。
『ローマの休日』がヘップバーンの映画であるように、この映画はエマ・ストーンのための映画といってもいいくらい。
(『ヘルプ〜心がつなぐストーリー〜』のスキーター役には、やっぱりこの人は邪気がなさすぎ、可愛すぎたよねー、とまた、この映画を見ながら思ったのだった。)

ほんとにアメリカンガールの一番かわいいところをぎゅっとまとめるとこうなりますって感じの可愛さだなあ。28歳だけどほんとにかわいい。

だがあまりにも目がおおきくって、人間離れしてみえることもある。猫っぽい。


この映画のなにが好きかといって、現実がふっと虚構になるところのみせ方が、すぅーーーごくうまい。

日常の場面の空気がふっと軽くなって、虚構の世界にぱっと切り替わり、ミュージカルの世界へ。

映画のオープニングの、LAの高速の渋滞でクルマの中から誰もが飛び出して歌って踊りはじめるところから、最後のほうのシーンまで。あまりにもキラキラでせつない。
わたくし泣きました。

そうそう先週は「オルタナティブファクト」って言葉がバズりましたね。

この映画には、たくさんの「オルタナティブファクト」が描かれてます。

このたいそう複雑な世の中では、誰もが自分だけの現実を生きている、ともいえる。

でもまあそれが他の人たちの現実と相容れなかったり、自分の思うとおりの現実が(「夢」ともいう)実現しなかったり、というのが、ふつうの世の中で。
でもその中で、ときどき自分の現実を飛び超えて、世界が変わってしまう瞬間が誰にでもある。恋をしたり。倒れそうなほどすごい音楽を聴いたり。

そういう、それまでの見慣れた現実がちょっと変わってしまう時の感覚を、この映画のミュージカルシーンはキビキビとしたコリオグラフィーでとても小気味よくみせてくれます。

それこそ、オルタナティブファクト。この映画ではちゃんとそれがシュッと現実生活に着地して(そこもうまい!)、その後の現実が急に変わったり、やっぱり思うように変わらなかったりする。

主人公のミアちゃん(猫目のエマ・ストーン)は女優志望で、ハリウッドが舞台。

映画はみんなにウソの時間を提供するもの。

だから、この映画にも、壁画や、わざとらしい背景の書き割りや、演技する場面など、たくさんの虚構が配置されている。

ネタバレになるのでいいませんが、最後の長いミュージカルのシークエンスで見せる「オルタナティブファクト」(本当にはなかった現実)は、ラブリーでせつなくて、ビタースイートで、泣かせる。

現実よりウソのほうが大切なこともある。
でもそれはあくまで、親密な小さな世界の中の話でね。

もちろん、政治家や法律家や科学者が好き勝手なオルタナティブファクトを主張しはじめたら、社会はこわれてしまいますけれどもね。

ホワイトハウスの人びとには一刻も早く悪い夢から覚めていただきたいです。


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青髭珈琲店


タコマのBlulebeard Coffee Roasters

何度か行ったけど、ここの珈琲もとてもおいしいです。
広いカウンターの中に古めかしいロースターがある。

紙カップのスタンプがむちゃくちゃかわいい。


なんだかこんどの大統領は国民を相手に戦争を始めたようですな。
あまりにも無駄なエネルギーが使われていてもう本当に頭がくらくらする。


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2017/01/27

古い森の魔女の髪


ニュースを見ると頭がクラクラする毎日ですね。

現実から目をそらす。わけじゃないけど、エネルギーをもらいに、手近な森にいってきた。

森に行ってみると、人間のすることとか作ったものとかが、どれほど大雑把なものかがわかる。


ノースウェスト地方の古い森ではとてもよく見かける、きれいな地衣類。

Alectoria sarmentosaという種類、かな?

witch’s hair(魔女の髪の毛)」という名でも知られているそうです。

ネイティブアメリカンは、赤ちゃんのおむつや包帯としても使ったそうですよ!
素肌に触れても心地がよさそう。

日本で「霧藻」と呼ばれているらしい「サルオガセ」と同じ種類なのかどうか、知らない。
(霧藻っていうのもポエムな名前ですね。サルオガセの語源はなんなんだろう)

でも色も形もとてもよく似ている。


タコマのPoint Defiance Park。大きな木が残るトレイルがあり、ピュージェット湾に面した小さなビーチがある、超便利でお手軽な自然公園。動物園もある。

これがうちの近くにあったらいいなあ。


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2017/01/26

ねこ耳マーチと相反する事実たち


お気に入りベーカリーカフェFresh Flours でソイカプチーノをたのんだら、もようをつけてくれた。豆乳だと泡がもこもこするので、絵を描きづらいだろうに。

「すごっ!上手!」と褒めたら、全身タトゥーだらけの女の子が「カプチーノ作るの好きなの」と嬉しそうに言った。

デジタルクリエイターズのメルマガに、ウィメンズマーチとプロライフ・プロチョイスのことを書いてみました。

だらだらと長くなってしまった。暇だったら読んでね。わたしはたぶん、世間的には相当に暇なのだろうね。こんなことをしているから時間が足りないのだな。

ニュースを見るたびに血圧が上がる1月だよ。

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ねこ耳大行進

トランプ大統領の就任式翌日に全米のみならず世界各地で開催された「ウィメンズマーチ」は、世界中で何百万人も動員する歴史的なイベントになった。

女性をトロフィーのように扱い、マイノリティや身障者をバカにし、21世紀のアメリカでは許されなかったはずの下品な差別発言を繰り返して、一部に熱狂的な支持を得つつ世論をますます分裂させて、就任時の支持率が40%という異常な状況で大統領になったトランプ。このマーチは、その言動と価値観に「NO」という声をあげる機会として、各地で予想を超える数の人びとを動員した。

シアトルでも5万人程度という予想を軽々と裏切って、一番少ない見積りでもその倍の10万人(主催者発表では17万5000人)という驚くべき数の動員があり、ダウンタウン中心部は5kmが人の波で埋まった。

http://komonews.com/news/より
このマーチ参加者の多くは「pussy hat(プッシーハット)」という、ねこ耳つきのピンクの毛糸の帽子をかぶって参加した。この帽子を編んでマーチ参加者に寄付するボランティア活動も11月下旬からさかんに行われていた。

言うまでもなく「プッシー(こねこ)」は、女性器をさすスラングでもある。

このねこ耳帽子は、もちろん、選挙戦中に流出して大騒ぎになった2005年のトランプ発言
「オレくらいのスターになると何だってできるんだぜ。いきなりプッシーをつかんだりね、なんだってできる」
と、思いっきり下劣な自慢をかまし、自分は女性の意思なんか無視して好きなようにする力を持ってるんだという妄想に酔いしれる幼稚な世界観を世界に垂れ流してしまったあの発言に対して、「このプッシーはお前なんかにつかまれて黙っているプッシーじゃありませんことよ」と宣言する小道具なのだった。

ウィメンズマーチに参加したのは女性だけではなくて、男性も、LGBTのグループも、障害者の人も、老人も、マイノリティの姿もあり、夫婦そろってこのピンクのねこ耳帽子を被って参加しているカップルもたくさん見られた。

ニューヨークタイムスのフォトストーリーで世界各地からの写真を見ると、参加者は実に様々な主張をかかげている。

https://www.nytimes.com

ここに紹介された全米各地のプラカードのスローガンを、乱暴ながら、5つのカテゴリーにわけてみる。

その1)「女性の権利」とは別のイシューを主張するもの
「健康保険を全国民に」
「私たちの保険を奪うな」
「Black Lives Matter」
「えーと温暖化は本当なんですが…」
「教育は大切」
「科学を救え」
「地球を救え」
「障害者の権利は人間の権利」
マイノリティの権利、温暖化対策、健康保険といった、直接「女性」にのみ関連する問題ではないけれどもトランプ政権で直接の影響を受けると予想される諸問題について声を上げるもの。内容は本当にさまざまで、数えたわけじゃないけどプラカードの半分くらいは「女性」とは直接関係ない方面だったような印象を受けた。

https://www.nytimes.com

その2)トランプ攻撃
「トランプの周りに壁を」
「プーチンの人形」
「私の大統領じゃない」
など、ストレートにトランプの人物そのものを否定・攻撃するもの。これはちらほら見えた程度。でも明らかに、このマーチが反トランプのデモであることをはっきり物語っていた。

https://www.nytimes.com
その3)抽象的な愛のスローガン
「Love Trumps Hate(愛はヘイトを踏みつける)」
「ヘイトはアメリカをグレートにしない」
「ヘイトじゃなくて愛がアメリカをグレートにする」
「壁でなく橋を」
など、選挙中にトランプがバラまいた嫌悪や恐怖の感情(その矛先は移民だったり、偉そうな女だったり、都会に住むマイノリティだったり、モスリムだったり)へのアンチテーゼとして「LOVE」を押し出す、ジョン・レノン的な方向性のスローガン。

https://www.nytimes.com


    
その4)女性の力や連帯を主張するエンパワーメントなメッセージ
「Nasty Woman(最悪の女)」(これはヒラリーとのテレビ公開討論でトランプが思わずポロッと言った失言を逆手にとったもの。あんたからみたらあたしたちは最低最悪の女でしょうけどおあいにくさま、というプライドを強調するメッセージ)
「ガール・パワー」
「あんたのそのちっちぇえ指をあたしの権利からどかしなさいよ」などなど。

https://www.nytimes.com

その5)ストレートに女性の権利を主張するもの
「女性の権利は人間の権利」
「My body is my choice(私の身体のことは、私が選ぶ)」など。

このマーチは、リベラルな価値観を持つ人びとにとっては癒やしでありエンパワーメントであり、トランプに中指を立てたい人がこれだけいるのだということを確認できた点では、大成功だった。

マーチ参加者に共通していたのは、トランプが煽った安易なポピュリズムに反対することと、女性蔑視に寛容な態度は我慢ならないという点、だけだったといってもいい。むしろそういう抽象的なゆるやかな連帯だったからこそ、これだけの人を動かしたのだと思う。

でもそれだけに、この勢いを実際の各問題に対する行動や今後の選挙、政治活動に反映させていくのは、とてもむずかしい長い面倒くさい戦いになるだろう。


国を二つに分ける「女性の権利」


イシューを超えた連帯だったこのマーチは、でも、トランプ支持かどうかを別にして、ある一定数のアメリカ人には嫌悪された。なぜかというと、このマーチが基本的には人工中絶を支持する「プロチョイス」の立場に立つものだから。

たとえば、保守派のConservative Reviewというサイトには「ウィメンズマーチは女性を傷つけるもの」というコラムが載っている。

5)の「女性の権利は人間の権利」や「私の身体のことは、私が選ぶ」というメッセージが、4)の「ガール・パワー」という抽象的なエンパワーメントのメッセージと何が違うかというと、5)は子どもを生むか中絶するかを自分で選ぶ権利を女性の権利としてストレートに訴えているという点。

21日のウィメンズマーチには人工中絶http://nymag.com/thecut/2017/01/womens-march-2017-drops-anti-choice-partner-after-backlash.html反対の立場、つまり「プロライフ」のフェミニスト団体「New Wave Feminists」が参加を表明し、一旦はマーチのパートナー団体として認められたものの、プロチョイス側の猛反対にあって、マーチ前日にパートナーを取り消された。主催者はこの団体のパートナー扱いを取り消すにあたって、あたらめて、このマーチがプロチョイスの立場にあることを明確にしている。

この「New Wave Feminists」という団体は、他の問題に関してはフェミニストのリベラルな価値観を共有するが人工中絶にだけは反対するという珍しいプロライフ団体。ウィメンズマーチへの団体としてのパートナーは取り消されたものの、個人参加を止められたわけではなかったので、ワシントンDCのマーチにはこの団体のメンバーがプロライフのプラカードを持って参加し、「人を殺すなー!」と叫んで歩き、まわりのプロチョイス派が嫌悪をしめしてちょっとしたにらみ合いになったという。

人工中絶問題は、21世紀の現在でもアメリカ政治の中心にある課題。

アメリカでは1973年の「ロー対ウェイド」訴訟の最高裁判決で、人工中絶を違法とする州の法律が憲法違反であるとされて、人工中絶が全国的に合法となった。でもこれで決着したわけではぜんぜんなくて、人工中絶反対(プロライフ)派はいまでもこの判決をくつがえすべく、熱い戦いを繰り広げている。そして、その戦いはかなりきわどいせめぎあいになっている。

これまでにもこの判決をひっくり返しそうな訴訟が何度もあったし、テキサス州ではつい3年前、中絶可能な時期をせばめ、クリニックの設備についての規制を厳しくする州法が壮絶な議会バトルの末に可決された。からめ手から中絶クリニックを廃業に追い込もうとするテキサスのこの法律に対して、その後中絶クリニックが原告となって訴訟を起こし、またこれも長い裁判の末、去年の夏に最高裁で違憲とされたばかり。

プロライフの人びとにとっては、胎児の生命は神に与えられた尊いもの。人として扱われるべきであり、中絶はれっきとした殺人なのだ。
「自分では身を守ることのできない小さな生命が身勝手な理由で簡単に殺され、神から与えられた可能性をすべて奪い取られている。この罪のない生命を守らなければ」という考えかた、感じかたは、圧倒的な切実さを持ってプロライフの人びとに共有されている。

原理主義クリスチャンのサマーキャンプを紹介したドキュメンタリー映画『ジーザス・キャンプ』(2006年)でも、人工中絶について「真実」を教えられた子どもたちが泣いて憤り、どうかもうこんな悪いことは止めさせてください、と神に祈る場面があった。中絶は子どもたちにもすぐにのみ込める分かりやすい悪として、プロライフの人びとの感情を大きく動かす。

まだ生まれていない胎児に真摯な共感と同情をかたむけるプロライフの人びとは、自分たちを無垢な生命の守り手だと感じている。強烈な使命感に動かされて、中絶クリニックを攻撃したり医師を殺害するといったテロ活動に走る人も出る。

でも、では中絶を非合法化した後どうするか。というその先の議論は、プロライフ側の人からはほとんど聞かれない。その先は急に自己責任論になってしまうのだ。望まれずに生まれた子どもを教会がすべて引き取って育てるとか、貧しい母子を経済的に全面支援する計画があるわけではもちろんない。プロライフの人は、無力な胎児には共感するが、妊婦や母たちの現実にはたいして共感を向けないように見える。

プロチョイス側は、中絶を頭から禁止するのが正義だと信じてやまないプロライフの立場を、社会的に自覚のない、高圧的に道徳をおしつける態度だと考える。
プロチョイス側にとっては、産まない選択を規制によって奪うということは、その女性の生活、身体、人生についての重要な選択を政府が指図するということだ。

プロライフ側は、中絶を安易な選択だとみなし、奪われる生命に対しての共感を拒否するプロチョイスの無感覚に憤る。

プロチョイス側は、ひとくくりに中絶に反対する態度を安易だとみなし、それぞれの女性が置かれた状況について共感を拒否するプロライフの無理解に憤る。

この二つの価値観は互いに決して相手を受け入れようとしないし、両者が出会う場は敵対的な抗議活動の場でしかない。


オルタナティブ・ファクトの時代


社会にいくつもの断層を持つアメリカの中でも、女性の「選ぶ権利」はもっともセンセーショナルな注目を浴びやすい断層のひとつ。

そして多くの断層がそうであるように、この分裂は積極的に政治的に利用されている。

今回の大統領選挙でも、保守派クリスチャンの多くが、トランプの言動や品性は気に入らないが、ヒラリーがプロチョイス志向を明言しているという一点だけでヒラリーではなくトランプに投票する、と公言していた。

トランプもこの一点が多くの票を左右することを充分に意識して、選挙の2か月前にプロライフのリーダーたちに書簡を送り、自分が当選したら中絶の自由を大幅に制限すると約束し、プロライフを味方につけた。

その書簡でトランプは、NGO「プランド・ペアレントフッド」(PP)に対する連邦政府からの補助金を途絶させることを約束している。

PPのクリニックは人工中絶もするが、男女の性病検査と予防、避妊、健診も提供している。患者の8割近くは他に手段を持たない貧困層だという。

このPPに対する見方も、プロライフ側とプロチョイス側では、これが同じ団体かと思うほどに分かれている。

プロライフの目に映るPPは「堕落した組織」であり、人工中絶を推進し、胎児の臓器を闇で取引したりする、悪魔の手先のような団体。このような団体があるから、安易な中絶が後をたたず、女性たちの精神を傷つけ、堕落させると考える。

プロチョイスの目にうつるPPは、安全な中絶手術とともに避妊具やピルの配布で望まない妊娠を防ぎ、検査や治療の提供で貧困層にセーフティネットを提供している団体。PP利用者の多くには代わりになる手段がなく、PPが閉鎖に追い込まれれば社会に大きなマイナスの影響が出ると考える。

全国にあるPPのクリニックでは、2013年度でのべ400万件以上の利用があり、32万件以上の中絶手術が行われた(中絶手術には連邦政府の補助金が適用されない)。

プロライフの反対派はPPのサービスのうち94%が中絶だと主張し、PP側では中絶は全体の3%にすぎないといっている。ワシントン・ポストの分析では、どちらの数字も正しいとはいえず、患者数と中絶件数からするとおよそ7%〜14%ではないかという推論を述べている。

つい昨日、ホワイトハウスの報道官が初の公式会見で就任式の見物人の数についてウソ八百を並べたことに対し、ケリーアン・コンウェイ顧問がテレビのインタビューで「あれはオルタナティブ・ファクト(もうひとつの事実)を提供しただけ」と言って大炎上した。

事実は一つしかないという前提があたりまえだったのは、もうすでに過去の話になってしまったらしい。

対立するオルタナティブ・ファクトの間には、対話が成立するはずもない。

多くの人にとって、事実というのは「自分にはそうとしか見えない」というものの見方でしかなくなってきているのかもしれない。

プロチョイスとプロライフの対立も、ひとつも建設的な対話を生まない、オルタナティブ・ファクトにもとづいた不幸なスパイラルにしか見えない。


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2017/01/24

暗黒舞踏の夜


久しぶりに舞踏をみてまいりました。

場所はSODOのTeatro de la Psychomachia。
マリナーズの本拠地Safeco球場のすぐ手前のストリップ劇場の並びにあるスタジオ。

入り口は、目立たない。看板もでていない建物の奥の階段を、「ここでええのかな?」と用心しながらのぼった先にあるドアの後ろに、意外にも広い、高校の教室くらいのスタジオが広がっている。

こんな都会のこんな表通りにこんなアンダーグラウンドな(2階だけど)秘密めいた場所があるとは。シアトルもまだ捨てたものではありません。

この日は、「暗黒舞踏」の祖、土方巽さんのメモリアル。

入り口には祭壇のようなメモリアルのコーナーが作られてあり、写真や亡くなったときのお顔のスケッチなどが飾られていました。

1986年に亡くなった土方巽さんの舞台、わたしは残念ながらいちども見たことない。


スタジオの右にはとても妖しい祭壇が。可愛いドクロがいっぱい。
ニューオーリンズのブードゥー博物館を思い出した。

ここのあるじ、ヴァネッサさんは長年ニューオーリンズに住み、ブードゥーを実践しているのだそうです。

両肩に蛇のタトゥーをまきつけたヴァネッサさん、「スピリットたちのお世話をしている」というだけあって、なるほどの貫禄。

本日の演目はまずJoan Laageさんのソロ舞踏。こちらはジョアンさんの意向により撮影なし。

困惑したように生まれ出て、舞台の上で身体と苦悩を発見し、いろいろに変化するいきものが、最後にニワトリになって去っていく。赤いしっぽもちょろりと出て来る。
ユーモラスなエンディングでした。

ちょうど、隣にいた20代なかばくらいの男の子Ariくんと、開演前にニワトリについて話をしていたのでそのシンクロにもびっくり。彼はマーサーアイランド育ちで、英国で舞踏をはじめて学び、シカゴとインドネシアで8年くらい舞踏を学んだり教えたりしてシアトルに帰ってきて、今度子どもたちのために、ニワトリと恐竜をモチーフにした舞踏のワークショップをやるんだ、といっていた。

ニワトリは恐竜の遠い親戚。まずニワトリになってみて、恐竜を想像するワークショップ。
それはすごくおもしろそう。

ジョアンさんのソロのあと、10分間ほど土方巽さんのモノローグが流れる。
観客は瞑目してそれを聴く。そのために、目の上に縛るサラシが配られた。


土方モノローグの間に舞台中央にいつの間にか登場し、蛹になりかかった蚕のようにからまってじっとしている二人の舞踏家。

静かに舞台が始まると、蚕たちはゆっくりと二つにほどける。


Lee Aoiさんは、一升瓶をかかえた酒場の女。

黒いハイヒールをぬぎ散らかして、昭和の歌謡に合わせて、おどる。


安酒場の女なのに、Aoiさんがおどるとなぜか小さな可憐な少女にもみえて、そのギャップと同時性がぐいぐいくる。

少女が娼婦でもあり、ケバいおばさんが聖処女でもある。同時にあり得る。

女が自分にもとめているのは、いつもそのような、アンバランスで相反的なものではないかしらね?


いっぽうの薫さんは、無邪気ななにものかから、菩薩のような、聖母のようなかたちにおさまっていく。


最後はプッチーニの(<たしか)美しいアリアでしめくくり。

薄い磁器のような、ほんの一瞬だけ存在する美しいもの。
ゆらぐ、静かなカタマリとしての身体と心。



そのあと、観客たちが舞台に招待された。
観客の中のダンサーさんたちが、とても自然に無言で舞台に出てきて、アリアにあわせて一斉に即興でゆらゆらし始めるのに、鳥肌がたった。



この帽子の子が、ニワトリ青年、Ariくん。ダンサーの子はみなこうなのか、スーパーに繊細で知的で穏やかなひとたちだ。


休憩のあとは、Vanessa Skantzeさんの舞踏。
Joy Spainさんのベースとボーカルのライブ演奏で。


ヴァネッサさんのは、とても力強い、息苦しいような舞踏だった。

身体の中から、思わぬ激しく気味わるいものが、のたくり出て来る。それがいつの間にか、自分になっている。みたいに見えた。



「「そうらみろや、息がなくても虫は生きているよ。あれをみろ、そげた腰のけむり虫がこっちに歩いてくる。あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな」。言いきかされたような観察にお裾分けされてゆくような体のくもらし方で、私は育てられてきた」
 (土方巽 『病める舞姫』)。

自叙伝だそうです。読んでません。すみません。この冒頭部分だけネットでみつけたのです。

このくだり、この日のヴァネッサさんの舞踏にぴったりな気がする。

楽しゅうございました!やっぱりときどきは街に出かけるべきだのう。


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