2017/01/26

ねこ耳マーチと相反する事実たち


お気に入りベーカリーカフェFresh Flours でソイカプチーノをたのんだら、もようをつけてくれた。豆乳だと泡がもこもこするので、絵を描きづらいだろうに。

「すごっ!上手!」と褒めたら、全身タトゥーだらけの女の子が「カプチーノ作るの好きなの」と嬉しそうに言った。

デジタルクリエイターズのメルマガに、ウィメンズマーチとプロライフ・プロチョイスのことを書いてみました。

だらだらと長くなってしまった。暇だったら読んでね。わたしはたぶん、世間的には相当に暇なのだろうね。こんなことをしているから時間が足りないのだな。

ニュースを見るたびに血圧が上がる1月だよ。

**************************

ねこ耳大行進

トランプ大統領の就任式翌日に全米のみならず世界各地で開催された「ウィメンズマーチ」は、世界中で何百万人も動員する歴史的なイベントになった。

女性をトロフィーのように扱い、マイノリティや身障者をバカにし、21世紀のアメリカでは許されなかったはずの下品な差別発言を繰り返して、一部に熱狂的な支持を得つつ世論をますます分裂させて、就任時の支持率が40%という異常な状況で大統領になったトランプ。このマーチは、その言動と価値観に「NO」という声をあげる機会として、各地で予想を超える数の人びとを動員した。

シアトルでも5万人程度という予想を軽々と裏切って、一番少ない見積りでもその倍の10万人(主催者発表では17万5000人)という驚くべき数の動員があり、ダウンタウン中心部は5kmが人の波で埋まった。

http://komonews.com/news/より
このマーチ参加者の多くは「pussy hat(プッシーハット)」という、ねこ耳つきのピンクの毛糸の帽子をかぶって参加した。この帽子を編んでマーチ参加者に寄付するボランティア活動も11月下旬からさかんに行われていた。

言うまでもなく「プッシー(こねこ)」は、女性器をさすスラングでもある。

このねこ耳帽子は、もちろん、選挙戦中に流出して大騒ぎになった2005年のトランプ発言
「オレくらいのスターになると何だってできるんだぜ。いきなりプッシーをつかんだりね、なんだってできる」
と、思いっきり下劣な自慢をかまし、自分は女性の意思なんか無視して好きなようにする力を持ってるんだという妄想に酔いしれる幼稚な世界観を世界に垂れ流してしまったあの発言に対して、「このプッシーはお前なんかにつかまれて黙っているプッシーじゃありませんことよ」と宣言する小道具なのだった。

ウィメンズマーチに参加したのは女性だけではなくて、男性も、LGBTのグループも、障害者の人も、老人も、マイノリティの姿もあり、夫婦そろってこのピンクのねこ耳帽子を被って参加しているカップルもたくさん見られた。

ニューヨークタイムスのフォトストーリーで世界各地からの写真を見ると、参加者は実に様々な主張をかかげている。

https://www.nytimes.com

ここに紹介された全米各地のプラカードのスローガンを、乱暴ながら、5つのカテゴリーにわけてみる。

その1)「女性の権利」とは別のイシューを主張するもの
「健康保険を全国民に」
「私たちの保険を奪うな」
「Black Lives Matter」
「えーと温暖化は本当なんですが…」
「教育は大切」
「科学を救え」
「地球を救え」
「障害者の権利は人間の権利」
マイノリティの権利、温暖化対策、健康保険といった、直接「女性」にのみ関連する問題ではないけれどもトランプ政権で直接の影響を受けると予想される諸問題について声を上げるもの。内容は本当にさまざまで、数えたわけじゃないけどプラカードの半分くらいは「女性」とは直接関係ない方面だったような印象を受けた。

https://www.nytimes.com

その2)トランプ攻撃
「トランプの周りに壁を」
「プーチンの人形」
「私の大統領じゃない」
など、ストレートにトランプの人物そのものを否定・攻撃するもの。これはちらほら見えた程度。でも明らかに、このマーチが反トランプのデモであることをはっきり物語っていた。

https://www.nytimes.com
その3)抽象的な愛のスローガン
「Love Trumps Hate(愛はヘイトを踏みつける)」
「ヘイトはアメリカをグレートにしない」
「ヘイトじゃなくて愛がアメリカをグレートにする」
「壁でなく橋を」
など、選挙中にトランプがバラまいた嫌悪や恐怖の感情(その矛先は移民だったり、偉そうな女だったり、都会に住むマイノリティだったり、モスリムだったり)へのアンチテーゼとして「LOVE」を押し出す、ジョン・レノン的な方向性のスローガン。

https://www.nytimes.com


    
その4)女性の力や連帯を主張するエンパワーメントなメッセージ
「Nasty Woman(最悪の女)」(これはヒラリーとのテレビ公開討論でトランプが思わずポロッと言った失言を逆手にとったもの。あんたからみたらあたしたちは最低最悪の女でしょうけどおあいにくさま、というプライドを強調するメッセージ)
「ガール・パワー」
「あんたのそのちっちぇえ指をあたしの権利からどかしなさいよ」などなど。

https://www.nytimes.com

その5)ストレートに女性の権利を主張するもの
「女性の権利は人間の権利」
「My body is my choice(私の身体のことは、私が選ぶ)」など。

このマーチは、リベラルな価値観を持つ人びとにとっては癒やしでありエンパワーメントであり、トランプに中指を立てたい人がこれだけいるのだということを確認できた点では、大成功だった。

マーチ参加者に共通していたのは、トランプが煽った安易なポピュリズムに反対することと、女性蔑視に寛容な態度は我慢ならないという点、だけだったといってもいい。むしろそういう抽象的なゆるやかな連帯だったからこそ、これだけの人を動かしたのだと思う。

でもそれだけに、この勢いを実際の各問題に対する行動や今後の選挙、政治活動に反映させていくのは、とてもむずかしい長い面倒くさい戦いになるだろう。


国を二つに分ける「女性の権利」


イシューを超えた連帯だったこのマーチは、でも、トランプ支持かどうかを別にして、ある一定数のアメリカ人には嫌悪された。なぜかというと、このマーチが基本的には人工中絶を支持する「プロチョイス」の立場に立つものだから。

たとえば、保守派のConservative Reviewというサイトには「ウィメンズマーチは女性を傷つけるもの」というコラムが載っている。

5)の「女性の権利は人間の権利」や「私の身体のことは、私が選ぶ」というメッセージが、4)の「ガール・パワー」という抽象的なエンパワーメントのメッセージと何が違うかというと、5)は子どもを生むか中絶するかを自分で選ぶ権利を女性の権利としてストレートに訴えているという点。

21日のウィメンズマーチには人工中絶http://nymag.com/thecut/2017/01/womens-march-2017-drops-anti-choice-partner-after-backlash.html反対の立場、つまり「プロライフ」のフェミニスト団体「New Wave Feminists」が参加を表明し、一旦はマーチのパートナー団体として認められたものの、プロチョイス側の猛反対にあって、マーチ前日にパートナーを取り消された。主催者はこの団体のパートナー扱いを取り消すにあたって、あたらめて、このマーチがプロチョイスの立場にあることを明確にしている。

この「New Wave Feminists」という団体は、他の問題に関してはフェミニストのリベラルな価値観を共有するが人工中絶にだけは反対するという珍しいプロライフ団体。ウィメンズマーチへの団体としてのパートナーは取り消されたものの、個人参加を止められたわけではなかったので、ワシントンDCのマーチにはこの団体のメンバーがプロライフのプラカードを持って参加し、「人を殺すなー!」と叫んで歩き、まわりのプロチョイス派が嫌悪をしめしてちょっとしたにらみ合いになったという。

人工中絶問題は、21世紀の現在でもアメリカ政治の中心にある課題。

アメリカでは1973年の「ロー対ウェイド」訴訟の最高裁判決で、人工中絶を違法とする州の法律が憲法違反であるとされて、人工中絶が全国的に合法となった。でもこれで決着したわけではぜんぜんなくて、人工中絶反対(プロライフ)派はいまでもこの判決をくつがえすべく、熱い戦いを繰り広げている。そして、その戦いはかなりきわどいせめぎあいになっている。

これまでにもこの判決をひっくり返しそうな訴訟が何度もあったし、テキサス州ではつい3年前、中絶可能な時期をせばめ、クリニックの設備についての規制を厳しくする州法が壮絶な議会バトルの末に可決された。からめ手から中絶クリニックを廃業に追い込もうとするテキサスのこの法律に対して、その後中絶クリニックが原告となって訴訟を起こし、またこれも長い裁判の末、去年の夏に最高裁で違憲とされたばかり。

プロライフの人びとにとっては、胎児の生命は神に与えられた尊いもの。人として扱われるべきであり、中絶はれっきとした殺人なのだ。
「自分では身を守ることのできない小さな生命が身勝手な理由で簡単に殺され、神から与えられた可能性をすべて奪い取られている。この罪のない生命を守らなければ」という考えかた、感じかたは、圧倒的な切実さを持ってプロライフの人びとに共有されている。

原理主義クリスチャンのサマーキャンプを紹介したドキュメンタリー映画『ジーザス・キャンプ』(2006年)でも、人工中絶について「真実」を教えられた子どもたちが泣いて憤り、どうかもうこんな悪いことは止めさせてください、と神に祈る場面があった。中絶は子どもたちにもすぐにのみ込める分かりやすい悪として、プロライフの人びとの感情を大きく動かす。

まだ生まれていない胎児に真摯な共感と同情をかたむけるプロライフの人びとは、自分たちを無垢な生命の守り手だと感じている。強烈な使命感に動かされて、中絶クリニックを攻撃したり医師を殺害するといったテロ活動に走る人も出る。

でも、では中絶を非合法化した後どうするか。というその先の議論は、プロライフ側の人からはほとんど聞かれない。その先は急に自己責任論になってしまうのだ。望まれずに生まれた子どもを教会がすべて引き取って育てるとか、貧しい母子を経済的に全面支援する計画があるわけではもちろんない。プロライフの人は、無力な胎児には共感するが、妊婦や母たちの現実にはたいして共感を向けないように見える。

プロチョイス側は、中絶を頭から禁止するのが正義だと信じてやまないプロライフの立場を、社会的に自覚のない、高圧的に道徳をおしつける態度だと考える。
プロチョイス側にとっては、産まない選択を規制によって奪うということは、その女性の生活、身体、人生についての重要な選択を政府が指図するということだ。

プロライフ側は、中絶を安易な選択だとみなし、奪われる生命に対しての共感を拒否するプロチョイスの無感覚に憤る。

プロチョイス側は、ひとくくりに中絶に反対する態度を安易だとみなし、それぞれの女性が置かれた状況について共感を拒否するプロライフの無理解に憤る。

この二つの価値観は互いに決して相手を受け入れようとしないし、両者が出会う場は敵対的な抗議活動の場でしかない。


オルタナティブ・ファクトの時代


社会にいくつもの断層を持つアメリカの中でも、女性の「選ぶ権利」はもっともセンセーショナルな注目を浴びやすい断層のひとつ。

そして多くの断層がそうであるように、この分裂は積極的に政治的に利用されている。

今回の大統領選挙でも、保守派クリスチャンの多くが、トランプの言動や品性は気に入らないが、ヒラリーがプロチョイス志向を明言しているという一点だけでヒラリーではなくトランプに投票する、と公言していた。

トランプもこの一点が多くの票を左右することを充分に意識して、選挙の2か月前にプロライフのリーダーたちに書簡を送り、自分が当選したら中絶の自由を大幅に制限すると約束し、プロライフを味方につけた。

その書簡でトランプは、NGO「プランド・ペアレントフッド」(PP)に対する連邦政府からの補助金を途絶させることを約束している。

PPのクリニックは人工中絶もするが、男女の性病検査と予防、避妊、健診も提供している。患者の8割近くは他に手段を持たない貧困層だという。

このPPに対する見方も、プロライフ側とプロチョイス側では、これが同じ団体かと思うほどに分かれている。

プロライフの目に映るPPは「堕落した組織」であり、人工中絶を推進し、胎児の臓器を闇で取引したりする、悪魔の手先のような団体。このような団体があるから、安易な中絶が後をたたず、女性たちの精神を傷つけ、堕落させると考える。

プロチョイスの目にうつるPPは、安全な中絶手術とともに避妊具やピルの配布で望まない妊娠を防ぎ、検査や治療の提供で貧困層にセーフティネットを提供している団体。PP利用者の多くには代わりになる手段がなく、PPが閉鎖に追い込まれれば社会に大きなマイナスの影響が出ると考える。

全国にあるPPのクリニックでは、2013年度でのべ400万件以上の利用があり、32万件以上の中絶手術が行われた(中絶手術には連邦政府の補助金が適用されない)。

プロライフの反対派はPPのサービスのうち94%が中絶だと主張し、PP側では中絶は全体の3%にすぎないといっている。ワシントン・ポストの分析では、どちらの数字も正しいとはいえず、患者数と中絶件数からするとおよそ7%〜14%ではないかという推論を述べている。

つい昨日、ホワイトハウスの報道官が初の公式会見で就任式の見物人の数についてウソ八百を並べたことに対し、ケリーアン・コンウェイ顧問がテレビのインタビューで「あれはオルタナティブ・ファクト(もうひとつの事実)を提供しただけ」と言って大炎上した。

事実は一つしかないという前提があたりまえだったのは、もうすでに過去の話になってしまったらしい。

対立するオルタナティブ・ファクトの間には、対話が成立するはずもない。

多くの人にとって、事実というのは「自分にはそうとしか見えない」というものの見方でしかなくなってきているのかもしれない。

プロチョイスとプロライフの対立も、ひとつも建設的な対話を生まない、オルタナティブ・ファクトにもとづいた不幸なスパイラルにしか見えない。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/01/24

暗黒舞踏の夜


久しぶりに舞踏をみてまいりました。

場所はSODOのTeatro de la Psychomachia。
マリナーズの本拠地Safeco球場のすぐ手前のストリップ劇場の並びにあるスタジオ。

入り口は、目立たない。看板もでていない建物の奥の階段を、「ここでええのかな?」と用心しながらのぼった先にあるドアの後ろに、意外にも広い、高校の教室くらいのスタジオが広がっている。

こんな都会のこんな表通りにこんなアンダーグラウンドな(2階だけど)秘密めいた場所があるとは。シアトルもまだ捨てたものではありません。

この日は、「暗黒舞踏」の祖、土方巽さんのメモリアル。

入り口には祭壇のようなメモリアルのコーナーが作られてあり、写真や亡くなったときのお顔のスケッチなどが飾られていました。

1986年に亡くなった土方巽さんの舞台、わたしは残念ながらいちども見たことない。


スタジオの右にはとても妖しい祭壇が。可愛いドクロがいっぱい。
ニューオーリンズのブードゥー博物館を思い出した。

ここのあるじ、ヴァネッサさんは長年ニューオーリンズに住み、ブードゥーを実践しているのだそうです。

両肩に蛇のタトゥーをまきつけたヴァネッサさん、「スピリットたちのお世話をしている」というだけあって、なるほどの貫禄。

本日の演目はまずJoan Laageさんのソロ舞踏。こちらはジョアンさんの意向により撮影なし。

困惑したように生まれ出て、舞台の上で身体と苦悩を発見し、いろいろに変化するいきものが、最後にニワトリになって去っていく。赤いしっぽもちょろりと出て来る。
ユーモラスなエンディングでした。

ちょうど、隣にいた20代なかばくらいの男の子Ariくんと、開演前にニワトリについて話をしていたのでそのシンクロにもびっくり。彼はマーサーアイランド育ちで、英国で舞踏をはじめて学び、シカゴとインドネシアで8年くらい舞踏を学んだり教えたりしてシアトルに帰ってきて、今度子どもたちのために、ニワトリと恐竜をモチーフにした舞踏のワークショップをやるんだ、といっていた。

ニワトリは恐竜の遠い親戚。まずニワトリになってみて、恐竜を想像するワークショップ。
それはすごくおもしろそう。

ジョアンさんのソロのあと、10分間ほど土方巽さんのモノローグが流れる。
観客は瞑目してそれを聴く。そのために、目の上に縛るサラシが配られた。


土方モノローグの間に舞台中央にいつの間にか登場し、蛹になりかかった蚕のようにからまってじっとしている二人の舞踏家。

静かに舞台が始まると、蚕たちはゆっくりと二つにほどける。


Lee Aoiさんは、一升瓶をかかえた酒場の女。

黒いハイヒールをぬぎ散らかして、昭和の歌謡に合わせて、おどる。


安酒場の女なのに、Aoiさんがおどるとなぜか小さな可憐な少女にもみえて、そのギャップと同時性がぐいぐいくる。

少女が娼婦でもあり、ケバいおばさんが聖処女でもある。同時にあり得る。

女が自分にもとめているのは、いつもそのような、アンバランスで相反的なものではないかしらね?


いっぽうの薫さんは、無邪気ななにものかから、菩薩のような、聖母のようなかたちにおさまっていく。


最後はプッチーニの(<たしか)美しいアリアでしめくくり。

薄い磁器のような、ほんの一瞬だけ存在する美しいもの。
ゆらぐ、静かなカタマリとしての身体と心。



そのあと、観客たちが舞台に招待された。
観客の中のダンサーさんたちが、とても自然に無言で舞台に出てきて、アリアにあわせて一斉に即興でゆらゆらし始めるのに、鳥肌がたった。



この帽子の子が、ニワトリ青年、Ariくん。ダンサーの子はみなこうなのか、スーパーに繊細で知的で穏やかなひとたちだ。


休憩のあとは、Vanessa Skantzeさんの舞踏。
Joy Spainさんのベースとボーカルのライブ演奏で。


ヴァネッサさんのは、とても力強い、息苦しいような舞踏だった。

身体の中から、思わぬ激しく気味わるいものが、のたくり出て来る。それがいつの間にか、自分になっている。みたいに見えた。



「「そうらみろや、息がなくても虫は生きているよ。あれをみろ、そげた腰のけむり虫がこっちに歩いてくる。あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな」。言いきかされたような観察にお裾分けされてゆくような体のくもらし方で、私は育てられてきた」
 (土方巽 『病める舞姫』)。

自叙伝だそうです。読んでません。すみません。この冒頭部分だけネットでみつけたのです。

このくだり、この日のヴァネッサさんの舞踏にぴったりな気がする。

楽しゅうございました!やっぱりときどきは街に出かけるべきだのう。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/01/21

きのうのパレードと今日のマーチ


とうとうこの日が来ちゃいましたね。

オバマの時とはまったく違う、大統領就任式とパレード。
昨日は演説は聞かなかったけど、洗濯ものをたたみながらパレードのようすをみてしまった。

なんだか祝典というよりは葬列のような。警官の姿ばかりが目につき、パレードの主要部分にはきっと抗議の人たちは入れなかったのだろうと思うけど、閑散とした感じ。
パレードの最終地点では観客席がガラガラという異常な光景…。

フェイスブックでパレードをライブ配信していて、ニコニコ動画のコメントみたいにリアルタイムで絵文字の反応が流れるようになってた。
「ひどいね(怒)」と「悲しいね」が、「いいね」と「超いいね」が半々、ときどき「笑えるね」が流れ、コメントはトランプ支持者と反対する人の罵り合戦。

選挙が終わっても分裂はますます続くね。


就任式翌日のきょうは、ウィメンズマーチ。

きょうは世界中でほんとうにものすごいことになっている。

ニューヨークタイムスのフォトストーリーを見て奮えた。


 世界各都市のマーチの写真が。ニューヨーク、シカゴ、LA、パリ、ロンドン、アテネ…。

息子のガールフレンドKちゃんもママと一緒にこの週末DCに飛んで、マーチに参加しています。

このパワーが、実際に社会を、政治家を、法律と経済を、変えていけますように。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/01/19

4年ごしの恋が実った (´;ω;`)


ここに越してきてからというもの、4年越しにほしかったこの子が!

やっとうちにやってキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! 
ヽ(=´▽`=)ノ☆彡ヽ(=´▽`=)ノ☆彡ヽ(=´▽`=)ノ☆

去年日本に帰ったときもカリフォルニアに行ったときも、飛行機の預け荷物で持って帰れないかと思いつめたけどやっぱハコが大きすぎ(箱の寸法もいちおう聞いて測ってみた)。

カリフォルニアのMUJIでは配送もきいてみたけど周辺地域にしか配送してないといわれ。
もうクルマでサンフランシスコに買いに行くしかないのかと思っていたところ。

ある日、突然前触れもなしにMUJI USAのオンラインストアで売り出されていたのでした。しかも年末年始セールで20ドル引き!

ああやっとこの日が。感涙。



この子が入手できなかったのでうちにはおととしからYogiboくんが来ていたのだけど、やっぱりこの元祖「人をダメにするソファ」は、頭ふたつ以上飛び抜けて素晴らしい。

Yogiboくんは中身にはいってるビーズが大きく、袋もぺたっとしたふつうの封筒型なのでべつにサポートはなく、身体を預けるとどこまでも沈んでしまい、起き上がるのにたいへん苦労をするのです。

でもこの子は、ほんとに体にフィットするんですのよ!

タテとヨコではサポート力が違うので、ダメになり具合が2段階選べるのも素敵。

ダメになるだけじゃなく、ちゃんと姿勢を正して座ることもできる。

ちなみにこの赤いお膳は、去年、吉祥寺の古物屋さんで買ったもの。かなり塗りの良い、まったくハゲもカケもない美品で、なんと一膳1000円とかだった。

どこかの古いお家のお蔵からでてきたものらしく、セットでいくつもあってお椀もそろってて、思わず全部買って帰りたくなったけどさすがにスーツケースがいくつあっても足りないので、これだけにしました。推定明治初期のものだそう。

リビングが一瞬でおめでたくなるお膳です。

CTちゃんに見せたら、ますますギフトショップ化が深化したと、ため息をつかれることであろう。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/01/18

超絶簡単さつまいもケーキ


 年末にウワジマヤでジャパニーズさつまいもの良いのがあったので、きんとんを作ろうかと一瞬だけ思って買っておいたのだが、もちろん作らなかった。そろそろ消費せねばと思いクックパッドで検索。超簡単な、混ぜるだけりんごとサツマイモのケーキがありましたよ。
レシピはこちら

ゴロゴロに切って計ってまぜるだけ。薄力粉足りなかったので半分全粒粉、砂糖は半分ブラウンシュガーという適当さ。しかもシナモン忘れて焼き上がり5分前にオーブンから引っ張り出して全面に振った。

でも美味しくできました。素朴でうまうま!

私のようなずさんな性格の人にはぴったりな実に豪快なケーキである。


今年の抱負のひとつは、Yさんから頂いたレシピでシフォンケーキをちゃんと完成させること。
一回やってみたら、なぜか焼き上がりの高さが、完成予定の半分にも満たなかったのだった…。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/01/15

宇宙と核ミサイルの時代のスペースニードル

 Seattle library アーカイブより

今回のソイソース『たてもの物語』には、スペースニードルのことを書いてます。

1962年のシアトル万博「Century 21 Exposition」のときに建てられたスペースニードル。

スペースニードルがなかったら、シアトルは今とは違う街になったのじゃないかと思うほど、シアトルとはきってもきれない存在。

シアトルにとってのスペースニードルは、東京にとっての東京タワーやスカイツリーよりも、さらにもう一段重要な存在という気がする。ランドマークや建物が土地とそこに住む人に与える影響は、きっとかなりある。
その中でもスペースニードルはかなり特別な存在だと思う。

今回参考にさせてもらったのは、シアトルのコラムニストKnute Bergerさんの、この本



ミッドセンチュリーな素敵イラストもてんこ盛りの美しい本です。

スペースニードルは万博の構想の最初からあったのではなく、ほかのパビリオンの建設がもうはじまった後になってから実行委員のひとたちが「そうだ、タワー建てよう!」と思い立って、たった2年半でガシガシと作ったというのにはびっくり。

1962年頃というのは、そんな突貫工事が可能な時代だったんですね。

シアトル万博の実行委員長的な人が、シュトゥットガルトのラジオタワーを訪ねてインスピレーションを受けて、「こういうのをシアトル万博に建てよう!」と思ってから、用地も建設資金もないままに設計を完成させて発表。設計の仕上げはワシントン大学の教授でもあったVictor Steinbrueck氏も加わって、モダニズムの彫刻をヒントにあの有機的なシェイプをデザインしたのだそうです。

その後半年で出資者と用地を確保して、建築許可を取って即工事にかかり、8か月で完成したのだそうで、ほんとにすごいスピード。
現在だったら、建築許可が下りるまでに普通に3年くらいかかりそう。

そして、1962年というのは、そういえば、冷戦のもっとも緊迫していた時代で、前年にはベルリンの壁ができ、この秋にはキューバ危機があった年でもあったのだった。

ベルリンの壁とスペースニードルは同い年だったんですね。ちょうど同じ時に建設されていたという。

ケネディ大統領もシアトル万博にくるはずだったのだけど、ちょうどミサイル危機のときで風邪を理由に欠席したそうです。

以前、学校の地下に残っている核戦争用「フォールアウトシェルター」の存在を知っておどろいたのだけど、スペースニードルが建てられていた時代は、そんなシェルターがあちこちに作られていた時代でもあった。みんなが核戦争の可能性をリアルに感じていて、学校でも核戦争に備えた避難訓練があったり、地下室にシェルターを作る家もたくさんあったというそういう時代に、宇宙時代の明るい未来をプレゼンテーションしたのが「21世紀の博覧会」、シアトル万博だったということを、60年後に覚えている人はあんまりいない。

スペースエイジといえばドナルド・フェイゲンの曲を思い出すなあ、と思っていたら、スペースニードルをフィーチャーしたこんなビデオがありました。公式ではなくファンが作ったもののようですけど。



この時、まだ宇宙開発競争はソ連が大幅にリードしていて、アメリカは必死であとを追っていた。

連邦政府がおカネを出した「科学館(World of Science)」はミノル・ヤマサキの設計で、NASAの人工衛星のモデルが展示され、チャールズ・イームズの作った短編映画も上映されていたのでした。

seattle municipal archive

当時6歳だったビル・ゲイツ少年も、9歳だったポール・アレン少年も当然観に行ったというこの博覧会は、きっとこの少年たちにも強烈な印象をのこしたことでしょう。

20世紀の終わりにこの二人が作る会社がやがてシアトルに莫大な富をもたらし、21世紀のはじめにはポール・アレンさんの建てたフランク・ゲーリー作のEMP(最近名前がまた変わってMuseum of Pop Cultureになった)がスペースニードルのすぐ横に建ち、ビル&メリンダ・ゲイツ財団の建物も通りをはさんですぐとなりに並ぶことになったんですね。


Seattle Library アーカイブより。

この頃の溶接技師は、命綱なんか使わなかったらしいです。 「そんなものァかえって動きがとれなくなって危ねえってんだよ」といったとか。まるで鳶職のようだ。

幸い、スペースニードル工事現場では、死者も大怪我人も出なかったそうです。

ニードルのてっぺんの展望レストランの大枠が完成した時には、まだ壁のない吹きさらしのレストランの現場にシェフを呼び、展望レストランで一番最初のディナーを職人さんたちにふるまった、というちょっといい話も『Space Needle』の本で紹介されてました。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/01/11

寒い日


寒いです。

シアトルは樺太とおなじくらい緯度が高いわりにめったに零下にならないけれど、この冬はクリスマス頃からかなりさむい日々つづきです。
夜は華氏28度(マイナス2度C)だった。明日も最高気温華氏35度(2度C)とか。

華氏で20度台(つまり零下)になると、うっわー寒ぅ!と思っちゃう。たったマイナス2度なんだけど気持ちは激寒。
東京の冬はもっと寒かったはず。もう記憶のかなたの小学生のとき、毎朝冬は通学路で霜柱をふむのがたのしみだった。いまの東京には霜柱の出て来る場所もきっとあんまりないよね。

年末年始がっつり寒くなって、冷蔵庫より外が寒く、うっかりベランダに出しておいた野菜が半分凍ってしまった。

道を歩いてても、水たまりに氷が張ってたりして新鮮。



きのうは雪の予報が出ていたけれど、結局雨だった。
オレゴンのほうは大雪だそうです。


寒いから散歩に出るのにも手袋の出番があって嬉しい。
2年前に息子がアイスランドのオミヤゲに買ってきてくれた、ウールの素朴なミトン。

去年は暖冬すぎてぜんぜん出番がなかった。今年は活躍してます。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ