2015/07/05

もわーの日々


暑いっす。

今年の6月は観測史上すべての記録を破る暑さだったそうで、地元局は今年の気候は「記録破り(break)じゃなくて記録を破壊(destroy)」したと言ってました。

6月の月間平均最高気温は華氏78.9度 (摂氏26度)。
平年が69.9度(摂氏21.05度)だというから相当に上回ってます。

ふだんの年なら「シアトルの夏は独立記念日から」といわれてて、6月いっぱいはまだ普通にブーツと薄手ダウンジャケットの人だって見かけるのですが、さすがに今年は、町中くまなくもう夏仕様。

今週は連日快晴、毎日摂氏30度超えでした。
そしてついにシアトル市内で華氏90度(摂氏32度)超えも出た。

温まりきった地面や建物からもわーっと輻射されるこの熱気!なつかしい~。

日なたに停めてあった車にはいると、ハンドルが触れないほどあっつあつになってるのも、懐かしい。ワイキキみたいー。

この真夏の「もわー」が味わえる日は、例年のシアトルでは、たとえあってもほんの数日。年によってはまったく「もわー」とは縁のないまま夏が終わってしまうこともあるので、それに比べたら暑くてイヤなんて文句は言えません。

でも言うけど。快晴なら暑い暑い、雨続きなら寒くて暗いと文句をいわれるのが天気の役目というものです。
 
そういえばオアフ島でもめったに90度超えることはなかったです。だいたいいつも86度(摂氏30度)の線で止まってた。ハワイは貿易風があるので日本の関東地方の夏よりはずっと涼しいです。

シアトルも日が暮れるとさっと涼しくなるから、たとえ90度超えの日でも、関東地方のあのじっとりして逃げ場のないうだるような暑さに比べたら全然楽ちんです。

 でもたしかに身体が熱気に慣れてないからか、ちょっと外にいると疲れる。
水分補給を欠かさないように気をつけましょうー。

いったい7月8月はどうなっちゃうんでしょうか。まだまだ暑くなるのか、例年通りにおさまるのか。


トマトを切ったら、中ににょろにょろしたものが!! げっ虫??と思ったら、違った。
あまりの暑さ続きのためか、種が中で発芽してたのでした。

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2015/07/04

キラウェア火山の溶岩ハイキング


ハードドライブを整理してて発掘したハワイ写真をアップ。
2008年の、ハワイ島キラウェア火山のハイキングです。

息子が入っていたボーイスカウトの旅行で、キラウェア火山の国立公園内にある米軍の保養施設に2泊して、中1日は火口の長いハイキングに出かけたのでした。

引率のスカウトマスターたちや親たちも皆、ハワイらしくファンキーな人が多くて、面白かった。
みんな普段は医師とか建築家とかマジメな仕事をしてるのに、下ネタ大好きでふざけた人が多かった。


当時、息子13歳。アフロが風になびくとこうなるの図。



すぐ隣にのびのびと広がるのはマウナロア山。山という概念をくつがえすほどのどかな、べろりんとした形です。
いったいあなたには山の自覚があるのですか、と聞いてみたくなる。
でもこんな顔して、富士山より高い(4,169 m)んですよ。
地球で最も体積の大きい山だそうで、とにかく巨大な山です。


その隣にあるキラウェア火山は世界でも最も活発な火山のひとつ。今でも休まず噴火していますが、マグマの噴き出し口はたびたび変わります。

このハイキングトレイルは、ハレマウマウという名前の噴火中の火口のすぐそばを通って、キラウェアの大火口(カルデラ)を横切る道。
カルデラの直径を横切る道が約4.5キロ。それから丘を越えてもう1つの火口を横切って帰りはカルデラを囲む縁に上がってぐるりと半周して戻る、1日コースでした。


国立公園のサイトで確認してみたら、ハレマウマウの火山活動が活発化していて有毒な噴煙が上がっているため、このカルデラのほとんどの部分が現在は立ち入り禁止になっていました。

私たちが行った時には、このハレマウマウ火口からは噴煙は時々上がっていたけど溶岩が見えるほど活発ではなかったのですが、ちょうどこの直後の2008年4月から活動が活発化。

今は火口の中にマグマだまりが見えるくらい上がってきていて、夜になると火口が明るく見えるし、たまに小爆発が起きているようです。こんなふうに。見に行きたい。




マーク・トウェインが1866年にキラウェア火山を訪ねたときにも、この火口にマグマがぐつぐつ煮えたぎって、火柱がじゃんじゃん上がっているのが見えたようです。


がんがん日は照るし、溶岩はアスファルトのように熱を放出するので、溶岩原ハイキングは灼熱です。

このカルデラ内で一番新しい溶岩流は1982年のもの。

今一番活発に溶岩を吹き出しているのは、火山の南東側斜面にあるもっと新しいプウ・オア火口で、 つい去年もこのプウ・オア火口からの溶岩流がゆっくりと近隣のパホアの町に流れ込んだばかり。

去年は住宅に被害はなかったようですが、以前には集落がそっくり呑み込まれてしまったことが何度もありました。キラウェアの溶岩はゆっくりと流れてくるので、避難勧告が出ていてもギリギリまで居座っている人もいてニュースになってました。


キラウェアの南斜面は本当に稜線から海まで、まだ新しく黒光りする溶岩で覆われていて、何度行っても絶句する眺めです。

2005年だったか、溶岩流で埋まってしまった道路の終点まで行って、そこから何キロか溶岩の上を乗り越えて、なま溶岩流を観に行ったことがありました。

片道たぶん3キロか4キロくらいのものだと思うけど、比較的新しくまだトゲトゲした溶岩の上を乗り越え乗り越え歩いて片道2時間くらい。
安物のハイキングシューズだったので、それだけで底がすっかりダメになってしまいました。

でもパチパチと暖炉のような音をたてながら流れてくるフレッシュ溶岩は、すごかった。

うっかり落ちたら確実に焼死間違いなしの溶岩流のまわりに、大きな焚き火でも囲むようにハイカーが点々とちんまり座っているのもシュールでした。

パークレンジャーがいることはいるのですが、特に何かするわけでもなく、見てるだけ。 自己責任の国だなあ、と感動したものでした。



溶岩の中にまっさきに根を張って生え出すのは、ハワイ原産のシダとオヒアの木。



オヒアレフアの花。オヒアの木に咲くレフアの花。伝説の花です。ハワイの花には悲恋の伝説が多いです。



間の丘を越えて、もう一つのクレーター、キラウェア・イキを横切ります。ここは1950年代まで溶岩の湖だったところだそうで、カルデラより溶岩が新しい。



キラウェア火山の神、マダム・ペレへの供えもの。


ハワイに行く人には、ちょっと日程に無理をしてでもキラウェア火山見物は絶対のおすすめです。

何度行っても、ひょー大自然すげー、ととにかく素直に驚いてしまいます。



このハイキングの帰りにもぞろぞろと寄った、ボルケーノ・ハウス。国立公園内の歴史あるホテル。

部屋からキラウェアのカルデラが眺められます。
遠い昔、両親が日本から遊びにきた時に泊まったことがありました。まだ息子が幼稚園前だったかな。

所有は国立公園ですが、運営は入札で民間が行なってます。ハワイマガジンの記事によるとリースが切れて運営権の買い手がつかなかったようで、しばらくの間休業してたそうです。知らなかった。

改装してまた2013年に再オープン。以前は山小屋風の建物でしたが、改装してかなりアップグレードしたもよう。


このマダム・ペレのレリーフのある暖炉、19世紀から火が絶えたことがないという伝説があったのですが、ついにこの休業中に消えてしまったそうです。


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2015/06/28

PRIDE


今週末はシアトルでLGBTの権利を主張する41回めのPRIDE Paradeが行われていますが、ちょうどその前日の金曜日、連邦最高裁判所で、同性婚を州の法律で認めないのは憲法違反、という判決が出て、事実上合衆国のどの州でも同性婚が認められることになりました。
今週末のお祝いはさらに盛大になったことでしょう。

金曜日、スターバックス本社の上にも、LGBTの誇りの象徴であるレインボーの巨大フラッグがひるがえっていました。

これほど早く世論が変わるとは思っていなかったので、ここ数年の動きは驚きです。

もう20年近く前ですが、ハワイに引っ越して間もなかった頃に住民投票で同性婚合法化が否決されて、ハワイは圧倒的に民主党が強くて政治上はリベラルな土地なのだけれど、それと他人に対する理解があるかどうか、偏見がないかどうかはまったく別問題なんだなというのを実感したものでした。

ともかくも、めでたいことです! すべてのカップルとファミリーに祝福を! 

最高裁判決でがっかりしているのは保守派クリスチャン。
わたしもキリスト教徒ですが(教会に行っている多くの信徒からみると完全に「異端」なのかもしれませんが)、教会は「ほかの人」がどうあるべきかを心配したり非難するより、他にもっとするべきことが沢山あるだろうと思います。


ただ、すべての聖職者は信念に反しても自分の教会で同性婚の結婚を認めなければいけないとも思いません。
でも、 本当にイエス・キリストの言葉を生きていたら、自分の考え方や世界観や神に対する解釈が違う人びとを祝福することを、恐れなくても良いのではないだろうかとも思います。
私などが言うのは本当におこがましいのですが。

心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
第二の掟は、これである。
隣人を自分のように愛しなさい。

これにまさる掟は、ほかにない。
(マルコによる福音書 12章)


善のために集まったはずの人びとが、必ず、ほぼ例外なく、自分たちと異なるグループの人びとを恐れ、軽蔑し、または排除しはじめるのは驚くべきことです。

誇りと偏見は本当に双子のようですね。





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2015/06/24

路地裏のアレグロ


ワシントン大学のキャンパス近くのUniversity District、通称「Uディストリクト」にあるカフェ「Allegro」。

University Avenue と15thの間の、ほんものの路地裏にあるのです。文学青年ジョーに教えてもらうまでぜんぜん知らなかった。


この古本屋さんの角を曲がった路地の2軒めにあります。この先はすぐ大学キャンパス。



たたずまいも店内の全然お金かかってない手作り感溢れる内装も、壁にかけられている多分地元アーティストの作品も、まったくオシャレじゃない方向性がなぜか懐かしい。
フォークソングが流れてそうな感じ。

神保町か早稲田あたりの、昭和の喫茶店の雰囲気に似ている気がする。

1975年創業以来、オーナーは2度替わったけれど、どちらも元々バリスタとしてこの店で働いてた人だそうです。
代々愛されている店なんですね。

そしてお客さんも大学の関係者が多いのか、
「俺は絶対スタバなんか行かねえぜ!( ー`дー´)キリッ」
というような空気を漂わせている、何かを語り出したら止まらなそうなベビーブーマー世代と、現役学生さんが半々くらいって感じ。
リベラルアーツな雰囲気でいっぱいです。

奥にも2階にも席があって、けっこう広々しています。2階席はどこかのクラブハウスみたい。


Wifiのパスワードはこれ! ログレディが!!

チェリーパイはありませんが、コーヒーは本物のツインピークスに出てきたカフェよりずっとおいしいです。

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2015/06/21

にゃへも




デジタル写真は外付けハードドライブに保存しているのですが、1TBのドライブがもうそろそろいっぱいになってきた。

写真だけじゃなくて他の多分もう見ることはないだろう昔の書類もとりあえず入れてあって、写真も重複してフォルダに入ってるのが多かったりするので、暇をみて少しずつ整理することにしました。

バックアップは超面倒ですね。

というわけでハワイに住んでいた頃の写真が出てきたのでちょっとこれからちょこちょこアップしてみます。

これはアラモアナビーチパークで撮ったもの。懐かしい~。
夕陽の沈む時間の海の色は何度見ても信じられないほど綺麗です。





ところで「にゃへも」。

この間大岡信さん編の『続 折々のうた』(岩波新書)を読んでたら、「伊野波節」という沖縄の古い歌が載っていました。

伊野波の石こびれ 無蔵つれてのぼる にゃへも石こびれ 遠さはあらな

(以下大岡さんの解説)
「伊野波」は沖縄北部の地名、「石こびれ」は石ころ坂。「無蔵」は男が恋人や妻をいう語。
「にゃへも」は「もっと」。
「あらな」はあってほしい。
仲を裂かれた恋人たちの悲しみの歌だという。二人が尽きぬ別れを惜しんで登っていく石ころだらけのけわしい坂、だがこのけわしい石ころ道よ、さらにけわしく遠い道であっておくれ、ひと時でも長く一緒にいられるものを、というのである。
(引用おわり)

悲しく切ない歌ですね。

しかし、にゃへも!
ああ使ってみたい。

「にゃへもコーヒーちょうだい」
「にゃへも音大きくして」
「にゃへも勉強したら?」

今でも沖縄に行ったらひょっとして通じるのかしら?と思ったけど「にゃへも」で検索してもこの歌しか出てこないので、古語なんでしょうね。

とりあえず息子に教えてやろうと思います。


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機械翻訳とハワイの雨



ニューヨーク・タイムズの今月初めに掲載された「Is Translation an Art or a Math Problem?(翻訳は芸術か数理問題か?)」という記事が、翻訳者のフォーラムでも話題になってました。

この記事によると、機械翻訳の始まりは、アメリカの諜報部の科学者が第二次大戦中のチューリングマシンによるエニグマコード解読について知り、ロシア語の論文を同じように機械で翻訳できないか、と思いついたのが最初なんだそうです。
ロシア語で書かれた文書が「キリル文字で暗号化された英語の文書なんだ!」という発想に立ったのだと。

しかし1950年代のコンピュータは非力すぎ、処理できる情報量が少なすぎたためにそんな「解読」には歯が立たなかった。

機械による翻訳を使いものになるレベルで実用化するには、その言語のコンテクストを判断できる専門家が必要、というのが常識だった時代が30年ほど続いた。

そして、1988年、IBMの音声認識技術の研究者が編み出した全く新しいアプローチが、原文の言葉の「意味」を「考える」のではなく、大量の原文と訳文のデータの中から「似たもの」を拾いだしてくるという方法。
現在のグーグル翻訳もスカイプ翻訳もこの延長にあるもの。


…という背景と、現在の人間翻訳者と機械翻訳研究者の見解を少しずつ紹介してます。

More than once I heard someone at the marathon refer to the fact that human translators are finicky and inconsistent and prone to complaint. Quality control is impossible. As one attendee explained to me, “If you show a translator an unidentified version of his own translation of a text from a year ago, he’ll look it over and tell you it’s terrible.”
<「機械翻訳マラソン」(5月に開催された1週間のハッカソン)では、参加者が人間の翻訳者は気むずかしくて一貫性がない、と言っているのを一度ならず耳にした。人間の翻訳では品質管理は不可能に近いというのだ。ある参加者はこんなことを言っていた。

「翻訳者に、誰のものだかを隠してその人が1年前に翻訳した訳文を見せたら、こりゃひどい訳文だっていうに違いないよ」>

翻訳に「正解」はない。だってその証拠に英語版の『ドン・キホーテ』は20種類もある。一人の翻訳者だって迷うのに、正確さを問題にして何になるだろうか、としたあとで、この記事の著者は、しかし、少なくとも人間翻訳者は「この文章の目的はなに?」と尋ねるだろう、と書いています。
「正解」の訳だけを探す機械にとっては、誰が何の目的で書いたかなどという問題はまったく意味のないこと。

The problem is that all texts have some purpose in mind, and what a good human translator does is pay attention to how the means serve the end — how the “style” exists in relationship to “the gist.” The oddity is that belief in the existence of an isolated “gist” often obscures the interests at the heart of translation.


 < 問題は、すべてのテクストはそもそも目的を持って書かれているということだ。優れた翻訳者なら、手段が目的をどう達成するか、つまりその「スタイル」がその「要旨」とのどのような関連において必要なのか、ということに注意を払うものだ。>

…と、この記事は結んでいます。

スタイルと要旨が関連しているのは当然で、だって言語は文化そのものだから、常に時代と場所と読む人、書く人によって揺らぎが出るものです。

本来、文学作品であればその「スタイル」と「要旨」は、分かちがたくからみあっているものです。

血を流すことなく内臓を取り出すことができないのと同様、文学作品から「要旨」だけを取り出したら、それはオリジナルとはまったく別の存在になってしまう。

文学作品の翻訳に訳した人のフィルターがかかるのは当然です。

同じ日本語内でだって、たとえば『源氏物語』の現代語訳がこんなにたくさんあるのはなぜかってことになる。正解があったら谷崎潤一郎だって3度も源氏物語を「翻訳」し直してない。

「スタイル」の方でいうと、たとえば広告や広報の文章やメディアの文章では、それぞれの企業やターゲット顧客や読者層によって語りかけるスタイルが違う。たとえば「日刊ゲンダイ」と「東洋経済」と「暮らしの手帖」と「CanCam」ではそれぞれの読者に合わせた異なる言葉の体系を持っています。

いってみれば、そのテクストを読む人びとが期待する場の「空気を読む」というのがスタイルの決定には必要。そしてその空気を読むには、そこで共有されている体験を漠然とでも理解していなければなりません。

書き手が出したい雰囲気と読み手が期待する形にはある程度の「正解ゾーン」があって、それをはみ出すと妙に居心地が悪くなって意味そのものが伝わらない。
重要なのは、「正解ゾーン」は読み手と書き手の期待が作るということです。
 
 一対一の正解はないけど、常に時代や場所やいろいろな要素により揺れ動く正解ゾーンは確かにあるので、それをうまくたぐりよせるのが(人間)翻訳者の仕事。

人間翻訳者は、原文の「要旨」と「スタイル」をこれまでの経験という膨大な情報をもとに、ほとんど直感で理解しながら読み、それをまた経験をもとに、期待されるスタイルに直感的に当てはめていくわけですが、その理解に必要な情報量と処理プロセスがそっくり機械に置き換えられる日が、いつの日かやって来るのは間違いないのでしょう。



グーグル翻訳はたしかに現在の段階では人にとってかわるほどの技量は全然なくて、このニューヨーク・タイムスの記事へのコメントでも「役に立たないよ」みたいな発言が多かったけれど、 グーグルやマイクロソフトが参照する訳文・原文ペアのデータが恐ろしい量で増え続け、それと同時に人工知能の学ぶ機能が飛躍していくのは目にみえているので、たぶん私が生きているうちにかなり精度の高い翻訳マシンが完成するだろうなと思います。

大量データの中から「意味を考えず似たものを拾ってくる」というのが現行の機械による翻訳だけれど、そのうち大量のデータから「コンテクストを拾う」「意味を理解する」ということも出来るようになることでしょう。

というか人間の思考プロセスも、細分化していけば「似たものに気づく」という単位の集積なのではないでしょうか。

人間の持つ直感的な理解というのが、何と何が関連しているか、ということの細かな積み重ねだとしたら、情報量が膨大で有機的にからみあっているからまだ機械で再現はできないけれど、いつかきっと解析または模倣されるに違いないわけで、その解析が可能になる日というのはつまり機械が「直感」といえるような思考プロセスを持つ日の一歩手前。

人工知能に言語の抽象的な思考力が備わる日には、スタイルを理解でき選べる翻訳マシンも可能となる、てことですよね。逆にそれまでは出来ないってことでもあるけど。

それで思うのだけど、完全に翻訳可能な文章、ほかの言語で置き換え可能な文章というのは、背景が画一的ってことなんですね。

たとえば、ジャワ島の密林に住む部族の先祖の言い伝えを現代英語にしたら、そのニュアンスや感情や意味合いはほとんど失われてしまう。

ハワイ語には雨の名前だけで何十種類もあるというのは良く言われることです。

きわめて予測しやすい、安定したマイクロ天候が多いハワイという土地では、たとえば「マノアの谷のこのへんに降る雨」というような、局地的な雨の名前がとても多いのだそうです。
ハワイ大学の人が作った雨の名前リストがありました)

そういう雨を実際に肌に感じたことのない人の言葉に翻訳すれば、そこにある経験は決定的に失われて、もっと抽象的なものになる。

古代ハワイの人たちは「その場所に降る雨」を現代の私たちとはまったく違う受け取り方で感じ、見ていたのだと思います。

日本語だって、雨の名前はアメリカ英語よりずっと多いですよね。
こぬか雨、卯の花腐し、夕立、時雨。

『歳時記』にある言葉の多くは、もう解説なしじゃ現代の日本人には理解できなくなっている、立派な「死語」になっちゃってます。
 「端居」とか「水飯」「振舞水」なんて、今じゃさっぱりわかりませんが、その時代の人には聞いただけで一定の情景と情緒を呼び起こす、きわめて喚起力の高い言葉だったわけです。

 言葉は共通の体験に基づいたもので、情緒と論理がいっしょくたになっています。
きっとその両方のコンテクストの理解が、アートなんでしょう。




コンピュータのマニュアルやフランチャイズ店の経営方法や法律体系ならその多くが損なわれずに翻訳できるのは、それが資本主義社会とか技術とか司法という抽象世界への共通の理解と認識を前提としているからです。

これは今では当然のようだけど、考えてみれば、200年前には離れた地域に住む人がこれほど容易に相互の考えを理解し合えることはなかった。文化はもっとずっと多彩で多様で排他的で互いに相いれなかった。
「文明開化」が文化の中にブルドーザーのように平坦な場所を作って、共有の「文明」というコンテクスト、経済と科学技術のコンテクストができたから、翻訳可能な部分が広がってきた。
文明開化は同調圧力であって、それは今も進行中で、やっぱり文化はどうしようもなく全世界的にフラットになっていくしかないんだなあ、とあらためて思ってしまいました。

現時点のグーグル翻訳ですんなり通じる話は、フラットなのです、きっと。

「翻訳は数理問題かアートか」という問題の正解は「内容により、読み手により、どちらでもある」です。

その文章がどの程度のコンテクストを背後に持っているか
読み手と書き手がどの程度コンテクストを共有しているか

により、コンテクストが多ければ多いほど表に出てない情報(コンテクスト理解)を必要とし、スタイル解読と選んだスタイルでの表現という「複雑」な作業を要する「アート」の域に近くなる。

コンテクストが少なければ、またはコンテクストが両側で共有されていれば、考慮する必要のある情報量は減るから、より単純な作業になる。

 「算数かアートか」というのは、結局のところ処理している情報量の差ではないのだろうか、という気がします。 短い単純な数式なのか、高次な複雑な数式なのか。


そしてこれから発展してくる人工知能は、人々の記憶をもとにどんどん高次で複雑な翻訳をすることになる。

もう10年近く前になるのか、翻訳者のフォーラムで機械翻訳についてのトピックがあり、「私たちの仕事が機械翻訳にとって替わられる日には、ほかの多くの職業も同じ運命になっているはず」と、いささか楽観的な書き方で多くの人が納得していたのを思い出しますが、それが本当に現実として迫ってきた。カウントダウンになってきたなという感じがします。

あと20年くらいは人力翻訳が必要な時代が続いてほしいなと思うのは、楽観的すぎるのかもしれません。

「人工知能に奪われる仕事は何か」というような記事を毎日のように目にするようになりました。弁護士や医師といった仕事もそのうち置き換わるだろう、その前に中間管理職が大量に不要になるだろうといわれてます。

意外に思っているよりも早く、まずはセグメント化された高度な専門領域から、かなり精度の高い機械翻訳が完成しそうな気がします。



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2015/06/18

全米オープン開催地のうねうねゴルフコース


ゴルフの全米オープンが今日から始まってます。開催地はタコマ近郊のChambers Bay Golf Course

シアトルの近く(シアトルからは軽くクルマで1時間はかかるけど)で開催されるスポーツイベントとしては最大なんだそうです。

このチェンバーズ・ベイ・ゴルフコース、2年くらい前に何度か散歩に行ったところ。そのときの日記に載せた写真ですが再掲しちゃいます。ゴルフコースのまわりはぐるりと5キロ強の遊歩道になっていて、芝生の広場もあるチェンバーズ・クリーク・パークという公園です。

スコットランドかどこかのような、うねうねとした起伏の見るからに難しそうなゴルフコースは、もっと古いのかと思ったら2007年にオープンしたばかりなんだそうだ。
綺麗なコースだなと思っていたけど、まさかこんな大舞台に使われるとは。

ゴルフはやらないのでぜんぜんわかりませんが、 ここでプレイしたことのある友人によると、フェアウェイが狭くてグリーンがうねうね波打ってて硬いのでボールが速く、風向きも頻繁に変わるのでとっても難しいそうです。

いまちょっとテレビで見てたら、タイガー・ウッズが苦々しい顔をしているところでした。
乾いた草のボウボウ生えたラフに打ち込んでる人も続出。

でもほんとに眺めは豪華。木がたった1本しかないっていうのも独特の風景です。この右端の木↓



何人くらいの観客が来るのか、このあたりは今週は近寄れないほど交通規制が敷かれているそうです。

このコースの周辺は閑静な住宅街で近くにホテルなんか全然ないので、コース周辺にはこの週末だけのレンタルのために何万ドルって価格で貸し出されている家がたくさんあるって話です。

4月の新聞の記事で、月2,000ドルの家賃の家をこの1週間だけ38,500ドルで貸し出すために、借家人を追い出したっていう話もありました。1週間で2年分の収入になるですね。



全米オープンが終わったらまた散歩に行ってみよう。

石川遼選手など日本勢はFOXスポーツの中継をちょろっとみただけではフィーチャーされてませんでした。

おお、タイガーが草ボウボウの丘の斜面でボールを打っている!


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