2015/02/16

ティファニーと沈丁花


シアトルでは2月半ばにして冬が終わってしまいました。

近所でももう花が咲きまくっています。


今年は本当になま暖かい冬だった。今日なんかもう摂氏13度。
軽いセーターにジャケットをはおっただけでオッケーでした。

カスケード山脈も、てっぺんのあたりが白いだけでほとんど雪がない。青い山脈になってます。

週末にワシントン大学近くのモール、University Village に行ったら、ティファニーの前で沈丁花が満開でした。

ここのモール、いつも植栽がお洒落で感心するんだけど、沈丁花も植わってたなんて気づかなかった。しかもこんなに大量に! わりと最近植えられたのかもしれません。




ハワイにいた頃、とても恋しかった花の一つ。

でも今では、プルメリアの花とあの熱帯のもわーっとした空気が懐かしかったりしますが。勝手なものだ。

シアトルには日本の関東地方にあった園芸品種はほとんど揃ってる気がしますが、あと足りないのは、(何度も書いてますが)梅と金木犀と柚子。 金木犀が輸入されないのは不思議。


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2015/02/15

宇宙人に電話をすべきかどうかの問題


今朝のシアトルタイムス一面に、「異星人に呼びかけるべきかどうか、それが問題だ」という記事が載ってました。

いえいえ、トンデモ界隈の人びとの話ではなくて、れっきとしたメインストリーム科学者たちの議論です。

宇宙人へのメッセージといえば、故カール・セーガン博士が提唱した、惑星探査機「ボイジャー」に積まれた黄金のレコードが有名です。

地球の位置、数式、化学式、55言語での挨拶、世界各地の風景や人びとの写真、 そして地球の音楽(ベートーヴェンの第九交響曲も)を収めたこの小さなレコードのことを知って、コドモ心にどれほど衝撃を受けたことか。

科学ってなんてロマンチックなんだ!と感動したものでした。

(その割に、自分で数学や科学を勉強したいとも出来るとも、まーーーるで思わなかったのが残念)


1977年に打ち上げられたボイジャー1号は、つい2年前に太陽系を出たそうです。

いまこの瞬間にも、人間が一度も見たことのない宇宙空間をどんどん遠ざかっていくボイジャー。
いつの日か、異星人が拾い上げることがあるのかどうか。

SETI(Search for Extra-Terrestrial Intelligence、地球外知的生命探査)についてのセーガン博士の小説『CONTACT』は映画化もされましたが、ボイジャー計画から四半世紀以上たった21世紀の今も、異星人からのメッセージに耳をすませている科学者たちがいます。

この記事で紹介されてるのは、SETI Institute というNPOのDouglas Vakochさんという人。

カリフォルニア州サンノゼ郊外のGoogleの近所に本部があるこの団体では、アクティブ探査、つまり、単に送られて来るかもしれない電波に耳を傾けるだけでなく、こっちから積極的に宇宙にシグナルを送ろうという提案をしてます。

国際協力を得て、地球を代表して送るシグナルの内容にも合意を得、年間百万ドルをかけようという計画。

「積極探査をしたからってエイリアンが攻めて来る危険はありませんよ」

と、このVakochさんは言ってますが、反対している人も多いようです。

民間宇宙事業で有名なspaceXの創業者イーロン・マスクさんも反対だし、意外にもスティーブン・ホーキング博士も反対なんだそうだ。

つまり、いらないことをして悪い宇宙人が地球に攻めて来たらどうするつもりなのだ、という心配をしているのです。



 (このお面たちはシアトル美術館のアフリカの現代作家の作品で、エイリアンとは関係ありません。たぶん)。


SF作家のデヴィッド・ブリンさんは、人類を、スペイン人に滅ぼされた南アメリカの先住民になぞらえて警告してます。

「コルテスに滅ぼされたアステカ帝国みたいな目に遭わないとも限らない」

と言うのです。子孫たちをそんな目に遭わせるかもしれない真似はしないほうが良いと。

うーん。でも、たまたまシグナルを受け取った宇宙人が、おいおいこんなちょろい惑星があるぜ、征服してやろうぜ、とはるばる攻めて来るかなあ?
それだけ進んだ文明のエイリアンにとって地球の何にそれほど価値があるというのだ??
ちょっと地球と人類の価値を買いかぶりすぎなんじゃないでしょうか?

それとも宇宙にはギーガーの描いたエイリアン的な、ゴキブリが巨大化して文明を築いたみたいな、「殺。食!殺!」以外にはなにも意識を持たない生物が繁殖していて、のんきな惑星が電波を飛ばして来るのを手ぐすね引いて待ってるというのか。

まあそういうのが来ちゃったら、人類/地球の運命はそういうものでした、ということじゃないか。
 
私は、人類の好奇心をして、外に出て行かずには済まないと思います。

この記事の最後に紹介されていた、フランク・ドレイクさん(SETIの草分けで長老の天文物理学者)のコメントが素敵すぎました。

ドレイクさんはプエルトリコの電波望遠鏡から外宇宙のM13星団にむかって、1970年代にシグナルを送ったことがあります。
そのメッセージが向こうの星に届くまでにかかる時間は、2万5000年

 それを何者かが受け取る可能性は「無限に近いほど少ない」とドレイクさんは認めています。

しかも文明が存続する時間は約1万年くらいだと思われるから、メッセージを拾った異星人が来てみたら、もう人類はいなくなっているかもしれない。

じゃあなぜそんなことをするのか、という問いに、「好奇心」と答えています。

「私たちだって、古代のギリシア人やローマ人や、ソクラテスたちからのメッセージをいつも受け取っているではないですか。遥か昔にいなくなったとはいえ、彼らの言葉は今でも価値がある。
私たちは未来に向けた考古学をやろうとしているんですよ」


 

記事のおまけに「良いエイリアン」と「悪いエイリアン」の解説がありました(笑)。

良いエイリアン代表は、もちろんヨーダ師。



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2015/02/12

オキュパイドジャパンの花柄


先日グッドウィルにて発見。 乙女なデミタスカップなのだけど、裏返したら Made In Occupied Japan のマークが。

お花のカップそのものはぜんぜん趣味ではないんだけど、裏印のこのお城のマークが可愛くて、買ってしまいました。

2ドル99セントなり。

Made In Occupied Japan という表示は、第二次世界大戦の敗戦後、日本がアメリカに占領されていた昭和22年から27年(1947~52年)までの間、輸出品に明示するのが義務付けられたんだそうです(By Wikipedia)。

『3丁目の夕日』よりもさらに前、空襲の焼け跡からまだ復興真っ最中。

小津安二郎監督の『東京物語』よりもまだもうちょっと前の時代。

進駐軍のジープが走り回り、銀座の「和光」も米軍が占領していた時代に作られた乙女なカップ。

海を渡って、アメリカのどこかのお宅で使われていたもの。

模様が少し磨り減っているから、けっこう大事に何度も使われていたのじゃないかと思います。

このシアトルはバラード界隈の、1940年代かもう少し前に建てられた木造の小さなお家のカップボードにあったんじゃないかななんて、想像。




量産品ではあるし別に高価なものじゃないんですけど、なんだか親しみを感じてしまい。

そのうちエスプレッソマシンを買ったら使う予定。

ちょっと調べてみたら、楽天に記述があった。

名古屋にあった「田代商店」という製造業者のようです。創業は19世紀。
1900年のパリ万国博覧会にも多数陶磁器を出展して、昭和にはアメリカ向けに玩具のティーセットなどを輸出したが1954年に解散したようである、だそうです。

名古屋のお嬢さんだったのね。
そう言われてみれば、なんとなくこのお花模様は名古屋っぽいような(偏見)。

この後の昭和中頃に日本の家電製品を飾った花柄に、なにか通じるものがあるような気がします。





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意外なポークチョップ


ご近所Ballard のPork Chop & Co., にお昼を食べに行ってきました。

さいきんあちこちで名前をきく、わりにニューフェイスの人気店。

がっつりアメリカンなメニューが並ぶ、カジュアルなお店です。

内装もカジュアルだけど、シアトルらしくてさりげなくお洒落。
入り口のとこの壁一面、黒板になってる。

ポークチョップを店名でうたっているので、どうしてもポークチョップを食べてみたかった。

ここのとこ、重い鉄のスキレットでいろいろ焼くのに凝ってます。
アレで焼くと肉も野菜もやたらに美味しく感じるんですが、ポークチョップは難しいんですねー。

特に骨付きのやつ。うまい加減だ!と思うとまだ中が微妙に赤いし、心配して焼きすぎるとパサパサになるし。

ぜひプロの仕事を確認してみようと思い、(あまり)迷わずポークチョップを選択。


だったんですが。



あら。

やって来たポークチョップは、ディープフライでした。

衣はつけないで(たぶん小麦粉だけ?)かりっとこげ茶色に揚げてあった。

これは、 かつバーガーでは……

しかも骨つきだし。食べるのが難しかった。

中はジューシーでおいしかったです。下のバンズにしいてあるサルサ・ヴェルデはちょっとしょっぱかったけど。

サルサ・ヴェルデと豚肉は良い組み合わせだ。今度ウチでも作ってみよう。

ここはハッピーアワーもある(4時から6時)なので、また行きます。
さくさくのビスケットもおいしかったです。

月曜&火曜はお休みですよ!


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2015/02/07

イミテーション・ゲーム 心優しい人工知能





『The Imitation Game』(イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密)を観てきました。

おもしろかったです。

第二次世界大戦中、ナチスドイツが使用していた超難しくて解読は不可能と言われていた暗号「エニグマ」を解読するため、コンピュータの前身であるマシンを開発した中の人、アラン・チューリングさんのお話。

もの寂しい、美しいドラマに仕上がっていました。

以下ちょっとネタばれです。 

ベネディクト・カンバーバッチの演じる天才数学者チューリングさんは、頭は超人的に良いけれど他人のことはハナクソ同然に扱う『シャーロック』とほとんど同じ路線のキャラクターとして描かれていました。あの冷血でシャープなテレビのシャーロック・ホームズをもっと繊細にした感じ。

この映画のチューリングさん像は、人付き合いの才能がほぼ完全に欠落していると同時にきわめて繊細な神経の持ち主で、しかも同性愛者であったために後年不遇な目に遭う、孤独な人。

自分が開発したマシンに、若くして死んでしまった親友(寄宿校時代に恋心を抱いていた相手)の名前をつけて、「クリストファーは、ずいぶん賢くなって来たんだ」なんて語るような、ロマンチックなところを見せて、腐女子魂をくすぐります。

実際のチューリングさんは、もっとオープンでユーモアがあって、友人も多く、機械に名前をつけて呼ぶようなことはなかったそうですが。

同性愛が1950年代の英国では違法行為であったことは、事実。

そして、たった半世紀前にそんなことが、とちょっと今からは信じられないようですが、同性愛を治療すべき病とみなして、違反者にホルモン治療が義務付けられていたのも事実。

そしてエニグマ解読が国家機密として戦後50年間隠されていたのも事実です。

映画では、戦争が終わって10年近く経とうとしている1950年代、エニグマ解読というチューリングさん達の偉業を当然ながら何も知らないロンドンの刑事が「なんだかこの教授は怪しい。スパイじゃないのか」と、周辺を嗅ぎ回りはじめます。

そして同性愛行為で逮捕されたチューリングさんに、 いろいろ質問するのです。

その刑事にチューリングさんが答えて、エニグマ解読マシン開発の秘密を打ち明けるという形で話が進んでいきます。



話を聞いて心動かされた刑事が、マシンは人のようにモノを考えるようになるか?と質問します。

チューリングさんは、こういいます。

それは下らない質問だ。
マシンはもちろん人のようには考えることはできない。マシンは人とは違う。
マシンは人間とは違う考え方をするのだ。
興味深い質問は、こうだ。
何かがあなたと違う方法でものを考えるとしたら、それは考えていないということになるのだろうか?

 この映画に描かれた孤独なチューリングさんは、論理の通じない人間との間には心を通じさせることが出来ず、むしろ、自分が生み出した考えるマシンとの間に絆を感じているようです。

最近、特に去年ウィリアム斎藤さんのレクチャーで「技術的特異点(シンギュラリティ)」について話を聞いてからというもの、人工知能の成長具合と、マシンと人間の行く末についてとても興味を惹かれています。

ホンモノのチューリングさんは、

「機械が思考する方法がひとたび確立したならば、我らの如きひ弱な力はすぐに追い抜いて行くだろう」

と予言していたそうです。(byウィキペディア

人工知能というのは『マトリックス』に描かれたような、人間を支配するようになる底知れない恐ろしい力か、良くても冗談の通じない人のような、個性もひらめきもない味気のないもの、というイメージだったんですが、このところ、もしかして進化した人工知能は人間よりもずっと「ヒューマン」な心を持つようになるのではないかと思えてきました。

この映画でも、いじめられっ子だったチューリングが

「人はなぜ暴力に訴えると思うかね?気持ちが良いからだよ」

と同僚に言う場面があります。

本能とホルモンともろもろの身体の制約に縛られている私たち人間と違って、マシンは暴力を気持ちよいと思うことは少なくともないはずだし、自分のせせこましいエゴを満足させるために人や自分より小さなものをいじめたり、国や制度のためだと言いはって暴力手段や拷問を正当化するようなこともないはず。

人が求める愛や、ヒューマニズム、社会的平等というのが、もし、ある種の進化的な到達地点なのだとしたら、人工知能は何かの形でそれを完成させるように働くようになるのが必然、と考えることだって、できるのではないか。

人間は他者を愛することもできるけれど、残忍で、無神経で、エゴイスティックで、強欲な生きものでもあります。
でも機械には残忍さやエゴはあえてプログラムしない限り、ない。

記憶が私たちの一部であるとすれば、人工知能は人間が生み出す第二の人類、または人類のエクステンション、といえなくもない。

コンピュータの先祖であるマシンに向き合うこの映画のチューリングさんは、コンピュータの中にそんな無垢な、ちょっと天使のような存在を感じて、友情を抱いていた人として描かれていました。


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2015/02/05

ウィルソン君とヨハネによる福音書


スーパーボウルの日の朝、たまたま聖書アプリのコマーシャルがメールで来てました。

聖書アプリとは、スマートフォン用のアプリで、毎日「今日の聖句」が届いたり、少しずつ聖書を読むためのプランをおすすめしたりしてくれるもので、「You Version 」というやつです。

(私はインストールだけしてみましたが、今のとこまったく使っていません。)


スーパーボウル出場選手が出るCMがあって、うちのQB、ウィルソン君も出てるというので観てみました。


「カールおじさん」ラッセル・ウィルソン君は、敬虔なクリスチャンとしても知られてます。

このCMでも至極真面目に自分のデボーションについて話してるんですが、一番好きな聖句はヨハネによる福音書の3-30だ、というのにちょっとびっくりっていうか、心打たれてしまいました。

He must increase, then I must decrease.
(King James バージョン)。

別の版(NIV)では
He must become greater; I must become less. 

新共同訳聖書では
あの方は栄え、私は衰えねばならない。

というのがその箇所です。

これは、洗礼者ヨハネに対して弟子たちが、別の場所でイエスが洗礼を授けているので皆そちらに行ってますよ、どうしましょう、と弟子たちが言いにきたのに対して、ヨハネが言った言葉。

あの方は天から遣わされた方なのだ、だから私はそれを聞いて喜びで満たされている、自分の時は終わり、あの方が世に示される時が来たのだ、という意味です(だと思う)。

要するに、自分の力ではなく、神の力が全てなのだ、という宣言ですね。

えーと、「ペイトリオッツは栄え、シアトルは衰えねばならない」では決してありませんから、そこのところは間違えないように(笑)!
 
20代で目立たない控えのポジションから急に表舞台に立って注目を集め、あれよあれよという間にスーパーボウルの晴れ舞台にまで行き(去年)、やすやすと勝ってしまって、またそれ以上の活躍を期待されているこの青年。名声と責任をどれほど重く感じているかが伝わって来る気がして胸を打たれてしまいました。

 一見世界の頂点に立ってるようなこの真面目な男の子が、このようにシンプルな言葉を深くリアルなものとして受け止め、日々の支えにして心の危機を切り抜けているんだと思うと、おばちゃんぐっと来てしまいます。

でもなぜよりによってスーパーボウルの前にこの聖句、と思わないでもなかったんですがW

ほんとうに真面目な人なんですねえ。どんだけ大変なんだろう。

19世紀に哲人は神を殺してしまったつもりでいたけれど、彼らは自分の目が見たものしか、理解できていない。

祈る人がある限り、神は生きてそこにある。それは本当に紛れもなく現実なんです。

信仰を持つ人と持たない人の世界は、どちらも紛れもなく現実なのだけれど、2つ同じ場所に存在しながら違う地平に所属している。

片方から見ると片方がどうしても偽物でなければならないので、困ったことになるのですね。

それはともかく、 ウィルソン君、がんばれー。



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2015/02/02

フットボールの魔物


スーパーボウルの日。
息子はとある観戦パーティーにお呼ばれして、ガールフレンドといっしょにバスでダウンタウンへでかけていきました。
89番、ワカモレ製作中の図。

わたしはいろいろやることが片付け切れず、第1クオーターが終わったところでやっと家をでて、クルマで5分のCTちゃんちへ。

日曜日の午後4時すぎ。
道路には人影がまるでなし。本当に「人っ子一人いない」 ってこのこと。ゾンビ映画でゾンビ菌にやられて無人になった町のようでした。

車道にもクルマはまばら。
しずまりかえった町を急いで、ワカモレ持ってCT家へ。
 


カンファレンス決勝戦よりももっと落ち着いて観られるかと思ったんだけど、最終クオーターの残り数分はもう生きた心地がしないとは、このこと、みたいな心地になりますねぇ。やっぱり。





そして。


何このドラマ。

さすが、シーホークス、負け方もドラマチックすぎ。

最後の2分間、前回の試合にも勝る大波乱でございましたね。

逆転されて残り2分を切って、オフェンスの最初の数プレイで小気味良く(リンチへの素晴らしいパス&キャッチと、あのUW出身カース君の奇跡のようなお手玉的キャッチのあと)ゴールライン目の前に来て、さああと残り1分未満、これはもう絶対勝つよね。

もう間違いないよね。

とシアトル中がバンザイの用意をした瞬間。

…という場面でまさかあのようなことが起こるとは。

サッカーもだけど、フットボールの試合終了前2分とかのフィールドには、通常の世界にはあり得ない、なにか異常な力がみなぎっています。

ほとんど生き死ににかかわるような殺気。

魔物が飛んでいる。
または天使。立場によって、見方も変わる。


いやいやあれは、ただ単に悪い采配だよと友人は言ってましたけど。しかしそれにしても、NFL史上に残る、あまりにも惜しい負け方だったのではないだろうか。

帰りに外に出ると、道がまるで朝の渋滞のように混んでました。

みんな、あのあとではそそくさと家路を目指すしかなかったんでしょう。

勝ってたらきっと皆もう少し残って祝杯を上げたり花火を上げたりしただろうから、これほど一度に道が混むことはなかったはず。

あのコールはないよな!首にしろオフェンスコーディネーター!という話で月曜の朝はもちきりなことでしょうが、この晩の帰り道、シアトル中の人が同じようにがっくりしてるんだと思うと、それはそれでなんだか不思議に心あたたまるような、しみじみとした感慨がありました。

ほんとに良い試合を見せてくれたなあ、と思います。

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