2014/08/14

風琴と魚の町


バスで瀬戸内海をわたって、いつのまにか尾道の町なかについてました。
窓の外に見える町の風景にのっけからひとりで興奮。うわー。坂道が。うわー、瓦屋根が。うわー、おばあさんが。素敵すぐる。

駅について荷物をロッカーにいれて、新幹線の時間まで約4時間弱。よし、歩く準備万端。

「ここはええところじゃ、駅へ降りた時から、気持ちが、ほんまによかった。ここは何ちゅうてな?」
「尾の道よ、言うてみい」
「おのみち、か?」
「海も山も近い、ええところじゃ」 (『風琴と魚の町』、林芙美子)


なにも前知識を仕入れていなかったので、とりあえず駅前の「リトルマーメイド」でパンを買って食べながら、海沿いをてくてく商店街方面へ。 


商店街の入り口に、いきなり林芙美子記念館がありました。


入館無料。ここは林芙美子が高校に上がるまで1年ほど住んだ家だということです。
1階も2階も一間きりの、ごく狭い家。



この2階、はしごのような階段で上がれることは上がれるのだけど、土台が歪んでるっぽくて「壁に手をつかないでください」なんて注意書きがあって、はなはだ心もとない。

後で歩いた坂道の上にも、いまにも崩れそうな家々がたくさんありました。




商店街出口にある芙美子像。うしろにでかでかと「金券」だの派手に破けたままの看板だのがあるところが、いかにも似つかわしい。



商店街は七夕でした。

昭和のどこかで時が止まったかのような、うすら寂しくて活気のあまりない、懐かしい商店街ではあるのだけれど、ところどころに目をひくオシャレな店がある。


たとえば「パン屋航路」という新しそうなベーカリー。東京の真ん中にありそうな清潔でさっぱりした店。

しまった、リトルマーメイドでパンを買ってしまった、と思いながらもここでもソーセージパンを買う。




それから、30代くらいのキュートな奥さんがお店をきりもりしていた焙煎コーヒー豆の店。
アイスコーヒーをここで買いました。


このほかにも、カフェやベーカリーがいくつか。


そうして、看板の出ていた「あなごのねどこ」というゲストハウス。
わー面白そう、と思ったけどこの日は時間がなく、帰ってから調べてみると「尾道空き家再生プロジェクトの再生物件のひとつです」とのこと。ドミトリー式で宿泊料金3000円、だそうです。
次回ここ!

尾道もやっぱり高齢化が進んでいて、空き家が多くなっているらしい。
商店街も歯のぬけたようにシャッターがしまっているお店も。

尾道が好きな若い人が外からやってきて地域を活性化しようとしてる。


難しそうだけど、がんばれ尾道ー。

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2014/08/13

しまなみ海道とピュージェット湾



道後温泉で美女二人に別れて、瀬戸内海をわたって尾道へ行きました。


今治までは海沿いの電車。


今治駅には実物大(?)のバリィさんがいた。わたしはこの人の存在も松山に行くまで知らなくて、M嬢と土産物屋のおばさんに呆れられてしまいました。

いまや全国区で大活躍中のゆるキャラ☆キング。人気のゆるキャラってみんなシンプルな顔してますね。


瀬戸内海をわたる「しまなみ海道」をJRバスを乗り継いで尾道へ。

瀬戸内海をちゃんと見たのは今回がほぼ初めてなのですが、瀬戸内海ってきっとシアトルのあるピュージェット湾に絶対似てるはず、と前から思ってたのです。

だって内海で島がてんてんとある地形がそっくり。やっぱり風景は似てました。


みかんの木がたくさんあるのと、きれいな瓦葺き屋根の家々を別にすれば。

バスの乗客はみんな地元のおばちゃんばかりでした。



バス乗り場で買った、中国地方限定版ジョージア「ぶち」。「甘味しっかり、ぶちウマ!」砂糖の含有量が多いらしい。






ここでバス乗り換え。このあたりの島に伊東豊雄の美術館があるのですが、この日は月曜で休館。
直島にも一度行ってみたいし、瀬戸内、そのうちゆっくり再訪してみたいです。

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道後やや


道後温泉で泊まったホテル「道後やや」がすごく良かった!

温泉町の旅館ですが、温泉がついてない。お部屋には広々したバスタブつきのお風呂はついてますが、温泉じゃない。
温泉は徒歩数分の「道後温泉 本館」に行けばよいという、道後温泉ならではの(多分ほかの温泉地では考えられないですよね)、とても合理的な考え方のホテル。そのぶん、お値段はリーズナブルでした。



なにが良かったって、朝食ブッフェ。さすがポンジュースのふるさとだけあって、みかんをいれるとジュースがでてくるジュース製造機から、地元産の野菜がたっぷりの健康ブレックファスト。


ほんとうにやる気のない写真で申し訳ありません。食べるのに忙しかったんですー。

産地の農園の名前も記された野菜が何十種も並ぶサラダバーに、いろんな種類の地元柑橘類がならぶみかんバー。


御飯におかゆも2種類。地元産の伊予の味噌をつかった激うま味噌汁、煮物、きんぴら。
こんな朝食の店が近所にあったら週に一度は通っちゃう。


そして朝食の器も、地元の陶芸家さんの作品がたくさん使われてました。可愛い。

ここは「伊織」と同じ若い人の経営なのだそうで、隅々にまで気合が入ってます。
客室は狭いのだけど、清潔で、すっきりしたモダンな和のデザインなので、狭さを感じさせない。



道後温泉本館や、もう一件ある銭湯式お風呂に行くときには、「タオルバー」でタオルを借りていけます。もちろんぜんぶ、今治タオル。


浴衣のデザインもかわいい。外出用に用意されてる下駄とおでかけバッグもかわいかったです。


いいツボをおさえられまくりのホテルでした。


その隣にあった民家は、とても雰囲気があるおうち。サザエさんちみたい。


二泊めは少し離れた東道後のホテル「そらともり」に宿泊。こちらは館内にいろんな温泉があって、部屋にも半露天風呂がついているという温泉フィットネスリゾート。

ここの温泉めぐりも楽しかったけど、ここはカレシと来るところだねえ、と意見が一致。

とはいえ、 女同士での来し方行く末の話も、とても楽しかったのです。


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2014/08/12

ラーメンじゃないほうの山頭火 猫に御飯を食べられる


今シアトルで「山頭火」って言ったら、きっと10人中8人くらいまでが「ラーメン食べた?どうだった?」っていいますよねきっと。

ベルビューにできたラーメン屋さんには、まだ行ってません。行きたいけど。

こちらはほんものの種田山頭火さんの話です。

道後温泉ツアーのコンダクター、マダムNが、山頭火終焉の地、一草庵に、思いがけなくも連れていってくださいました。

山頭火が松山で亡くなったのは知りませんでした。



山頭火が最後の日々を過ごした一草庵は、今では地元のボランティアの方々が守り、訪ねる人にいろいろと話を聴かせてくれます。
 
山頭火が松山に来た時には、長年の深酒ですでにもうどうしようもないほど体を壊していて、死に場所を探しに来たのだといいます。それよりさかのぼること10年以上前、僧籍に入ったすぐ後のころに四国巡礼の途上で立ち寄った松山の人の温かさに惹かれたのだとか。



10歳のとき、母親が井戸に身を投げて死んだのを見てしまったという山頭火。

山口の裕福な造り酒屋に生まれたものの、成人する頃には家は傾き始めていて、以降はまったくお金に縁のない生涯だったようです。

 妻子とも別れ、40代で出家して放浪の俳人となり、それから58歳で亡くなるまでの間、托鉢をしたり友人の世話になったりしながら自由律俳句だけに生きた人。




そんな山頭火にふさわしい質素な小さな位牌が、素朴な仏壇に置かれています。

ボランティアの方が家から採ってきたという若い梨の実が供えられていました。

この草庵を守るボランティアのおばさま方が、さくらんぼとトマトとお茶でもてなしてくれました。


「うしろ姿のしぐれてゆくか」

山頭火は近年、1990年代以降に急に人気が高まって来たようです。

松山の「山頭火クラブ」のブログで紹介されていたNHKの番組では、「山頭火の句に救われた」という人が多く紹介されていて驚きました。

まわりにひどい迷惑ばかりかけながらも自分の道を求め続けた、自由さ。余裕があっての自由ではなく、あまりにも不器用で他の生き方ができないような人だったようです。

しかも自由律という形式を選び、縛られない言葉という縛りを自分に与えて、観想を渾身の真摯さをもって書き留めた、素朴な句を生んだ。

「分け入つても分け入つても青い山」
「鴉啼いてわたしも一人」
「私ひとりでうららかに木の葉ちるかな」


本当にこの人はきつい道を歩んだのだな、というのが句を読んでいると伝わってくる。

人生棒に振って救いを求めずにいられなかったその荷の重さと、句にあらわれている、ふと雲の上に出てしまったような、すべてがふっきれたような、一瞬の明るい静かな境地が、思い悩んでいる現代の多くの人の共感を呼ぶのでしょう。

種田さん、俳句つくってなかったら単にアル中の駄目な人ですから。

一草庵の入り口に展示されている山頭火年表の最後のほうに

十月二日 犬に餅を貰う
十月五日 猫に御飯を食べられる
十月六日 猫の食い残しを食べる

という記述がありました…。

猫とご飯を分け合ったその数日後、泥酔したまま布団にはいって帰らぬ人になったそうです。

この人も、周りの人が放っておけなくなってしまう、憎めない人だったのだろうなあ、と思います。


訪問者が来やすいように間取りを変えたものの、あとはほとんど当時のままだという庵はとても居心地がよくて、つい長居をしてしまいました。

綺麗な風が通る縁側。
 

松山は俳句の町。あちこちに「俳句ポスト」があって、だれでも投句ができるようになってます。




マダムNとM嬢と3人、すっかり草庵でくつろいで、お茶をいただきながら即席句会を開きました。


「たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと」
 というのは、山頭火が最晩年に詠んだ句。

やはり母の自殺によって子どもの頃に受けた傷を癒やすことはできなかったのかもしれません。

仏門に入りながら悩みっぱなし。

本当に突っ込みどころの満載な人ですが、子どものようにひたむきな、希有なすがすがしさのある人、だったのではないかと思います。


日本が太平洋戦争に突入する直前に亡くなっているんですね。まだのどかさの残る頃に、のどかな松山の地で心やさしい人びと(や犬猫)に見守られて、最後まで自分の道を真っすぐ追求できた、幸せな生涯だったのではないでしょうか。

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2014/08/11

ヘキゴトウと伊織



松山城ロープウェイ/リフト乗り場の建物のなかに、井上雅彦ふう劇画調の壁画で松山出身の有名人たちが描かれてるんですが、『坂の上の雲』で有名な秋山兄弟や子規と共に描かれていた河東碧梧桐がなんだか異常にカッコ良かったので思わずぱちり。

ヘキゴトーって、名前の響きも強そうですよね。

子規亡きあとの俳句対決では、同郷の虚子に結局負けてしまった彼ですが。

秋山兄弟ももちろんカッコ良く描かれてました。撮ってくればよかった。 


このロープウェイのりばの隣にあるショップ「伊織」は、近郊の今治(「いまばり」って読むの、松山に行くまで実は知らなかった…)の、佐藤可士和さんデザインのマークつきで全国的に有名になった今治タオル製品をたくさん扱ってます。

道後温泉の商店街にもお店があったけど、こっちのお店は松山の名産品もあり。
いろいろ魅力的だったけど、とりあえずお味噌を買いました。うまー。


このお店も中川政七商店同様、痛いところをついてくる。なぜこんなにタオルとか手ぬぐいに弱いんだろう。

今治タオル、いま日本ですごい人気ですね。

実は東京のデパートでも今治タオルのコーナーを見かけて、すでにそこでハンカチを何枚か買ってしまっていたので、もうタオルはいいやと思っていたのですが、やはり素通りができず。オミヤゲと、顔洗う時用のターバンを買いました。肌触りが最高でしっかりしていて使いやすいです。

上質タオルだけでなく、バス用品やタオル地のスカーフなんかも揃えてて、つけたしやなんちゃってじゃなくて徹底したデザイン指向が心地良いお店です。




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松山城



道後温泉に並ぶ松山市の名所といえば、松山城。

お城の山がそっくり公園になってます。
町を見晴らす小山の上に天守閣があり、それを取り巻いていくつもの櫓と石垣がある、きれいなお城でした。


天守閣は天明4年、1784年にいちどカミナリが落ちて焼けてしまったのを、その40年後に再建工事を始め、20年以上かけて建てたのが現存してます。 

ほかの建物は、明治の廃藩直後に焼失したり、太平洋戦争の空襲で焼けてしまったりして、昭和になってから復元したもの。



お城にカミナリが落ちて火事になった時には大ショックだったでしょうね。

天守閣なしの時代が37年も続き、藩主も代替わりしてから再建の大工事が始まりますが、その藩主が途中で亡くなったこともあり、着工後16年で途中で頓挫。

そのまた10年くらいたってから、次の藩主が工事を再開させて、やっと完成したんだそうです。


その工事の際に誰かが描いた「侍の似顔絵」が展示されてました。壁板の裏に描かれていたのが発見されたらしい。なかなか上手ですよね。 マンガっぽい。工事の指揮を任されていた奉行ではないかということですが、イケメンなお侍さんです。



きれいな曲線の石垣です。

建物がすべて当時のままに木造で復元されているので、お侍さんがゾロゾロ歩いていた城内の様子を思い浮かべることができます。


瓦屋根の色と形が綺麗。



天守閣からは、松山の街並みと瀬戸内海が見えます。

そしてしゃちほこが。


風情のある町の風情あるお城公園でした。





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