2013/12/22

ねこライフ


ただいま、湖の反対側に、ねこシッターに来ています。

靴ひもが大好きで超びびりの、プリンスりんちゃん。

  

性格はツンデレのたま姫。怖い顔をされていらっしゃいますが、意外とこれでのんびりした方です。


プリンス・シンタロウくん。この子は耳がきこえないせいか、性格が子猫のままみたい。
人のそばが大好きで、私が仕事をしている横の椅子で、だいたい1日12時間くらい寝ておられる。



んぎゃー!こんなクリーチャーが何かの映画にいませんでしたっけ。




ねこライフはやっぱりいいなあ。いつでももふもふできる方がこんな顔して隣に寝ているだけで、ストレスレベルが30ポイントくらい一気に下がる気がする。




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2013/12/21

初雪


昨日の夜から今朝にかけて、シアトル市内とピュージェット湾地域にこの冬初めての雪が降りました。

積もったのはほんの3センチくらい。

でも市内の公立小中高は2時間遅れのスタートと、超慎重な対応でした。


交通が完全に麻痺して帰宅できない人が大量に発生した2010年の大混乱を二度と起こすまじ。と、行政がものすごく慎重になってるのでしょう。あのときは本当にひどかった。

去年の冬は町に雪が降らなかったので、このくらいの雪はウェルカムな感じ。

特に、まだまだ家で引きこもり仕事の日が続くので、本心では雪、どんどんいらっしゃーい、なのですが……通勤の方には大変もうしわけありません。

ダウンタウンに通勤していた2012年の1月にも大雪が降って、スノーブーツを履いて、じゃらじゃらとチェーンをつけたバスに乗ってほとんど人通りのない町へ仕事に出ていったのだった。
あれもけっこう楽しかったです。



今日の雪は、午後には消えてしまいました。

これはCTちゃんがクリスマスにくれた、となかい小屋のオーナメント。
今年もツリーはなしですが、少しだけクリスマスの気分。


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2013/12/18

『マッドメン』の60年代と開高健の東京




うちにはテレビがありません。

なのでテレビ番組はシーズン遅れとか数年遅れにて、いつもNetflix で、ときにはまとめて「ビンジ」視聴

夜、仕事も片付けものも終わってから、1話ずつ Netflix で見るのが最近日課です。

Netflix は親切にもどんどん次のエピソードを自動的に流してくれちゃうので、気を許しているとつい大夜更かしをしてしまいそうになるのが恐ろしいところ。

『Breaking Bad』を見終わってしまったこのごろ、(最後の8話分はまだNetflix で公開されてないので、ウォルトの運命はまだ知りません)はまっているのが『Mad Men』。

日本では『マッドメン』としてフジとケーブル局で放映されてるようですね。


 60年代のマンハッタン、マディソン街の広告会社が舞台のドラマで、クライアントとの駆け引きや微妙な人間関係がたんたんと続いていくドラマ。

出てくる人物はそれぞれグラマラスで尊大で魅力的で、みんなどこかが徹底的に壊れている。

ドラマそのもののストーリーはトーンが抑えられていて、むしろ地味なくらいゆっくり展開するのだけど、時代背景が刺激的。

こんなんだったんだ、60年代」と、追体験できる、そしてその時代を現代の視点から見てみることができるのが、このドラマの最大の楽しみ。


時代考証に異常なほどの労力を割いているそうで、小物や家具、衣服はもちろん、お天気がどうだったかまで文献にあたって確認してるんだそうだ。

女の子たちの着てるコートやワンピースがめちゃめちゃ可愛い。
時代が進むにつれ、オフィス家具にイームズやネルソンが登場したり、役員オフィスがすっかり未来的なデザインになったり。
キッチンにはもちろん、今ではビンテージのパイレックスが。

ファッションと家具を見るだけでもけっこう楽しいのだけど、このドラマで「当たり前」の前提として強調されてる60年代の日常が、すごい。

会社でも、家庭でも、映画館でもレストランでも、もちろん飛行機の中でも、ひっきりなしにタバコを吸い続ける人びと。

妊婦もママも、赤ちゃんを抱えて、または子どもがテーブルについているその隣で、きれいに口紅をひいた唇にタバコを挟んでプカ~。

窓際のドアのある個室のオフィスで仕事をするのはメンズのみ。

女子は皆、タイプライターを前に広いフロアやボスの個室の前に控えるセクレタリー。
メンズは何の遠慮もなく「女の子」たちを品定めし、セクハラ発言をする。

同じビルで働く有色人種は、制服を着たエレベーター係の黒人青年のみ。
スーツにネクタイの白人広告マンたちの、まったくセンシティビティのない発言を、苦笑さえできずに聞きながす。
南部で爆発していた公民権運動に対する、KKKによる教会襲撃などの暴力をテレビの画面で見ながら、白人主婦は黒人家政婦に「公民権運動って、問題を起こすばかりね」みたいなことをさらっと言う。


1960年から始まって、少しずつ時代が進んでくのもドキドキする。

マリリンが死に、ケネディ暗殺が起こり、今見てるシーズン4ではジョンソン大統領が選挙を戦ってる。これからベトナムが泥沼にはまっていくのだー。

ところで先日、20年ぶりくらいに読み返した開高健の『ロマネ・コンティ一九三五年』のなかの『黄昏の力』に、こんな描写があった。

小さなモルタル張り木造二階建の二階の一隅で、毎日、ハイボールやオン・ザ・ロックの宣伝文を書きまくっていたのだが、誰かが歩くと床板がギシギシ音をたて、階段を速足でかけおりるものがあると、家全体にひびいて、部屋がゆれるのだった。家のまえは運河になっていて、団平舟がギッシリとつまって黒い水を蔽い、夕方になるとエプロン姿の肥ったおかみさんたちが舳にしゃがんでフンドシやズロースなどの洗濯物の下で七輪に火をおこすのが見えた。それが上げ潮どきとあうと、東京湾から真っ黒の水がおしよせてきて、ひどいどぶの匂いがたちこめる。腐って、ねびて、ねとねとからみつく、工場と海の嘔吐物といいたくなる匂いである。」

「名刺屋、オートバイ屋、ラーメン屋、下駄屋などがごたごたとひしめくなかで支店は入口のガラス扉に金粉で《世界の名酒》と書いている。 階下のトイレから階段をつたい歩きして消毒液の匂いがやってくることもしばしばだったが、そんななかで明けても暮れても『この一滴の琥珀の讃仰!』とか、『暮春に拍手がある!』とか、『コップの中の輝く嵐』など、新聞、週刊誌、月刊誌のために右から左へ書きまくる。」

「正午になるとオデン屋のラッパを聞きつけて階段をおりていく。そして名刺屋の娘さんやオートバイ屋のおかみさんなどが鍋を片手に群がっているなかにわりこんで、一本十円のツミレやアオヤギなど、どの串にいちばんダシがしみているかと、ちょっと夢中になって吟味する。毎日毎日時計のようにどれもこれも同じ味なのだが、ツミレがいつもはイワシの団子なのにときたまアジをたたいて作ってあったりすると、驚喜した」

開高健さんがサントリーの前身「壽屋 」のコピーライターだったのは1950年代なかばから数年間だから、これは『Mad Men』の時代よりは数年前ではあるけれど、同じ広告屋さんを描いていながら、この時代の東京とニューヨークの落差のすさまじさに、目がしぱしぱする。

この短編の中でも、もしニューヨークのコピーライターで同じくらいの実績をあげていたら、少なくともマンハッタンのペントハウスとマイアミに別荘が1軒くらいは持っているはず、と遠い目になる場面がある。

日本が戦争に負けて、まだ10年そこそこ、焼け跡から復興しつつあった時代の貧しさと侘びしさが、この『黄昏の力』にはたっぷりと描き込まれてて、迫力。
この人の文章はほんとに凄みがある。



50年代、『3丁目の夕日』の時代、焼け跡から再生しようとしていた日本からは、アメリカは途方もなく遠い目標であったはず。

それから60年後には、東京にもマンハッタン以上に洗練された高層ビルが立ち並び、日本のワカモノはもう海外に興味すら失っている。

『マッドメン』の栄光の60年代には、主人公の暗い少年時代の記憶として、大恐慌の30年代がときどき出てくる。アメリカだって、1世代前にはとんでもなく貧しかったのだった。

アメリカも日本も、半世紀かけて全く違う国になって行ったんですね。

現在の状態が当たり前だと思ってしまっているけれど、どっちの国の豊かさも多様性も、ほんのここ数十年の現象でしかないんだということを、『マッドメン』を見てると思い出すことができます。



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2013/12/16

シアトル酋長のお墓


先日、スクアミッシュ博物館のことを書いてて思い出しました。

去年の夏にも、スクアミッシュの居留地、ポート・マディソンにあるシアトル酋長のお墓に行ったのだった。まだ博物館の新館が出来るちょっと前でした。


湾から坂道をのぼった上にあるちんまりと可愛らしい木造の教会の裏手に、芝生の墓地があります。
 

シアトル酋長は、カソリックの洗礼を受けて、「ノア」という洗礼名をもらっていました。

亡くなったのは、居留地を制定した条約から10年後、80才のとき。



博物館のとこで書いたような事情で居留地ポート・マディソンの人口の半分以上は白人で、人種的な緊張もけっこうあったらしい。

シアトル酋長のお墓が、心ないヘイトクライムで荒らされたこともあったといいます。

ポート・マディソンでは20世紀初頭から毎年8月にシアトル酋長の名を冠した3日間のお祭り、「Chief Seattle Days」が開催されてるそうです。

シアトルからのフェリーが開通したと同時に始まったフェスティバル。
シアトル酋長の名にはやはり、人を結びつける力があるのでしょう。



こちらは居留地から大きな戦争に出征して戦死したネイティブ住民兵士のメモリアル。

第一次大戦の時にも、市民権さえないのに召集されてヨーロッパ戦線で亡くなったスクアミッシュの兵士がいました。



19世紀に焼かれてなくなった「オールドマンハウス」を模したコミュニティセンター。




部族の漁などのために新しく作られた波止場。



スクアミッシュだけではなく、ネイティブ部族の数少ない収入源の一つとなっているのはカジノ。ベインブリッジ島からキトサップ半島への橋をわたってすぐのとこにあるのがこの大きなカジノで、ここを右に折れるとポート・マディソンの小さな町があります。


 昔「オールドマンハウス」があったあたりの風景。ほんとにのどかな、小さな港なのです。


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2013/12/10

ワールドマーケットのタバスコチョコ


「World Market」に初めて行ってみました。

Pier One + Trader Joe's ÷ ダイソー

て感じ。

食料品も多くてごちゃごちゃしてて楽しかった。そして見つけた、タバスコチョコ。

4ドルは高い。でもこのパッケージ。
チョコ好き、タバスコ好きとしては、見過ごすわけにはいかない。

タバスコだけに、辛いことは辛い。でも目から火が出るような辛さではありませんでした。 じわじわ来る。Theo's の唐辛子チョコよりやや辛いかも、というくらい。

午後の死ぬほど眠い時間の目覚ましに、と思ったけど効き目はほんの一瞬でした。


これは買いませんでした。スパイシーてりやきソース。
 タバスコ、いろいろやってますね。



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PONDZU WORDS BOOK  (1 of 1)



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2013/12/08

ベインブリッジ・フェリー


フェリー大好き。 

 前回記事のスクアミッシュ博物館に行ったときも、土曜日がポンと1日急に空いたので、これ幸いとフェリーでベインブリッジへ。 

ていうか、あれはもう、先月9日のことだった!ひと月前だった。

ソイソースが出るのと同じくらいに記事アップしようと思いつつ、あっぷあっぷで(うっ誰もきっと分かってくれない昭和のオヤジギャグが…)首が回らないうちに、はっと気づくといつの間にか、世間は師走 。



シアトルのダウンタウンからひょっと車でフェリーに乗り入れると、ふいに湾の上に出られる気軽さが好き。

片道1台13ドル55セント、けっこう高いですけど。


11月のピュージェット湾も寒々しかったです。

「赤い蠟燭と人魚」の海のようだ。人買いが来そうな海。

残念ながらオルカは出迎えてはくれなかった。

でもほぼ100%の確率で、ブイのとこにアザラシがいつも寝ているのは見られます。


この日はあまりに寒いので、車の中から出なかった。バックミラーに寒い海。


 自転車で渡る人もおられる。



鏡の海を横切る貨物船。

何十年か前は、フェリーって徒歩の乗客は一度乗ったらずっと乗っててもよかったんだそうです。静かだから試験勉強はフェリーの上で湾を往復しながらやってたなんていう人もいた。



これは夏の日のフェリー客室。たしかにこの環境は読書には最適。オーシャンフロントじゃなくて、オーシャントップ? だし、広いし空いてるし、寝そべってもいいし。


ああこの日ざしが懐かしいー。
今日はシアトル、マイナス8度〜!  いつの間に、世間はこんな厳しい寒さに。めまぐるしい師走。



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2013/12/07

スクアミッシュ博物館 



 Suquamish Museum (スクアミッシュ博物館)に行こうと思ったのは、Seattle Times に載ったオルカの記事をみたからだった。(先月のソイソース記事でも紹介しました。)

ワシントン大のBurke Museum(バーク博物館)に保管されていたSuquamish(スクアミッシュ)部族の遺物500点ほどが、部族が運営する新しいミュージアムに返還されることになって、ピュージェット湾を隔てたシアトルの町からその遺物を載せたフェリーがスクアミッシュの居留地に近いベインブリッジに近づいた時、どこからともなくフェリーをオルカの群れが出迎えた、という記事

3ダース近い群れが現れたって。

フェリーには何度も乗ってるけど、オルカなんかそうそう見られるものじゃない。アザラシなら見たことあるけど、オルカなんか一度も見たことがない。

ピュージェット湾に住んでいる群れがいくつかあって、そのうちの2つだったと記事にはあった。

オルカ出現の時、たまたま別の用事で同じフェリーに乗り合わせていた部族の長老は、
「We believe the orcas took a little break from their fishing to swim by the ferry, to basically put a blessing on what we were on that day.

(オルカたちは漁をちょっと休んで、フェリーに祝福に来てくれたんでしょうね)」

と言っていた、という。

先祖の遺物を運んできた船をそんなにたくさんのオルカが出迎えるなんて、これは部族の人にとってはどれほど嬉しい祝福だっただろう。


 
スクアミッシュは、ベインブリッジ島とキトサップ半島に挟まれたせまい Agate 水道に面したあたり、白人がポート・マディソンと名づけた地域に集落を持っていた部族。


ここです。

ちょうど、バラードのちょっと北、ブロードビューのあたりからまっすぐに湾を横切ってキトサップ半島につきあたったあたり。

シアトルに名を残したシアトル酋長の父方の部族が、スクアミッシュ。

シアトル酋長の母方の部族は、その対岸、今のシアトルダウンタウンの南からワシントン湖、サマミッシュ湖のほうまで勢力が広がっていたというDuwamish(ドゥワミッシュ)族だった。



19世紀半ばに白人の政府が「テリトリー」の総督を送って来て、この辺一帯のインディアンに、白人の使いたい土地を明け渡して平和裏に居留地に移れ、そのかわりに無料の医療や教育やその他いろいろ文明的な援助をしてあげましょう、という条約を交わそうとした。

その時に、ドゥワミッシュとスクアミッシュを両方代表していたシアトル酋長が語ったというのが、有名なシアトル酋長のスピーチだった。

この2部族は戦わずに合衆国政府の差し出す条件を呑んだのだけど、大規模ではないけれど戦争を選んだ部族もあった。…もちろん、あっという間に殲滅された。シアトル酋長は、その運命をよく理解していた。

全滅か、白人に土地を明け渡して細々と生き延びるか。ほかには選択肢がなかった。

戦おうにも、ほかの大陸からもたらされた疫病で、数十年のうちに人口激減していた。

博物館の展示では、このへんのSalish 言語を話す部族は18世紀末には200万人いたのが、 1855年には7000人か8000人になっていた、と説明されていた。 285分の1だ。

何度聞いても、とにかくその人口激減のすさまじさに、愕然としてしまう。
 
スクアミッシュの部族の土地には幸いまだ白人が町を建てようとしていなかったので、祖先が代々住んできた土地を追われずに済んだ。これは18世紀から19世紀にかけて徹底的に土地を追われたアメリカインディアン史上、非常に珍しいケースじゃないかと思う。

ドゥワミッシュの人々はそんなにラッキーではなく、スクアミッシュの土地へ行って一緒に住めと命じられた。

スクアミッシュの部族も、めでたしめでたしで終わったわけではなくて、合衆国政府が約束したはずの補償は結局期待したほど得られず、「家族単位で小さな家に住み、土地を耕す」というアメリカンスタンダードな生活を押し付けられて、それに馴染めないというかきっと理解できなかっただろう家族が、次々にせっかくの土地を手放してしまい、居留地が目減りしていくという現象も起きたという。

町から近いウォーターフロントの地面をデベロッパーが放っておくはずはなかったのだった。

しかも19世紀の「無料の教育」というのは、「同化」の強制を意味していた。
アイヌの人もハワイの人も同じ時代同じような目にあった。

祖先から受け継いだ言葉も文化も、「未開で野蛮」とひとくくりにされて、いけないものとして禁止されてしまう。

スクアミッシュの子どもたちは、ほかのインディアン部族同様、遠い寄宿舎に送られて、アメリカンな文明生活を身につけることを最上として教育された。

ノースウェストのネイティブ部族の社会には「ロングハウス」という、そのまんまだけど「長い家」というのが中心的な役割を果たしていたという。

スクアミッシュの人たちの村にも、水辺にOldman House と呼ばれた巨大な集合住宅兼集会所があって、近隣でも有名だったらしい。
さしわたし、60メートルもある長い家だったと記録されている。

これが、条約締結から10年か20年後、アメリカ政府の手で焼き払われてしまった。

「オールドマンハウス」に住みついて昔ながらの生活様式を捨てようとしない住民に、白人の役人たちはイライラしていたようだ。

ワシントン大学に保管されていて、今回このミュージアムに還ってきたというのは、その焼けたオールドマンハウス跡で1960年代に発掘された遺物。


 このミュージアムも、ちょっとその「ロングハウス」を模したかんじのデザインだった。

スクアミッシュ部族は90年代以降にカジノを建設し、おそらく主にその収益で、オールドマンハウスのあったあたりに、去年、昔の様式を模した近代的なコミュニティセンターを建てた。


このミュージアムも80年代に建った旧館から去年、この新しい建物に引っ越した。

展示もタブレットで立体的。

デザインも最先端で、ほんとにちっちゃいけど、気概を感じる博物館です。



工芸品の籠がとっても素敵。



カヌーをかつぐスクアミッシュの人々の像。手前が現在の人たち、真ん中が昔の人たち(先祖)、そして最後が「かわうそ」。


かわうそ君。

いにしえの万物はすべて自由に姿を変えられた、というのがスクアミッシュの人たちの信仰だったそうです。だから、カワウソは「太古の、始まりの時の人」を代表してカヌーをかついでいるのだそうだ。

奥のほうに見えている年表の展示は、レッドシダー(米杉)の板に印刷してある。

レッドシダーはこのへんの住民にとって、なくてはならない貴重なマテリアルだった。
もちろんロングハウスだってカヌーだってレッドシダー製だし、



服も出来たのだった。

レッドシダーの木の皮を何時間も気長に叩いて、赤ちゃんのおむつにもなる、ガーゼのような柔らかい布も作ったという。


スクアミッシュ博物館、祝日以外は今のところ年中無休です。「来年はちょっと変わるかもしれないけど」と、受付嬢かと思ったらディレクターだったJanetさんが言ってました。

開館時間、入館料などはこちら

シアトルから来た遺物たちは、来年夏ごろに展示にお目見えの予定だそうです。





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