2012/10/16

Where the Wild Things Are 野生動物たちのいるところ <イエローストーン国立公園 1>



イエローストーン国立公園には、東西南北と北東の5つの入口があります。
8月の末の旅行では、わたしたちはベアトゥース峠を越えて北東のSilver Gate 入口から入りました。

ゲートを入るとまもなく、Lamar Valleyという盆地のような場所に出ます。ここが野生動物の一番多いところだときいていたのですが、さっそく、いたいた。


 最初の一頭との遭遇は「おおっ」と思うけれど、だんだんと見慣れてくるバッファロー。

 その昔、大草原を埋め尽くして移動していたという大群を見てみたかった。


国立公園制定以来、保護されているので、少しも人を恐れない野牛たちです。クマとオオカミには100ヤード(約91メートル)以上、それ以外の野生動物からは25ヤード(約23メートル)以上の距離をとるように、入園者はくりかえし厳重に注意されます。

だからバッファローやエルクが近づいて来たら、人間のほうが静かに去らねばなりません。

エルクも平気でゆうゆうと車道をわたり、人のそばに寄ってきます。
これは国立公園の北西端あたりにあるMammoth Hot Springという公園内の「町」(ホテル、郵便局、レストラン2軒、お土産屋さん、ビジターセンター、その他がある。これだけあったら立派に町ですよね)のカフェテリア前。エルクの家族が、カフェテリアの花壇の花を食べに来ていました。

カメラを持った観光客が25ヤード以内に近づくと、セキュリティが「はいはいもうちょっと下がって〜」と言いに来ます。

でも19世紀にイエローストーンが国立公園になってから半世紀以上は、こんな光景が公園のアトラクションのひとつだったもよう。↓↓↓↓ 

夜になるとゴミ箱をあさりにくる黒クマとグリズリーを「鑑賞」するアクティビティが、第二次大戦くらいまでの間は大人気だったのだそうです。

クマたちはゴミ箱だけでなく、観光客の車に餌をねだりに来ることを覚えていました。

Yellow Stone National Park Photo Collection より。
これは1962年 ↑↑。クマがゴミ箱をあさることのないよう管理がきっちり徹底して、動物に食べ物をやってはいけないというルールがちゃんと守られるようになったのは、1960年代のこと。国立公園のポリシーが、観光から自然保護にようやくシフトした時代。

先日、旅行から帰って来てからNetFlixで見たPBS制作のドキュメンタリー『 The National Parks: America's Best Idea』はその辺の事情も含め、国立公園創成期からのいろんなドラマが叙情的に描かれていて、面白かったです。

絶滅したオオカミが1995年にイエローストーンに再導入されたくだりも、感動的でした。

人が集まる観光スポットの町部分と整備された道路だけ見ていると、イエローストーンってテーマパークみたいだなあと思わずにいられないのですが、オオカミの群れだって公園内のどこかにいるんですね。



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2012/10/13

ドリアンごはんとドリアンウェハース


朝、クルマで出勤の日、仕事に行く前に田中さんのベトナム豆腐店Chu Minh Tofu にお昼を買いに寄りました。

これは何?あれは何?とお店の人にあれこれ聞いていると、お客さんでお店の中にいた、ちっちゃいベトナムおばあちゃんが(あの店に行くと、お店の人の身長が極端に低いので、アメリカのほかの場所ではありえないことだけど、自分が少し巨大になった気がするのです。わたしも相当ちびっこなのに)この3色ごはんについて、熱心にいろいろ教えてくれた。でも何を言っているのか全然わからないのでお店の人に助けを求めると、黄色いのはドリアン、赤と緑もベトナムの何かの果物で風味をつけた、結婚式の時などに食べるライスだということでした。

おこわ系の甘いのは好きだけど、でもドリアンかー。職場に持っていくにはちょっとなあ、と躊躇して買わないでいると、さっきの小さいベトナムおばあちゃんが「You don't want to eat it?」と悲しそうに見上げるのです。下から。

買わないわけにいきませんでした。

職場で同じ部屋の全員に強制的におすそわけ。

そこはかとないドリアンのかほりが、しばらく部屋に漂っておりました。

それほど強烈な匂いはなくて、うす甘いココナツ風味で、おいしかったです。



ドリアンといえば、ロードトリップのとき、車中のおやつのひとつに、宇和島屋さんで売っていたアジアのどこかの国製の「ドリアンウェハース」を持っていってしまいました。

車のトランクを開けるたびに、もしかしてキャンプ用のガスボンベが漏れているのかしら?とうっすら心配になるような、かすかな異臭がしたのですが、その元がウェハースだとは。

開封してみるまで、気づきませんでした。

暑い午後、開封したドリアンウェハースを座席の上において閉め切っていた車に戻ると、車内がけっこう大変な匂いになっていました。

運転していた息子は「頭痛がする」といって怒り出した。仕方がないからひとりである程度まで頑張って食べたのですが、ドリアン風味のゲップがでるにおよんで、残りは断念しました。本当に申し訳ないけれど、半分以上残ったドリアンウェハースはガソリンスタンドのゴミ箱に。

真夏のドライブにドリアン風味は適さないということが確認できました。


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2012/10/08

全米一眺めの良いハイウェイ Bear Tooth Highway




イエローストーン国立公園の北東ゲートへの道、Bear Tooth Highway(ベアトゥース・ハイウェイ)。

「アメリカでもっとも眺めが良いハイウェイ」ベスト10の中によくランクインしている道ですが、ここは本気で素晴らしい眺めでした。目的地のイエローストーン公園本体よりも、そこへ行くまでのこの道のほうが印象が強かったくらいです。


 途中にあった廃坑。1940 年代に大事故があって閉鎖されたまま、廃屋が散らばってます。
このあたりは炭坑町だったんですね。


谷間からうねうねとヘアピンカーブの道を登ります。氷河の削ったカールの地形だと思う。雪渓がたくさん見える。
雪渓がある山の頂上あたりはゆるやかな台地になっていて、広々して気持ちがよさそうだな、と思っていたら。


なんと雪渓の目と鼻の先を道が通っているじゃないですか。
ところどころに駐車場もあるので、車を停めていきなり氷河ハイキングができてしまいます!


深い色の湖があちこちにある。アルプスの真上を車で通過、みたいな風景です。


山の頂上の草原の道。一番高い峠は標高1万947フィート(3337 メートル)。Cody のあたりが標高1500メートルだから、標高差約1800メートル分を1時間くらいで登ってくることになります。


この道が完成したのは1936年だというのは驚きです。こんな道を、フォードのT型みたいな車も登って来たんでしょうか。


尾根の上は下から吹き上げる風がものすごく強くて、凧があれば持ち上がりそうなくらいでした。タオルで飛行を試みている頭の悪い少年が ↑ 。




ハーレーの人もたくさん見かけました。快晴の日にこのコースは気持ちが良いでしょうねー。素敵なカーブがいっぱいです。


予想以上に素晴らしい眺めで、即席高原ハイキングまでできるとは、してやられました。
お弁当を用意してピクニックランチにすれば良かった! 

おなかがすいてきたので先を急いで通過してしまったのですが、機会があったら今度はぜひ一日かけてゆっくり高原でごろごろしてみたい。

高山ドライブが嫌いでない方、広々した眺めが好きな方には、このハイウェイは絶対のお勧めです。



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2012/10/05

ワイオミングGreybullの歴史ホテルとカウボーイたちのハラジュク、Codyの町


ああ、やっと金曜日。というか、もう金曜日。そしていつの間にか10月だ!(汗)
…冷たい秋風を感じながら、いまだに更新中の大西部旅日記です。

鹿たちが次から次へのこのこ出て来る山道を越えて、夏の長い日もすっかり日が暮れてからワイオミングの小さな町に着いた、8月の末のある晩のこと。


Greybullという町、人口1800人だというけど、そんなに住んでるのか?…と思うほど閑散とした小さな町に宿泊しました。これが↑、メインストリートの朝。

左側の建物が、泊まった Historic Hotel Greybull です。 二階部分がホテル。



旅の前にネットで宿を探したのですが、ハンプトンインとかホリデイインとかの無難そうなチェーンよりも、ついつい、こういう変な宿をわざわざ探してしまう。

ここも面白かったです。
なんとなく娼館みたいな雰囲気が漂う宿。

昔は銀行とホテルを兼ねた建物だったそうですが、20世紀初頭の西部の町だから、まあなんでもありだったのでしょう。


家具もビンテージものばかり。なぜか廊下に古い藤の乳母車なんかが置いてあってちょっと不気味だったけど、部屋や水回りはとても清潔で行きとどいています。

キチネットつきの二部屋続きスイートで100ドルくらいと、リーズナブルでした。

アンティーク趣味なベッドカバーや小物類といい、ホテルというよりB&B的な、アットホームな雰囲気。 


なぜか部屋にシアトルのカップが…。
朝ごはんの時に聞いてみたら、ここのオーナーさんはシアトル近郊出身で、高校は名門の私立校シアトルプレップに行ったのだそうです。へええ。

この辺でリタイアするための「部屋がたくさんある大きな家」物件を探していたら、このホテルを勧められちゃったんだよ、って(笑)。たしかに部屋数は多いですね。


オーナーのマイルズさんと、左がこのホテルを売りつけた(笑)不動産やさん。

仲良しのちょい悪オヤジたちという感じでした。朝ごはんのテーブルで、「さー今日は何をしようかね」って、相談してた。楽しそう。


グレイズブルのカフェ。この文字に萌える。
バグダッド・カフェみたい。砂漠の真ん中ではないけれど、地図でみるとほんとうに荒れ地と山の真ん中にぽつんとある小さな町なのです。Google Mapでも10キロ圏内まで拡大しないと名前が出てこない町。


ここからイエローストーン国立公園へ、3時間ほどのドライブ。途中の道は遠くの山火事の煙で霞んでました。

イエローストーンへの道の途中でCody(コーディ)という町を通ります。ここは西部劇のカウボーイのプロトタイプを作り出した天才的プロモーター、バッファロービル・コーディにちなんで名づけられた町。


本当に冗談じゃなくてカウボーイだらけな町でした。カウガールもいた。

メインストリートの両側に並ぶのは、ブーツ屋さん、カウボーイハット屋さん、バッファローの毛皮、など。
とにかくカウボーイグッズが上から下までそろう町。そしてそれ以外はほとんど何もそろわない。


カウボーイとカウガール以外は、まったくお呼びでない町です。
なんだか間違ったクラブハウスに入り込んでしまったようでした。


全米のカウボーイたちにとってこの町は、きっと昔の女子中学生にとってのハラジュクのような存在なんでしょう。きっとわくわく心躍る町なのだろうなあ。
ブーツで闊歩するカウボーイズ&カウガールズを、ほんのちょっと羨ましく思いました。
 

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2012/10/01

Free Ride Zone のお葬式


シアトルの公共バスはこれまでダウンタウン区間の乗り降りが無料だったのですが、先週金曜日(9月29日)をもって、この無料区間が廃止になってしまいました。

1973年から続いていたという、全米の都市でもなかなか他にない画期的なシステムだったので残念です。ダウンタウン内で何ブロックか先へちょっとだけ移動したいとき、お金を払わずに来たバスにほいっと飛び乗れるというのは、なかなか快適でした。

何よりもダウンタウンに住むホームレスの人たちの移動手段になっていたので、このシステムの廃止は一番貧しい人たちを直撃する!と反対するデモもありました。


金曜日、少し早めに仕事を終わってバスを待っていたら、そのデモがちょうど通りかかったのでした。Funeral March for Ride Free Area (無料乗り降り区間のための葬送行進)というテーマでしたが、チューバやサックスの楽隊つきの、にぎやかな葬列でした。

 徴収されるようになったメトロバスの運賃は、時間帯により2ドル25セントから3ドルの間。日本のバスみたいに区間によって料金が変わるような複雑なシステムではなくて、乗る時間によって変わるだけの一律料金で、終点まで乗っても同じです。

現金で支払って乗ると、こんな紙の乗り換え用チケットをくれます。これを見せるとどのバスにも(メトロバスに限り)乗り換えOKという、非常にアナログなシステムです。2時間以内に限り乗り換え可能、となっているんですが、ちらっと見せるだけで、運転手さんもそんなにじっくりチェックしていないので、一日中(または他の日に)使ってる人も中にはいるようです。


 便利になったORCAカードのことは前に書きましたが、この間、バスに乗ろうとしたらORCAカードを忘れて来ていて、お財布には20ドル札しかなかったので、お金を崩すところを探すのに苦労してしまいました。バスに両替機なんてついていませんので、ぴったりの金額を持っていないと乗れません。でも運転手さんによってけっこう融通がきくのもシアトルバス。息子によれば、カードを忘れても、顔見知りの運転手さんだと見逃して乗せてくれるのだそうです。

乗り降り無料区間廃止の理由は、財政難。無料区間廃止で年間200万ドル増収の見込みだそうです。メトロバスは6000万ドルの赤字を出して、大幅な路線カットの瀬戸際にたっていました。キング郡では去年から、バス路線保持の緊急対策費として、自家用車の年間登録費を1台あたり20ドル徴収しています。(congestion reduction charge、「混雑緩和費」という名目です)そのかわり、車の登録をするとバスの無料チケットが24ドル分もらえるようになりました。これは寄付もできるのですが、あまり利用されていないし、第一あまり宣伝されていないようです。「混雑緩和費」に注目が集まるのを避けているのかもしれません。
 


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2012/09/27

巻き干し草LOVE


サウスダコタの平原で見かけた可愛いもの。

それは、Hay(干し草)のロール。


こういうお菓子があったよね。おいしそうではないですか。

これがゆるく波打つ平原に点々とちらばっている風景は、叫びたいほどかわいいです。

…1個につき重さ1トンくらいの、機械化農業の産物なんですけどね。 でも可愛い。


動物の飼料にするための干し草ですが、だだっぴろい平原地域では機械を使ってこういうロールにまとめるようです。作り方はこちら。 アイダホのあたりでは四角い箱型にしているのを見かけました。

Round bale というのが正式名称のようです。Hay roll と言ってしまうととんでもない別の隠語があるので注意… (〃゚д゚;!!  調べてみてね…。(←さんざん言ってしまった人)


そういえば、昔、Widows 2000の頃だったか、デスクトップをこんな干し草ロールのある風景にしていたことがあったなあ。あれはWindowsについてきたやつだったのか。このあたり(サウスダコタとか)で撮影したものだったのかもしれませんね。


 ハイウェイを走行中、巻き干し草運搬のトラックを目撃しました。相当に重そうです。
あんなのが前から落ちてきたら怖いよねえ、なんて言ってたら


 …どうやら本当に落としたようで、ポリスにチケット切られてた…
 ヘ(゚曲、゚;)ノ~  これはこわい…
巻き干し草のトラックを見たら、後ろを走るのはやめましょう…。


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2012/09/26

ミズーリ川とスー族の土地、ラコタの年代記、ローラの大平原



シアトルから東へ向かった旅行は、サウスダコタ州のChamberlain (チェンバレン)という町で折り返しました。

サウスダコタの真ん中よりちょこっと東がわにある、ミズーリ川沿いの小さな町。商店街はメインストリートが1本あるだけの町でした。


その「メインストリート」にあった、ものすごくいい味だしてる手描きのドラッグストア看板。
 

名所といっては、ネイティブ部族のアートなどを集めたラコタ博物館があります。
右の人、役所広司に似ている。

カソリックの学校の敷地の中にちんまりとある小さな博物館でした。

収蔵品の中で、バッファローの皮に年ごとの出来事を絵で描いたWinter Count と呼ばれている絵記録が、すっごく面白かった。
こんなのです。(←これはアメリカ議会図書館所蔵の水彩画バージョンですが、たしか内容はこれとほぼ同じだった)

その年の最重要出来事を、ひとつだけ!きわめて簡潔な絵であらわしている、絵日記じゃなくて絵年記。

「十大ニュース」じゃなく「一大ニュース」を絵文字ひとつで。なんと簡潔なサマライズ。

絵が表わしている正確な意味はわかりませんでしたが、毎年戦争があったり疫病があったり(矢がたくさん刺さっている家の絵や、全身に赤い斑点ができている人の絵)、あとの方の年代では帽子をかぶった西洋人が出て来たり、素朴な絵柄だけにドラマの壮大さに頭がくらくらします。

かなりの時間、このバッファローの皮を眺めて過ごしてしまいました。


200年ちょっと前にルイス&クラークがさかのぼって来たミズーリ川ですが、まわりの景色はその頃と、きっとほとんど変わっていない。ひらたい丘陵がえんえんと続く地帯です。

この川がずーっと南のほうでミシシッピ川にそそいで、さらにもっと南でメキシコ湾に流れ込む、と思うと壮大です。

ミズーリ川は浅くてうねうね蛇行していて、所々で静かな池のように広くなっているものの、大河というほどの川幅はありませんでした。

浮世絵に描かれたころの荒川・隅田川ってこんなだったんだろうなあと思うような、のどかな風情の川です。
土地が広いから、川も蛇行し放題のまま。

ミズーリ川に沿った田舎道を、州都のPierreまで北上してみました。

この地帯はスー族の居留地。

ひと目で、暮らしが豊かではないとわかる。

荒んだといってもいいほど、さびれた風景の集落、手入れの行き届いていない家々が目につきます。

ローラ・インガルス一家が住んでいた『大草原の小さな町』は、ここから東へ車で2時間くらいのDe Smetという町です。ローラの町として観光名所になってますが、往復4時間の半日観光になってしまうので見送り。

でも大草原はたーっぷり見ることができました。


小学生の時、ぼろぼろになるほどの愛読書だったインガルス一家の物語は、いま読み返してみると、かなりきわどいインディアンとの接近遭遇もあり、本当にアメリカの「インディアン戦争」まっただなかの時代の物語だったのだなあ、と今更ながら軽いショックを受けます。それこそリトル・ビッグホーンの戦いと同時代だったのだ、と。

アメリカ史の背景をいろいろ知ってから読むと、小学校のときに読んだのとは違う風景が見えてきます。

インガルス一家物語は挿絵が準主役といっていいほど重要な存在です。子どもの頃、ガース・ウィリアムスの柔らかい鉛筆で描かれた草原を何度も見飽きずに眺めては、一面の草原を一生懸命想像しようとしていました。

サウスダコタの草原は夏枯れて茶色くなっていましたが、ところどころ丘陵のくぼみに緑が生きていて、ガース・ウィリアムズの絵で何度も見た、ごつごつした幹のハヒロハコヤナギ(cottonwood)の樹が細かい葉を広げているのを見かけました。



州都Pierre。日本語では「ピエール」じゃなくアメリカ式に「ピア」と読むようです。

立派な州議事堂と川沿いの公園のほかは、あまり個性的な特徴のない、これもまた州都にしては本当にちっちゃな町。自動車ディーラーやファーストフードのチェーン店が並ぶ4車線のメインストリートには、「スー」アベニューという名前がついていました。




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