2012/07/30

メトロバスに犬


シアトルのバス(キングカウンティ・メトロのバス。いわゆるふつうの路線バスです)で驚嘆すべきなのは、犬の乗り降り自由なこと。

日本ではもちろん、盲導犬や介護犬以外の動物はケージに入れていない限り公共交通機関はNGだったし、ポートランドの電車やバスにも「ペットを持ち込む時はキャリアーに入れること」と書いてありましたが、シアトルではそういう注意書きはどこにも見当たらない。とくに決まりはないようで、常識の範囲でおとなしくしていられるわんこならば、一緒にトコトコ乗ってきても全然オッケーのようなのです。

この写真のわんこも、タトゥーとピアスをあらゆるところにつけた若いカップルが連れてましたが、とってもお利口。
長い2両(というのか)連結タイプのバスで、バスが角を曲がるたびに床がまるで遊園地の乗り物のようにぐるりんぐるりんと回転する、車両連結部分に座っていたのですが、ひるむ様子もなく、ときどき不安そうに飼い主の顔を見て、「わたしここでダイジョウブですよね?」と確認しつつ、じっとしてました。

いまだに猫やほかの動物が乗車してきたのは見たことがありませんが、リーシュにつないだだけの犬はもう何度も目撃してます。 一緒に乗っている乗客も、いやな顔をする人は一人もいません。



こちらはスーパーの入り口でお利口に飼い主を待つハンサム君。このひたむきな不安そうな表情を見ると、おばちゃん、胸がきゅーんとしてしまいます。



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2012/07/29

ホタルブクロと猫耳草

バス停のわきにホタルブクロが咲いていました。
なつかしい。アメリカでみたのは初めてかも。

釣鐘草、提灯花ともいうそうです。
英語名はChinese Rampion またはCampanula puctata  。なんだか響きがかわいいですね。
「チャイニーズ・ランピオン」「カンパニュラ・パクタータ」でいいのかな?
おいしそうな名前じゃないですか(違。



 これは、近所に咲く、猫耳草。

というのは初めて見た時、勝手につけた名前です。ふわふわで、触り心地がウールのよう、ていうか猫耳そのもの。

先日やっと本名がわかって笑いました。Lamb's ears。猫じゃなくて子羊の耳だったんですね。
和名は「綿千代呂木」(ワタチョロギ)。

チョロギって、おせち料理に出て来る品目らしいですが、先日友人との話題に上るまで、全くみたことも聞いたこともありませんでした。ワタチョロギの根にもできるのかしら?



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2012/07/28

レドモンドにて 蟻の思い出とケトルコーン


今週末は息子のチームが久々のサッカートーナメントに参加するので、フィールドですごしました。

うちの息子は今年、高校最後の年なんで、こうして週末になるとフィールドに通うのも今年で最後だと思うと感慨深い。

小学校1年のときから始めて、チームやクラブは何度も変わったけれど12年目! 一昔だよね。
サイドラインで費やした時間の合計はいったい何時間になるんだろうか。


 木曜日はようやく来た30度を超える真夏日で、車にエアコンをいれるくらい(今年2度目くらい?)暑かったのに、金曜はまたどんより、うすら寒い一日。朝の気温は14度C。

長袖Tシャツの上にジャケットをはおっていきました。サイドラインもこのとおり ↑ 防寒体制ばっちり。
ダウンジャケットを着てるお母さんもいた!



 今回のトーナメントはマイクロソフト社の根城、Redmond(レドモンド)の広いサッカーパークにて。

オアフ島のWaipio Soccer Complex を思わせる、よく整備されたグランドでした。
(ワイピオは比較的新しく、まだ木も育っていなくてほとんど日陰がなくて、ほんとに暑かった)。

レドモンドのフィールドは広々した自然芝のグラウンドでしたが、自然芝は「ターフ」(人工芝)にくらべてボールが遅いし均一でないので走りにくいと選手には不評なんだと息子が言ってた。知らなかった!

シアトル市内のグラウンドはほぼ全部人工芝です。

ハワイのグラウンドは全部自然芝でした。
とくに、時々練習や試合に使っていたワイキキ近くのカピオラ二公園は本当に目で見えるくらいでこぼこで穴だらけで、しかもところどころにRed Fire Ants (レッドファイヤーアント)の巣があるという恐ろしいグラウンドでした。

息子も試合中に蟻の巣を踏んでしまい、噛まれて数日間痛みが続いたのを良く覚えてるそうです。




さて、週末にまたがる大きなトーナメントには必ず食べものの屋台やフードトラックがいくつも出てます。さすがシアトル地方だけに、エスプレッソスタンドもあります。これは嬉しい。


今週末は寒かったんで、Shaved Ice (ハワイでは「Shave Ice」だったんだけど、やっぱり本土ではちゃんとShavedって過去形になるんだ)は売れてなかったようです。
 
このほか、巨大な「ケトル」でがらがらかき回して作る甘いポップコーン「Kettle Corn (ケトルコーン)」とか、石釜焼きピザなんてオサレなのも来てました。



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2012/07/27

シアトル酋長続き エコ派のシンボル&市のマーク

(酋長つづき)

シアトル酋長のスピーチは、1960年代から70年代にかけて、後代の人が大幅に書き直したものが有名になりました。

今でも「シアトル酋長のスピーチ」といったらそっちのほうがよく知られているし、子ども向けの本の題材になっているのもこの書き直しバージョンのほうです。

まずWilliam Arrowsmithという古典文学の教授が、「ヴィクトリア英語から現代英語への翻訳」を試み、それをベースにTed Perry というこれも文学の教授がエコロジー関連のノンフィクション映画のために書き起こしたものが最もよく流通している「シアトル酋長のスピーチ」。

Ted Perry バージョンには、たとえば以下のようなメッセージがあります。



Will you teach your children what we have taught our children? That the earth is our mother? What befalls the earth befalls all the sons of the earth.
This we know: the earth does not belong to man, man belongs to the earth. All things are connected like the blood that unites us all. Man did not weave the web of life, he is merely a strand in it. Whatever he does to the web, he does to himself.

『われらが子どもらに教えて来たことを、あなた方の子どもたちに伝えてくれるだろうか? 大地はわれらの母だということを?
大地に注ぐものは、大地の子どもたちの上にも等しく注ぐのだということを?
大地は人のものではない。人が大地に属しているのだ。すべてはつながっている。血がわれらをつなげているように。人は命の糸を紡いではいない。ただその中にからめとられているだけだ。』

ウェストシアトルにあるChief Shealth 高校正面です。


いかにも「インディアンの最後の酋長が言いそう」といった感じのエコロジーなメッセージです。
ジブリ映画のテーマのようですね。
が、これはスミス博士のバージョンには影も形もない、完全な創作。

19世紀のスミス博士も、70年代のエコロジーな人々も、酋長の中に「きっとこうであったに違いない」理想の自然人の姿をみたのでしょう。



アメリカ人が(そして彼らの目を通してほかの国の人たちも)自分の国にかつて存在し、消えていった(追われたんですが)文化やスピリチュアリズムをロマンチックにとらえるのは今に始まったことではなく、まだ各地で「インディアン問題」がホットであり、居留地への移動がまだ進行中だった19世紀半ばから、すでにその傾向はあったようです。


(ウェストシアトルにあるこの高校は、「シアトル」ではなく、オリジナルの発音に近い「チーフ・シールス」という名前で、酋長をたたえています)

Albert Furtwangler著『Answering Chief Seattle』は、酋長のスピーチとされるスミス博士のテキストの信ぴょう性を様々な角度から検証し、このスピーチが問いかけるものに、人々がどのように応えただろうか、という視点で、ジェファーソン大統領、ウォルト・ホイットマン、ホーソーンによるインディアンのとらえ方なども掘り下げた労作です。

書き方はまだるっこしいことこの上ないのですが、スティーブンス知事のエピソードなど面白い話がけっこうあります。


ダウンタウンを歩いていたら、ここにも ↑ シアトル酋長がいました。


1869年とあります。現在のロゴ ↓ よりも写実的ですね。





この現在のシアトル市のロゴは、プラハ、ロンドン、メルボルンなどと並んで、DzineBlogで2010年に「世界の市のロゴ、ベストデザイン21」に選ばれていました。




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2012/07/26

シアトル酋長


パイオニア・スクエアの胸像

今月から地元シアトルの日本語コミュニティ紙、『Soy Source』にちょこっとした小話を書かせていただいています。
何か面白いこと、自分の興味のあること、と考えて、最近ノースウェストの歴史がとても面白いなあ、と軽〜〜い気持ちで歴史の小話を始めてしまったのですが、冷静になれば、まったく専門家でもないのになんだか偉そうな知ったかブリで、と冷や汗三斗。

シアトルご在住の方、ご笑覧いただければ幸いです。


第一回目は以前にブログでもちょこっと書いたことのあるシアトル酋長について書きました。以下、記事と重なりますが、書ききれなかったことなどの追補です。

トーテムポールはアラスカの部族の作で、酋長とは無関係です。


19世紀のネイティブ・アメリカンの歴史は、読めば読むほど胸が塞がるひどい話ばかりですが、ここノースウェスト沿岸地域ももちろん例外ではありません。

東から幌馬車隊がやってきて、最初の入植者たちと平和につきあっているうちにどんどん白人の数が増えて来て、そのうち町が出来、役人がやって来て政府が出来、軍隊がやって来て、鉄道が敷かれ、役人から居留地への移動をオファーされ、断る選択もなく応じると数年後にはどんどん居留地が縮小され、…今に至る。というのがデフォルトのコース。
ゴールが「貧乏農場」しかない人生ゲームのようなものです。

途中で反乱をおこしたり居留地への移動を拒んだりすれば、すぐに一族郎党掃討されました。ヤキマでも小さな戦争があり、シアトル近辺の入植地も一時、白人がみな町へ避難する緊張状態になったことがあったそうです。



19世紀半ば、ワシントン・テリトリー(まだ州ではなかった)に東部から送り込まれてきた初めての知事(スティーブンズ・パスに名を残すスティーブンス知事)が、ワシントンDCの議会に命じられていたのが、できるだけ早く当地のインディアン達を居留地に送るよう、条約を取り付けろという任務。

知事はあちこちの部族を回って、白人の偉い酋長=大統領と議会、が求めている条約を提示します。居留地に移って土地を明け渡せば、軍隊がほかの部族から守ってやるほか、料理用ストーブや何やかやの日用品を差し上げましょう、医療や教育も提供しましょう。というような約束。
もちろん居留地は多くの場合、農地にも適さないへんぴな場所にある、白人が誰もほしがらない土地でした。
そして20世紀初頭には同化政策で民族の言葉も文化も危機にさらされるのですが、それはまた後の話です。


現在のシアトル周辺の部族の長だったシアトル酋長が、そのスティーブンス知事と対面したときに語ったというスピーチが、後年、有名になります。

ベルタウンのTilikum Placeの酋長像

威風堂々として丈高く、よく通る声で話すカリスマ的存在だったというシアトル酋長は、自分たち部族の時代の終わりを悲しみ、しかし白人にもいつか終わりの日が来るだろう、と予言したというのです。

『インディアンの夜は深い闇となろう。地平の上に明るい星はひとつも輝いてはいない。物悲しい風の声が遠くで嘆いている。赤い人の道の上には、我ら種族の恐 ろしい敵が待つ。どこに向かおうとも、赤い人は破壊者の足音が確かに迫るのを聞き、不運に出遭う覚悟を決めるしかない。手傷を負った鹿が狩人の足音に耳を 澄ませるように。』

『あといくつかの月が巡り、あといくつかの冬が巡る頃には、かつてこの地の強大な主であり、この広大な地を満たした者たち、今ではわずかな 群れとなり、茫漠とした孤独の中を彷徨っている者たちはついに一人もいなくなるだろう。かつてはあなた方と同様に強く希望に満ちていた人びとの墓の前で嘆 く者は、一人もなくなってしまうことだろう。』

 『しかし、嘆くことがあろうか? 我ら部族の命運に不平を言って何になろう。部族は人からなるもので、一人の人間となんら変わることはない。
海の波のように、人は来たり、去っていく。涙が流され、儀式がとり行なわれ、悲歌が歌われ、嘆き惜しむ我らの目の前から永遠に去っていく。白い人でさえも、神と共に歩み、友人のように神と語らう白い人びとでさえも、すべてに共通の命運からは逃れられない。やはり我らは兄弟かもしれぬ。未来が答えを出すだろう』


そして、居留地に移ることになるなら、最初に条件がある、として、死者を敬うこと、死者たちの思い出の場所に自分たちがいつもはばかりなく行けるようにしてもらいたい、なぜならこの土地のすべてが部族の思い出に満ちているのだから、と言ったといいます。

『黒装束の戦士たち、優しい母たち、ほがらかな娘たち、小さな子どもたちがかつてこの地に、喜びに満ちて住まっていた。彼らの名は失われても、彼らは今もこ の地の静寂を愛し、この地に結ばれ、夕闇の濃くなる中に仄暗い魂となって姿を現すだろう。最後の一人となった赤い人が地の表から消え、白い人びとの記憶に 残る赤い人の姿が伝説と化した後も、この岸辺には姿の見えない私の部族の死者たちが満ちるだろう。

『あなた方の子どもたちの子どもたちが、畑の中で、店で、 道路で、あるいは森のしじまの中に一人でいると考えるとき、彼らは決して一人ではない。
この地の上に、人が一人きりでいられる場所はひとつもない。夜、あなた方の町や村の通りが静寂に包まれ、人影ひとつないと思うとき、そこはかつてこの地に満ち、この美しい土地を今も愛し、戻って来る死者たちの群れで覆わ れているだろう。白い人が一人になることは決してない。白い人が私につながる人びとを正しく遇さんことを。死者はいつも無力ではないのだから』

土地への愛情と哀惜に満ちた言葉は心をうちますが、ただし、このスピーチは、その場で聞いていた(と本人が証言する)Henry Smith 博士という地元名士が30年以上もたってからシアトルの新聞に発表したもので、自ら「正確なものではなく、記憶とメモを頼りに書いた」と言っています。

たしかに19世紀のヴィクトリア朝知識人らしい、きらきらしく回りくどい饒舌調で、いったいどれほど酋長の言葉が本当に反映されているのかは不明です。

歴史家の中には全部が作り話だと考える人もあるようですが、Smith氏のほかの著作と比べてこのスピーチの出来は際立っているので、なにかしら印象の種となったものはあったのだろう、という意見もあるし、さまざまな文学や媒体で流通していた滅びゆくインディアン像の集大成とみる人もあるようです。

全文はこちら
シアトル酋長のスピーチ(訳)


長くなってしまったのでつづく

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2012/07/25

おまけしてもらいました


先日パイオニア・スクエア付近で車がレッカー移動されてしまった件の、その後です。

車のフロントガラスにはさまれていた「お支払いご案内」封筒を、違反金を「払わない。ヒアリングを要求する」のチョイスにして送り返しました。

しばらくすると、裁判所からヒアリングの案内(出廷の命令)が来ます。

でも、裁判所に行くかわりに 1)罰金をいますぐ払う、または2)文書で申し開きをする

というチョイスもあるよと書いてある。違反金47ドルのためにいちいち裁判に行くのはあまりに面倒だから、もちろん文書提出を選択します。

たしかに停めちゃいけないピークアワー4時から6時までの間にこれこれの場所に停めました。 でも! 

1)ちゃんと4時36分までお金をはらってシールを貼ったのにその前にレッカーされました。
2)しかもそのシールを販売するキオスクはその間駐車禁止になるブロック専用でしたよ。

という点を、写真(グーグルマップのストリートビューで、キオスクがある場所を表示)と駐車時間シールのコピーを添付して説明。すごくmisleading だと思うので、シアトル市にはぜひ改善をお願いしたい。キオスクにもっと目立つように表示をするとかしてください。そしてわたしの違反金もぜひ帳消しにしてください。というお手紙を書いて出しました。


そしたらきのう、「状況を鑑みて、違反金を減額します」というお返事が来て、47ドルのところ、25ドル支払いすれば良いことになりました。

レター1枚で半額近くおまけしてもらったので、ちょっと嬉しい。

金額の問題よりも、何か言ってやらにゃー気がすまにゃー!という気持ちでいっぱいでしたから、勝ったとはいえませんが、引き分けくらいの気分です。言ってよかった。
 

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2012/07/24

カップケーキ考 Cupcake Royale


カップケーキは謎の存在です。

アメリカでは子どもの誕生日や学校の行事や、なにかというとカップケーキが登場しますが、とても食べ物とは思えない色(蛍光ブルーとか目の痛くなるような赤とか黄色とか)の、何で出来ているのか良くわからないじゃりじゃりとしたクリームがべっとり乗った、水気もなにもないぱさぱさの生地の「ケーキ」をなぜ人は喜んで食べるのだろう、と不思議に思っていました。

私にとっては「個別に配りやすい」以外の利点が思いつかない食べもの、それがカップケーキでした。

近年、アメリカの各地ではカップケーキが大流行りらしくて、シアトルにもカップケーキ専門店がいくつかあります。


 Cupcake Royal はシアトル市内とイーストサイドにあわせて6店舗をかまえる人気店。
 バラードの映画館の隣のお店に行ってみました。


まずは食べてみる。「ストロベリー・ルバーブ」にしました。夢見るようなベビーピンクにブラウンシュガーがぱらりとかけてあって可愛らしい。

あら、クリームも意外に甘さがきつくなくて、おいしいかもー。
生地もしっとりふわふわしていて、ぜんぜん大丈夫じゃないですか。

スーパーで売ってる絵の具のチューブから絞り出したような色のとは、かなり違うものでした。このほかにも「ティラミス」「塩キャラメル」「ラベンダー」など、わりにそそるラインナップ。

原材料の乳製品はみな地元の契約生産者から仕入れているというところも、さすがシアトルですねー。


パーティ用のトッピングもいろいろ選べるようになってます。
店内はピンクと茶色のガーリーな内装。Wi-Fi フリーなので、ここで50代くらいのおじさんが無心にラップトップを叩いている図もけっこう見かけて、それはそれでおほえましい。


でもやっぱり、女の子が似合うお店です。

オリジナルのアイスクリームもあり。

アメリカ人にカップケーキが人気なのは、基本型を逸脱しない超シンプルな形がほっとするからかもしれないな、なんて思います。

これ以上シンプルにできないくらいのシンプルなプラットフォームで、かつクリームや飾りつけで大きく個性が変わるところが、個人主義なのに(むしろ、だからこそ?)スタンダードが好きで、毎シーズン変わる新製品よりも昔ながらの完成されたデザインを好む傾向が強いアメリカ人にぴったりなんじゃないしらー。

追記:心配になって、もう一度食べにいきました。「ティラミス」味を試してみましたが、クリームはちゃんとしたマスカルポーネとココアパウダー味で、おいしかったです!

でも、「塩キャラメル」は、ふーん、という感じ…。

若い女の子二人連れやグループが多かったけれど、やっぱりラップトップおじさんがちらほら。

もしかして、女の子に囲まれたくてOR 目の保養がしたくて(笑)隣りのカフェじゃなくてカップケーキ屋さんを選択しているのかもしれない、と邪推してみる。


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