2011/08/18

Mad Homes

もう先週の日曜で終わってしまったのですが、シアトルのCapitol Hill で行なわれていたインスタレーション、 Mad Homes に行ってきました。


場所はシアトルのダウンタウンからすぐ丘を上ったあたりのエリア、Capitol Hill (キャピトル・ヒル)。 このあたりは最初に開発された住宅街のひとつで、今では大学の近くに画材屋さんやパブやレストランやカフェやブティックやインデペンデント映画館など、個性の強い店がかたまったファンキーな街と、それを取り巻いてコンドミニアムやアパートがやや密集して建っている、ちょっと東京の下北沢〜渋谷あたりを彷彿とさせる街。


 見晴らしの良い高台に残っていた、おそらく築80年くらいはたっていそうな、こじんまりした家6軒。取り壊しが決まったこの家たちを、14人のアーティストが2週間だけ作品に変えてしまったインスタレーションでした。

 ラップでぐるぐる巻きにされた家や、テープでぐるぐる巻きにされた家。壁や床一面に、古い洋服が貼付けられていたり。

 ここに住んでいた人たちの影のような、糸でつくられた家族の肖像とか。


「ここから覗く」と、壁にわざわざ開けられた穴から観ると、ほこりだらけの古びた電子オルガンのある居間が。

Allan Packerさんの「The Fulcrum of Prescience」。床の下からコヨーテ?がせり出し、逆さ吊りのコンドルが壁にあけられた隙間を通ってブラックライトで照らされた隣の部屋と言ったりきたり。


3週間ほどで6000人以上が見に来たそうで、ギャラリーでやる展覧会なんかにくらべると遥かに多かった、と、受付のもの静かなお兄さんが言っていました。
 
取り壊された跡には、コンドミニアムが出来るそうです。こんな風にたくさんの人に集まって見送ってもらったら、家たちも嬉しいでしょう。

シアトルの人は本当に古い建物が好きなのだなあと思わされるほど、古い建造物を再利用やそのまんま利用しているオフィスや店舗、住宅が多くて、すぐに綺麗さっぱり何でも取り壊してしまう東京から来た者にとっては羨ましい限り。それだけ土地に余裕があるということなのだろうけれど。
東京では、林芙美子も住んだことがあるという巨大木造アパート「本郷館」がついに取り壊されてしまったそうです。一度見に行きたかったなあ。

2011/08/15

Sons


もっとも翻訳しづらい言葉のひとつに、呼びかける言葉、「対称詞」があります。

これはきっと英語と日本語だけではないと思うけれど、いちばん文化の違い、関係性の違いが現れるところなのでしょう。

Darling とかHoney、Sugar、なんて呼びかけ言葉は、もうそのまま訳すしかありません。
南部のダイナーでウェイトレスがお客に「シュガー」と呼びかけるのを、いったいどんな言葉に置き換えられるでしょう。


呼びかけの「Son」というのも訳せない言葉だと、映画を観ていて思いました。

地位も年齢も相手よりも圧倒的に高い男性だけが、青年や子どもに対して語りかける言葉。

たとえば、「僕は嘘なんかついていない」と主張する被告席の青年に向かって、判事が

- I KNOW you are not a liar, son. 

と言う。日本語にするなら、「きみが」しか思いつきません。

「君が嘘つきでないことは分かっているよ」

 または、南アフリカで開催されたラグビーワールドカップを題材にした映画『Invictus 』で、モーガン・フリーマンが演じるネルソン・マンデラ大統領が、自国代表チームの一人ひとりの手を取って、

- Good luck, son.

と激励する場面。 



 日本語では、年齢が上の人に対して、一般的な親族名称の「おじさん」「おじいちゃん」と呼びかけることはあるものの、この「son」に相当する言葉はありません。

圧倒的に自分のほうが経験を積んでいるという自信と、相手との距離感と、親しみと、時には愛情も言外にこめた、年若い相手に対する呼びかけ。

この自信というのは、威圧的なのでなくて、「きみと僕とはこれだけ離れているが同じ線上にいるので、きみもそのうちここに立つのだ、頑張りたまへ」という目線が感じられて、良い距離感だと思うのです。

日本のお父さんたちにも、こういう言葉があったらいいのに。

2011/08/14

ハワイの花咲く木々


「私たちの住んでいるところにも花はたくさん咲くけれど、木には咲かないのよ!」

ホノルルに住んでいたとき、どこかで立ち話をした本土からの観光客がそう言っていました。50代くらいの女性だったか、木々の梢高く咲く色とりどりの大きな花によほど感激しているようでした。

中西部だか東海岸だか、彼女の家の近くでも木々にひっそりと花は咲いているに違いないのだけど、目の覚めるような色彩の、派手な花が咲くことはないってことなんでしょう。


ホノルルのマノア小学校のそばに咲いていたJacaranda(ジャカランダ)は、中南米原産。


「この木なんの木」のCMで有名なMonkey Pod (モンキーポッド)。

この木も、プルメリアも、さらにはバニヤンツリーも、観光客が「ハワイの植物」といったときに思い浮かべるに違いない木々は、みんなほとんどが南米やアジア、アフリカから持ち込まれたものばかり。


African Tulip (アフリカン・チューリップ)。これもハワイ州から「侵略的植物」に指定されてますが、山の中から町中まで、ほんとにオアフ島中にたくさんある木。

コオラウ山脈の山腹にも、ジャングルの深い緑の中に、この塗り立ての鳥居のような鮮やかな朱色が濃い緑の中に点々としているのがよく目につきます。


アフリカン・チューリップの木。木のてっぺんで、天に向かって手を広げているように見えるのが、種の入っている豆さやです。

このさや、差し渡し20センチ以上あり、ミニチュアボートのような形をしていて、中には風に飛ぶ軽い種がたくさんはいっています。

10年ほど前、子どもが小学校のときに拾ってきたこの豆さやを、私は今でもアクセサリー入れに使っています。も内側はすべすべした綺麗な蜂蜜色で、軽くて丈夫で驚くほど長持ちします。


これもマノアに咲いていた、Rainbow Shower Tree (レインボウ・シャワーツリー)。
この木はハワイで作られた純園芸種のハイブリッドで、繁殖力はなく、ホノルルの街路樹として多く植えられています。


両側にこの木が植わっている道路は、6月から8月にかけての満開時にはコロコロした花が風に舞い散ってゴージャス。


Royal poinciana(ホウオウボク/鳳凰木)。これも東南アジア産のマメ科。
この木はもう花がほとんど終わっちゃってますが。


カリブ海の島や沖縄でもポピュラーな街路樹だそうで、上品で華麗な花。


 豆さやはブーメランかなにかのよう。さしわたし30センチ以上もあります。


 哺乳瓶を洗うブラシみたいな Bottlebrush (ブラシノキ)、オーストラリア原産。
これもマノアにて。

近年のホノルルでは、新しく植樹するときは原生種や「カヌー植物」(ポリネシア人がタヒチからカヌーで移住したときに持ち込んだ植物)を多く植えるようになっていて、 街路の植え込みでもショッピングセンターでも、派手な花は咲かないけれど土地を代表するハワイアン植物が多く見られます。



原生種のNaupaka (ナウパカ)。海辺に良く植えられている、塩分に強い灌木。引き裂かれた恋人たちの伝説をもつ、「半分の花」です。これはカイルアビーチの近く。


 ワイキキビーチの木陰を作っているHau Tree (ハウ・ツリー)。ポリネシアからカヌーで海を渡ってきた「カヌー植物」は皆そうだけれど、用途の多い木。火を起こすのに使われたそうです。
朝方開いた薄い黄色の花が、だんだんとオレンジ色に変わっていって、夕方には赤茶色になって、ぽとりと落ちてきます。


そうしてやっぱり、ハワイではとても身近に感じられる Ti Leaf (ティ・リーフ)。
ハワイの家では魔除けとして家の周りに植えられていることが多い、広い美しい葉っぱで、赤のも緑のも綺麗です。

丈夫なつやつやした葉で食べ物を包んだり、レイにしたりする便利植物。

ノースウェストの植物も多彩で飽きることがないのだけど、ハワイ滞在中に久しぶりに強烈な光の下で南国の植物をたくさん撮ったら、鮮やかさのスケールが全然違う。

写真を整理していると、今年は浴び足りてない、痛いほど照りつける太陽の光がなつかしくなります。

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2011/08/12

エイリアンたち

ホノルルの公園にて。
Octopus Tree (オクトパス・ツリー)に、桜文鳥が来て、蕾(だか、実だか)をついばんでいました。
オクトパス・ツリーは、He'e (ヘエ、「蛸」のこと)というハワイ名がついているけれど、オーストラリア原産の外来種で、ハワイの『Most Invasive Horticultural Plants』(最も侵略的な園芸種)にリストされている。(これがまた、驚くほど長いリストなのです)



オクトパス・ツリー、たこの木は、ハワイ州のサイトで「Extremely invasive, one of Hawaii's worst weed trees.(きわめて侵略的な、ハワイにおいて最もたちの悪い木のひとつ)」と名指しされています。

この木がどのくらい「invasive」なのか、文字通り絵に描いたようにわかる場所があります。

ハワイアンの聖地を通ることなどで反対が起きて、工事が長引き、1997年にやっと開通した新しい高速道路、「H-3」です。(ハワイにも連邦政府の予算で作られた高速道路があって、どこの州ともつながっていないけれど「インターステート」。「I」の代わりに「H」が冠せられてます)

H-3はカネオヘとパールハーバーを結ぶ道路で、コオラウ山脈に穴をあけたトンネルを通って、パールハーバーの方向に開いた長く細い谷を下っていきます。

この谷に、今でも守られているハワイアンの聖地があるのだけれど、この谷の奥の方、道路が出来るまでほとんど人目に触れることのなかったコウラウ山脈の東側のあたりは、本当にはっとするほど静かで澄み切った印象を受けます。

ほとんど外との接触がなかったおかげで、この谷には、オアフ島では例外的に原生種のKoa (コア)やOhia(オヒア)の木ばかりが山腹に茂っているため、ほかの場所と山の色合いが全然違うのです。

若葉が銀白色に近いコアの葉の柔らかい緑の濃淡と、オヒアの木の銀色の幹、その枝にたまにちらちらと咲いている真紅のレフアの花という色彩が、日本の広葉樹林に近い色彩で、谷に入っていくたびに清々しい印象を受けます。道路は山腹にあいたトンネルに向かって上り勾配の高架になっているので、ちょうど木々の梢のあたりが見渡せるのです。

パールハーバーの方からカネオヘに向かうと、谷の奥に進むにつれて外来種の花の赤やオレンジの派手な色が減って行き、トンネルの近くではため息のでるようなコアとオヒアの原生林に変わります。

そうしてトンネルを出ると、反対側の山腹は、このオクトパス・ツリーで文字通りびっしり覆われていて、その間にアフリカン・チューリップの朱色の花が点々と目につく光景。衝撃的です。

カネオヘ側からパールハーバーに下るときも、トンネルのそばの原生林から下って行き、市街地が近くなるにつれてどんどんとオクトパス・ツリーの数が増え、あっという間にコアやオヒアが消滅。まるで、外来種や外来人に「侵略」しつくされたハワイの歴史を早送りで見るような気持ちにさせられる車窓です。


桜文鳥も、この木と同じく、観賞用にハワイに持ち込まれて野生化してしまった「alien (エイリアン、外来種)」のひとつ。
文鳥やウグイスは、日系人が飼っていたのが野生化したのだろうといいます。
かなり前のことですが、カピオラニ公園の近くで餌付けしている人がいて、百羽近い桜文鳥が集まっているのを見たことがあります。さすがにそれだけ「野良文鳥」が集まると、もう可愛くなくて、なんだか悪いものを見てしまった気持ちになりました。

 どちらも目には可愛らしい鳥と花なのだけれど、ハワイの島々にとっては侵略的エイリアン。
 そしてこうやって実を食べに来た鳥がまた、島中に種をばらまいて行きます。
もうここまで侵略が進んでしまうと、すべて取り除くのはほとんど不可能。あの静かな原生林の谷も蛸の木に侵略しつくされてしまうのは時間の問題なのだろうと思うと、残念でなりません。

2011/08/11

What's the PHO ??


ベトナム麺の「PHO」を「フォー」と言うと、息子にいつも訂正されます。

「ファ」と発音するのが正しいのだそうで。

クラスメートにベトナム系の子(両親が移民)がたくさんいるので「絶対間違いない」情報で、「FA」という発音だからこそ「What's the PHO ? 」というジョーク(というべきか)が成り立つのだそうです。

「なんじゃこりゃ!」のもっともお下品な言い方「What's the F@#& ?!」と、同じに聞こえるのだそうで。…失礼しました。実際、シアトルには『What's the Pho?』という名前のお店がいくつかあります。


シアトルも「リトル・サイゴン」と呼ばれる地域があるくらいベトナム系が多いから、もちろんPHOのお店はたーくさん。うちの近所だけでも簡単に5軒くらい挙げられちゃいます。

シアトルに引っ越してきてから、PHO評論家のCTちゃんと一緒にかなりあちこち行ってみたのだけど、まだこれこれ!と思えるPHOに出会っていません。

スープが甘すぎたり、MSG(化学調味料)入りすぎな感じが残ったり、麺が固まってたり。

ベトナムには行ったことないけど、今まで食べた中で一番おいしかったPHOは、ホノルルのチャイナタウンのRiver Street にある、行列の出来る店 To Chauです。

午後2時半までしかやってないので、今回のホノルル滞在中にもかなり焦って駆けつけました。

行列がもうなくなっていて、入れなかったらどうしようと思ってパーキングからけっこうホンキで走ったかいあって、やっぱりおいしかった!
まだここの店にかなうPHOには出会っていません。

おばちゃんウェイトレスは無口で表情が怖くて、店内はアジア風混沌に満ちていて決して清潔ではないけど、とにかくおいしい。
麺の堅さもほどよく、スープは澄んでいてこくがあります。

そういえば、生肉を別皿に持ってきてもらって、スープに入れて半煮えにして食べる方式は、シアトル近辺では見たことありません。ワシントン州の規制かなにかでしょうか。



ついでに、ホノルルで食べたもの。当然ながら5つ星レストランとかには全く縁のない日程でした。

私が食べたかったのはPho と讃岐うどんで、息子の一番食べたかったものは、「ステーキプレート」のチェーン店、『Blazin' Stake』のステーキランチ。

肉とごはんとレタスのサラダのみの超シンプルなプレートで、飲み物がついて7ドルくらい。中高生とガテン系お兄さん達の絶大な支持を受けてます。これはノースウェストでも流行るかな。あまりにもシンプルすぎるか…。

息子リクエストはもう1軒、Rainbow Drive-Inn。

友人お勧めのオシャレなパンケーキ屋さんに行こうと思ったら定休日で、結局庶民の味方レインボー・ドライブインで2日続けて朝ごはんとなりました。



朝から夜まで人気店です。朝の9時すぎには、もうひと泳ぎかサーフィンをして来た海帰りの人も並んでいて、朝っぱらからレイドバックな気分でいっぱいになれます。

ブレックファストメニューから「ハワイアンスウィートブレッドのフレンチトースト」と「ポルチュギーソーセージ」。
シンプルでチープだけど、おいしい。


一番高級寄りだったのは、KP先生とお茶に行ったアラモアナPatisserie La Palme D'Or のモンブランでしょうかー。
日本人女性のパティシエが作るケーキは皆、とても繊細。

たしか同じ頃にオープンした日本風ケーキ&カフェのSatura Cakesがホノルルから撤退してしまってたのはショックでした。

地元にもファンは出来てたのに、場所のチョイスがいまいちだったんじゃないかと推測します。車をさっと停めて買えるかどうかは、ベーカリー&カフェではかなり重要。ワードセンターはちょっとその点、行きづらかったですね。

2011/08/10

ブルーエンジェルス


先週末はシアトルの湖や波止場で「Sea Fair」が開催された。
海賊が上陸したり、パレードや手作りボートのレース、高速ボートのレースなど、いろんなイベントがあったもよう。メインイベントのひとつは航空ショウで、金曜から日曜まで毎日、海軍のアクロバット飛行専門チーム『Blue Angels』のショウがあった。

シアトル一帯を飛び回るので、ダウンタウンあたりでもうちの住宅街のあたりでも、ショウの時間にはただならない轟音が響いてくる。

広島長崎の記念日に戦闘機を見に行って喜んでいるのも何だよなと思いながらも、やっぱり物見高い江戸っ子のわたくし。火事や喧嘩及びそれに準ずるものは見物したい血が騒ぐ。というわけで見に行ってまいりました。


ショウの時間、ワシントン湖の上をわたる高速道路I-90の橋は両方向閉鎖されて、徒歩の見物人に開放される。自転車用トンネルをとことこ1マイル近く歩いて橋の上へ。

すでに西行き方面の橋の上は大混雑だったので、少し離れていてもっと空いている東行き車線の橋へ行ってみる。


こっちのほうは、ござを敷いて座れるくらいの余裕ある混み具合だった。

見物の人はやっぱりシアトル人。自国の戦闘力を確認して大感激する愛国的な雰囲気をにじませるような人はいなくて、うわさを聞いてサーカスのアクロバット芸人を見に集まった村人というような雰囲気の、いたってレイドバックな群衆だった。

 騒音から耳を守る耳当てをつけた男の子2人を連れたおじいちゃんは、戦闘機が轟音を上げて頭上を通過していったあと、「Well, that's a war machine, but sure is beautiful(戦争用のキカイには違いないが、美しいことに違いはないね)」と、なんとなく言い訳めいた感想を述べていた。

一人だけ、警備のヘビメタ好き風なおっちゃんが、感に堪えないといった調子で「THAT's the sound of Freedom!(これがフリーダムのサウンドなんだぜい!)」と橋の上に響き渡る声で叫んだが、これは、そこにいた全員が聞かなかったフリをしていた。


戦闘機のチームに「天使」という名前も皮肉だけれど、このチームは展示飛行が専門で、一年中国内各地を飛び回り、実弾を装備することは決してないから「エンジェル」なのかしら。この飛行隊の主な使命は海軍の広報宣伝、リクルート。

シアトル全域の空を旋回しながら湖面に10回くらい戻ってきて、編隊を組んだり、逆さに飛んだり、 双方向から正面衝突コースで飛んだり、急上昇したり。


うちの少年に感想を聞いてみると、「クールだった。僕もやってみたくなった。でも人を殺すための機械じゃなかったらね」だそうです。

圧倒的な力や速度にはなんといおうと圧倒的な魅力がある。トップエリートが操縦する、莫大な金額を投じた戦闘機の音速のフォーメーションには、それは当然目を奪われる。

これと 「ひとつになりたい」や「愛国心」が結びつくと限りなく強力なプロパガンダになる。80年代にも映画『トップガン』のおかげで海軍志望の子どもが急増したらしい。


でも2011年夏のブルーエンジェルスは、あくまでクールなアクロバット芸人として、いっときの歓声を集めただけで去って行ったのでした。

2011/08/09

ワイキキの朝と夜


(先々週滞在したワイキキ日記のつづきです)

14年くらいオアフ島に住んでいたけれど、ワイキキの真ん中に宿泊したことは一度もなかった。
朝早く、モアナサーフライダーのホノルルコーヒーカンパニーでコーヒーを買ってビーチを散歩して、夜は大道芸人を冷やかしながら遅くまでカラカウア通りをうろうろする、というワイキキ観光の大道を、いっぺんやってみたかったのです。


ので、優雅な「ワイキキの貴婦人」モアナサーフライダー、の向かいのホテルに宿泊。モアナサーフは小佐野賢治さんのグループからウェスティンに経営が変わったけど、名前はもちろんそのまま。1901年の建築で、汽船で本土から来た上流人たちを迎えた瀟酒なホテル。

ワイキキのホテルはここ数年であっちこっち買収が進んで、名前がずいぶん変わった。

 朝のワイキキビーチ。観光客はまだ少ない時間、地元のサーファーが「クイーンズ」や「カヌーズ」のポイントに集って波を待っている。何年か前に一度だけ、知人の親切なおじいちゃんサーファーにここでサーフィンを教えてもらったことがあった。常連が多くて、リタイア後に毎朝サーフィンしにきてるおじいちゃんもよく見かける。

 ワイキキビーチボーイさんにも、かなり年配の方がいる。


 すぐそばにあるデューク・カハナモク像。
日本人の観光客のお父さんが、子どもに言っているのが聞こえた。
「サーフィンが上手になりたい人は、ここにお参りするんだって」 って、えぇっ。
いつから神社になったんですかー? まーでも日本だったら、きっと神社になってるのかも…。

 ハワイアンのおじさんがトーチに火をつけて回る日暮れ前。

 サンセットは午後7時。
夕方にも、仕事を終わってサーフポイントに直行という感じの人が次々に海に入っていく。お父さんにボードを押してもらって何度もトライしていたちびっこサーファー、はじめて立って乗れました、の図。


シルバーマンもゴールドマンも健在でした。新聞紙バージョンとか、二人組とか、いろんなバリエーションがでてた。