2017/07/18

怖い絵の写真を撮る人びと


MOMAのつづき。最上階の企画展示は、ニューヨーク生まれの女性アーティスト、ルイーズ・ローラーさんの作品を集めてあった。
美術館やコレクターの家などで撮った、ほかのアーティストの作品の写真を、奇妙な並べ方をしたり、関係のないコンテクストに放り込んでみる作品など。

美術館のサイトにはこう説明されてます。

Lawler’s critical strategies of reformatting existing content not only suggest the idea that pictures can have more than one life, but underpin the intentional, relational character of her farsighted art.

(既存の内容をリフォーマットするというローラーの批評的手法は、絵画がひとつではなく複数の生命を持てるという考えかたを示唆するにとどまらず、意思的であり、関係性に基づく性格を持つ、予見的な彼女の芸術の特徴をよく支えています)

 うーんあんまりうまく訳せないけど。美術の人の言葉の使い方も独特だ。抽象名詞に形容詞がかならず2つか3つついている。日本のこの手のアカデミックな文章のそれ風の訳し方というのもきっとあるんだろうけど。



日本の美術館は借り物が多いためなのか、写真撮影禁止のとこがまだ多いようだけど、アメリカの美術館は撮影オーケーのところのほうが多い。


エスカレーターを上がったところにあった大きなバスキアの作品。

この右側の赤いキャップの黒人青年が、近くにいた人に頼んでこの絵と自分の写真を撮ってもらっていて、なんだかめっちゃ微笑ましかった。 すごく嬉しそうで。きっとバスキア大好きなんだなー。こういう絵との関係はいいな、と思う。画家も嬉しかろう。


そしてエスカレーター脇には、アンドリュー・ワイエスの有名作品『クリスティーナの世界』がひょいっと掛けてあった。
なんでこんな廊下みたいなところに!

これも何十回となく印刷物で見たけど、実物を前にすると、この足の曲がった女の子が目指している(目指すしかない)家の絶望的な暗さ、家のほかにはなにもない草原の怖い広さがずしーんと伝わってくる。
一本一本緻密に描かれた草原の厳しさ。


そして納屋には黒いトリたちが群れているのだった。暗い。

シアトル美術館で今年の10月にワイエス展がありますよ。この絵も来るのかな。



モネの部屋は、残念ながら自然光ではなかったけど、曲がった壁いっぱいに睡蓮がゴージャス。
ここでも睡蓮と一緒に写真を撮る人がたくさんいた。

ローラーさんの作品を待つまでもなく、スマートフォン出現以来、美術館っていつのまにか参加型になっている。

「写真など撮らないで絵を楽しめ」 「写真を撮ることに夢中になっていては鑑賞したことにならない」とかいう人がきっといるに違いないけど、私も美術館で写真を撮るのは大好き。

いやもちろん、写真を撮る「だけ」でしっかり見てなければ作品のエネルギーは感じられないと思うけど、それはカメラがあってもなくても同じ。

カメラを通して初めて可能な対話っていうのもありだと思う。

 モネさんの睡蓮。



こちらはその隣にあった「アガパンサス」。
睡蓮も大好きだけど、このようなタテに伸びる花の絵も気持ち良い。
どちらも最晩年の作品らしく、幸せそうなオーラがいっぱい。


レディ・ガガがこんなところに!


ルソーの「夢」(1910年)です。ルソーの絵は子どもの時、何か底知れず怖かった。この笛の人は今見るとちょっと困ってるようにも見える。


シャガールも怖いね。
親に連れられて初めて観に行った展覧会がシャガールだった気がする。伊勢丹かどこかのデパートの中の美術館だった。
昭和後期には、東京のほとんどのデパートに美術館があったなあ、そういえば。


MOMAのこのフロアは特に超有名な絵がたくさんあるからか、撮影してる人がとても多かった。


ピカソの『アヴィニョンの娘たち』。
娼館の娘たちを描いた、近代絵画のモニュメント的な作品といわれてますが、この絵も美術史の授業のスライドや映像で嫌というほどみたので、リアルで対面できて感慨深かった。

この絵もほんとうにつくづく怖い絵ですね。
キュビズムへの道を開いた絵といわれているそうだけど、モダンアートという「異界」への扉を開いてしまった絵と言ってもいいのではないでしょうか。

最初は水夫と医学生という男性2人がいる構図だったのを、娼婦5人がこちらを見ている構図に変えたという。

無表情にこちらを見てる2人も、両脇にいる、アフリカやイベリアの仮面から発想された異形の顔の3人も、見る人を取り返しのつかない世界に引きずり込もうとしているよう。真ん中では空間が歪んでいます。

形式の寄せ集めだけでは、これほど破壊力のある絵にはなり得ない。
この絵にあるのは、性と生きることと死への恐怖、だと思う。

ピカソの周りでは実際性病にかかってバタバタと死んでいった人も多かったというし、娼婦たちだって長生きする人はあまりいなかったのではないか。
画家がリアルに感じていた死、娼婦たちから感じとっていた絶望と嫌悪、がものすごく洗練された、攻撃的で、誰も見たことのない緊張した形式をとって描かれていたからこその破壊力なんじゃないだろうか、と思います。

そういえば中野京子さんの『怖い絵』という本がとてもおもしろかった。
名画といわれるのはたいていが怖い絵なのかもね。


一番人だかりがしていたのは、ゴッホさんの『星月夜』。

この絵の前で自撮りしてるカップルの後ろに、セキュティの人が忍び寄って画面に入っててまわりのみんなにウケてました。日本ではありえませんね。テーマパークのようだ。


パンを買うお金もなかったほど困窮していたゴッホさんに、あなたの絵は将来こんなに注目を浴びるんだよって教えてあげたい。えっそうなのっ!て、素直に喜びそうな気がする。


「ひたすら誠実であろうとしてヴァン・ゴッホは自己表現の方式を発見することこそ本質的なことだと語ったのである」と『芸術の意味』でハーバート・リードさんは書いてます(滝口修造訳)。

とにかく本当に宗教的なまでに誠実な人だったのだと。ゴーギャンとかモネとかルノアールとかとはまったく違う、「人生の目的についての先入観」を持ち、「偉大ななにものか」、「不滅なもの」によって描くことに人生のすべてを費やした、と。

ゴッホの絵がこれだけ評価されるようになったのは
「彼の絵に対する鑑賞が特別に進歩したからではなく、(私達観客が)彼の性格をいっそう深く知ったことによるのである」とも。
 

うん、たしかに。
この絵が悲劇的に誠実な画家のものだというストーリーなしにあらわれてもきっと驚くとは思うけれど、でも、やっぱりゴッホさんの獲得した異常なほど熱い表現と、その不遇で悲しすぎる物語は、あまりにも運命的にがっちり一体化していて、セットで胸をうたれる。

ゴッホさんの絵には、恐ろしいほどの凄みはあっても、世間的な怖さは感じない。
怖いをはるかに通りこして、すがすがしいような境地を感じる。

…なんていうのも、ゴッホさんのストーリーが頭にあるからこその印象なのかもしれないけれど、「不滅なもの」に対する情熱を生命を削って誠実に研ぎ澄ますとこういう形になるのだという、生きている間には恵まれることのなかったゴッホさんが人類にのこしてくれたお手本なのだと思う。


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2017/07/16

MOMAの繊細建築とライトさんの1600メートルタワー


マンハッタンへの旅の目的地のひとつ、ニューヨーク近代美術館。
瀟洒でコンクリとガラスと木材のビルでした。
めっちゃオシャレだけど、ビルの間にあって特に大声で主張するような感じがまったくない、控えめな建物という印象でした。


降ったり止んだりの日だったのだけど、ちょうど行った時には雲が晴れて、吹き抜けのところの白い大きな壁にちょうど光がさしこんでて、むっちゃくちゃ綺麗だった。
これにまず感動。
なんて繊細な、なんて上品な効果。まるで障子にさす光のよう。と心が震えました。


たまたま晴れたこの時間に行ってこの光が見られて、なんてラッキー。

細い窓からチラっと見える階段の薄さ!すべての線がスレンダーで繊細。

これまた全然知らなかったのだけど、このMOMAの新しいビルは日本の建築家、谷口吉生さんの設計で2004年にリニューアルオープンしたんですってねー。実はついさっき知ったばかり(汗)。

この光を見てなぜか「障子のようだ」と思ったのは、当たらずとも遠からずというか、たぶん設計のなかに、日本建築の持つ、繊細で柔軟で包むような感覚を呼び起こす術」が埋め込まれてるんじゃないかと思う。

具体的にどうやってそう感じさせるのかを読み解くリテラシーはないけど、そんなんなくても、このビルの繊細さは感じることができます。
シャープなのに柔らかに包む感じ。すこしもトゲトゲしたところがないけれど、ぴしっとしてミニマルな和の建築物の緊張感。お茶室みたいな。

わたくし、谷口吉生さんという人すら知らなかった。
たてものコラムなんか書いてるくせに建築のことなど本当になにも知らないのです。
世の中には知らないことが多すぎる。

「純粋なモダニズム建築の作り手といえる」ってWIKIに書かれてた。純粋なモダニズムってこういうのなの?

ぐぐってみたら、京都の国立博物館を最近手がけられたそうで、建築エコノミスト森山さん(最近いろいろ有名らしいですね)のブログに行き当たった。
ほぇー、すごい。
この目地の話!ぜひお読みになって!感動するよ!



わたしには施工技術のことなどさっぱりわかるはずもありませんが、このビルの建設もきっと色々大変だったんだろうなあ。 …なにしろアメリカだし。

この窓の枠の細さとか色とか、足乗せ台(なのか?)などのちょっとしたディテールも、繊細ではありませんか。

全面ガラス張りのビルが実現したり、細い部材を使ったデリケートな表現が可能になったのもエンジニアリングの発展あればこそ。
そう考えると、時代の持つ感覚っていうのはやっぱりかなりの部分、技術によって立ってるものだよね。



もちろん、建物だけでなく、中身もがっつり充実でした。

John Akomfrahさんというガーナ生まれ英国人アーティストの映像インスタレーションがすごく良くて、なんか涙でた。

スチュアート・ホールさんという、60年代に活躍したジャマイカ生まれの活動家/理論家のライフストーリーを、インタビューを中心に、大きな3面のスクリーンで映像コラージュとして構成した45分の作品。



ジャマイカとかガーナとかで生まれた有色人として、イギリスやアメリカで教育を受けて知識人として活動することの意義深さ、難しさ、虚しさ。50年代、60年代という歴史の手触り。映像がほんとに綺麗で、それに50〜60年代頃のジャズがかぶさる。
これは息子にぜひ見せてやりたいと思った。



収蔵品展では教科書でお目にかかっていた絵画が続々登場するのでめまいがするほど。



マティスの赤い部屋にも会えた!しかも絵の中に描かれた絵皿つきで! 3D 展示!


このアンリ・ルソーの絵は、子どもの時に家にあったレコードのジャケットで最初に見た。クラシックのレコードだったけど、何の曲だったのか、エリック・サティのジムノペディかなんかだった気もするけど覚えてない。
すごく印象的な絵で、小学生のわたくしは衝撃を受けました。

ウィル・スミスのゾンビ映画でも、たしか、ニューヨークにたった一人きり生き残ったウィル・スミスが持って帰って自宅のリビングに飾っていた。グッドチョイスですね。


お昼ちょっとすぎに着いて閉館までいたんだけど、 とても隅々まで見る時間はありませんでした。開館と同時に行くべきだった。

約半分を観てショップをちょっとみて(必須!)、疲労困憊して休憩。カフェのターメリックとにんじんのスープがおいしかった。


カフェから見える整然とした中庭。クリーンですね。なんだか東京みたい。


フランク・ロイド・ライトの展覧会も開催中でしたが、もう時間切れで走るように眺めるしかなかった。残念。

帝国ホテルのためにライトがデザインした食器類も展示されていたんだけど、館内別行動だった同行の友人マダムMちゃん、「あのカップ、なぜかうちにあったのよ〜。懐かしい〜」って、さすがのマダム発言。カップの写真は撮り忘れました。


こちらです。帝国ホテルのサイトでお求めになれます。素敵ですねー。


これは1マイル(1600メートル!)の高さを持つ「ザ・イリノイ」というビルの構想スケッチ。こんなん当然ながら初めて知った!

1956年に構想されたもので、シカゴのごちゃごちゃしたビルを全部とっぱらってこの超ウルトラ高層ビルに都市機能を集約して、あまった土地は緑のランドスケープにしようという、サイエンスフィクションもびっくりの発想。

もちろん実現には至らなかったわけですが、1956年の時点で、やればできる、実現可能だとライトさんは考えていたらしい。

1956年といえば、その後スラム化しちゃって72年に取り壊され、都市計画最悪の失敗作といわれているプルーイット・アイゴーが完成した年でもあります。 モダニズムに全幅の信頼がおかれていた時代だったのでしょうね。

宇宙競争の時代でもあり、科学バンザイの時代でもあり、公民権運動の高まる直前でもあり、ウーマンリブはまだ先で、ビジネスマンはまだ七三にわけた髪型だった。

なぜかモダニズムと1950年代に引力を感じる日だった。ていうかモダニズムって何って、ちゃんとわかってませんけどね。



閉館時間になって突然の土砂降りに見舞われました。

椅子たちがキュート。ここにもミッドセンチュリーモダン。

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2017/07/14

超富豪の壮絶コレクション


マンハッタンのマディソン・アベニューにあるThe Morgan Library & Museum

ここはマダムMの必見リストに載っていた、ライブラリー&ミュージアム。わたしはまったく存在を知りませんでした。

しかし、ニューヨークの不気味な要石みたいな存在で、すっごく面白い。

ふだんは入館料20ドルなんだけど、無料になる金曜の夜に狙っていきました。


吹き抜けになっている広々した正面エントランスホールではジャズも演奏されててお洒落。
20世紀はじめに建ったモルガン邸のとなりに増築した新館です。

このモルガン邸はもちろんあのJ.P. モルガンのモルガンさんのお宅で、19世紀末から20世紀はじめにかけてお金にあかせてヨーロッパや中近東から買い集めたコレクションをもとにした美術館なのだった。

19世紀なかば、独立戦争前からアメリカにいるというエスタブリッシュメントの家に育ち、高校を卒業するとすぐにヨーロッパに留学してドイツ語とフランス語をみっちり学び、20歳でニューヨークに戻って銀行業に入ったという、ピアポント・モルガンさん。

20世紀はじめには鉄道会社と鉄鋼会社も買収して銀行を巨大企業に変え、ウォール街の主としてアメリカ経済を完全に牛耳っていた人。

ニューヨークからロンドンに移住して銀行業をしていたお父さんが亡くなり、53歳で遺産を相続してから、モルガンさんは本格的に芸術品の蒐集を開始。
亡くなるまでの約20年間に、今の価値にすると900万ドル分の美術品を集めたんだそうです。
ざっと1000億円?どういうお金なんだか、ちょっとピンと来ないです。


美術館のサイトに載っていた、1911年の雑誌に掲載された風刺画。
当時のニューマネーで旧大陸から美術品をすごい勢いで買い集めるモルガンさんが「マグネット」として描かれてます。 今だったら「掃除機」でしょうか。
傾きかけたヨーロッパ貴族の家なんかから、ギュイーンと強力なドルで美術骨董を買い集めているようすが描かれてます。

ニューヨークのエスタブリッシュメントのリーダーとして、1880年に出来たばかりのメトロポリタン美術館の理事とプレジデントも務めたモルガンさん。

そのコレクションの置き場として

「めっちゃいいやつ建てて!なんぼかかってもええさかいに」

と(たぶん)建築家に頼んで建てたのが、マジソン街のこちらのお宅です。


じゃじゃん。
自宅の図書館。 3階分の書庫が吹き抜けに。この蔵書、絶対全部読んでないよね。
この場所では重要な銀行家の会議も行われたとか。

別の書斎には書棚の後ろの隠し金庫室もありました。


ピアポント・モルガンさんが1913年に亡くなったあと、息子のJ.P.モルガン・ジュニアさんがその個人遺産を受け継いだそうですが、全体の3分の2か、ひょっとすると4分の3は美術品だったそうです。

「こんなんどないすんねん、お父ちゃん困るわぁ、ようけ買い込んでしもてぇ」
と思ったのではないか。

 しかもモルガンさんの遺言が 

(make them) "permanently available for the instruction and pleasure of the American people" and that—in a life full of work—"lack of the necessary time to devote to it has as yet prevented my carrying this purpose into effect."



「これやねんけどな、アメリカのみんなに見したって。まぁ一生かかる仕事やとは思うんやけど、時間のおなってしもたさかいに、あとは頼むわな」(意訳)。

息子さんは税金などのためにかなりの部分を売り払わねばならなかったそうですが、大部分はメトロポリタン美術館などに寄付した後、コアなコレクションはこの邸宅に残して、ここを美術館にしたのだそうです。

コレクションはたった一度だけ、モルガンさんの亡くなった翌年に、メトロポリタン美術館で一堂に展覧されたそうです。


というわけで、モルガンさんのコレクションと邸宅が庶民にも見られるようになったのでした。入館料20ドルでなー。


図書館とはいうものの、革張りの蔵書は見るだけで単なる飾りになってますけど、


モルガンさんが集めていた中世の書の一部が展示されてました。

これは、イタリアのお風呂本

ナポリの近くのポッツオーリというところにローマ時代からの湯治場があって、そこの35種類のお湯を説明する13世紀の詩をフィーチャーしたもの。
このお湯は、「らい病、関節炎、うつ病に効く」そうです。えええっ。

しかしなぜそんなにくっつきあって入るのか!!!


図書館はまだしも、図書館入口のこのホール。
以前は邸宅の玄関ホールだったのかな、何種類もの違う大理石が使われていて、しかも柱の上にも天井にも床にもごってごての装飾が。

「趣味悪ぅー」
と、マダムMにも太鼓判をおされてましたよ。


丸天井にはウェッジウッド風の浮き彫り、ルネサンス風の壁画、ロココな花綱、ともうなにがなんだかわからんてんこ盛り。スタイルお構いなし。


併設のミュージアム入り口の天井は、東洋風のオーガニックなパターンがかっこよかった。これも20世紀はじめのものなのか。


こちらはうってかわって質素な机。
ヘンリー・デイヴィッド・ソローの使っていたもの。


ソローの直筆原稿などを集めた展覧会でした。
モルガンさんは作家の直筆原稿もたくさん集めていたそうで、マーク・トウェインからは直接買ったって書いてあった。

図書館&ミュージアムというから、ちょろっと展示がしてあるだけかと思ったらとんでもなくて、小規模ながら展示室が4つか5つあって、このソロー展のほか、フランスの素描とかヘンリー・ジェイムス展とか、どれも見応えある面白い展示だった。
遅めに行ったので1時間半くらいしかなく、全然見きれませんでした。残念。


この小さな部屋の展覧会は、動物をかたどったメソポタミアの美術品ばかり集めたもの。
もとはモルガンさん所有のものだったらしいメトロポリタン美術館所蔵品とかイェール大学の所蔵品とかから動物たちをピックアップして展示してました。面白かった!
さすがに東海岸のネットワーク。

これはヒツジかと思ったらウシだった。人間めいた顔をしている。膝のあたりとかもリアル。
紀元前3000年くらいの、今のイラン南部のものだそうです。銀製。

旧約聖書に出てくる近隣の民が崇めていた偶像ってこんな感じか。


この方は、ヒツジ。シュメール文明の、紀元前2500年ころのもの。毛皮は貝でできてるようです。

このほかにも、モルガンさんの書斎に飾られたロールはんこ(円筒形の全面に紋章が彫られていて、ぐるぐるおしつけるタイプの印章)のコレクションもすごかった。
モルガンさんは中世の絵付き本や作家の手書き原稿のほかに、ロールはんこもことのほかお好きで集めていたようです。



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2017/07/13

旅の朝ごはん


ニューヨーク旅行中、ユニオン・スクエアを通りかかったら、ファーマーズマーケットをやっていた。 


花屋さんも。

シアトル市内のモールからは撤退してしまって見かけなくなったバーンズ&ノーブル路面店に久々にお目にかかった。
しかも絵本に出てくるようなかわいい古いビル!末永くそこにいてください。



チーズや仔牛肉。いちごにビーツにラディッシュ、ズッキーニ、珍しいきのこ、アップルサイダー。

売ってるものはシアトルのマーケットとあんまり変わらない。でもここのマーケットは若干、シアトルのより安かった気がする。


ビーツが安くておいしそうで、すごく心ひかれたのだけど、この日泊まっていたAirBnBのお宅にオーブンがあったかどうかが思い出せなくて、あきらめた。

しかしルッコラの大きな束が2ドルだったのはどうしても見逃せなくて購入。

結局、キッチンにフルサイズのオーブンはあったのだけど、エアビーのホストのクリス君、「使い方知らないんだよねー」と不安そうな顔をする。…ええっ。ガスオーブンだからひねれば火がつくんだよ!

どうやら料理をする人ではないようだ。スキレットもあったしオリーブ油もあったけど、ぜんぶ、エアビーのゲストが置いていったものらしい。
トースターもないかわり、大量のシリアルがあったww



大量のルッコラ(これで半量以下)、マーケットで買った地元トマト、マダムが買ったザクロ。レモンとオリーブオイルと塩だけの単純サラダ。卵とトマトはバターで。

そして大定番、THOMASのイングリッシュマフィンは、マダムもお気に召したようでした。おいしいよねー。

朝食を外に食べに行くのも嬉しいけど、こってり系や甘いものをつい頼んでしまいがちで、2日続くと少し胃がもたれる。

少し長い旅先で、食べたいものを食べたいだけ選んで簡単な朝食を作って食べるのは幸せ。なぜかたいへん心が落ち着くのです。

実は単に市場で野菜を買うのが好きなのだった。食料品を買って料理すると、その街に係累ができたような気がするんだよね。


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