2012/10/05

ワイオミングGreybullの歴史ホテルとカウボーイたちのハラジュク、Codyの町


ああ、やっと金曜日。というか、もう金曜日。そしていつの間にか10月だ!(汗)
…冷たい秋風を感じながら、いまだに更新中の大西部旅日記です。

鹿たちが次から次へのこのこ出て来る山道を越えて、夏の長い日もすっかり日が暮れてからワイオミングの小さな町に着いた、8月の末のある晩のこと。


Greybullという町、人口1800人だというけど、そんなに住んでるのか?…と思うほど閑散とした小さな町に宿泊しました。これが↑、メインストリートの朝。

左側の建物が、泊まった Historic Hotel Greybull です。 二階部分がホテル。



旅の前にネットで宿を探したのですが、ハンプトンインとかホリデイインとかの無難そうなチェーンよりも、ついつい、こういう変な宿をわざわざ探してしまう。

ここも面白かったです。
なんとなく娼館みたいな雰囲気が漂う宿。

昔は銀行とホテルを兼ねた建物だったそうですが、20世紀初頭の西部の町だから、まあなんでもありだったのでしょう。


家具もビンテージものばかり。なぜか廊下に古い藤の乳母車なんかが置いてあってちょっと不気味だったけど、部屋や水回りはとても清潔で行きとどいています。

キチネットつきの二部屋続きスイートで100ドルくらいと、リーズナブルでした。

アンティーク趣味なベッドカバーや小物類といい、ホテルというよりB&B的な、アットホームな雰囲気。 


なぜか部屋にシアトルのカップが…。
朝ごはんの時に聞いてみたら、ここのオーナーさんはシアトル近郊出身で、高校は名門の私立校シアトルプレップに行ったのだそうです。へええ。

この辺でリタイアするための「部屋がたくさんある大きな家」物件を探していたら、このホテルを勧められちゃったんだよ、って(笑)。たしかに部屋数は多いですね。


オーナーのマイルズさんと、左がこのホテルを売りつけた(笑)不動産やさん。

仲良しのちょい悪オヤジたちという感じでした。朝ごはんのテーブルで、「さー今日は何をしようかね」って、相談してた。楽しそう。


グレイズブルのカフェ。この文字に萌える。
バグダッド・カフェみたい。砂漠の真ん中ではないけれど、地図でみるとほんとうに荒れ地と山の真ん中にぽつんとある小さな町なのです。Google Mapでも10キロ圏内まで拡大しないと名前が出てこない町。


ここからイエローストーン国立公園へ、3時間ほどのドライブ。途中の道は遠くの山火事の煙で霞んでました。

イエローストーンへの道の途中でCody(コーディ)という町を通ります。ここは西部劇のカウボーイのプロトタイプを作り出した天才的プロモーター、バッファロービル・コーディにちなんで名づけられた町。


本当に冗談じゃなくてカウボーイだらけな町でした。カウガールもいた。

メインストリートの両側に並ぶのは、ブーツ屋さん、カウボーイハット屋さん、バッファローの毛皮、など。
とにかくカウボーイグッズが上から下までそろう町。そしてそれ以外はほとんど何もそろわない。


カウボーイとカウガール以外は、まったくお呼びでない町です。
なんだか間違ったクラブハウスに入り込んでしまったようでした。


全米のカウボーイたちにとってこの町は、きっと昔の女子中学生にとってのハラジュクのような存在なんでしょう。きっとわくわく心躍る町なのだろうなあ。
ブーツで闊歩するカウボーイズ&カウガールズを、ほんのちょっと羨ましく思いました。
 

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2012/10/01

Free Ride Zone のお葬式


シアトルの公共バスはこれまでダウンタウン区間の乗り降りが無料だったのですが、先週金曜日(9月29日)をもって、この無料区間が廃止になってしまいました。

1973年から続いていたという、全米の都市でもなかなか他にない画期的なシステムだったので残念です。ダウンタウン内で何ブロックか先へちょっとだけ移動したいとき、お金を払わずに来たバスにほいっと飛び乗れるというのは、なかなか快適でした。

何よりもダウンタウンに住むホームレスの人たちの移動手段になっていたので、このシステムの廃止は一番貧しい人たちを直撃する!と反対するデモもありました。


金曜日、少し早めに仕事を終わってバスを待っていたら、そのデモがちょうど通りかかったのでした。Funeral March for Ride Free Area (無料乗り降り区間のための葬送行進)というテーマでしたが、チューバやサックスの楽隊つきの、にぎやかな葬列でした。

 徴収されるようになったメトロバスの運賃は、時間帯により2ドル25セントから3ドルの間。日本のバスみたいに区間によって料金が変わるような複雑なシステムではなくて、乗る時間によって変わるだけの一律料金で、終点まで乗っても同じです。

現金で支払って乗ると、こんな紙の乗り換え用チケットをくれます。これを見せるとどのバスにも(メトロバスに限り)乗り換えOKという、非常にアナログなシステムです。2時間以内に限り乗り換え可能、となっているんですが、ちらっと見せるだけで、運転手さんもそんなにじっくりチェックしていないので、一日中(または他の日に)使ってる人も中にはいるようです。


 便利になったORCAカードのことは前に書きましたが、この間、バスに乗ろうとしたらORCAカードを忘れて来ていて、お財布には20ドル札しかなかったので、お金を崩すところを探すのに苦労してしまいました。バスに両替機なんてついていませんので、ぴったりの金額を持っていないと乗れません。でも運転手さんによってけっこう融通がきくのもシアトルバス。息子によれば、カードを忘れても、顔見知りの運転手さんだと見逃して乗せてくれるのだそうです。

乗り降り無料区間廃止の理由は、財政難。無料区間廃止で年間200万ドル増収の見込みだそうです。メトロバスは6000万ドルの赤字を出して、大幅な路線カットの瀬戸際にたっていました。キング郡では去年から、バス路線保持の緊急対策費として、自家用車の年間登録費を1台あたり20ドル徴収しています。(congestion reduction charge、「混雑緩和費」という名目です)そのかわり、車の登録をするとバスの無料チケットが24ドル分もらえるようになりました。これは寄付もできるのですが、あまり利用されていないし、第一あまり宣伝されていないようです。「混雑緩和費」に注目が集まるのを避けているのかもしれません。
 


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2012/09/27

巻き干し草LOVE


サウスダコタの平原で見かけた可愛いもの。

それは、Hay(干し草)のロール。


こういうお菓子があったよね。おいしそうではないですか。

これがゆるく波打つ平原に点々とちらばっている風景は、叫びたいほどかわいいです。

…1個につき重さ1トンくらいの、機械化農業の産物なんですけどね。 でも可愛い。


動物の飼料にするための干し草ですが、だだっぴろい平原地域では機械を使ってこういうロールにまとめるようです。作り方はこちら。 アイダホのあたりでは四角い箱型にしているのを見かけました。

Round bale というのが正式名称のようです。Hay roll と言ってしまうととんでもない別の隠語があるので注意… (〃゚д゚;!!  調べてみてね…。(←さんざん言ってしまった人)


そういえば、昔、Widows 2000の頃だったか、デスクトップをこんな干し草ロールのある風景にしていたことがあったなあ。あれはWindowsについてきたやつだったのか。このあたり(サウスダコタとか)で撮影したものだったのかもしれませんね。


 ハイウェイを走行中、巻き干し草運搬のトラックを目撃しました。相当に重そうです。
あんなのが前から落ちてきたら怖いよねえ、なんて言ってたら


 …どうやら本当に落としたようで、ポリスにチケット切られてた…
 ヘ(゚曲、゚;)ノ~  これはこわい…
巻き干し草のトラックを見たら、後ろを走るのはやめましょう…。


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2012/09/26

ミズーリ川とスー族の土地、ラコタの年代記、ローラの大平原



シアトルから東へ向かった旅行は、サウスダコタ州のChamberlain (チェンバレン)という町で折り返しました。

サウスダコタの真ん中よりちょこっと東がわにある、ミズーリ川沿いの小さな町。商店街はメインストリートが1本あるだけの町でした。


その「メインストリート」にあった、ものすごくいい味だしてる手描きのドラッグストア看板。
 

名所といっては、ネイティブ部族のアートなどを集めたラコタ博物館があります。
右の人、役所広司に似ている。

カソリックの学校の敷地の中にちんまりとある小さな博物館でした。

収蔵品の中で、バッファローの皮に年ごとの出来事を絵で描いたWinter Count と呼ばれている絵記録が、すっごく面白かった。
こんなのです。(←これはアメリカ議会図書館所蔵の水彩画バージョンですが、たしか内容はこれとほぼ同じだった)

その年の最重要出来事を、ひとつだけ!きわめて簡潔な絵であらわしている、絵日記じゃなくて絵年記。

「十大ニュース」じゃなく「一大ニュース」を絵文字ひとつで。なんと簡潔なサマライズ。

絵が表わしている正確な意味はわかりませんでしたが、毎年戦争があったり疫病があったり(矢がたくさん刺さっている家の絵や、全身に赤い斑点ができている人の絵)、あとの方の年代では帽子をかぶった西洋人が出て来たり、素朴な絵柄だけにドラマの壮大さに頭がくらくらします。

かなりの時間、このバッファローの皮を眺めて過ごしてしまいました。


200年ちょっと前にルイス&クラークがさかのぼって来たミズーリ川ですが、まわりの景色はその頃と、きっとほとんど変わっていない。ひらたい丘陵がえんえんと続く地帯です。

この川がずーっと南のほうでミシシッピ川にそそいで、さらにもっと南でメキシコ湾に流れ込む、と思うと壮大です。

ミズーリ川は浅くてうねうね蛇行していて、所々で静かな池のように広くなっているものの、大河というほどの川幅はありませんでした。

浮世絵に描かれたころの荒川・隅田川ってこんなだったんだろうなあと思うような、のどかな風情の川です。
土地が広いから、川も蛇行し放題のまま。

ミズーリ川に沿った田舎道を、州都のPierreまで北上してみました。

この地帯はスー族の居留地。

ひと目で、暮らしが豊かではないとわかる。

荒んだといってもいいほど、さびれた風景の集落、手入れの行き届いていない家々が目につきます。

ローラ・インガルス一家が住んでいた『大草原の小さな町』は、ここから東へ車で2時間くらいのDe Smetという町です。ローラの町として観光名所になってますが、往復4時間の半日観光になってしまうので見送り。

でも大草原はたーっぷり見ることができました。


小学生の時、ぼろぼろになるほどの愛読書だったインガルス一家の物語は、いま読み返してみると、かなりきわどいインディアンとの接近遭遇もあり、本当にアメリカの「インディアン戦争」まっただなかの時代の物語だったのだなあ、と今更ながら軽いショックを受けます。それこそリトル・ビッグホーンの戦いと同時代だったのだ、と。

アメリカ史の背景をいろいろ知ってから読むと、小学校のときに読んだのとは違う風景が見えてきます。

インガルス一家物語は挿絵が準主役といっていいほど重要な存在です。子どもの頃、ガース・ウィリアムスの柔らかい鉛筆で描かれた草原を何度も見飽きずに眺めては、一面の草原を一生懸命想像しようとしていました。

サウスダコタの草原は夏枯れて茶色くなっていましたが、ところどころ丘陵のくぼみに緑が生きていて、ガース・ウィリアムズの絵で何度も見た、ごつごつした幹のハヒロハコヤナギ(cottonwood)の樹が細かい葉を広げているのを見かけました。



州都Pierre。日本語では「ピエール」じゃなくアメリカ式に「ピア」と読むようです。

立派な州議事堂と川沿いの公園のほかは、あまり個性的な特徴のない、これもまた州都にしては本当にちっちゃな町。自動車ディーラーやファーストフードのチェーン店が並ぶ4車線のメインストリートには、「スー」アベニューという名前がついていました。




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2012/09/23

大草原のミサイル


Badlands National Park のそばにある、隠れた観光名所?『D-9』。
これは何かと申しますと、


Missile silo (ミサイルサイロ)Minuteman Missile National Historic Site です。

冷戦時代、ソ連向けのミサイルが格納されていて、すぐにも発射できるようになっていた格納庫です。

国立公園ではないけれどHistoric Site ということで、National Park Service (国立公園局)の管轄下にあります。こんなシロモノまで国立公園が管理してるんですね。

国立公園の管轄だから、例の『ひとまねこざる』に出て来る黄色い帽子のおじさんみたいな帽子をかぶったパークレンジャーが常駐していて、少し離れたところにある管制室(もちろんこれも現在は使われていません)のツアーも行なわれているのですが、わたしたちはプレイリードッグの鑑賞に時間を費やしすぎたため、参加できませんでした。


なので、無人のサイトを勝手に見学。当時はもちろん厳重に警備されていたのでしょうが、今は人影もない大草原の真ん中に、ただ金網に囲われてぽつんとあるだけ。『X-Files』に出てきそうです。

冷戦時代にはこんなのが1000基以上も、もちろん核弾頭を裝備して、地中に格納され、発射を待っていたそうです。 今はサウスダコタ州からはすっかり撤去されたものの、まだ大平原地帯のどこかに500基ほど現役のが埋まっているとのこと。


ミサイルのてっぺんがガラス越しに見物できるようになっています。
もちろんもう核弾頭は取り外されていますが、ソフトクリームのような形のミサイルを上から見下ろすと、なんとも言えない気分になります。

 You Tubeに、ツアーの様子がよくわかるビデオがありました。冷戦時代に現役で本当にそこで働いていたおじいちゃんが説明をしてくれるようです。

ドミノスピザの箱を真似て、World Wide Delivery in 30 Minutes or Less なんてドアにペイントされているのが写ってます。当時この地下で働いてた兵隊さんたちが描いたんでしょうけど、最低最悪のジョークですね。


格納庫のすぐ外はこんな道。牛が座りこんでて通れません。冷戦中もきっと牛たちは何も知らずにミサイルの上で草を食べていたことでしょう。


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2012/09/22

シアトル5番街の Old & New


大西部旅行wの写真の整理にちょっと疲れてきたので、一回やすみ。

シアトルお散歩with iPhoneです。

このところ、寒くて暗かった7月の埋め合わせをするかのように、夏めいた爽やかな晴天の日が続いていました。

またしばらくオフィス仕事中です。週日はオフィスにこもりっきりで青空も窓から眺めるだけだけど、時間のある日は少し早めに出て、ダウンタウンのバス停3つ分くらい、ぷらぷら歩いて帰ります。

晴天の日、5th Avenueを Columbia から Pikeまで歩きました。

5番街は新旧とりまぜて個性的なビルの多い通りです。


5th Ave. の空き地。5th and Columbia Tower というビルが建つ予定。まだ本格的な工事は始まっていなくて、なんだかアートのインスタレーションみたいな色とりどりのテープがはためいてます。なんだろうこれ。飾りかな。


同じ区画にはクラシックな建物があって、なんなのか気になってました。グーグル先生に聞いてみたら、これはもとFirst Methodist Church の礼拝堂で、長いこと紛糾していた建物だったのでした。


1910年に完成した、パイプオルガンも備え付けの荘厳な建物です。中はこんな

1985年に、持ち主のメソジスト教会の反対を無視して、シアトル市がこの建物を歴史的建造物に指定。
ここを取り壊して土地ごと売り払い、運転資金にしたかった教会との間で、それ以来20年にわたる法廷バトルが繰り広げられたそうです。

昔日は5000人以上の信徒がいたけれど現在は600人ほどの小世帯になってしまい、この一等地を売って新しい教会でもっと能率的に神への奉仕をしたいという教会、かたや、古いものには目のない保存マインドなシアトル市。

21世紀にもつれこんだ裁判の結果、「信教活動の自由を保障するため」市が敗訴したのですが、そこへデベロッパーが登場。この礼拝堂はコンサート用のホールとして保存し、半分の敷地に高層ビルを建てる計画で、結局買い取ったそうなんです。ほー。

上の色とりどりのテープがはためいている土地が、もと礼拝堂につづく別館があったところ。ここに2014年完成の予定で、ビルが建つそうです。まるくおさまったようですね。


その先のブロックは、レム・コールハース設計のかっちょいい図書館ビル。この図書館についてはまた今度あらためてご紹介したいです。ここの写真も、たまっているなー。


2ブロック先にはルイ・ヴィトンが入っているRainier Tower。草間彌生の水玉もように心をうばわれて、ビルの写真を撮るのを忘れた。ニューヨークのワールドトレードセンターを設計したシアトル出身の建築家ミノル・ヤマサキ氏の、なんというかとっても画期的なビルです。画像はこちらで。


そしてさらに2ブロック先、Pike の角にはBanana Republic のダウンタウン店。シアトルに初めて来たとき、このビルを見てけっこう感動しました。最初はバナリパが建てたなんちゃってクラシック風ビルかと思った。そのくらい、このブランドにしっくり溶け込んでる。

これはもと映画館だったビルで、1916年建造。大正5年ですね。三越日本橋本店だって昭和10年完成だから、それよりさらに20年古い建物ですよ。大正時代の映画館がすっかりリモデルされて、まるで最初からバナリパのために造られたかのようなはまり具合。

小ギレイな男女が出入りする活気あるブティックに生まれ変わって、ビルもさぞ幸せなことでしょう。

いろんな時代のオールド&ニューが並ぶ5番街です。ほんとにシアトルの人って、建造物保存に熱心ですね。


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2012/09/19

バッドランズの動物たち


Badlands National Parkでは、公園の中のロッジCedar Pass Lodge に宿泊しました。


こんなロケーションのキャビン(「離れ」というか、小屋)で、1泊税込み90ドルくらいでした。

バスタブやテレビやインターネットはありませんが、とても清潔な部屋で、シャワーも普通に使えます。まったくアメリカの国立公園って、ホテルを一歩出れば大自然のはずなのに、異常なまでに快適にすごせます。


お部屋はこんなでした。これは「historic cabin」。これから建て替えるみたいです。
難をいえば窓が壊れていた(笑)。エアコンもついていたけれど、夜は涼しくて必要ありませんでした。4月から10月までの営業です。

息子は星が見たいといって、屋根の上に寝袋を出して寝てました。
コヨーテが吠えているのが聞こえて、満天の星空で最高だったそうです。


レストランとショップとロビーを兼ねたセンターが、小屋から徒歩2分の距離にあります。
レストランはちょっとオーバープライス。なかみはアメリカ版ファミレスです。
こんなところで美味なレストランを求めるべきじゃないですが。


ハイキングトレイルの入口。


Badlands、悪い土地。というのはここを横切ろうとした白人たちのつけた名前でしょう。

テレビシリーズの『ロンサム・ダブ』でも、牛の群れを連れて北上してきたテキサスのカウボーイたちがここを横断して、死にそうになる場面がありました。

今は舗装道路が国立公園内をぐるっと回っていますが、車で運転していてもえんえんと続くバッドランズに圧倒されます。

ここを徒歩で横断しなくてはならない旅人にとっては、ほんとに悪夢のような土地だったことでしょう。


正午近く。ぽつんと1本だけ立っている木の下に、鹿の親子が。まわり一帯、ここのほかに日陰はないのです。炎天下は摂氏40度。
こんな環境で子どもを二人も育てているお母さん、大変すぎる。


乾いた砂でできている山々は、どれもババロアか焼き菓子のような、おいしそうな色合い。ピンクと白の縞模様や、黄色とピンクの上に白が乗っていたり。


 よく見ると谷あいには細い流れがあるか、または雨水が長くとどまっているらしく、谷に沿って緑がちらほら続いていました。


岩の丘陵地帯が終わると、大草原の生き物たちの生活ゾーン。


草原の入口には若いbighorn(ビッグホーン、大角羊)がいました。1920年代にこのあたりでは乱獲で絶滅してしまった種ですが、そのあとほかの州から再導入されたそうです。


バッファローも同じく、いったんこの地域からすっかり消えてしまい、再導入でまた増えてきている保護動物。
この大草原を覆い尽くすほどの大群がいたのに、わずか数十年で絶滅寸前にされてしまったという想像を絶するスケールの乱獲が、まさに『大草原の小さな家』の時代に進行中だったんですね。

バッファロー達はすこしも人を恐れません。ゆうゆうと道を横切っていきます。
保護される動物になってから1世紀。もう何世代も、追いかけられたことはないんですもんね。


草原には見渡すかぎり、プレーリードッグの広大なタウンが広がっていました。

小学生の頃、『大草原の小さな家』でローラがプレーリードッグを追いかける場面を読んで以来、本物のプレーリードッグをいつか追いかけてみたい!と熱望したものでした。あれから数十年。ほんものをやっと見られました。

でもここのプレーリードッグたちは、Devils TowerやWind Caveにいたのよりずっと警戒心が強くて、車でそろそろ前を通る間は草原の上で活動しているのに、車を下りて徒歩の人間が近づいてくると、さっと穴にかくれてしまいます。他の場所より天敵が多いのか。

 (拡大図) 何度も車を停めて写真を撮ろうとしたのですけど、人間が車から降りた気配を察すると、ハッ!として全員がさっと穴に隠れてしまう。

(さらに拡大図)ハッ!としているところ。この1秒後には地面の下に。

後ろにいるのは、 アンテロープ/プロングホーン。国道沿いの畑にもうろうろしているのをたくさん見かけました。恥ずかしながらこんな動物が米国西部にいるとは知らなくて、夕暮れに広い畑で水を飲んでいるアン テロープの群れを見た時には、てっきり牧場で趣味で飼っているエキゾチックな動物だと思ってしまいました(「ラマ牧場」みたいに)。アフリカから連れて来られたのかと思った ら、これは固有種なんですね。
望遠レンズではなかったのでこんなボンヤリ写真です。


きちんと撮影できたのは、プレーリードッグ不在の穴たちばかり。ちょっと前までこの穴のとこに立ってたのに!



これは朝の散歩で出会ったウサギ。

「バッドランズ」と呼ぶのは人間の勝手で、動物たちにはここがスイートホーム。苛酷な環境に見えても、意外に賑やかに生きものたちが暮らしているのでした。


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