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2019/12/08

サーリネンのチャペル


MITさんぽの最後はこのチャペル、MIT Chapel

週末に行ったら中には入れず、一般公開は月曜〜金曜の午前10時〜11時と午後1時半〜2時半、とウェブサイトにあったので、金曜の朝に出直しました。


1955年完成、家具デザイナーとしても有名なミッドセンチュリーの建築家、エーロ・サーリネンの設計です。

本体は円筒形で、そのまわりに浅い池があり、水がはってあります。


まわりはちょっとした芝生のひろば。


入り口からチャペルへ続く廊下のガラス。控えめな色づかいと、ふぞろいなテクスチャーが美しい。


チャペルの中。

ひとつだけの天窓から光が差し込み、「祭壇」に置かれた大理石に注ぐ。

ほかに窓がない、円筒形のそっけないようなデザインは、サーリネンさんによると祈りの場にふさわしい「満ち足りて内面に向かう感覚」を意味するそうです。

この日は水がはってなかったのだけど、ぐるりととりまく浅い池の水の反映も取り込まれるようになっているみたいです。上からの光と、壁に反射する下からの光と。どちらも優しい自然光。おだやかな感じの空間です。



ここは最初からキリスト教だけでなくさまざまな信仰を持つ人のための場として設計されて、実際仏教の瞑想セッションなどもここで行われているそうです。

当然十字架もなく、中央に置かれた四角い大理石と天窓から注ぐ光、金属のモビールが、抽象的な聖性を表現している。


ヒューストンのロスコ・チャペルをすぐに思い出すんだけど、こちらのほうがロスコ・チャペルより少し明るい感じ。


 波打つ壁で、音響効果も良いようです。



ひとつの宗教に縛られない祈りの場を作る、保持するというのは崇高な目的だしぜひぜひ尊ばれるべきだと思うのだけど、でも、やはりひとつの形式と物語のもとに、ひとつの信仰のために統一された空間である教会やお寺に比べると、場の力といったようなものが弱い。

集まってきたものを浄める力が薄いのは当然なのかも…。意思の力だけでは物語にはたちうちできない。


後ろにはパイプオルガン。ここでオルガンを聞いてみたい。

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2019/11/21

ハーバード大学であたった


10月のボストン日記。

息子とハーバード大学に行きました。

……見物にな。


アメリカで一番古い、一番有名な大学だけに、ボストンの一大観光地でもある。

よく晴れた週末、 地下鉄の駅を出ると、ハーバード・スクエアという名前の駅前広場は観光客であふれかえってました。

ウォーキングツアーのお客さんが集まってて、ハーバードのロゴ入りグッズをたくさん売ってるCOOPの店があって、テーマパークみたいだった。

広場の向かい側がキャンパスです。↑このロートアイアンのゲートはさすがに素敵な意匠。
内側が工事中でへんな色のタープがかかってて、ちょっとざんねん。



ドラマチックな階段と円柱の図書館。

でも入り口にセキュリティチェックがあって、ハーバードのID持ってないと入れてくれないの。ちぇっ。敷居が高いわね。

まあ世界中からありとあらゆる人が見物に来るんだから、全方面ウェルカムにしてたら大変なことになるのかもしれませんが。


趣きのある、小さめで可愛らしい教会がありました。

…で、あとで(ついさっき)調べてみたらこれはスウェーデンボルグの教えを受け継ぐ「新教会」の教会なのだった。

 へえええええ!

これがハーバード大キャンパスの中(…だと思うけど「すぐ隣り」なのかも。正直どこからどこまでが大学の敷地なのかよくわからない)にあるとは。

教会堂は1901年に建てられたもので、設計はハーバード大の教授を務め、建築学部(現在は修士のデザインスクール)の基礎をつくったというラングフォード・ウォーレンさん。

スウェーデンボルグの説はわたくし、どこかでちょびっと聞きかじっただけで、なにも知りません。キリスト教主流からは異端とされている新教会ですが、19世紀末〜の米国知識人の中にがしっと根を下ろしてたんですね。

ヘレン・ケラーもこの教会の信仰を支えとしていたそうで、スウェーデンボルグに関する著書があります。この教会にも「ヘレン・ケラー・スピリチュアルライフセンター」という部門がある。へええ。読んでみたいな。



バイキングの館のようなとっても不思議な建物(サンダース劇場という劇場も入っている、メモリアルホールという多目的建物)から、不思議なガーゴイルが突き出してました。

南北戦争で亡くなったハーバードの卒業生を記念するために、戦争後まもなく企画されて、1870年代に建設された建物でした。中の劇場はすごく豪華みたいです。

ボストンコモンにも、南北戦争のメモリアルがあった。いずれも巨大。歴史のかなたになってしまっているけど、この戦争がどれだけ大きく、どれだけ大変な出来事だったかを物語っています。

いまの政局が分裂してるどころの話じゃなかったんですよね。両軍合わせて国内で50万人が戦死している。



ビルにペリカンがついている! 生物学研究室のビルでした。

さらにその先には、


 サイがいた!


有機進化生物学部のビルでした。

ほかにもビルのまわりに動物のレリーフがぐるりとあって、扉には…


昆虫とか節足動物とか…


海の生物が…。

友人に蝶がダメな人やカエルがダメな人がいて、今はどうか知らないけど20代の頃はニーマン・マーカスの吹き抜けのところに吊るされている作りものの蝶の大群を見てウキャーウキャーいってましたが、この動物ドアもダメ系の人けっこういそう。

こういうのがダメな人は生物学を学ぼうとは思わないよねw
でも中には、『動物のお医者さん』のネズミがダメな二階堂くんみたいに、どうしても節足動物だけはダメだ!という学生がいて、このドアを通るたびに目をそむけているかもしれない。

カエルがだめな人、CTちゃんにあとで聞いたら、この狛犬のようなサイはけっこう有名なのだそうです。
「なんで有名なの?」と聞いたら

「…サイだから」

という答えがかえってきました。わからないよ。

何も調べないで散歩に行くと、ときには犀にあたることもある。

この近くの自然史博物館&ピーボディ博物館に行きたかったんだけど、あまり時間がなかったのでまた別の日に…と思っていて、結局行けませんでした。

でも比較的短い散歩でスウェーデンボルグと犀にあたった。あとから考えたらずいぶんな収穫だったのだった。


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2019/08/10

謎が深まる天神宮:篆書体が読める方にお願い!


亀戸天神社でめぐりあった御嶽神社に不思議なご縁があり、なんと福岡出身の舞踏家・薫さんが2年前に行かれたそうで、写真を見せてくれました。

あまりにもニッチなシンクロに感動して、お写真をお借りしました。今回の写真はすべて薫さんが太宰府で2年前12年前(2007年)に撮ったものです。

人のふんどしで相撲をとるとはまさにこのこと。

でも次にいつ太宰府に行けるかわからないし、この素敵な写真で皆様にも太宰府に行ったつもりになっていただきたくて。

上は例の有名な「飛梅」です。

ちなみに私はさだまさしの歌ではじめて飛梅と太宰府の名前を覚えました。中一のとき。なんかドラマチックな歌だった。



こちらは天満宮の東側にある摂社だそうです。格式が高そうな立派なお社ですね。

ここにですね!


「末社尊意社 祭神  法性房尊意霊」
とあります!

問題の法性坊さんです。天神様の先生‼
ここにあるんだ、ちゃんとした摂社が。

でもここは「御嶽神社」という名前ではないんですね。



そしてさらに境内の奥へ行くと、「お石茶屋」の脇のあたりに、この階段があり、入り口にこんな石柱がたっているのだそうです。

10数年前、りょんさんに連れていっていただいて太宰府に行ったときに、お石茶屋まで行ったのですよ。でもそのときにはこの階段には気づかなかった。

石柱には謎の文字…。
読めない…。

これは、現在でもハンコや石碑にだけ使われている、秦の時代以前の古い書体「篆書体」のようなのですが(日本のパスポートの「旅券」につかわれている文字なんですね。ウィキを読んではじめて知った。

というか「てんしょたい」自体を、知りませんでしたー。はははっ)篆書体は色んな種類があるようで、簡単な一覧表などはない。

はんこにつかわれてるだけに、漢字を入力すると篆書体に変換してくれるサイトはいくつかあります。

そのひとつ、「篆書体チェック」というサイトでアタリをつけて入力してみた結果、上のふたつは「来計」ではないかと思われます。
そのつぎは「蘭」?? でもそれにしては門がまえが省略されすぎか。

その下の手榴弾かパイナップルみたいなのは、もう完全にお手上げ。

一番下は「山門」とあるように見えます。

どなたか読める方がいらしたらご教示くださいませ!(<<またも丸投げ、ふんどし取りまくり)

こんど日本に行ったら、篆書体の本を探してみよう…。


そして一番上にいるのは、みみずく? なぜ?

それほど古いもののようには見えませんが、いつ頃つくられたんでしょうか。

この石の古びかたからすると、せいぜい明治か大正あたりではないかなーと思うんだけど。


そして、この、ものすごく雰囲気のある階段をのぼっていくと…


自然にかえりつつある仏像がずらりと並んでいたりして、だんだん異世界めいてくるとのこと。

『千と千尋の神隠し』の導入部みたいですね。


そしておそらくこの小山のてっぺんにあるのがこの祠。

写真を見ただけでも、なんだかものすごい存在感がありませんか?

御影石は新しそうなので、わりと最近補修されたのではないかと思われます。
小さいけれど大切に祀られているお社なんですね。

ここが「御嶽神社」らしいのですが、これ以上は現地に行ってみないとわかりません。

ご縁があれば探訪できる日が来るでしょうか。


ていうかまじで九州行きたいーー。温泉!焼きもの!イカ〜!

薫さん、バーチャル探訪ができる素敵なお写真をありがとうございました。


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2019/08/06

亀戸天神社の意外な神様


6月はじめの東京。亀戸天神社にも行きました。ここははじめて。

神田明神に行ったときに「東京十社めぐり」というのが古くからあるというのを知り、(根津神社、神田神社、亀戸天神社、白山神社、王子神社、芝大神宮、日枝神社、品川神社、富岡八幡宮、氷川神社。)たぶん江戸の鎮守サークルなのかな、行ってみようかなと思ったのでしたが、全部は回れませんでした。

東京広い。広すぎる。

東京で生まれて東京で育っていながら、ずいぶん知らないことがたくさんある。

なかでも東側の下町のほうは未知の要素がおおい。ていうか、ほんと基本的に中央沿線でしか生活してなかったんだなー。東横とか田園都市線沿線だってほとんど知りませんしー。


 亀戸天神社は、春は梅、初夏は藤、秋は菊の花で有名なのだそうです。


参道の両側に梅畑と藤棚があって、なんだかとてものどかで晴れ晴れした風情。


藤棚のむこうに、天神社の優雅な緑の屋根。なんだかほっとする江戸の風景です。
スカイツリーもみえるけど。


こんもりとしたクスノキ(たぶん)も素敵です。


手水舎は亀さんでした。亀戸だけに。


江戸初期、1662年から鎮守としてこの地にあるそうです。
天神社サイトの由緒によれば、太宰府の神官が「飛梅」の枝でつくった天神像を持って諸国をめぐり、ここの小さな天神の祠にそれを納めたのがはじまりだとか。

そして明暦の大火のあと、四代将軍家綱公が江戸の鎮守のひとつとしてここの社地を寄進し、池や社殿を立派につくって、「東宰府天満宮」として長く知られていたのだそうです。
ふむふむ。


摂社に御嶽神社というのがあり、なにげなくその由緒書きを読んでみて、その御祭神がなんと!!比叡山のお坊さんだというのにびっくりしました。

比叡山延暦寺の十三代座主、法性坊尊意僧正という方。

菅原道真公の仏教学と数学の師であったそうです。

能楽の「雷電」にもでてきて、怨霊となった道真公と対決してる人なんですね!

さらには、平将門を調伏したとか、いろんな伝説のある方。(地獄に行って、平将門と毎日戦っていたという伝説も!)

9世紀の僧侶は面白い。

それにしても神社に僧侶が御祭神として祀られているとは!そんなのもアリなんですね!




それも、小さな祠とかではなくてとても立派な摂社で、天神社のすぐ横に、かなり目立つ大きさで控えているのです。↑こちらがそのお社。

御由緒書によるとこちらも1669年に太宰府の御嶽神社から勧請されたとあるから、この天神社が将軍から土地をもらって正式に整備されつつあったまさにそのとき。

天神さまのすぐ横に先生が控えているとは。
お目付け役? 保険?

江戸の鎮守として、数百年前の密教僧侶の力も借りようというプランだったのか。
荒俣宏が書きそうな話だなー。

太宰府の御嶽神社って?とちょっとぐぐってみましたが、太宰府では天満宮の境内にあるのではなく隣接した山のなかにひっそりとある、小さな祠のようです。
(「みたけ」ではなく「おんたけ」神社でした)。
神官さんがいるような神社ではなく 古墳めぐりをしている方の個人のブログの探訪記しかみつからなかった。

このサイトの写真を見ると、すごく雰囲気のある長い石段を登ったさきにある祠で、絶対に只者ではない感じがただよってます。

「かつてそのあたりにお寺があった」そうなので、天台宗のお寺のなかにあったのかもしれないですね。でもとても綺麗に整備されていて、太宰府天満宮からの注意書きの看板が立っているので、天満宮の方が定期的にきちんと訪ねて管理しているようです。

(追記:福岡出身の舞踏家薫さんより、なんとこの御嶽神社に行かれたという情報いただきました!
天満宮境内の一番奥にある「お石茶屋」のそのまたうしろのこんもりした丘にあるとのことで、そうするとやはり境内社なのですね。
由緒書もなにもないほんとうにひっそりした山のようです。
天満宮全体を、天神さまを調伏したという先生がうしろからひっそりと見守っている、という役回りの神社なのではないか。という気がします。

探訪された薫さんによると、「階段をのぼるににしたがって異世界が広がっていきます。
足元の半分埋もれた地蔵やら、古い小さなお宮やら…」だそうです。うわー見てみたい。

太宰府には十数年前に一度福岡のりょんさんに連れていっていただいて、そのときにお石茶屋にも行きました。あの上なのか! )



亀戸天神社のおみくじは天神様だった。かわいいです。
こんなにごちゃごちゃに箱に入れられていていいのか天神様。
おみくじはめったに引かないけど、これは引きたくなりました。


大吉いただきました〜‼

この日はたまたま、天神宮の梅もぎの日の翌日だったらしく、境内で採れた梅の実がたくさん「ご自由にお持ちください」と置かれていて、とても綺麗な梅でしたので、このあとで待ち合わせだったにゃを美先生のオミヤゲにすこし頂いていきました。

おかげで余計な梅仕事を強要してしまったw
わたしも日本で梅干し作ってみたいなー。



いかにも江戸って感じの情緒があって気持ちのよい天神宮でした。

たくさん破風のある屋根が華やかでいかにも江戸っぽくカッコいいです。これは江戸時代の様式なのかな。

天満宮にあると絵馬も華やかに見えますね。


それにしても法性坊…。

怨霊になった道真公を祀って学問の神様にしてしまった天満宮ってほんとうに面白い神社だと思いますが(それが日本全国にあるというのもすごい)、天台宗もおもしろすぎるよ…。(『阿・吽』の最澄さんが今、脳裏に浮かんでいます)


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2019/07/31

高幡不動尊 円仁さんと土方歳三


6月はじめに行った、東京・多摩の高幡不動尊金剛寺

いつも泊まらせてもらっている弟の家から近いので(電車で2駅)、帰国するとたびたび行きます。


そういえば、去年の7月に行ったときの写真もアップしていなかったので、まぜこぜになりますがその時の写真も。


駅を降りるとすぐ参道で、入り口はこんな感じ。これは去年の6月25日で、七夕の飾り付けがはじまったばかりでした。


こちらも去年。快晴で暑い日でした。

ここの不動尊はとても歴史が古くて、とても広く、いろんなものがあります。
境内の地図はこちら。


五重塔は平安時代の様式を模して昭和時代につくられたもの。昭和55年完成。
年に一度、春のお祭りのときだけ、この最上階まで公開しているそうです。


立派な仁王門は室町時代のもの。でも近年までは単層だったのが、昭和に二重の楼門として再建されたのだとか。
時代を経て飴色になった木材が重厚な貫禄。重要文化財です。


その仁王門のなかにいる仁王様。こちらも室町時代のもの。


昭和の修復工事の際に屋根を銅葺きにしたそうです。


その山門を入ってすぐの「不動堂」が現在、メインの不動明王像を配しているお堂で、ここで毎日、6回から8回くらい護摩修行が行われています。

これも仁王門とおなじく重要文化財指定。

これは横からみたところで、奥にある赤い派手なたてものはお札所。


こちらが正面。

 不動尊のサイトによると…

<慈覚大師(円仁)が東関鎮護の霊場として山中に建立しましたが、建武2年(1335年)8月4日」夜の暴風雨により倒壊したため、当山中興第1世儀海上人が現在のところに移建した堂で東京都最古の文化財建造物です。>

…とのこと。円仁さんは最澄さんのお弟子さんで、最後の遣唐使のひとりだったのですね。
ほとんどというか、名前しか知らなかった。円仁さん失礼しました。

円仁さんは、浅草寺の中興の祖でもあるそうです。へー!

この時代の唐にわたった僧侶の人の生涯ってほんとに半端ない。『阿・吽』を読んだあとではますますその波乱万丈が華麗なエモさをまとって脳内にくりひろがってしまいます。

円仁さんも、遣唐使として唐に行ったのにめざす天台山で学ぶ許可が下りなかったのでひそかに不法滞在して忍び込んだとか、1000キロ以上歩いて長安に行ったとか、超人的な活躍をしています。
そして54歳のときに帰国‼

それから日本各地で活躍するのだからすごい。

不動堂のはなしに戻ると、暴風雨によって山中(すぐ横の山)に建っていた建物が転がってしまったそうで、それを康永元年(1342年)山中より移建したとのこと。

四隅がしゅっと上がった屋根がとってもカッコいいお堂です。



その後ろには「奥殿」があります。この建物はもちろんあたらしいコンクリ製ですが、中に収められている仏像さんたちは古いもの。

平安時代の不動明王像と脇侍がこちらに安置されています。これも重文。

もちろん力強く厳しい表情ではあるのですが、まろまろとしたやわらかなラインの、優しさを感じる不動明王様です。脇侍がとても素朴でおもしろい。

護摩修行は最近つくられたニュー不動明王像にゆずり、すぐ後ろの奥殿からみまもっていらっしゃいます。

不動明王像にはひもがむすんであって、それに手を触れることでお不動さまと繋がれるというシステム。


ガラスごしにみられるのはここまで。

観覧料金(300円くらいだったかな?)を払うと中にはいって、コンクリの部屋ではありますが、つくづくとお目にかかることができます。

素敵な仏像なのでぜひ中での拝観をおすすめ。

この奥殿は展示室にもなっていて、ほかにも古い仏像や、室町から幕末までの貴重な文書がたくさん展示されてます。

新撰組の土方歳三ゆかりの地なので、それに関した文書もいろいろあります。



さらにその奥にある本堂、大日堂。
これも再建されたのは昭和57年〜62年の工事で。

安永8年(1779)に大火事があって境内のほとんどのたてものが焼失してしまったそうです。それ以来長いあいだ仮本堂のままだったそうですが、今はとても品格のある端正なお堂の姿が復活してます。

高幡不動尊ウェブサイトによると<新堂は鎌倉時代様式で入母屋造り、本瓦葺・内陣総漆仕上で材は尾州檜が使われています>とのこと。

この大日堂は別料金で拝観でき、「鳴り龍」天井があります。
龍の絵の下で柏手をひとつ打つと、ビョンビョンビョンと龍が啼いたように反響するという面白い構造。

同じ安永の大火事で焼けてしまったという「大師堂」も「聖天堂」も再建されたのは平成になってから。230年ぶりの再建だそうです。

本堂であるたてものが仮の形のまま再建されなかったって、江戸中期以降、このあたりは裕福な土地ではなかったのかな?お寺の力関係?
でも「関東三大不動」として、江戸時代をとおして参拝客がとても多かったはずなのですが。

今では境内の建物はみんなとても立派になってます。地下の涼しい無料休憩所もあるし。


これは、「聖天堂」の手前から五重塔を見たところ。去年の6月です。
全部新しい建物とはいえ、様式がつくる風情がありますね。


 たしか大師堂の入り口にいらした(うろ覚えごめんなさい)狛犬(獅子?)。さん。


戦闘系ではなく、優しそうな狛犬(獅子)さんで、波打つ豪華なカーリーヘアの描写がゴージャスで素敵です。


そして山門近くに立っている、まだ真新しい感じの土方歳三さんの像。

大河ドラマなんかでフィーチャーされるとしばらくのあいだは有名になるのでしょうけど、「なんで土方歳三がここにいるの?」と聞いている人もいたので、日野の出身だということはあまり知られていないのか。

土方さんの菩提寺はこの不動尊金剛寺ですが、墓所は別の場所にあります。

わたくしは中学2年生くらいのときに死ぬほどの土方歳三ファンで、司馬遼太郎の『燃えよ剣』を愛読して萌えていました。いりぐちは和田慎二のマンガ『浅葱色の伝説』だった。

大人になると新撰組に対する見方もかなり変わるのだけど、こういう命をかけて暴力を行使する派手な集団にティーン・エイジャーは萌えるんですよねー。

ほんとにいろいろある不動尊。ゆっくり見ると、半日くらいかかります。

長くなっちゃったのでパート2へつづく。


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