2016/09/30

3秒で売り切れ! 


MUJIのプロダクトデザインでも有名なデザイナーの原研哉さんがシアトル中央図書館で講演します。

4回連続のSeattle Design Lectureの第2回。

10月28日の6時半より。

入場無料!

チケットは、講演日の1ヶ月前である昨日、木曜日の正午から予約開始でした。

んがっ、


なんと3秒でSOLD OUTに!!

コンピュータにはりついていたうちの息子はチケットをゲットできたといってたけど、30秒後にアクセスした私はSOLD OUTになってるのを見て目が点。

Ω\ζ°)チーン

立ち見席は当日整理券が配られるそうですよ。

そして上記サイトでライブストリーミングもあり。

わたしはデザインの専門家ではぜんぜんないけど、原さんの『日本のデザイン』はすごーーーーく面白くって目からウロコの本でした。

デザインとはうわっぺらを綺麗に飾るだけではなくて、そのものの本質、さらにはそのものたちをとりまく文化や歴史や技術や社会全体の本質と、クセやニーズを理解することなのだ、とはじめて深く納得させてくれた本。

この本を読んでから、生活もちょっと変わった。

インダストリアルデザインを勉強しているうちの息子(日本語読み書きは小2レベル)にぜひ読ませてやりたい。これ英訳出ないかなー。


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2016/09/29

フィニーの坂道農園、はやぶさ、秋のリスたち



ああやっと高野山から帰ってこられたww。なんていうと、まるで2ヶ月も高野山にこもって修行してたみたいですね。実際に行ったのは遠足で1日だけなのに(上げ膳据え膳でね。布団も敷いてもらったし)。

修行がまだまだ足りないため、そして座りっぱなしで腹回りだけがますます偉大になりつつあるため、毎朝の通勤として近所の散歩を義務付けています。すこし余裕がある日は片道15分くらいのフィニーリッジの坂へ。

このきつい坂。以前は車道だったに違いないのだけど、今は畑(コミュニティ農園)になっている!
坂が急すぎて事故でも続出したんでしょうか。



てんとう虫マークはオーガニックのしるし。
ケールがおいしそう。畑いいなあ。


いろんな木の実がみのって、街中でリスたちが狂乱状態。

仕事をしてたら隣の家の塀のあたりで、ひな鳥のような声がギャーギャーギャーギャーしつこくしつこく続くので、巣から落ちた雛でも啼いているのかと思ったら、リスだった。

別の日には、どこかの庭のヒマワリに上って種を食べ尽くしているリスをみた。
食べものが急に増えて、少しずつ寒くなって、いったい世界に何が起きているのかとリスたちは不思議に思っているのかもしれません。木の実がいっぱいで幸せいっぱい、でもなんとはなしに不安…みたいな感じかしら。

この実はなんだか知らないけど、綺麗な殻。


この道に覆いかぶさっている木のものです。


リスたちが狂乱の宴を繰り広げているなかで、こんな危険も。

この人は近所で初めてみた。iPhone 5sの望遠ではこれが限界だけど、グレーの翼で腹にシマがある、とてもきれいな鳥だった。
はやぶさ?ファルコン? イーグルよりはずっと小さく、カラスより一回り大きい。

この人がうろちょろしているリスをもう少しで捕まえるところだったのだけど、近所のカラスが大騒ぎ。

俺らのシマでなにさらしてんねん、どつくどコラ!

と、3羽ほどがまとわりついてました。
カラスは自分たちより大きい鳥が近所にやってくると大騒ぎで追い出そうとします。

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2016/09/28

山上の異域に裏口から侵入(高野山 その6)


7月1日の高野山日記の最後です。気がついたら9月も末だわー。諸行無常。


奥の院を探訪し、おひるを食べたらもう時間があんまりなくて、メインの伽藍が並んでいる「壇上伽藍」や、総本山の金剛峯寺のあたりはさらっと見る時間しかなかった。

なにしろ、夕方までに軽自動車で大阪まで帰るという事業が残っていたのです。


こちらは総本山金剛峯寺のお玄関。
不思議なゾウと獅子がいる柱と、綺麗な透かし模様。

お寺の建築は幕末の1863年。
長州や薩摩が勝手に外国相手に戦争をしたり、将軍が上洛したり、アメリカでは南北戦争が起こっていた激動の年です。明治維新まで5年。


ひわだ葺きの屋根のてっぺんにあるのは、火事のときに使う用の天水桶。

時間がなかったので総本山の中は観られませんでした。


修行のシンボルだという「根本大塔」。昭和12年に再建されたもの。ここは拝観しました。

なかは立体曼荼羅になっていて、絢爛豪華な色彩のおおきな菩薩図と、巨大な大日如来像を囲んで金剛四仏が配置されています。

この中でしばらく大日如来を眺めていたが、うーん。

シアトル高野山でレプリカの曼荼羅図を観たときのような感銘は受けることができなかった。 やっぱり京都に行かなくちゃ。


高野山の建物は、とくに古いものはあまりない。
けっこう火事で焼けてしまったようです。


一番古いものは1198年建造の不動堂だそうです。

このお堂が並んでいるあたりには、お坊さんを中心とした団体がいくつも記念写真を撮ったりしてた。どこかのお寺の檀家さんのグループなのか、お坊さん楽しそうだった。



わたしが一番気に入ったのは、この上の右の「御影堂」。弘法大師の肖像(御影)がしまってあるので御影堂。軒に並んでいる燈籠と欄干、屋根の形が素敵。



奥の院の参道わきに司馬遼太郎の文学碑があった。
立ち止まって読んでみて、感動。文章うめえぇぇ!(当たり前だけど)。

司馬先生が書いている空海先生の話『空海の風景』もぜひ読んでみたくなりました。

「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。

山上はふしぎなほどに平坦である。そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀(ねりべい)をつらねている。枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃(ゆうすい)な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔(こけ)むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時(しいじ)、勤仕(ごんじ)されている。

その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。大門のむこうは天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空(そら)がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空(くう)に架けた幻影ではないかとさ思えてくる。まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。」

実はこの大門、今回は、これから高野山を去ろうというときに初めて観ました。
今回は山道を抜けて奥の院の前のほうから入って来たので、裏口から入って表から帰るコースになってしまった。

前日に行った玉置神社もそうだったし、この旅はそういう旅だったのね。


高野山の中にも、神社がある。

空海先生が寺を作る場所を探していたところ、山の中で不思議な猟師と女性に遭った。その女性は自分はこの山の主だと名乗り、ここに寺を開いてもよいといった、という伝説がある。

その伝説は鳥居の横にも書かれている。丹生明神、狩場明神という地元の神様、地主神が祀られています。


ここの狛犬さんには、ツノがあった。

行く前に思っていたよりもずっと敷居がひくく、俗っぽくて、テーマパーク的な感じさえ受けた高野山でした。でも司馬先生がいうように「異域」であることはたしか。

別の季節にもう一度ゆっくり訪ねてみたい。

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2016/09/24

こうやくんと胡麻豆腐 (高野山 その5)


奥の院の参道を出たところに、こんな子がいた。

こうやくん…。
高野山にも、ゆるキャラがいたんだ………やっぱり…。

高野山開創1200年記念大法会のマスコットキャラクター だそうです。


こうやくん日記」ってブログまであるよ!

性格 明るく、賢く、しっかり者… 時にうっかり者
好きな食べ物 高野どうふ、ごまどうふ

だそうです。
「せんとくん」よりはずっとインパクト低いけど、シンプルで性格良さそうですね。

せんとくんが性格悪そうって言ってるわけじゃないけどさ。
せんとくんはいろいろ人生経験が多そうです。

ちなみに空海さんの友にしてライバル?最澄さんが開祖の天台宗・比叡山にもゆるキャラはいるのか?と検索してみました。

 いたーーーーー。
しょうぐうさん」だって。



奥の院でエネルギーを使い果たしてしまったMちゃんと私。すっかり腹ぺこになって、目についたお店でお昼を即決。参道の精進料理「いけだ」で。

精進料理御膳は、泊まった宿坊の一乗院ほど洗練されたお膳ではないけれど、とても素朴でかつ贅沢で、美味しいお昼でございました。

そうめん入りのすまし汁、胡麻豆腐、山菜、煮物、それに生麩まんじゅう〜。

どれも美味しかったのですが、絶品は木の芽味噌であえたたけのこ! 
お店の奥様手作りで、きいてみると味噌の材料は、白味噌と山椒の芽にみりんをすこし、だけだそう。山椒があるといいよね。たけのこもね。
幸せの味。


あちこちの店で「高野槇」の束が売られてました。


ところで胡麻豆腐もいいのだけど、高野豆腐ってものすごく栄養価が高いのだってこの間無印良品のコラムで初めて知った!

「レジストタンパク質」、ミネラル、イソフラボン、ボケ防止にうれしいレシチン、ビタミンEも豊富だそうな。
粉末もあるんですってよ、奥様!

ウワジマヤにあるかしらっ。

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2016/09/21

奥の院の衝撃 (高野山 その4)


さて、朝ごはんを食べて阿字観瞑想も終え、宿坊をチェックアウトしたあとで、まず奥の院へ。

奥の院というのは、空海、つまり弘法大師の「御廟」があるところ。

というのは、前日、高野山に着いてから初めて知った(・_・;)。

観光パンフによると

「弘法大師御廟は大師信仰の中心聖地です。各宗派の祖師の中でもただお一人入定信仰を持つ大師は、今でもあらゆる人を救い続けていると信じられています」

えっっ。

高野山公式サイト にはこう書いてある。

「921年、醍醐天皇はお大師さまに「弘法大師」の諡号(しごう)を贈られました。この時、東寺長者の観賢(かんげん)はその報告のため高野山へ登られました。奥之院の廟窟を開かれたところ、禅定に入ったままのお大師さまに出会われ、その姿は普段と変わりなく生き生きとされていたと伝えられています。

この伝説からお大師さまは、今も奥之院に生き続け、世の中の平和と人々の幸福を願っているという入定信仰が生まれました。」

ええっ。


つまり、この奥の院の一番奥にある御廟の中に、いまでも弘法大師が生きて祈っている。という信仰があるのだという衝撃の事実。知らなかった!

そしてさらに衝撃的なことに、この御廟に毎朝、弘法大師空海先生のためにごはんを!1日2回!届ける係のお防さんが(維那というそうです)いるのだそうだ!

御廟に入れるのはこの係の人ひとりだけ!

中で何を見たかは、死んでも口を割らないお坊さん。

この係の人は、いったい何年間くらいずつ、この役割をあてがわれるのでしょうか。
想像を絶する生活だなあ。

…という知識を仕入れたてホヤホヤで、宿坊から奥の院へ向かったMちゃんとわたくしでした。


入り口から奥の院までは、こんな苔むした杉木立の間の石畳の道が、2kmもつづく。


その両側には、みっしりと、お墓と、供養塔。

「加賀家」「島津家」「松平家」など、お大名やお公家さんの家の、囲いの中に苔むした背の高い墓石が人の住まないビルディングのようにひしめきあって立ち並ぶ墓所あり、武田信玄、明智光秀、上杉謙信、織田信長などの供養塔もある。

豊臣家の墓所もあり、一番奥の御廟に近い左手の、とくに大きな囲いの中に「歴代天皇陵」もある。


御廟の手前にある 「水向け地蔵」。お地蔵さんや不動さんたちが並んでいるところに水をかけて祈るしきたりらしい。


水をかけるひとびと。割合に思い切りかけている。


この「御廟橋」から先は、写真撮影は禁止。

奥にみえるのが「燈籠堂」。
弘法大師がいまも祈っているというのは、燈籠堂のさらに後ろの小さな建物。

燈籠堂の中では、信仰の篤い巡礼の人から、クウカイってなにそれラーメン屋?な観光客(わたしもほぼ同レベルだったですがね)までが列をなしてお香やお守りや御札やろうそくを買っている。

そのうしろには大きな祭壇があり、そこに座って拝んでいる人もいる。
追加料金で、個別の祈祷をしてもらえるのだそうです。

高野山奥の院での祈祷料は明朗会計で、3000円から20万円まで。
中に座って護摩祈祷をしてもらうには5万円、供養が1万円から。
そして納骨が5万円から、とある。

意外にリーズナブルな価格設定、なのでしょうか。

燈籠堂というだけに、天井や壁に一面にちらちらと火の燃える燈籠がかかっていて、幻想的です。

ここは消防法的にどうなのかという疑問が頭をかすめる。きっと黙認というか治外法権的な扱いなのかも。地震の多い関東じゃちょっと怖いけど。


燈籠堂の中はもちろん撮影禁止なので、和歌山県のサイトからお借りいたしました。

燈籠堂と御廟の前を通って、燈籠堂を一周。

御廟の前には「納骨堂」があり、ここに骨をおさめることができるらしいです。

燈籠堂には地下がある。

この地下室には、ちっちゃい空海先生が何千体も並んでいた!

身内の供養をしたい人が空海先生の像をここに並べる権利を購入してお参りをする、お墓のミニチュア版のようなシステムらしい。

なんだかここはとてつもなく重苦しくて、早く外に出たいと思った。

奥の院全体が重い場所に思えたのだけど、この地下の空気はさらに重くて、あまり長くいるのは堪えられない気がした。
わたくし、閉所恐怖症ぎみなので、地下とか洞窟とか窓のない部屋が苦手なのです。

なんだかスピリチュアルな牢屋みたい。いったい何が閉じ込められているのか。

たぶん、あのちっちゃい何千体もの像にこめられた願いや祈りを、重苦しく感じたのだと思う。

これは空海先生が望んだことなのか? 

9世紀に生きた空海先生は、自分の開いた教えが1000年のちにこんな巨大なシステムに育つなんて夢にも思ってみなかったに違いない。

もちろん誰かの信仰にケチをつける気はさらさらないのだし、それがうまく働いているのなら素晴らしいことなのだと思うのだけれど。

高野山ができてから次々にお墓が集まってきて、数百年かけて、まるで珊瑚礁のようにお墓と骨が集積してきて、もうそれはたいへんな量のカタマリとなっている。

奥の院のお墓の数は、20万基だという。さらに、供養された人や納骨された骨の数を数えたら、何百万にもなるはず。



立石寺でもつくづく感じたけれど、お寺というのはつまりお墓であるのですね。

そんな当たり前のことと言われるかもしれないけど、立石寺と高野山を訪ねるまで、わたしにはそのことがいまいちわかっていなかった。


わたしも、毎回日本に帰るたびに、初日に父母の墓参りをブッキングする(自分と弟にブッキング)。

ふだん音信不通にひとしい上の弟にも声をかけて、下の弟に運転をたのみ、車で1時間以上かかる埼玉県大宮市のあたりにあるうちの墓まで行って帰ってくるのに、半日以上を費やす。

息子が行くときには、とりあえず息子も連れていく。

お墓は、まずもって、生きている人の思いを受けとめる器なのですね。

死者との関係の置き場所。

日本のお寺はそれの引受先として、機能しているのですね。それをここで、まざまざと感じてしまった。


奥の院には参道が2本あって、新しいらしいほうの参道には、企業の名前のついた立派な墓所がいくつも並んでいた。

これらには誰かの骨がはいっているのではなくて、亡くなった従業員や関連する人びとをまとめて供養するという供養塔なのらしい。

中でも一番古そうなのが松下電器ので、これは古いほうの参道沿いにあった。

昭和13年、45歳の松下幸之助さんが建立した。「建立誌」には、

「熱誠なる従業員の中で不幸傷病のため死没せし者」を出したことを「痛惜に堪えざる」思いで、「千古不滅の霊城に永代供養塔を建立し、これらの先人を弔うとともに、向後不慮の殉職または在勤中に死没せる人びとの霊を合祀して永くその冥福を祈り祀らんとす」
(原文は漢字とカナ)とあった。

大正から昭和初期の「熱誠なる従業員」たちは、ほんとうに掛け値なしに「熱誠」だったのだろうなあ。
今とくらべてずっと危険な工場などの環境で、命を落としたりした人もいたのかもしれません。
 「痛惜に堪えざる」というのが胸に迫る。

幸之助さんは、まことに社員思いだったんですね。胸熱。


見慣れた形が!!


上島珈琲さんも!!


しろあり!やすらかにねむれ!!
白蟻駆除をなりわいとする人びとが建てた白蟻のための碑です!


いろいろと衝撃的な事物の多い奥の院でした。


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2016/09/19

空海さんとシアトル高野山の曼荼羅 (高野山 その3)


空海さん。

高野山に行くまで、空海先生がいったいいつの時代になにをした人だったのか、まーーるで頭にはいってませんでした。申し訳ございません。

空海先生については、先日みつけたこの「大人になってから学びたい日本の歴史」というむちゃくちゃ面白いサイトの

空海「俺、天才で協調性もあって運も良すぎワロタww」

という記事(空海さん&最澄さんの連続4回記事)がほんとうにわかりやすくて面白くっておすすめです。

この著者さん、まだお若い20代の「ふつうのサラリーマン」さんだそうですが、バランス感覚も素敵だし、素晴らしいです。
日本史って自分でも呆れるほどなにも知らないので、これからちょびちょび読みにいこう。

ところで、シアトルにも高野山があるのをご存知でしたか?

以前瞑想セッションに参加させてもらい、今年の元旦にも行ってみてすっかり気に入ってしまった、こぢんまりした素敵なお寺。
瞑想や護摩行は誰でもウォークインで参加できます。

高野山の宿坊、一乗院のお堂で、この空海先生のお像に会って、そういえば、シアトルでも空海さんと目があったのだった……と思い出した。
シアトル高野山も、また年内に行きたいなー。

そうそう、去年だったかな、シアトル高野山の瞑想に参加したときに、新しい綺麗なお堂にかけられている胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅に目が惹き寄せられて、まじまじ目の前で見せていただき、とても感銘を受けたので、そうだ高野山に行ったらほんものが見られるのか!と思ってたんだけど、この曼荼羅があるのは高野山じゃなくて京都の東寺でした………(;´д`)トホホ…


胎蔵界曼荼羅、

アンド


金剛界曼荼羅。

どちらも「宇宙はこういうふうにできているのだ」ということを示した図。ということでよろしいでしょうか。

シアトル高野山にあるレプリカも、たぶん実物大? とても迫力がある。

どちらもベースになっている経典(大日経金剛頂経)について、学ぼうとすれば一生かけても学びきれないのだろうけれど、きっぱりした空間に視覚で全てを伝えようとしてくれている意思がなんともありがたく、宇宙観の片鱗がひとひらかふたひらくらい、ダイレクトにつたわってくるような気がする。

このつぎ京都に行ったら東寺に直行するだ!

東寺には「立体曼荼羅」もあるのだそうだ!



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大根の謎と御札 (高野山 その2)


夏に訪ねた高野山、その2。

宿坊の朝は早い。朝6時からの勤行が、お坊さまたちのメインのお仕事のひとつなんですね。

朝のお坊さまたちは、前の夜の作務衣とは違い、ぱりっとした正装の法衣をまとっていました。


勤行をするお堂は宿坊のお座敷の隣にある別棟。宿泊者もこの朝の勤行に招待されます。
「強制」ではありませんが、「ぜひともご参加ください」と、宿坊に泊まって勤行に出ないなんてありえないでしょ、という無言の了解を求められる感。

もちろん、よろこんで!参加させていただきましたよ。


お公家さんの菩提寺というだけあって、天井も絢爛豪華です。
宿泊者席は畳に正座ではなくて椅子席でした。


この正面にご住職が座って、両脇にもう二人ずつお坊さんが向かい合い、お経を上げる。

男声5名のお経は力強く、迫力満点で朗々と響き、心地良かったです。

ほんとに読経とかグレゴリオ聖歌とか、チャント系が大好きなんです。


下がり藤は、ここが菩提寺だというお公家さんの九条家の紋。

そういえばうちの実家も下がり藤だったけどちょっと違う。


空海先生の像。なぜか、大根とさつまいもと人参が供えられていました。

お坊さんたちが座ってお経を上げる中央ステージみたいなとこ(なんというのか、名前はあるのだろうけど)の回りに、空海先生像はじめ、各種如来像、菩薩像、不動明王像などが飾られ、そのまわりにたくさんの位牌が置かれています。


高野山では大根や芋を立てて供えるのが伝統らしい。
なにか意味があるのか聞いてみたけど、伝統だというだけで教えてくれませんでした。
きっと、かんたんにあかせない秘密があるに違いない(違?。

歓喜天/聖天という天部の神様が大根好きという話がウィキに載っているけれど、真言宗と関係あるのかどうかわかりません。


ものすごく恐ろしい形相のブラックな不動明王様。

ここは、部屋全体が大きなお仏壇のようなものなのだな。と思いました。

部屋に戻ってすてきな朝食(またお坊さんが上げ膳据え膳してくれる)をとったあと、ご住職(でいいのかな)が指導する阿字観瞑想というのに参加しました。

瞑想以前に、半跏坐ができなくてがっくり。

あれは、足の太い人にはできないのではないか。
と思ってご住職に「一生できる気になりません」と弱音を吐いたら苦笑された。

ご住職はみやびで知的な、大学教授みたいな感じの方だった。いかにも京都の方、という物腰。お公家さんの家筋なのかしらー。


瞑想セッションから戻る途中で、お庭のわきに神棚を発見。

お寺の境内に神社があるのは見たことがあるけど、お寺の(宿坊だけど)内部に神棚があるとは思わなかったのでびっくり。
天照大神の御札が貼ってありました。

ちょうどご住職が通りかかったので聞いてみると、
「さあ誰が貼ったのやら、どの神社の御札かわかりませんけど、真言宗では大日如来と天照大神は同じと考えております」
と、やわらかな関西弁で答えてくれた。

おおお。本地垂迹ってやつ!

わたしこの考え方は大好きです。神の名前や現れ方はその場所でいろいろに変わる、というの。
とても実用的だと思うし、信仰のあり方としてとても前向きじゃないかと思う。
原理主義の人にはもうとても我慢できない考え方だと思うけれど。

神と仏のどちらが正しいとかいう問題じゃなくて。
あらゆる存在は、名前も、あり方すらも、その場その場で必要に応じて変わるものだと思うので。

力や個性も、時と場と相手を得てゆるやかに、時には激しく変わっていくもの。
人も。神々も。植物も、鉱物も、惑星も、恒星も、宇宙も。

だってすべては空であり色でもあるとブッダ先生も言っているではないですか。

仏教の先生や神道の先生からしたら、ちょっと曖昧すぎる解釈なのかもしれませんが。

あっ、念のため、私はキリスト教徒ですよ!教会の人からみたら、かなり道に迷った間違ったクリスチャンだと思うけど。


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